混迷のアンガージュマン-1
気が付けば。あるいは瞳を開ければ、そこは暗闇の世界だった。よく見れば遥か彼方に光が見える。宇宙空間で太陽を見れば、こんな感じだろうか。そこまでぼんやりと認識したところで、頭がようやく働き始める。
「……ここは、どこ?」
宇宙のような感覚さえあったが、宙に浮いたタイルの塊のような足場を踏んでいる。いや、普通は足場が宙に浮いていることは無いから、やはり宇宙にいるのだろうか?
その割には周りには妙な黄金の巨大な剣が浮いていたり、光が穴から入り込んでいるかのように見えたり。
私のかけている眼鏡か、あるいは私の目や脳みそがおかしくなったのでないならば。一言で言えば「現実的ではない」というのが、今目の前に広がっている風景への感想だ。そう思うと私は死んでしまったのだろうかなどと考えるが、そもそも今から少し前の時間、自分がどういう状況にいたのか……まるで思い出すことができない。
「戸惑っておるようじゃな」
「うふふ、ようこそぉ」
記憶を辿ろうとしていた私の背後で、ふと誰かの声がした。反射的に振り向けば、そこにはいつの間にか少女が2人。
白と赤を基調としたピエロのような服と──私と違い伊達であろう──細いフレームの丸眼鏡が特徴的なのが1人。
ゴシック調のドレスと、どこか不気味な黒いぬいぐるみを抱えているのが特徴的なのが1人。どちらも第一声だけで、何というか人を小馬鹿にしているのかという印象を持たせている。
何より驚いたのは、突然後ろにいたことでも現実離れした見た目でもなく。彼女らがさも当たり前のように宙に浮いていることだ。
「……戸惑う要素を、増やさないで貰いたいのですが」
「ふむ。やはり覚えておらんようじゃな。まあよい」
「ボク達のことは後にして……今はキミのことを話そうよ」
わざとらしさすら感じる、古風を気取った口調とどこまでも間延びした口調。一応初対面の相手なので出来る限り丁寧に接したいところだが、苛立ちが募るのを抑えることができない。
「キミは覚えてないみたいだけど、キミはボク達と契約を結んだんだよ」
黒いドレスを着た方の少女が、よく分からないことを言ってくる。契約、という言葉の意味を私が勘違いしていなければ、そもそも私は彼女たちと面識があるようだが。
「契約の内容は単純じゃ。ここ、辺獄で、お主は望みを叶える。そのためにワシらは力を与える」
「その代わり……キミは代行者として、幽鬼や幽者を倒す。ふふ、シンプルだよね」
望み……彼女らの言う望みが私のものならば、私は一体何を望んだのだったか。お金? 不老不死? 恋人? いや、全て違う気がする。もっと、何か大切なもののような気がしてならない。金銭以外の物を……あるいは私自身を代償にして結ぶ契約なんて、そうでなくては悪ふざけか友人同士の約束事位だろうから。
「貴女達、随分と回りくどいやり方がお好きなんですね。私が覚えていないと知っていながら、契約の内容に関して、一切教えてくれないのだから」
苛立ちを隠すこともなく目の前の2人──人、なのか怪しいが──にぶつける。気にした風もない、よりもむしろ私の苛立ちが愉しいとでもいうようにクツクツと嗤う2人。
異様な場所に立っていることも忘れるくらいに、私は目の前の2人に意識が向いていた。
「くく、まあそう目くじらを立てるな。無論、契約内容を読み上げることに不満はないが」
「そろそろ、キミの魂が危ないんじゃないかな」
黒いドレスの方が言うのを聞いて、意味を問おうとしたその瞬間。ぐにゃりと世界が歪んだような気がした。そして
────ワタシは わたしは なんだっけ?
