「うぅ……」
あれから数時間が経った。
初めのうちこそ自分の足で歩いていた葵だったが、程なくして立っているだけでもしんどいといった状態になるに至り、俺が彼女を背負っていくこととなった。
拠点に戻るのは頑なに拒否した葵も、今度ばかりは素直に身を預けた。
「葵、もうちっとの辛抱やからな」
背中から聞こえてきた呻き声に、俺は何度目かの言葉をかける。
返事は無く、荒い吐息と平常のそれより熱い体温が伝わってくるばかりだ。
剣を片手に持ったメイドさんの先導の元、時折瓶に移したバケツの水を葵に飲ませたり汗を拭ったりしながらも歩を進める。
逸る気持ちを抑えながらも慎重に、そうして村にようやく辿り着いたのは日が落ち始める頃のことだった。
「おお、茜殿、それにメイドさんに……?」
前回来た時と同じチェーン装備姿の門番が声をかけてくる。
しかし、新顔である葵とこちらのただならぬ様子に気がついたのだろう。
すぐさまデカ鼻顔をキリッとさせた。
「すまん、門番さん。この子が道中で体調崩してもうて」
「分かった。医者を呼んでくるから宿泊用の家で待っててくれ」
判断が早いのはさすが戦いに身を置く役職だといったところだろうか。
門番は俺達を村に入れると門を閉じ、それからどこかへと走って行く。
それを見送りつつ、俺達は宿泊用の家に向かった。
「葵、下ろすで」
メイドさんにドアを開けてもらって家の中に入り、俺は背負っていた葵をベッドに横たえた。
茹で蛸のような顔色を見て、今の服装では暑いだろうとどうにかゆったりとした服装に着替えさせる。
それから次から次へと額を流れる汗を拭ったり濡らしたお絞りを変えたりしているうちに玄関がノックされ、門番が呼んだ医者がやってきた。
「どないですか?」
「命に別状はありません。しばらくは安静にして、時々水を飲ませてあげたりしてください」
医者は少しの間、熱を測ったり脈を取ったりしていたが、やがてそう言った。
そして落ち着いたら飲ませるようにと熱冷ましだという薬を取り出し、どうぞお大事にと去って行った。
礼を言って見送ってから、ようやくホッと一息つく。
部屋に戻り、ベッド脇に置いた椅子に腰掛けた。
「葵……」
苦しそうにしている葵を見ながら、内心で俺は自分を罵る。
昨日の時点で何となく違和感は覚えていた。なのに、それを見逃してのんきにしていた結果がこれだ。
いいや、もっと言うならばその前からか。。
迂闊な探索で葵を命の危機に晒して、余計な真似をして心配をかけて。
それで積み重なった疲れがここに来て吹き出てきたに違いないのだ。
何が姉代わりになるだ、葵を守るだ。
俺、何にも出来てないじゃないか。
もしも、これで葵がどうにかなったりしたら俺は、俺は――。
その時だった。スッと目の前にハーブティーが差し出されたのは。
「っ! メイド、さん?」
見れば相変わらず無表情のままのメイドさんがこちらを見ている。
ここまで手助けしてもらっていたのに、すっかり存在を忘れていた。
知らず知らずのうちに固く握り締めていた手のひらを緩める。
「あ……ありがとう。すまんなぁ」
受け取って一口つけた。温くはなく、かといって熱すぎるということもなくて飲みやすい。
ふんわりとした優しい香り、砂糖が入っているのか仄かに広がっていく甘みに自然と気持ちが落ち着いていくのが分かった。
どことなくフリーダムな感じはあるけど、さすがメイドさんといったところだろうか。
「ん、うまい。……せや、お礼っちゅーほどでも無いけど」
ふと思いついてインベントリからマシュマロを取り出した。Pam’sModsで追加される食料の1つであり、おやつにでもと作っておいたものだ。
ほれ、あーんとメイドさんの口に放り込めば、心なしか目が輝いている気がする。喜んでもらえたようである。
そうだ、今は葵の看病をするべきだ。反省は葵の体調が回復してから改めてすればいい。
「色々と手伝ってもろうてほんま助かったわ。もう日も落ちてきたことだし、メイドさんも泊まるところあるなら行ってもらっても……」
なし崩しに手助けしてもらったが、元々メイドさんはただの通りがかりだ。
本当は別に用があったのかもしれないし、これ以上留めておくのも忍びない。
そう思って声をかけたのだが、意外にもメイドさんは首を横に振った。
それから何やらジェスチャーをし始めた。
「え? 何々……まだまだ付き合ってくれるん? ケーキのお礼? ウチは寝てていいって?」
俺が尋ねるとメイドさんはコクリと頷いた。
どうやら葵の看病も手伝ってくれるつもりのようだ。
「……分かった、ほんならお言葉に甘えさせてもらうわ。でも無理せんと、何かあったら起こしてな?」
あまり頼っては悪いとも思ったが、確かに俺もいささか疲れているのもまた事実だ。
何かあった時に万全の状態じゃなくて動けなくても困るし。
俺は部屋の隅っこに寝転がると着替えを枕代わりにして目を閉じた。生憎とベッドもその材料も持ってないから仕方ない。
