「やっと追い詰めた……!」
私達はあの幽鬼に散々に振り回され、ようやく行き止まりに追い詰めた。追い付きかける度に他の幽鬼が何処からともなく現れ阻み、その間に件の竜の幽鬼は逃げ続ける。
頭巾、竜、薔薇、ゴリラ、それから新しく見かけはじめた魔術師のような幽鬼。実に様々な幽鬼達が私達を足止めし続け、その果てにようやく今に至る。
あの幽鬼が何者なのか分かったものじゃないし、逃げるのに必死だったのか私達を嘲笑っていたのかも知らないけれど。ここまで手間をかけさせられて、イライラが募っているのが私の本音だ。
逃げ道が既にないと気付いた竜の幽鬼はこちらへ向き直ると、ようやくまともに戦う気になったようだ。大きく羽ばたいて見せたかと思うと、広間にいくつも新たな気配が現れる。
「そう……まだ手間をかけさせるのね」
現れた気配は当然のように幽者のものだ。私達を取り囲むかのように、かなりの数と種類が虚空から出現する。
更に怒りが募るのを感じる。ただでさえ今まで散々振り回され、挙げ句の果てにこれだ。噛み合わせた奥歯から軋むような音が聞こえた気がする。
千暁さんも少なからず怒りやら呆れやらを抱いていたようで、いつもより更に鋭い気迫で合口を抜いた。
「周りの幽者は私が止める。小夜は幽鬼に集中して」
「分かりました、お願いします」
流石にこの量の幽者をまともに相手にしていたら、私だけでは幽鬼を取り逃がす可能性もあっただろう。千暁さんの提案は有り難かった。
幽鬼へ走り寄るより先に、向こうが先手を打ってきた。細かな羽ばたきと共に僅かに体を反らし、魔力で出来た刃を回転させて飛ばしてくる。
初見の行動じゃない、対処はできる。強く地を蹴り、独楽のように回転する刃を飛び越える。そのまま地に落ちる勢いをのせて、頭蓋を叩き割る勢いで斧刃を振り下ろした。
「邪魔!!」
竜の幽鬼が吹き飛び、近くにいた幽者が立ちはだかるように道を塞ぐ。幽鬼と同じ、竜の見た目をした幽者だ。瞬間的に加速したストレスをぶつけるように、横薙ぎの刃が別の方向へと吹き飛ばした。
吹き飛んだ幽者が地に着くより先に、千暁さんが飛ばしたらしい魔力のナイフがとどめを刺す。いったいどういう反射神経なんだろうか。
意識の先を幽鬼に戻し、私は追撃を試みて駆け出す。起き上がるより先に斧刃が幽鬼をカチ上げた。そして空中で姿勢を整えきれない幽鬼を、魔力で編まれた翼が襲う。
「まだまだ!」
「燃えろ!」
「小夜、そっちはどう?」
「大丈夫です! 少し時間はかかりそうですが」
さっき立ち塞がってきた幽者以外、妨害らしい妨害もない。千暁さんが背中を守ってくれていることの安心感を改めて感じる。
同時に、少し違和感がある。千暁さんの腕ならば、もう幽者は半分を切ってもいい頃合いのはずだ。けれど幽者は数を減らしている気配がない。
足止めに徹して、それほど数が減っていないだけなのか。それとも。幽鬼を袈裟懸けに斬りつけながら、千暁さんが戦う幽者達に視線をほんの少し向ける。
合口で斬りつけ、鋭い蹴りを差し込み、そして再び合口で斬り止めを刺す。次の幽者へ向かい、他の幽者の動きへ気を配りながらも着実にダメージを与える。
いつも通りの流麗な戦闘に安心しつつも、嫌な予感の的中に、私は冷や汗が流れるのを感じた。
「千暁さん、幽者の新手がどんどんと……!」
「そうね。恐らく幽鬼を倒せば止まるはずよ。今は集中して幽鬼を叩いて!」
「分かりました!」
とは言え。ただでさえ通したダメージに対してタフさを感じるようになってきた幽鬼に加え、この幽鬼は並みの幽鬼とは違う。
攻撃し続ければいつかは倒せはする。早く倒さなければ千暁さんに負担を強いる。そんな混じり合う楽観と焦燥は、確実に私の心を急かしていく燃料に変わる。
