「完成っと、これでようやく拠点作りも一段落やな」
メイドさんにとってご主人様は葵であることが判明した翌日。
後回しになっていた田畑の整備を終え、ようやく新拠点の設備が一通り出来上がった。
これからここでは主に村で栽培していないもの……特に米や大豆などを育て、通常の野菜は村との取引で貰うつもりである。
「あ、そうだお姉ちゃん。これ植えていいかな」
ふと葵がそう言って取り出したのは一本の苗木だった。
「ん、これは?」
「リンゴ。ほら、私がこの世界に来たばかりの時の」
この世界に来て間もない頃、まだクラフターの能力に気づいていなかった葵は運良く近くに生えていたリンゴで食いつないでいた。
その時、何かに使えないかととりあえず拾っていた枝がリンゴの苗木だったらしい。
「私、思ったの。今でこそ生活が安定してきたけど、あの時の心細くて大変だった感覚を忘れちゃいけないんじゃないかって」
「ほんでその証として植えようっちゅうわけか。葵は真面目やなぁ」
初心忘るべからずということだろうか。
確かに最近は余裕が出てきたせいか、色々と大雑把になっているところがあったかもしれない。
最初の頃は食料の配分さえ気をつけてたのに、今じゃすっかり丼勘定で思っていたより食材が減っていたりする。いや、無理に切り詰める必要も無いのだけれど。
「ん? でもエンゲル係数が跳ね上がってる原因って……」
メイドさんは我関せずとばかりにお茶を啜った。
「……まあええけど。ほな、植えるなら家の裏手とかええんちゃう? 空いてたやろ」
早速裏口から外に出て、十分な広さのある場所にリンゴの木を植える。
放っておいても一週間と経たず生長するとは思うが、記念的なものだ。
折角なので骨粉で育ててみることにした。
「野菜とかは早回しみたいに育ったけど、どうなるのかな」
骨粉をかけて2人で様子を見守る。
しかし、植えた苗木は特に変化する様子もなく地面から生えたままだ。
「んー、もうちっとかけなあかんのかな」
俺は追加で骨粉をかけようと苗木に近づいた。
その時だ。
「おわああぁぁぁぁぁ!?」
「お、お姉ちゃーん!」
リンゴの苗木がにわかにプルプルと震えたかと思うと、次の瞬間勢いよく巨大化した。
俺を吹き飛ばしながら急激に生長したリンゴの木は四方八方に枝を伸ばし、青々とした葉でその身を包んでいく。
最後に鮮やかな赤色をしたリンゴが実り、家の裏手に立派なリンゴの木が育った。
「葵が2人、葵が3人……」
「あちゃあ、完全に目を回してる」
そういえばゲームでは木が生長する時に植えたブロックに立っていると、埋まってしまい窒息することがあるんだった。
目を回した俺は葵に介抱されながら、そんなことを思い出す。
初心忘るべからずだった。
それから長いことのんびりとした日々が続いた。
いつもの農作業をしたり、まとまった鉱石が手に入ったとはいえ一応鉱石集めに地下を掘り進んだり、気分転換と練習に乗り物を動かしてみたり、週に一度村へ行ったり。
この間、一番大きかった出来事といえば地下にスライム狩り用の空間を作ったことだろうか。スライムが出現する条件は通常のモンスターと異なり、月が出ている晩の湿地帯か、あるいはスライムチャンクと呼ばれる範囲内の高さ39以下の床に限られる。
そして、スライムの落とすスライムボールという素材は基本的に他の入手手段がない。ゲームだと行商人と交換出来たような気もするが、それとて支払いが割高だし確実性には欠ける。
なんでそのスライムボールが欲しいかというと、スイッチやレバーなどで動作する仕掛けを作る時に便利な粘着ピストンというブロックを作ったり、まだまだ着手出来ていないが特殊効果を得られるポーションの素材であったりという理由があるが、長くなるのでそれはまた別の話。
ともかく俺達は地下を掘って掘って掘りまくり、何とかスライムチャンクらしき場所を探り当てて安定して入手する手段を確保したのであった。湧き放題というわけでもなく、万が一のことを考えてすぐさま封鎖出来るよう小規模にしたので大量に手に入るという程でもないが。
「葵ー、作物に水を流しても収穫出来ないでー!」
「当たり前だよね?」
もっとも目論んでいた水流式の収穫装置は、そもそも作物が水に触れてもアイテム化しなかったことで失敗に終わる。それに伴い、スライムボールの大半も倉庫の肥やしとなることが確定した。
何週間もの苦労が水の泡と化したその日はふて寝したものである。
そんなこんなで1ヶ月が過ぎ、2ヶ月が過ぎ……早いもので、気がつけばもうすぐこの世界に来てから半年が経とうとしていた。幸いにもモンスターの大量発生のような異変も起きていない。
この世界にも一応季節はあるようで若干涼しくなったような気がする。ただそれでも過ごしやすい程度なので、この辺りの地域は年中ずっとそんな感じなのかもしれない。仮にこの世界に来た当初が春だったとして、日本の夏みたいに暑くなることはなかったし。
何となくこのままずっとこの生活が続いていくんじゃないか……そんな感覚さえ抱き始めた頃のことである。
「あれ、犬……じゃない、オオカミの鳴き声?」
ある日、いつものように拠点で生活していると防壁の外からオオカミの吠える声が聞こえてきた。
野生のオオカミかとも思ったが、それにしてはずっと鳴いているようだ。
不思議に思い、3人で様子を見に行く。
「あれ、スカーフしてる」
そこに居たのは確かにオオカミであった。
ただし、手紙の挟まった首輪をつけており、どこかで飼われている個体のようである。
オオカミはこちらを見るとワンと鳴いた。
特に危険は無さそうだが。
「おいでー」
葵が骨を差し出すとオオカミは喜んでむしゃぶりついた。
その間に手紙を抜き取り、中身を確認する。
「ええと……ああ、村の子みたいや」
手紙にはこの手紙が村から送られてきたということ、オオカミはその使いであることが書かれていた。
そういうことが出来るんだと感心したのも束の間、要件の部分を読み進めた俺はアッと声を上げる。
不思議そうにこちらを見つめる葵とメイドさんだったが、俺は中身を伝えると息を呑む。
「行商人さんが来たって……ほんで手がかりになりそうな本、見つけたって」
――緩やかに進んでいた時間の流れが、急に早くなったような気がした。