マインクラフトにおける拠点の意味とは何か。
実用性を重視した各種設備や物資の集積地か、あるいはロールプレイを意識した見栄えや居心地のよい家か。あるいはその両方か。
それはクラフターによって異なるが、やはり拠点というからには1つ外せない要素がある。
――安全の確保。
特に何をせずとも物資が手に入るような完全に自動化された工場だろうと、まさしくファンタジーといった感じの豪奢な巨大建築だろうと、もしそこにモンスターが湧いたり簡単に外から襲撃されたりするようでは拠点とは呼べまい。
逆に言えば安全が確保されてさえいるのであれば、それは充分に拠点たり得る。極端な話、雨晒しだろうと地面が土ブロックのままだろうとダサすぎる装飾が施されていようとだ。
「だから、これは完全に立派な拠点だ。マイハウスだ」
せっせと走り回って集めた木ブロックを積み上げて出来た家を見渡しながら、俺は誰に言うとでもなくそう呟いた。
まるで木ブロックそのものを巨大にしたような外見。実にコンパクトで、その気になれば縦にも横にも拡張の余地がある。木ブロック以外で唯一ついているドアがアクセントだ。
……紛う事なき豆腐ハウスだった。
いやだって、仕方ないじゃないか。手間暇かける時間はないし、セーフハウスに遊び心出す必要なんてないし、何より素材がないし。建築センス? 俺は建築デザイナーじゃないんだ。
おっと、そんなことを考えている場合ではない。
空の色はもうすっかり暗くなってきている。まだ西の方には明るさが残っているが、後はすっかり濃紺に染まっており、もうお月様やお星様がこんばんはと顔を出している。夜だ。
俺はドアを開き、今建てたばかりの初めての家に入った。
「……何も見えん。しかも天井が低い」
家の中は真っ暗だった。当然である。窓もなければ光源になるものも置いていない。素材が木ブロックだけなのに何故かガラス付きのドアから星空が見えて、それで僅かに方向の判別がつくくらいだ。
そして、身体能力を確かめた時のことを忘れて3ブロックの高さで天井を張ったから圧迫感がすごい。琴葉茜の身長158cmくらいでも腕を伸ばせば手が届く。ジャンプすれば激突待ったなし。おまけに床は地面のまま。一段掘り下げてみようか、いや真っ暗で見えんし無理だ。
これ、ゲームだったらモンスター湧くよなぁ。朝になったら天井は取っ払わないと。というか、一旦全部解体するか。
俺はひとまず入り口近くの壁を背にして座り込み、ようやく一息ついた。
「しかし、こんなの建てるだけでもここまで疲れるとは……」
さて、家がこんな悲惨なものになったのは先ほどの理由の他に、伐採や建築が予想以上に体力を使うものだったということが挙げられる。
伐採や建築なのだから力仕事なのは当然ではないかと思うかもしれないが、マインクラフトの常識においては伐採や採掘、つまりブロックを壊すよりも走る方が満腹度……MODを入れないマインクラフトにおける実質的な疲労度を消耗するし、ブロックを設置するのに至っては全く変動しないのだ。
だが、この世界ではどうやらそうもいかないらしい。一本切り倒すだけで結構腕に来た。家を建てる時もブロックの設置はまだしも、積み上げたり位置を修正したりで跳ねていたらすっかり息が上がってしまった。
これでも一括破壊含めたクラフターの能力のおかげで、かなりマシになっていると思うのだが。ゲーム通りだったらとっくに終わっていて石を掘ってくる余裕まであっただろうが、現実通りの身体能力だったらそもそも出来なかっただろうし。
くぅ、とお腹が鳴った。
「はあ……」
何本か木を伐ったもののリンゴは1つも出なかったから、今夜は空きっ腹を抱えることになる。
ゲームみたいに飢餓状態になってダメージが入って、なんてことはないと思うがそれでもひもじいものはひもじい。
うう、ごめんよ体の茜ちゃん。女の子をこんな家とも呼べないような家に住まわせて飯も出せないなんて男失格だ。俺が琴葉茜だし、女の子になっちゃったけど。
起きてても仕方ないし朝まで寝るか。暗くて開けてても開けてなくてもあまり変わらないけど。そう思いつつ目を瞑ると、代わりに聴覚が研ぎ澄まされるのを感じる。
そこで気がついた。
「……うん?」
遠くの方から何かが聞こえる。
いったい何の音だろう。立ち上がってオークのドアからそっと外の様子を窺う。
外は真っ暗でほとんど何も見えない。それでも月明かりのおかげで見つけることが出来た。
さっきまで何もいなかったはずの草原にいくつかの影が見える。