「ああ、もう!」
半ば、ヤケクソになりつつあると認めざるを得ない。やらなきゃいけないことがある。きっともっと効率的なやり方がある。けどそれが思い付かない。だったら、地道にでもやるしかない。
袈裟斬りから逆袈裟、横薙ぎに刃を振るい、距離をとって
幽鬼に集中できるから、定型のコンビネーションだけでもどうにかなる。繰り返しが10回に達しようとした頃、ようやく弱ってきた素振りを見せてきた。
ようやく見えてきたゴールに、思わず頬の力が緩む。代行者としての作用で強化された体力でも汗をかいてきた今、爽快感すら感じる。改めてハルバードの柄を握り直し、いざ攻め込まんと膝をたわめ、その瞬間。
「……えっ?」
目の前で起きたことが、しばらく分からなかった。懐へ飛び込もうとした直前、幽鬼が目の前から消えたのだ。死角から攻撃を仕掛けてくる様子もない。
と、言うことは。これは。つまり。
「逃げられた、みたいね」
「そんなのアリですか!?」
無尽蔵に沸いていた幽者もパッタリと姿を消し、辺りはしんと静まりかえっていた。合口を納める千暁さんの冷静な状況確認に、思わず大きな声をあげてしまったけど、これは私は悪くないと思う。
「余程執念深い幽鬼みたい。区切りを越えて移動したなら特に……」
「もしかすると、この層のボスがあの幽鬼かもしれないってことですか」
「可能性はあると思う。行動の複雑さも、ヨミガエリが割りと近いと見て良さそうなほど」
前に聞いた話だと、ヨミガエリの為には他の魂でも何でも使って、魂を完全な形にしなければならないという。欠けた部分が少なければ、それだけ生前の人間に近しい行動が取れるようになる。そういうことだろう。
「しかも区切りのゴールはここじゃないみたいですね。はぁ、とんだ無駄足……」
「まあ、あの幽鬼は先に進めば会えると思うから。今は先に……小夜!」
落胆に肩を落とした私達だったけれど、不意に千暁さんが私の名前を呼ぶ。緊迫した声に危機感を覚え、飛び退こうとした。けれどそれは遅すぎて、頭の中に何かが入り込むのを感じた。これは────
『出して! 出してよ! 助けて、誰か!! 先生! 院長先生!!』
鍵のかかったドアを叩く。外から返事はない。ドアを叩くのを止めて周りを見渡す。
窓は外からテープで隙間を閉じられて、つっかえ棒と荷物か何かで念入りに塞がれている。流し台と蛇口はあるけれど、水は滴ひとつ出てこない。
換気扇からは何かが流れ込んでくる音がしている。何が流し込まれているかは分からないけど、体に良いものなはずはなかった。
『うぅ……どうして……僕は何も……』
遠足で山に登ることになって、お昼ご飯を皆で食べて……その後、ちょっとお腹が痛くてトイレに入ったのは覚えている。
けれどいつの間にか眠っていたらしくて。気付いたらこの……この、多分プレハブか何かの中にいた。頬をつねってみても、痛みがこれが現実なのだと突き付けてくる。どうして。何のために。誰が。
外に出なければ。ここにいてはいけない。そう思っても、窓もドアも閉じられていて、壁や窓を壊せそうな物も無い。椅子どころか、ペン先の乾いたペンすら落ちていない。
携帯電話は持っていない。中学校の登下校も施設の仲間と一緒だったし、習い事もしていなかったから、今まで必要なかった。こんなに困ることになるなんて。
次第に、視界がぼやけてくる。きっと換気扇から流されているのは、毒ガスか何かなんだろう。まさか自分が、こんな風にサスペンスドラマの被害者みたいなことになるなんて。
嫌だ。嫌だ。怖い。助けて。苦しい。出してくれ。誰か。誰か!!