「……あれ。思ったより深いところまで忘れちゃったかな、メフィス?」
「そうじゃなフェレス。一足跳びに「蝶」になるとはのう」
目の前を揺蕩うように飛ぶ、淡い光の蝶を見て互いに愉しそうな笑みを浮かべる2人。
相変わらず趣味の悪い2人だ、と思う。アレに付き合わねばならない被害者が増えたと思うと、その被害者には同情する。だが被害者なのは自分も同じだ。
光の蝶になった少女にどこか見覚えがあって、そのまま去るのも名残惜しかった。が、私も暇を持て余しているわけではない。
既に見慣れてしまったこの辺獄の景色を一瞥して、合口を構え直した私は代行者としての仕事に戻った。
「このまま眺めてるのもいいけど、そろそろ続きを話そうか、メフィス?」
「そうじゃなフェレス。さて、どういう状態になっているか、自分自身よく分かっておらんじゃろうが……」
「まずは分かる状態になるところから始めようね。自分の記憶を取り戻しておいで」
うながされるがままに わたしは ただようように とんでいく
めのまえに でてきた ひかるほん……そっと私は、疑うこともなく手を伸ばす
『大嘉……授業参観の件だが、もし辛いならその日だけは保健室に居てもいいんだぞ』
『大丈夫です、先生。私は両親がいない方が、長いんですから。それに、院長先生が代わりに来てくれると』
『そうか。そう言ってくれると、先生も気が楽だ。いい院長先生だな』
直接、頭の中に映像が浮かぶかのように「誰か」の記憶が再生される。大嘉……と記憶の中の少女は呼ばれていた。
『お前にとってあまり思い出したくない話かもしれないが……お前の 両 や姉 を した が った』
『まだ 決が ったわけ いが、時間の問 だろう。これはまだ、お前と だけの 密にしておいてくれ』
今度は、少し途切れ途切れの記憶だ。黒く塗りつぶされているかのように顔を思い出せない少女と、先程も見た大嘉と呼ばれた少女の記憶。これらが「記憶」だと直感できているのは、理由は分からないが今はそれでいいと思う。
『掬いあげることができたのは貴女だけだけど……それでも、本当によかった……』
『ごめんなさい。私は、私の手は で れて から……きっともう、 えないけど。それでも』
『どうか きて。 せになって。私の、私の大切な ……小夜』
小夜……小夜……? そうだ。私は
「私は
名前を。私が誰なのかを思い出した途端、視界の高さが少し変わった。視界の淵に映る、眼鏡のフレーム。しっかりと地を踏む足の感触。ほんの少し離れていただけのはずなのに、ひどく懐かしい。
「思い出したようじゃな? では改めて話を進めるとするかの」
「君が契約した内容も思い出した?」
問われて、私は記憶を軽く漁る。全く思い出せなかったはずの記憶が、私の脳に蘇っていた。
黒く焼け落ちた児童養護施設、状況を周りに聞いて呆然と立ち尽くしていた私。唐突な別れに哀しみがついてこなかったのを思い出した。
そしてそんな私のところへ現れて契約を持ちかけた、2人の「悪魔」メフィスとフェレス。
私は、そう。焼け落ちた施設と運命を共にした、院長先生のヨミガエリを望んで2人と契約を結んだのだ。
院長先生は、私に、あるいは施設にいた多くの子供たちにとって恩人だ。日本中から児童養護施設にまつわる問題点をかき集めてその解決に力を尽くし、施設の子供たちのことを誰よりも考え、愛してくれた。
施設を出た後のことも、態々法定代理人を立てて1人1人の生きる道へ歩くことを支えてくれるほど、愛と見識に満ちた人だった。最期も、施設から全ての子供と職員を誘導して取り残されたという……
だからこそ、今度は私が先生に報いる番だと思った。契約を持ちかけてきた時に2つ返事で返したことは、後悔していない。そんな私の表情を見て、メフィスとフェレスは口角を釣り上げていた。
「では、契約をここに結ぼう。メフィスと」
「フェレスの名において宣言する」
「「汝、大嘉 小夜を代行者として認めよう」」
2人の声が重なった。
その瞬間、私の視界は一瞬眩い光に包まれたかと思うと、まるで波打ち際で波が引いていくかのように視界を去っていく。何事かと脳みその処理がようやく追いつこうとしたとき、ふと体に違和感を感じた。視線をやれば、そこで私の身体を包んでいたのは、先ほどまで着ていたラフな私服では無かった。
身体の急所を中心に、数か所程小さな装甲のついた軽い鎧を着ていた。
黒を基調にところどころ青の装飾が入った服の上に、更に濃い、鉄紺色とでもいうべき装甲が着いているといった様子だ。
スカート状の腰部位はどちらも膝程まではあるが、右側だけは脛まで届きそうなほどのロングになっている。スカート状の部分は幾重にも布が折り重なったような意匠で、さながら竜か蛇かの鱗を彷彿とさせる。
衣服が変わったことにも驚いたが、いつの間にか右手におそらく武器であろうものが握られていた。
確かハルバード、と呼ばれる類のものだろうか。同じく黒を基調に、刃の内側や持ち手などところどころに青い装飾がなされている。斧になっている部分はまるで何かの翼を模したかのような形になっていて、対になる鉤の部分も、大きさこそ異なれど同じような意匠になっているようだ。
「……これは?」
「代行者のお仕事はね、幽鬼や幽者を倒すこと……つまり」
「敵となる者を倒すための武器と身を護る防具、ということじゃな」
