焦る気を静めて周囲の消えている気配を探る。やがて周囲に滑らせて視線をとある宿屋の前でぴたりと止めた。妙な気配を感じて……、いえ、その逆です。周囲の気配があまりにも薄すぎます
宿屋を含め、周囲には幾つもの建物が並んでいます。その建物のなかには当然人が居て、眠っているにせよ、起きているにせよ、気配を発しているはずなのです
しかし、この宿屋の周囲はまるで廃屋のように気配がありません。宿泊者の馬などを繋いだりするための簡易な馬小屋からは動物の気配は感じられますが、少なくとも人間の気配がほとんどしません。街中でありばがらもここに漂っている空気はどこか廃墟のそれに近いのです
すぐ後ろをついてきていた姉さまをちらりと見て言いました
「空に一発撃ってください」
姉さまは腰の後ろに手をやり、忍ばせていた名銃ドラグーンを抜くと夜空に向けて引き金を引きました。銃声が響くと同時に宿屋内に瞬間的に発生して消えた気配。確信には至らないもののこの宿屋が極めて濃厚です
姉さまに目配せをして宿屋の扉をくぐると不可視な風の刃が飛んできました。不可視な上に、微妙ににタイミングをずらして飛んでくる風の刃。それを体捌きでかわし、姉さまに直撃しそうだったものを宙で掴み握り潰し、爆風にまぎれて姉さまを宿屋の外に蹴り飛ばします。ダメージはありませんが手のひらが少しだけヒリヒリします。それにしてもまた風系統のメイジですか……
「『足』を確保しに宿へくればこれはこれは!」
そう言って姿を見せたのは、長い黒髪に、漆黒のマントを纏った男。ですが、あれはおそらく風の偏在でしょう。どうやらかなりの使い手のようですね。それはこうして相対していると肌でわかります。少なくともこの男はワルドと同等の魔法を使っているのですから
「私の魔法をああも容易く退ける者が誰かと思えばシエスタ殿ではないか」
そうして見えた男の素顔。まったく、顔見知りとこういった状況で相対するものではありませんね……
「それはこちらの言葉です」
学園の教師ともあろうものがこんなところで何をしているのですか
「疾風のギトー。あなたこそアンリエッタ様を誘拐するとはどういうことです」
「……ふむ、説明はいるかね」
「できればお願いします」
「なに、簡単なことだ。アルビオンとトリステインの此度の戦争だがトリステインの勝ち目は薄い。ならば手土産をもってアルビオンに乗り換えるのは、そうおかしな話でもあるまい」
そういうことですか。この疾風のギトーという男は裏社会ではそこそこに名の知れた者です。国への忠誠心などというものはないのでしょう。学院長は何を思ってこんな男を学院の教師にしていることやら。まあ、私がいうのもあれですか…
「それでは次はこちらの番だ。シエスタ殿は如何様でここに来たのだ」
「モンモランシ様からの密名でアンリエッタ様救出の任を受けて参りました。おとなしくアンリエッタ様の身柄を引き渡していただけると助かります」
「ほう!シエスタ殿がか!!」
「ええ、モンモランシ家特務氷精霊部隊≪セルシウス≫の一員として今回の救出任務に就いています」
とっさにしては中々の内容でしょう。代々、水の精霊との交渉役を務めてきたモンモランシ家なら、そんな私設部隊があってもそうおかしい話ではないでしょう。それにモンモランシ様と私が一緒にいる姿は最近では学院の生徒や教師にも目撃されていましたしね
「ですのでお早くアンリエッタ様の身柄をこちらに引き渡してください」
ここまでくればもうアンリエッタ様を救出するのが早いか遅いかの違いだけです。ギトーにとってみればそうですね……
「疾風のギトー、殺されてアンリエッタ様を奪われるか、速やかにアンリエッタ様の身柄を引き渡すか選んでください」
アニエスはマスターシーフ
そのうちステ公開