人影のようだったが、両手を前に突き出しながらフラフラとしている様子からそれが何なのかが分かった。
「ゾンビ」
聞こえてきたのはどうやらゾンビの呻き声のようだった。
マインクラフトでは定番の敵モンスター。1体だけなら素手でも倒せる程度で大して強くはないものの、数で攻めてこられたり足の速い子供ゾンビが居たりすると面倒な相手だ。他にも40マス離れた位置の標的を感知し、難易度にもよるが倒した村人をゾンビ化させてしまったり木のドアを破壊したりする。
それが外にいる。幸いにもだいぶ距離があるし気づかれてはいなさそうだ。ともかくこの世界にモンスターがいることは分かったし、後はやりすごそう。
とは思いつつも見える範囲に敵がいるという状況で目を離すことも出来ず、ずっと外の様子を窺っていたのだが。
「……なんかこっち来てないか」
どうにも右にフラフラ、左にフラフラしながらも近づいてきている。
偶然だろうとは思う。もしもゾンビがこちらを見つけていたら、まっすぐにこっちに来るはずだ。
それでもその動きがこちらの存在に気づいているように思えてならず、俺は外を覗くのをやめて再び壁へと身を預けることにした。
……少し、呼吸が荒くなっているのが分かる。寒くもないのに体が小刻みに震えている。さっきまで感じていた空腹なんて気にならないぐらい意識が外に向いているのが自覚出来る。
怖い。暗くてはっきり姿が見えたわけではない、いやモンスターとはいえゾンビなんて直視したいわけではないが。命を脅かす存在が外をうろうろしているというのが恐ろしい。
暗闇の中で自分の息遣いと心音がはっきり聞こえる。こんなのを聞かれたらバレてしまうに違いない。そう思って必死に息を潜めようとすればするほど、どうしようもなく鼓動は脈打ち、より多くの酸素を求めて呼吸してしまう。何も見えず、何もいるはずもないのに、暗闇のあちこちに視線が動く。
それがどれくらい続いたか分からなくなった時、家のすぐ傍でガサリと草をかき分ける音がして――
「う゛ぁ゛」
低い、呻き声が聞こえた。
「――!?」
悲鳴が漏れそうになり、咄嗟に口を押さえた。心臓が跳ね上がり、早鐘は最高潮に達する。息苦しい。急に少女になった自分の体の華奢さが不安になった。
襲われたら、いったいどうなる。食われるのか、村人みたいにゾンビにされてしまうのか、もっと恐ろしい目に遭うのか。戦う? 違う、現実で素手で倒せるとは思えない。せめて武器を、ああ木の剣でも作っておけば。だから隠れなきゃ、でも隠れてるのは怖くて。
だから、だから。
死の恐怖が全身を駆け巡り、緊張が脳天を突き抜けて。
気がつけば俺は、意識を失っていた。
ひんやりとした地面の温度で目が覚めた。
寝ぼけ眼で体を起こす。薄暗いが家の中の様子は見える。昨日と変わらず、木の壁と天井、そして地面だけの殺風景なままだ。ドアのガラスから差し込む外の光だけが、模様のように地面を照らし、唯一のアクセントとなっている。
どうやら夜は明けたようだった。もうゾンビの声はしなかったが、おそるおそる外の様子を確かめてみる。草原は静かで何かが動いている様子もない。
そっとドアを開けて外に出てみると、暗がりから急に出たせいで目が眩んだ。それでも身を包む太陽の光は暖かくて、自分が生きているのだということを実感させてくれた。
「は、はは」
自然と変な笑いがこみ上げてきた。喜びとも安堵ともつかない妙な感覚だった。
「生きてる。俺、生きてる」
そうしたら急に空腹だったことを思い出す。
そうだ、まずは腹拵えだ。今日こそは何か口にしないと。リンゴより動物探して狩った方がいいかな。屠殺したことはないけど、まあ多分何とかなるだろう。石も掘ってかまどや木炭辺り用意しないと。それからはあの不出来な豆腐を解体してしまって、今度はもうちょっとマシなものを作ろう。もちろん天井高くして、外壁に上り下り用の階段をつけて……。
今日の予定が次々と頭に浮かんでくる。心はすっかり解放感に満ちていて、もうすっかり昨夜の恐怖はどこにも残っていないようだった。
でも、実のところあの緊迫感は体に残っていたらしい。
カサリ、と背後から草を踏みしめるのが聞こえた。
瞬間、俺は自分でも訳も分からぬまま全力で前に跳んでいた。
そこでようやく微かに振り向いた視界に映ったのは緑色の何かが、空気の抜けるような音と共に膨張する光景。
それがマインクラフトの解体の匠、クリーパーであるということを理解した時にはもう遅く、俺は爆風に吹き飛ばされていた。