CRY'sTAIL   作:John.Doe

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霧中の妥当性-7

 暗く激しい怒りと歪んだ体躯の、4つ足と翼を持った竜の幽鬼。巨躯が更に巨大に見えそうな程の威圧感と共に、彼は私の前に立ち塞がった。

 前回の層で相対した幽鬼ヴィルヘルムも相当の気迫であったが、こちらは純粋に個人の感情であるからなのか、より強烈な気迫に感じる。

 

「……あなたは、哀しみを怒りに変えてしまったのですね」

 

 率直な感想だった。理不尽な仕打ちへの悲嘆は、その仕打ちをした誰かに留まらない怒りに変じている。無理もないと思うけれど、同情していた点が失われ、私は妙に冷静だった。

 威圧感も、次第に気にならなくなってきた。あるいは私の中から沸く感情が、威圧感に負けない程強くなってきたのかもしれない。

 

 ハルバードの柄をしっかりと握り直す。逸らすこと無く目の前の巨体を視界に捉え、腰を少し落とす。隣では合口を鞘から抜く音が聞こえた。

 暗幕のように辺りを覆う木々を揺らしながら、目の前の竜が咆哮をあげる。言語としての意味はない、恨みや怒りの爆発。

 咆哮が止むと同時に、私達は揃って巨大な竜へ向けて走り出した。咆哮によって打ち破られた静は動の激流に転調し、私達を迎え撃たんと巨木のような歪んだ腕が薙ぎ払ってくる。

 

「甘い!」

 

 既に魔力は練り上げてある。脚に纏わせた魔力は私を空高くに跳ね上げ、振るわれた腕はおろか見上げるほどだった巨躯を見下ろす。跳躍が頂点を越え、重力に従い降下していく最中、千暁さんが腕を掻い潜って斬りつけるのが見えた。

 突き刺した穂先が魔力と共にダメージを与えた……はずだが、手応えが悪い。蹴りつけて離脱したときの感触が答え合わせとなった。

 

「硬い……」

 岩石の塊とでも形容すべきだろう硬さの皮膚は、魔力で強化した攻撃であっても傷つけることが困難らしい。

 私も千暁さんも恐らく、魔法(スペル)攻撃を含めてこの幽鬼に対して相性が悪い。手数や範囲に優れた攻撃であっても、皮膚を貫ける威力がないのだ。

 

 

 苦々しい表情で後ろへ跳んだ千暁さんが、こちらへ視線を投げる。こちらにも有効打がないことを、首を横に振って伝えた。

 私よりも千暁さんはもっと相性がよくないはずだ。ハルバードよりも遥かに軽い合口は、体術と共に手数で圧倒する武器だから。逆手に構えた白刃が鈍く光るが、心なしかくすんで見える。

 

「理念解放も、効果があるかどうか……」

 感情の爆発を力に変える、言ってしまえば火事場の馬鹿力が理念解放の仕組みだ。実際にはもう少し細かな仕組みはあるが、どうあれあの硬質な鎧を徹す力が出せるかは分からない。

 しかも、もしダメージを与えられたとしてもだ。感情が理性を上回った状態のうちに倒せなければ、待っているのは強烈な脱力感。つまり満足に攻撃をかわすこともできず敗北一直線。

 

 

「地道に魔法(スペル)強化(アーツ)で削るしかない。集中力を切らさないで!」

「っ、はい!」

 千暁さんの激励を受けて、弱気になっていた心を奮い起たせる。そうだ、今はやれることをやるしかない。効率が悪くたって、進捗はゼロじゃない。

 まずはエアリアルストライクで消耗した魔力を取り戻す。先程千暁さんは魔力を使わなかったようで、お互い無言の内に自然と交互に魔力を使う算段を立てていた。

 

 私がハルバードを振るい斬りつける間、死角から魔力で強化した蹴撃を繰り出す。叩き付けられた腕を躱して、今度は私が魔力を練り上げる。

 炎を纏った刃で連撃を見舞い、反対側では千暁さんの合口と蹴りが襲う。入れ替わるように魔力の刃を纏った合口が一閃、その間に私もハルバードを立て続けに叩き込む。

 

 

「まずい、離れて!」

 

 

 意味を頭で理解するより早く、足は地を蹴り後ろへ跳んでいた。刹那の後に私がいた場所に何かが落ちてきて爆発する。

「くっ、まだ!」

 後ろへ退いた直後、更に何かが降り注ぐ。目の前で爆発を起こしたものが降ってきた、と気付いたのは転がるように落下地点から離れた後だった。

 