「小夜、しっかり。小夜!」
「う……何、が起き、て……」
気付けば、千暁さんが私の肩を揺すっていた。そう、そうだ。私は大喜 小夜、少なくとも中学校の男の子ではない。じゃあ、あれは。
「大丈夫? まさか、頭上から記憶溜まりが降ってくるなんて思わなかった」
「それじゃあ、あれは幽鬼の記憶だったんですね……でも、あれは……」
記憶に混じり込んできた"彼"は、またも私と同じく児童養護施設の子だった。そして、彼が助けを求めた院長先生という人物。彼の記憶が、中途半端に私のものと混じりあったのでなければ。
「彼は……あの幽鬼は、私と同じ施設にいた子……?」
世代は分からない。私がいたより前なのか、私が施設を出た後なのか。けれど彼が思い描いた院長先生は、私の知る院長先生と同じ頃の同じ人物だった。
「駄目だ、手がかりが思い出せない……」
「小夜、本当に大丈夫? どんな記憶だったのか分からないけど……」
「私は大丈夫です。ただ、あの幽鬼が知り合いかもしれなくて」
私は記憶溜まりから得た記憶を、千暁さんに伝える。私の記憶と混じりあっているかもしれないことと共に。
千暁さんも、やはり幽鬼と私の記憶が混濁している可能性を肯定した。私が彼の名前を思い出せないのは、本当に知らない人物の可能性が高いとも。
記憶の内容が確かならば、これは事故ではなく事件だ。だから、幽鬼による事故のように、死んだことが無かったことになる記憶の改変が起きることは考えにくいという。
ただし、記憶溜まりから得た記憶は、必ずしも正確ではないらしい。そもそも曖昧な「記憶」という概念が、更に一部だけが欠落したのが記憶溜まりだ。欠落したのが連続した記憶とは限らない。自らの名前でさえ、他の人物と混ぜ合わされる可能性だってあるのだそう。
「どのみち、正体を知りたければあの幽鬼を倒さなくちゃいけない。知りたくなくても、代行者である以上あの幽鬼を倒さなくちゃいけない。そういうことですね」
「概ねそうね。立てる?」
「はい。行きましょう」
あの幽鬼が逃げ去ってから、先ほどまでの幽鬼達の足止めが嘘のように静かだ。幽者の1体も見かけない。
こうなってくると、暗い山中のようなこの層は不気味さを増してくる。辺獄だからか、動物の鳴き声だってしない。お化けでも出てきそうな……いや、幽者や幽鬼はある意味お化けか。なら安心だ。
「小夜、どうかした?」
「いえ、単純にお化けでも出てきそうな雰囲気だなぁと。ただ、幽者がいるので今更だなって」
「それは……まあ、確かにそうかもね。小夜はお化け駄目な方だっけ?」
「そうですね、あまり得意では……あれ、こんなこと千暁さんに話したことありましたっけ?」
「ん、ううん。言葉の綾。でも、幽者達は倒せるから平気かもね?」
つい幽者達が出てこなくて、話が弾む。辺獄ではない場所で千暁さんと出会えていたら、きっとこんな会話をカフェかどちらかの寝室なんかで続けていたんだろうか。それくらい、辺獄とは思えない穏やかな時間だった。
しばらく探索を続けると、ついに幽者との戦闘を行わないまま姿見へ辿り着いた。まさかこんなことがあろうとは……それでも、この区間に逃げ去った幽鬼がいなかったのは確かだ。また先の区間で探すしかない。
千暁さんの見立てでは、現世は既に夕方だろうと言う。また、明日から探索再開の約束をして、私達は姿見へそれぞれ触れて、各々の家へ帰還した。