手掛かりもなく幽鬼を探し続けてしばらく。いくつ目かの広場で戦闘を終えて、私はようやく思い出したことを千暁さんに聞くことにした。
「そう言えば……随分と幽者もタフになってきましたけど、私の攻撃はそこまで強くなっていない気がするんです」
「うん? そうかな……?」
「何となく何かを見落としてそうと言うか……それとも単純に、私の成長より遥かに幽者達の強さに幅があるだけでしょうか」
私の悩みに、しばらく考え込む様子を見せる千暁さん。ふと何かに気づいたように私の方へ視線を向け、具に観察し出した。
「小夜。貴女、思装はちゃんと整えている?」
「思想、ですか? どういう意味でしょうか」
「思いの装備、それが思装よ。思念を完全に拒んでしまえる小夜は、縁が薄かったか……」
千暁さんの口ぶりからすると、その思装というのは思念絡みの概念らしい。メフィス、フェレスからも聞いたことの無い話だ。
「辺獄では、思い……信念、願い、欲望、自我……そういうものが強い意味を持っているのは分かる?」
「ええ、まあ……何となくですけど」
「そして、そういった思いは、辺獄では身を守る盾にも、他の思いを切り裂く矛にもなる。幽者や幽鬼は、未練や無念という思想の塊だから」
「ええと……要はその思装というのが、鎧や武器として使えるということですか」
それで、私はその思装を全く知らず、鎧や武器の強化をしていなかった。だから幽者達が強くなっていくのに追い付けていない……という理屈か。これはメフィスとフェレスをぶん殴りたい理由がまた増えたようだ。
ところで思装が武器になるなら、私が今持っているハルバードは何だろう? 私の思想が反映されているということなのかな。
「代行者は強い願いを以てなることがほとんどらしいの。そこへ他者の思いを積み重ねて、より強くより深い願いに変えていく、と考えればいいかもね」
「分かったような、分からないような……」
「私も完璧に理解しているわけじゃないし、多分理解できるものではないと思う。大事なのは、思装は整えれば自らの力になるってこと」
「そうですね。それで、その思装はどうすれば手に入るんですか?」
「……思念の浄化。それが私が知る限り唯一無二の方法ね」
少し陰を落とした顔で告げた千暁さんを見て、私はようやく、先程私が思装と縁が薄いと言われた理由がわかった気がした。
私は今まで、思念を自らに入れずに消滅させてきた。それはつまり、思装を手に入れる為に必要な、浄化できる思念を持っていないということに他ならない。
しかしそうなると、私は取捨選択をしなければならない。私が思念を取り込むのを頑なに避けてきたのは、彼らの記憶がまるで私自身の記憶のように混じり合おうとするからだ。
天秤にかけられたのは、つまり。拒んできた思念の対処を、取り入れ受け流す方向へ変えるのか。思装の入手を諦めるのか、だ。理性だけで考えるなら、当然前者を選ぶべきだと分かっている。でも。
「……他に、思装を入手する手は、本当に無いんですよね」
「私が知る限りは。私としては、小夜の為にも思念を拒み続けるのはやめた方がいいと思うけど」
まるでティーカップを手にしているときのように落ち着いた口調だけれど、その表情は堅い。含まれた真意が、それだけ重大な意味を持っている、のだろうか。
「いい? 小夜がやっているのは、心と心を真正面からぶつける方法。砦を構えて、入られる前に迎撃するようなもの」
人差し指を立て、私の方法を言葉にする。立て続けに、中指を伸ばして千暁さんは別の……多分千暁さんや天音さんが取っている方法を示す。
「普通はもう1歩退いたところで思念を処理するの。心をぶつけ合うのではなく、受け入れた後に外へ逃がしてやる方法……受け流すと言ってもいいかな」
「受け流す……」
「さっきの例えに倣うなら、砦ではなく誘導路を作って、最終的には別のところから外へ追い出す形になるかな。途中で少しずつ、相手の勢いを削いでいく」
あくまでどちらも例えの話だから、技術的にどうこうという話ではないと思う。やれと言われて、はい分かりましたとできる訳じゃない。
「どうして小夜の方法は良くないのか、だけど。前に
「ええ、磨耗し過ぎた魂は死んでしまう、と……」
「そう。そして少しずつだけれど、思念の処理でも魂は削れてゆく。小夜の方法は、そのダメージが大きくなりがちなの。特に今後は顕著にダメージになる筈」