「あんなこともできるなんて……」

 私の竜の息吹(ドラコンブレス)と似たような火の塊、それを打ち出し、降らせたのだろう。まるで隕石のように落ちてきたそれは、当たれば代行者の能力補強も関係なく吹き飛ばされる威力のようだ。

 どうにか体勢を整えた私は、幽鬼が睥睨するかのように視線を向けていることに気付いた。背筋を電撃が走ったような感覚が襲い、咄嗟に再び跳ぶように軸をずらす。

 

 

「小夜、無事!?」

「何とか……!」

 

 先程打ち上げた火球を、今度は直接放ってきた。爆風に煽られて背中を強かに打ったが、とりあえずはそれだけで済んだ。

 転がる勢いが弱くなったタイミングで跳ね起き、追撃を警戒する。案の定口元で炎が渦巻いて、私の方へ向けて吐き出す寸前であった。咄嗟に魔力を脚に集め、半分賭けのような気持ちで大地を蹴りとばす。

 

「やああぁぁっ!!」

 

 炎の塊とすれ違うように飛び上がり、竜の顎を見下ろす。ハルバードの穂先が魔力を纏い牙を剥いた。高さと魔力を味方にしたハルバードでも相変わらず皮膚を貫くまでには至らないが、ともかく蹴りつけて離脱を試みる。いや、もしかすると。

 

「せぇあぁぁっ!」

 

 蹴りつけて離脱するのは、いつもと異なり真上へ向けてだった。上空に体が浮かび上がり、今度は目の前に醜く歪んだ竜の顎を捉える。

 代行者の身体能力補正を使って、空中で思い切り横薙ぎにハルバードを振るった。片目を捉えた刃が、思った通り他より薄い外殻を切り裂き眼球へダメージを与える。

 だめ押しに追撃をしようと思ったものの、仰け反られて届かなくなってしまった。思っていたよりダメージは大きかったらしい。

 

 

『悪いのは俺じゃないだろ!!』

 

 慟哭と共に、先程見せた火球の打ち上げを行う幽鬼。立て続けに歪み曲がった腕が幾度となく叩き潰そうと迫り来る。

 腕と火球を掻い潜るように回避し続けるが、この勢いは少し不味い。あまり長引けば確実に被弾してしまう。そして追い打ちをかけるかのように火球と腕は間隔を狭め、回避が紙一重になっていく。

 

 

 

 

 

 ああ。イライラする。いつまで私の前に立ち塞がる気だ。私の邪魔をし続けるなら、お前にはもう同情の余地もない。お前は、邪悪なる鬼に堕ちたのだから。

 

 

 

 

 

 

「切り裂く! ヘーゲル!」

 喉が裂けて切れそうな程、自分でもコントロールの効かない怒りが声をあげた。前へ前へと押し出されるように地を駆け、攻撃をすり抜けて行く。

 目前に落ちた火球の爆風を煙幕がわりに、再び顎目掛けて跳躍する。フレイムブレード。業炎がハルバードの刃を包み込み、振るわれる刃と共に竜の顔を焼き切る。

 鉤刃と穂先が首元を襲い、突き刺した穂先を起点に僅かに高度を稼ぐ。そのまま空中で前転するように体を捻り、勢いをのせた斧刃が先程とは逆の眼に振り下ろされる。

 

『なんで俺なんだよ!』

 

 仰け反ったかと思えば、すぐにその巨体を捻り反撃に出てきた。巨大な体全てを使って、私を叩き落とそうと体当たりをしてきた。

 

「邪魔するな!」

 

 エアリアルストライクで地を蹴る代わりに、勢いの乗った幽鬼の体を蹴りつけてダメージを殺す。普段より殊更に高く飛び上がることになった私は、怒りに任せ穂先をそのまま脳天めがけ突き降ろす。

 

 

 地上に戻った直後、再び飛び上がり頭部へ畳み掛ける。飛び上がりながらカチ上げるように斧刃で斬りつけ、勢いを殺しきらないまま横へ薙ぐ。

 怯み仰け反ったかと思った次の瞬間、視界の端が黒く染まった。そして気づけば、身体中が激痛を訴え地面に倒れ伏していた。

 

「小夜!」

「ま……だまだぁ!」

 カウンター気味に放たれた尻尾に打ち据えられたのだ、と認識がようやく追い付いた。不思議と痛みは鈍く感じる。追撃の火球を跳ね起きて躱しながら、再び幽鬼の懐へ飛び込む。

 袈裟がけに斧刃を振り抜き、力任せに硬質な皮膚を斬りつける。火花が散り手応えも良くはないが、全く効いていないわけではないようだ。

 

