その少女に出会ったのはアルビオンが母さまに全面降伏してから間もない頃でした
濃く深い緑の森にに霧雨が降りしきるなか、少女は雨宿りをしている木から少しだけ首を伸ばして灰色の空を見上げると、『はあぁ…』と大きなため息をついた。そうして先に雨宿りをしていた私に、『早く止めばいいのにね』と笑顔でこぼした
最初の印象としては、私に似ていると思っただけでした。だけどその日、少女に出会ってから私の日常は劇的に変化した
セスタと遊べる喜びを知った。セスタと喧嘩する悲しみを知った。セスタと仲直りした時の安堵を知った。セスタに姉さまと呼ばれる幸せを知った
信じられる者は家族だけだった私の世界に、セスタはいつの間にか加わっていた
いつもいつも、セスタが森に遊びに来ることを期待していた。家のドアを開けるとそこにセスタがいて、『姉さまあそぼー』と言ってくれるのではないかと。そんな小さなドキドキがいつも心の奥で騒いでいた。さらに、セスタに実際に会うことで湧き上がる大きな感情と、おへその下あたりを急激にに通り抜けるくすぐったい微熱
セスタに出会ってから、心が絶えずざわついていた。自分でも抑えることのできない、何か得体の知れないものが心に住み着いたかのようだった。でも、それはとても暖かなもので……とても柔らかなもので……、大事に育てていこうと自然に思えた
それが、いったいなんでこんなことになってしまったのだろう。そう、思い返せばそれはセスタの口からぽつりと飛び出た思いがけない言葉からだった
「姉さまはいつ私の家に戻ってくるの?」
思わず口からふっと息が漏れる。二つ分けにして結った髪が大きくはね、私の体が小さく揺れた。その時、私のどこかで何かに亀裂が入る音を確かに聞いた……
「姉さまは本当の家族の私と一緒に暮らすべきだよ」
それはたまらないくらいの鋭さで心の奥に突き刺さった。お願いだからもうこれ以上はやめてと泣き出してしまいそうな痛さで……、冗談だよって言ってくれたらまだセスタを好きでいられるから……、今ならまだセスタのことを……
「先生はいい人だけど姉さまとは本当は他人だしエルフなん…」
「だまれっ!」
セスタに姉さまと呼ばれるのが心地よかった。ちょっと姉さまぶったりとか。そういうのもいいかなって。セスタは家族だって。私の大切な妹だって。そう思えるようになれていたのに……、そうしようとしていたのにっ!
セスタは私の一番大切なものをいつもの無邪気さと柔らかい笑顔をもって汚したのだ
母さまが私の母であることは不変のものとして心に刻み込まれている。他人から見ればとても親子には見えないことは知っている。母さまと私に血の繋がりがないことも十分に知っている。それでも母さまが親であることを疑う気持ちは微塵もない
ずっと私と一緒にいてくれた。ずっと私を愛してくれた。言葉にすればただそれだけのことだけど、ずっとそうしてくれたのだ。この身には過ぎた贅沢と幸せを母さまだけが与えてくれた
頭に血が上って顔が熱くなるのがわかる。突き上げる激情に握った拳が震える。あっけにとられた『あの娘』が、はっとしてこちらに手を伸ばしてくる
いつも繋いでいた手だ。小さいけれどあたたかみのある手。繋ぐと、ぎゅうっと握ってくる感触にいつもドキドキしていた
だけど、もうどうしようもないほどその手もあの娘も無価値なものにしか見えない。そうとしか見えなくなってしまっていた
だから、その手をはねのけても何も思うこともなかった。とたんに顔を青ざめさせたあの娘を心配する気持ちも全く湧かなかった。ただ、こんなつまらない存在のために母さまと一緒にいられる時間を削っていたのかと、ただただ後悔した
泣きむせびながらあの娘が何かを喚いていた。どんな小声でもさっきまでははっきりと聞き取れていたのに、あの娘の声がただの雑音としか聞こえなくなっていた
立ち去る私に向かってあの娘がまだ何か喚いているようだったけど、そんなどうでもいいことを気にかける必要はない。私には母さまと家族だけいればいい。もう、それだけでいい……
シエスタさんがあんな風になったのは、だいたいこいつのせいw
母さまはギンガのことで、家族についてはそのうち書きます