まともな授業の時間が減った魔法学院に、姉さまが率いる銃士隊の一団が現れたのは、カトレアを逃がし忌々しい気持ちで学院に戻ってきた翌日のことでした。いったい何事でしょうと首を傾げます。姉さまからは何も聞いていません
「アニエス以下銃士隊、ただいま到着いたしました」
「お勤め、ご苦労さまなことじゃな」
オスマン学院長が迎えにきたということは事前に連絡は取っていたようですね。姉さまは学院長との会話を早々に切り上げると、洗濯物を運んでいた私のところに一直線に歩いてきます
「そこのメイド!学生が授業を受けている教室までの案内を頼む」
姉さま……演技をするならもっと上手くやってください。学院長からは見えないでしょうが、正面からは女性でさえ見惚れるような穏やかな微笑みが丸見えですよ。隣で洗濯物を運んでいるあの娘も不思議な顔をしています。まあ不思議に思っているのはそれだけではないのかもしれませんが……
「すみません、私はこちらの貴族様の案内をしてきます。残りの洗濯物はお願いします」
「え…あの、うん」
あの娘の足元に洗濯かごを下ろして姉さまを見上げます
「こちらです。ご案内いたします」
「ああ」
さて、それでは教室までの道中ゆっくりと話を聞くことにしますか。そうして廊下を進み、人気がなくなったところで申し合わせたように足を止めました
「男子学生を仕官として登用しただけでは仕官不足は解消されず、女子生徒も予備仕官として確保し、アルビオンとの戦で仕官が消耗すれば、逐一投入せよとの王政府の方針よ。そのため、学院に残った女子生徒たちにも軍事教練を施せよとの指令よ」
「始祖の血を引くヴァリエール家、代々水の精霊との交渉を任されてきたモンモランシ家、ガリア王家筋オルレアン家、その他の他国からの留学生がいると理解しての方針ですよね?」
「私は一介の末端貴族だもの」
姉さまはそう言って苦笑しました。心底トリステインの愚かしさに呆れているような笑いです。私も姉さまと同じ気持ちです
なんでしょうか…ひょっとしてトリステインは反乱でも起こさせたいのでしょうか?それとも本気で魔法学院にいる各事情ある生徒を『トリステインの兵』として戦場に送るつもりなのでしょうか?前者でも後者でもアルビオンとの戦時中にもかかわらず新たな火種をばら撒いていることになるのですが……
「そろそろ本気で仕事場をトリステインから替えた方がいいかもしれません」
「その時は言ってちょうだい。陛下の首でも手土産にしてあげるから」
今度は柔らかい笑みを姉さまは見せてくれました。聞きたいことは聞きました。それでは教室までの案内でしたね。だけど数歩歩いたところで姉さまが立ち止まったままなのに気付き振り返ります
「シエスタ」
「なんですか」
そこには我慢しきれないという様子で身を乗り出している姉さまがいました
「さっき一緒にいたメイドはひょっとして…」
「他人です」
自覚する。今まで向けたことの無いような不機嫌な目で姉さまを見ていると。だけど姉さまは一歩も引いてくれませんでした。少しも目を逸らさずに穏やかな目で私を見返してくるのです
「ねえシエスタ」
頬を撫でられる
「穏やかな気持ちになったことはないの?」
びくりと震えた
「心が安らいだ時はなかったの?」
姉さまはやめてくれない
「さっきのメイドと一緒にいて」
「っ!」
「そう感じたことは一度もなかったの?」
姉さまとあの娘はさっき初めて顔を合わせたはずです。なのに、どうして全てを知っているかのように私に踏み込んでくるのです
「シエスタ」
これ以上は無理でした。姉さまのまっすぐにこちらを見てくる瞳が直視できずに
「シエスタ!」
姉さまの制止の声を振り切って私はただ逃げたのでした……
逃げました
でも次話ではあっさりと戻ってきます