ほんの少し……千暁さんが何を言ったのか、分かるまでに時間がかかった。理解したくなかった、のかもしれない。
待って。私は今までにどれだけ思念を拒み、どれだけ傷を蓄積してきたんだろう。知らぬ間に、私はどこまで踏み込んでいったのか。
いや、重要なのはそこじゃない。私が傷付くことより、私が傷で動けなくなって、院長先生を助けに行く力が無くなる方が問題だ。
正直なところ、やはり思念を受け入れることには抵抗を覚える。けれど、道半ばで苦労を水泡に帰す可能性が高いのはもっと嫌だ。
「……分かりました。やってみます、理念を受け流す方法」
「うん、ありがとう。素直に聞いてくれて」
安堵の笑みを浮かべた千暁さんに、どうしてかこちらまで嬉しくなってくる。でもやっぱり千暁さん、私を小さな子供のように見てないだろうか。
だったとしても、今までの沈み気味だった空気は和やかなものになり、私の肩の力も抜けた気がする。何より、千暁さんに可愛がられるのは……嫌ではないと言うか、満更でもないと言うか。
しかし和やかな雰囲気は、目の前に現れた広場を認めてあっという間に緊張感のある空気に変わる。
ぱっと見ただけでは、単なるハズレ……幽者も幽鬼もいない広場だ。しかし、残り香のような気配が、ただの誰もいない広場ではないことを告げている。
「また、誰かがこの層にいるんでしょうか」
「分からない……天音じゃない、とは思うけど」
「まさか、幽鬼の姫とか……?」
言葉を交わしながら、背中合わせに辺りを警戒する。幽鬼の姫というワードを口にした瞬間、緊張感が一層張り詰める。否定しきれる材料が無かったからだ。
しかし気配の残滓以外に何かが姿を現すことはなく、ここを無人の広場に変えた何者かの痕跡や気配も感じ取れない。
互いに背中を預けたまま周囲を暫く警戒した後、どちらからともなく武器を下ろす。
「ここにはもう居ないみたい。メフィス、フェレス。見てるんじゃないの?」
誰もいないはずの暗い空に向かい、声をかける千暁さん。すると小さく光が瞬いた後に、悪魔の双子がその姿を見せる。
「ふむ、千暁からこちらを呼ぶとはな」
「うふふ、もしかして寂しくなっちゃった?」
「馬鹿なやりとりをするつもりはないの。この広場の異常な気配、心当たりは?」
フェレスの軽口を正面からバッサリ切り捨てて、千暁さんは本題へ入る。普通なら呼び出しておいてその対応はどうなのか、と思うところだが、相手が相手なので諌めようとする気もない。
悪魔達も千暁さんの辛辣な口撃を全く意に介した様子を見せず、すぐに答え始めた。
「ワシらが以前伝えた幽鬼の姫を懸念しておるようじゃが」
「多分この層には今はいないんじゃないかな。ここに残った気配は多分……」
「ここの主とも言えるあの幽鬼じゃろう。あの幽鬼は癇癪持ちのようじゃ」
じゃあ後はよろしく。または後は頑張ってね。そんな投げやりな雰囲気と共に、有無を言わさず悪魔達は姿を消してしまった。
呆れと怒りの入り交じっているため息が聞こえた。当然千暁さんのものだ。毎度ながら余程あの双子への嫌悪感は凄まじい。何年も代行者をやっていれば、私も同じくらいの反応になりそうな気はするけれど。
「とりあえず、あいつらも嘘は吐いてないでしょう。そうする意味がなければね」
「じゃあ、とりあえずはこのまま進むしかない、ってことですね」
「この辺りも大分回ったし、もうそろそろ見つかってもいい頃合いだけど……」
通路を進み広場に出ては幽鬼や幽者を倒す。今までにこの層で……いや、辺獄に来てからずっと変わらずにやってきた行動だ。そこに今は特定の幽鬼を探す目的もあるだけで。
しかし、明確に変えようと試みていることがある。思念の対処の変化。拒絶から、受け入れ押し流す方法へ。この広場にも、幽鬼がいた。そして、今目の前で煙となって消えて行く。
『帰りたい……』
聞こえてくるのは男性の記憶。部下と上司の板挟みになった、管理職の嘆き。
『何で俺ばかり……』
以前よりも鮮明に入り込むのは、やり場の無い怒り。真っ暗な中真上で唯一灯りが照りつける、理不尽への文句。
『こんなことをするためじゃなかった』
すべての感情が、次第に絶望へと収束していく。妻からのメッセージも素直に受け取れなくなっていた。子供の顔だって、もう何ヵ月も見れていない。
