アンリエッタ様はぜひ城で身体を休めて言ってくださいとはいいましたが、本音はさっさと姿を消して欲しかったのだと思います。断わりを入れるとすぐに『それでは仕方ありません』と作り笑いで私たちを執務室から退出させたのです。ドアを閉めた直後に聞こえてきた枢機卿のアンリエッタ様を説教する大声は、時間があったら聞いていたかもしれません
あ、モンモランシーは何かまだ報告することがあるらしく、城に残るそうです
さて、森は無事に母さまと私のものになりましたので、私をトリステインに縛り付けるものはありません。学院で働くことも、貴族様のお手伝いも、もうやる必要はありません
あとは学院でオスマンに別れの挨拶でもして森に帰るだけ……だったのですが
捕まりました
何にかというと、鳶色の綺麗な瞳をした桃色の髪の少女にです
人目につかないよう学院のかなり手前で次元船から降りたというのに、大きく開かれた学院の門の傍にぽつんと佇む人影がありました。一緒にいたセスタはそんな少女を見てヒラガ様のことをようやくおもいだしたらしく『先生もああ言ってたし……』とやや急ぎ足で平民用宿舎の方角へ向かっていきました
少女の眼は誰かを待っている眼でした。おそらくは誰かがくるまでそこを動くつもりはないのでしょう。ひょっとすると長い間こうしてここに立っていたのかもしれません
そう他人事のように自分に言い聞かせて少女の前を通過しようとして……服の裾を掴まれました。少女は静かに立ち、ただひたすら真摯な瞳で見上げてきます。こんなことを言うのはあれですが、この服から早く手を放した方がいいですよ。この服はテファのものなので、なにか少女に移ってしまわないか心配です
…………はぁ、いえ分かってはいましたよ。泣いていたら頭を撫でてやるくらいはしてもいいと思っていました。不安な様子だったらあやして安心させてやろうと思っていました。一日だけなら森に帰るのが遅くなっても傍にいてやろうと思っていました
「シエスタさん」
だけど、通告のように断定的な口調でそう言うと、腕を掴んだまま正面へと回り込んできました。ふと脳裏に生じた嫌な予感。ゆっくりと視線を下げてルイズの鳶色の瞳を覗きます
「わたしはシエスタさんがアルビオンの大軍に単騎で向かったと聞いて船の上で泣き叫びました」
泣いていたら頭を撫でてやろうと思っていたのです
「シエスタさんがいつまでも帰ってこなくて不安で胸が潰されそうでした」
不安だったら安心させてやろうと思っていたのです
「だからもう離れないと決めました」
一日だけなら…………え?
「幸い、わたしは三女。婿はエレオノール姉さまが取るし、ちぃ姉さまはどこかに嫁ぐはず。でも魔法も使えないゼロのルイズは、魔法の血統を重んじるトリステイン貴族世界ではガラクタも同然だわ」
「…………あなたをガラクタ呼ばわりされるのはあまり気分のいいものではありません」
それを聞くとルイズはようやく表情を緩め……だけど、『んふふ♪』と笑っているルイズの表情はなにかいたずらを思いついた子どものようです
「ありがとうシエスタさん。でもわたしは考えてみたの。魔法を使えないわたしがどうしたら役に立つんだろうって頑張って考えてみたの。そしたらあれよね……もう偉い人の身の回りをお世話するくらいしか思いつかなかったわ」
アンリエッタ様の侍女でもするつもりでしょうか。学院主席のルイズが考えたにしては安直すぎませんか?
「そこでわたしはアンリエッタ様に掛け合ってみたわ。魔法を使えないけど役に立ちたい、トリステインのためにこうしたい、熱心にそう訴えたの。すごく反対されたけど、お母様も味方してくれて、シエスタさんがいない間に許可をもぎ取ってきたわ!」
ルイズ、あなた一体、誰の世話をするとアンリエッタ様に掛け合ったのですか……
そう疑問に思った私に、ルイズは懐から取り出した紙を見せてきました。ついさっきも私が見た王家の花押が施された羊皮紙。加えてアンリエッタ様の署名があるということはまさか直筆ですか。それに紙のあちこちに飛び散っている滲んだ染み……いえ、考えるのはやめましょう。きっと書いている途中にインクが飛び散っただけです。血痕だと思った私は少し疲れているだけなのです……
「はい、シエスタさん」
なになに……
「トリステインを救ってくださったささやかなお礼として、星の魔女ギンガ様・愛娘シエスタ様に、トリステイン貴族より選びし乙女、ルイズ・フランソワール・ド・ラ・ヴァリエールを世話役としてお送りいたします……って、なんですかこれは!」
「苦労したのよ?魔法が使えないといっても始祖の血が流れているヴァリエール家の娘にそんなことさせられない!……なんて言う頭の固い人たちもいてね。だけどそういう人たちはお母様が誠意ある説得をしてくれたわ」
ふとヴァリエール家の家訓が脳裏に蘇りました
「そんなわけだから、これから末永くよろしくね」
星の魔女ギンガとその娘シエスタには最大の敬意を持って接すること、ヴァリエール家は如何なる時もかの親子の力になれ
「シエスタさん!」
それはつまり、一生ヴァリエール家の者に付きまとわれるということなのではないでしょうか……
捕まりました