それは何となく察しがついている。が、どうせこの2人のことだ。そう言うことを聞いているのではないと分かったうえで、こう返してきたに違いない。
ほんのわずかな時間の付き合いだが、それくらいは何となく掴めてきた。
「改めて説明しておこう。ワシらが管理しているこの辺獄には、幽鬼や幽者と呼ぶ秩序を乱す存在がおる」
「幽者はそこらへんにうじゃうじゃいる方で……幽鬼はちょっと特別。頭に輪っかが乗ってるよ」
秩序を乱す、と言うからには、彼女らにとっては都合がよくない存在ということだ。だから、彼女らの代行としてこれを倒す。そういうことだろう。
うじゃうじゃいる方が幽者と言っていたが、彼女らの対応を見るに、時折その辺りを漂っている光る蝶のことではないようだ。防具がいる、ということは幽者や幽鬼と言うのはこちらに害をなそうと襲ってくるのだろうが、蝶達からはそんな気配を感じなかった。
「幽鬼や幽者を倒せばいい、と言うのは分かりました。けど、それらは一体何者なんです?」
「それは倒していくうちに分かるよ。言葉で説明するのも、少し難しいんだよね」
「何より、倒す者のことを知ったところで、何かが変わるわけでもあるまい。そして契約の対価じゃが」
「まずはヨミガエリの前提として……魂が「再生の歯車」に到達する前に見つけ出して確保すること」
「そして
つまるところ、見つける方法に関しても道中で分かるということだろう。拳を握ったり開いたり、或いは少し体を捻ったり伸ばしたりしつつ調子を確かめる。
アウトドアやスポーツが嫌いなわけではないが、どちらかと言えばインドア派の私にとって、武器を持って戦えというのは中々に辛いことだ。が、契約の効果かあるいは代行者としての能力なのか、少し身体が軽い気がする。
それから、ようやく先程武具が突然現れたことの説明を受けた。何でも、契約を結ぶと代行者としての力を得るが、同時に守護者と言うものを得るらしい。得る、と言っても元々は代行者自身の内なる精神に宿るものが形になったものらしいが。
そしてその守護者の力の一部として、代行者はこういった武具を纏うことができるのだそうだ。
普通の金属とは異なる物理的性質を持っていると言う。実際、身の丈を超えようかというサイズの武器だが、私のひ弱な腕でも大男のように振り回せそうな感触がある。
最後に、守護者が「具現」するには感情の昂ぶりが関係するから感覚をそのうち掴め、とだけ説明を受けて、メフィスとフェレスは文字通り消え去った。
一体どこに消えたのかとか、どうやって消えたのかとか、疑問に思ったところで尋ねたとしても、はぐらかされるかそもそも答えてはくれまい。
それこそ、幽鬼や幽者の正体以上にどうでもいいことでもある。
私はこの異質な光景の世界を、一度しっかりと目に焼き付けてから歩き出した。
しばらく、光の差してくる穴の方へ向かってこの不気味な世界を歩き始めた頃。
階段のようになっていた道を降りると、不意に殺気を感じた。考えるよりも早く体を投げ出して飛び退く。着地のことなんて考える前に飛んだせいで、体が痛む。が殺気が消えたわけではない。動きたくないと訴える体の悲鳴を無視して、転がるように起き上がった。無様この上ない動きであっただろうが、命を失うよりずっといい。
「あれが……幽者?」
たった今襲ってきた何者かを見据えて、私は直感した。
明らかに、人ではない姿。地に足を着けていないソレは、身の丈だけならば私の胸くらいまでの高さしかないだろう。布団だかローブだか分からないが布のようなものを被っている。覆われた顔のような場所からは、瞳のように光が覗く。背筋に悪寒が走る見た目だった。
感情の読めない……あるいは感情がそもそもないのだろうか。ゆっくりと、漂うような速度でこちらとの距離を詰めるソレを認めて、私は心臓の脈が早く大きくなるのを感じる。ハルバードを握る手が汗で湿り、思わず後ずさる。感情は読み取れないが、害意や殺意のようなものは、恐ろしいほどはっきりと感じた。
「来ないで……!」
柄を両手で握ったハルバードを、横薙ぎに振るう。
技術的なものは一切ない恐怖感と力任せの横薙ぎはしかし、私に鈍い感触を返した。当たった、と理解したと同時に、目の前を漂っていた幽者と思われるソレが軽く吹き飛ぶ。地面に叩きつけられたと思えば、紫色の不気味な煙に包まれて――消えた。
逃げたのか死んだのかは分からないが、周囲を見回してもそれが再び姿を見せる様子はない。少なくとも倒したのだ、と理解した瞬間に私の膝は役目を放棄した。
「あれが幽者、でいいのよね……?」
動悸と汗が落ち着くまで暫く、そのまま座り込んでいた。ようやく頭が回り始めて状況を整理する余裕ができる。
異様な世界に、異様な存在。辺獄とメフィスとフェレスは言っていたが、辺獄に現実の概念を当てはめるのは難しそうだ。
それでも、やることは単純明快な分有り難い。院長先生の魂を見つけて、7つの
敵を倒せなどと言われて少し不安だったが、この辺りにいる幽者が先程倒した程度の者だとすれば、それらを相手にしている中で私の身体もある程度順応していくだろう。
汗と滲んだ涙を拭い、脱力していた膝を叱咤する。ハルバードの柄を握り直して、私はもう一度歩き出した。それは同時に、私の辺獄での旅路が始まった、ということでもあるのだろう。
以降、書き貯めが残っている分は日、水、金曜日AM0時に投稿予定です。次回更新予定は10/20日曜日AM0時です。