机の引き出しに、突き返されてしわくちゃになった退職届が眠っていた。身勝手だと、無責任だと、罵られた声が甦る。
『もう、疲れた……』
記憶の中で男性が、机に忍ばせたもう1つの封筒を取り出す。真っ白で、何も書かれていない封筒。いざというときに、2文字のそれが書かれていて決意が鈍ってしまう、というのを避けるためだ。
封筒を手にした後は、何も考えずともスムーズに体が動いた。目の前のパソコンの電源を落とし、スーツジャケットを慣れた手つきで羽織り、部屋の電気を完全に落とす。
非常灯だけが仄かに廊下を照らす中、鳴るはずの無い時間に革靴が足音を立てる。自分の足音なのに、どこか他人のもののように聞こえていた。
階段を登り、少し重い灰色のドアを押し開ける。鍵が随分前から壊れているのは、管理職の職務の内として教えられていた。
夜風が頬を撫で、薄曇りの夜空が出迎えてくる。屋上はダクトが入り乱れ、どこへ向かおうにも行く手を遮ってくる。
周りのビルを見ると、何ヵ所かまだ灯りが漏れている。美しい夜景は誰かがそこで残業して生まれるのだ、とはよく言ったものだと思う。
そこで残業している名前も知らない誰かも、俺と同じように苦しんでいるんだろうか。耐えられないのは、俺だけなのか。俺は甘ったれなのか。
僅かに決意が鈍った途端、脚が眼下の光景にすくみ始める。遥か遠くに見える、足元の道路。信号機と街灯が照らす、普段見ているのと印象が異なるコンクリートの道。
恐怖を呼び起こす光の連なりは、暫くすると蛾を誘うように俺の心を惹く光に感じられた。あそこへ行けば、楽になれる。苦しみが終わる。
脚から震えが去って、後戻りをしようなどという考えもまた抜け落ちる。ビルの縁から少し下がり、脱いだ靴を重しにして白封筒を置いた。中にある文書は、言うまでもない。
晴れやかな気持ちだった。躊躇も、恐怖も、全く無い。ただ足を踏み出せば、全てが終わる。体の重心を前に傾けていくと、面白いように視界が流れて行く。道路が視界を埋め尽くし初めて、いつの間にか意識は────
「う、ぐ……こんな、に……」
今までと比べて段違いに鮮明な記憶が、未だ私の中で声をあげる。感情の仔細な動きまでもが、まるで自分のことのように思い出せる。
年上の人間の記録、記憶、その全てが脳に入り込んでくるかのような。いや、まだ。これで終わりじゃない。私はこれを、押し出さねばならない。
受け流し、押し流す。受け流すにはどうすればいいのか、聞いておくべきだった。聞いたとしても、方法として言葉にはできないかもしれないけれど。
『誘導路を作って、最終的には別のところから外へ追い出す』
千暁さんの言葉を思い出し、イメージする。
私と彼は別人だ。私は女で、彼は子持ちの既婚者。出身も、好きなものも、得意なことも違う、全く別の人間だ。
私と彼の記憶が段々と別れ、彼の記憶が行き場を無くして暴れ始める。何を訴えているのかが、今までと違ってよく分かる。
妻と子供と、もっと穏やかで安らかな暮らしを。恨みではない、優しさがある未練が聞こえる。
その温かな未練だからこそ、逆に悲しい。それを叶えることは、他人から温かさを奪うことだから。
ゆっくりと、私のなかに思念の居場所を作ってやる。別人の記憶として分けていられる、意識を向けていられる心のどこか。
すると、次第に私の動悸が収まってきた。思念の声はずっと聞こえるが、前のように苦しさで動けないほどではない。
「お休みなさい、名も知らない人。千暁さん、これでいいんですよね?」
「うん、お疲れ様。初めてやって上手くやれるとは、ちょっと驚いたけど……」
千暁さんは私がどうしようもない場合に備えていたようだ。どこからか取り出していたタオルや水筒を手にしている。いや、本当にどこから取り出したんだろう?
「それで、どう? 前と比べて負担は感じる?」
「正直慣れていないので、まだ辛いです。でも……千暁さんの言うことを聞いていれば、それはきっと正しいやり方だと思うんです」
「そ、そこまで買い被られると照れるね……うん、でも、小夜が何ともなさそうで良かった。進めそうなら、次の広場を探そうか」
微かな手応えを感じた、思念の対処。これを確かなものにしていけば、きっと院長先生も助けられる。私の辺獄探索はまだ時間がかかるだろうけれど、微かな希望が見え始めてきた。