時折葵の魘される声やメイドさんが看病している音が耳に入ってくる。
思考が不安でいっぱいなのを自覚しながら、それでもやはり疲れていたからだろう。
気がつけば俺は眠りに落ちていた。
翌朝、体中が凝っているのを感じつつ目が覚めた。
見やればまだ寝ている葵をメイドさんが看病している。
結局、一晩中世話をしてくれていたようだ。
「ん、おはよう」
俺が声をかけるとメイドさんはペコリと会釈をし、それから何やら手紙を差し出してきた。
どうやらさっき村人がやってきて渡してくれたらしい。
全く知らない言語なのに意味の分かる文章に目を通す。
「『村のことは急ぎじゃないから看病に専念してくれていい』、か……ほんま、頭が下がるなぁ」
デカ鼻でややお盛んなところがあるのはちょっと気になるけど、それでもとっても親切な人達だ。落ち着いたらお礼をしなきゃな。
簡単に朝食を済ませて、メイドさんに代わって看病を引き継ぐ。メイドさんは一休みするとジェスチャーして家を出て行った。おそらくメイドさん用の宿もあるのだろう。
「う、ううん……お姉、ちゃん」
ベッドの脇に持ってきた椅子に座り、しばらく看病をするうちに葵が目を覚ました。
「どうや、調子は?」
「……頭重い、かも」
昨日程では無さそうだが、横になったままの葵はまだ辛そうだ。
それでも起き上がろうとする素振りを見せたので、俺は彼女を制した。
「無理に起きんでええで。村の人からも休んでていいって言われとるしな」
「村……あ、そうか。私、途中で……」
俺の言葉に葵は状況を理解したようだった。
申し訳無さそうに眉尻を下げる。
「ゴメンねお姉ちゃん、迷惑かけて」
「何を言うとるんや。ウチは葵のことを迷惑に思ったことなんかないで。ほら、お薬や」
手を伸ばして葵の額に手をやれば、まだまだ火照っているのが分かる。
再度濡らしたお絞りで顔を拭ってから、熱冷ましの薬と水を口元に持っていく。
「ん……」
「遠慮せんで休んどき」
暫し起きていたものの、やがて葵は静かに寝息を立て始めた。
熱が下がるまではあまり食欲も出ないだろうし、してやれることと言えばこうして傍で様子を見守るぐらいしかないだろう。
そう思い、なるべく静かにしながら葵の世話をしたりレシピブックを捲ったりしているうちに、ふと声が聞こえてきた。
「……い」
不思議に思って声のした方を見る。
葵だった。どうやら寝言のようだ。
寝言に返事をするのはあまり良くないんだったか。
そんなことを思い出しながら聞いていた俺は、次の言葉に固まった。
「帰りたい……」
それきり葵は特に何も言わず眠っていたが、俺は呆然としたまま動くことが出来なかった。
衝撃を受けたような気分だった。なんで昨日、葵があんな頑なに村へ向かうと言って譲らなかったのか、分かった気がした。
過去の記憶が曖昧ながらも知識は持っている俺にとって、この世界はとても住みやすい世界だ。確かにモンスターという危険はあるしゲームもアニメも無いけれども、それを差し引いても無理をしなければ生きていくのはそう難しいことではない。
でも、葵は違う。平和な今までの日常からいきなり放り込まれて、森を彷徨ったりモンスターに襲われたりする羽目になり、世界の法則までもが未知だらけだ。しかも元々は大の男であったであろう俺とも違い、彼女はまだ少女なのだ。やりたいことはまだまだたくさんあるだろうし、元の生活が恋しくないわけがない。
そんな中で元の世界に戻る手がかりが見つかるかもしれない、そう言われたらどう思うだろう。
葵は少しでも早く元の世界へ帰りたいだけなのだ。この世界に留まり続けるなんて考えもしていないだろう。時間の流れがどうなっているのかは分からないが、元の世界に戻ったはいいが何十年も経っていたなんてこともあり得るかもしれない。
俺は思っていなかったか?
――このままこの世界に住んでしまえばいい。
酷い裏切りがあったものだ。
期待を持たせるようなことを宣っておきながら、俺は葵の気持ちなんて全然考えていなかったんだ。
おまけに確証はないものの、もしかしたら茜ちゃんの体を奪ってしまっているのかもしれないという始末。返し方なんて見当もつかない。
はは、なんてことだ。だとしたら俺は何も出来ていないどころか、彼女の姉を、生活を、命を奪おうとしているってことに――。
「茜殿はおられるか!」
玄関のドアが強く叩かれて、ハッと我に返った。
気がつけば外はすっかり夕方になっている。
ともかくただ事ならぬ様子だったので慌てて出れば、そこには門番とメイドさんがいた。
門番は焦りを含んだ険しい顔をしており、メイドさんも表情は変わらないがどことなく張り詰めた雰囲気を醸し出している。
「何があったん?」
端的にそう尋ねる。危急の用だろうと思ったからだ。
案の定、門番は口早に事態を告げた。
「異常な数のモンスターが村の外に集まっている! どうか迎撃を手伝ってほしい!」
その言葉に血の気が引いていくのが、自分でも分かった。