 

「小夜、退いて!」

 後ろから聞こえた声に、頭が意味を理解するより早く体が動く。ほんの少し前までいた場所を歪な腕が叩き伏せ、風圧が僅かに私の体を揺する。全く見えていなかった……でも、構わない。

 再び踏み込み、腕が持ち上がる前に穂先を突き込む。練り上がった魔力が爆ぜて、火柱が上がり巨体を怯ませる。

 

 そろそろ頭がクリアになってきた。本能を理性が抑え込みはじめ、理念解放がもう長くは続かないと悟る。色々な思考が戻ってきて、判断が中途半端に鈍ってきた。覚悟を決めるしかない。

 

「指し示すは万象の事解──」

 右から横薙ぎに刃を走らせ、逆の刃で返し斬る。そのままハルバードの柄を回し翻した斧刃でもう一撃。

「其が行き着くは真なる精神──」

 手繰り寄せながら鉤刃で斬りつけ、脇へ戻ったハルバードの穂先を突きつける。刃で抉るように抜き去りながら、後ろへ身体を捻りつつ下がる。

「我が成すは自らの意志! 絶対精神(アブソルチュア・ゲイスト)!!」

 身体を軸にハルバードを1回転、飛んだ勢いも乗せて渾身の刃を叩き込む。刃に纏った魔力と鋼鉄の如き皮膚が激しく火花を散らし、私の腕に痺れが跳ね返ってくる。

 少なくないダメージを幽鬼にも与えたようで、数歩地面を踏み鳴らすようにたたらを踏んで後ろへ下がった。しかし、確実に私の体は限界だ。片膝を着いて倒れ込むのを防ぐのが精一杯の私には、幽鬼がまだ戦えるなら抗うだけの力は残っていない。お願い……! いつの間にか頬を伝っていた涙をぬぐい去り、祈りを込めてじっと見届けるしかなかった。

 

 

「そんな……」

 無情にも、というべきだろうか。巨大な竜の幽鬼は、ダメージこそ負ってはいるようだが、まだ4本の歪んだ脚でしっかりと立っていた。

 千暁さんならば、どうにかトドメは刺せるだろう。しかし、合口を武器としている以上1、2回斬りつけただけで倒せはしない。その間、千暁さんに余分な負担を強いて庇ってもらうか、どうにか自力で攻撃を回避し続ける必要がある。どちらにせよ現実的ではなかった。

 

 

 

「……押し流す。タレース」

 後ろから僅かに聞こえた声に振り向けば、振り向いた視界を置き去りに私の側をすり抜けて幽鬼へ迫る千暁さんの姿。

 

「無駄」

 進路上に吐き出された火球を、千暁さんの()()()()()()()青く透き通る巨大な蛇を纏った男(タレース)が切り払う。千暁さんや地面にたどり着く前に霧散した火球の蔭から飛び出した千暁さんが、竜の頭上へ飛び上がった。

 魔力で延伸した刃が脳天を捉えた。時が止まったかのように千暁さんも幽鬼も身動きせず、釣られて固唾を飲んで見守る。

 

 

 

「無意味。これで終わり……」

 凍りついた時を溶かすかのように身動ぎを始めた幽鬼。動きが大きくなる前に、千暁さんの合口が翻った。

 地響きと共に巨躯が沈み、煙と共にそこに何も居なかったかのように幽鬼の姿は消え去った。

 

 

 千暁さんの初めて見せた理念解放。私は動揺を隠せなかった。

 タレース……守護者が代行者から独立し動く様は信じられなかった。代行者の知識として、それはあり得ざる動かし方だ。長い代行者としての経験が可能としたのだろうか。

 

 そして何よりも、千暁さんの感情がいつも通り平坦で冷淡な敵意を維持していることが、最も信じられなかった。

 感情が理性を凌駕することが理念解放であるならば、喜怒哀楽何れにしても感情が極限まで振り切れた状態ということ、のはずだ。なのに千暁さんの理念解放は、いつもどおり敵対する千暁さんのままであった。

 

 

 私がそんな動揺をしている間にも、時間と事態は進んでいく。具体的にはいつの間にか晴れた煙の中に埋もれていた思念が、私の中へと入り込んできた。

 

「……これは」

 

 

 

 朦朧とした意識。視界の半分を占める薄汚れた白い床が、辛うじて自身が倒れ伏していることを理解させる。

 最早手足は自らの言うことを聞かず、ただ重石となってくっついているだけの部品になっていた。それどころか心臓や肺すらも、いずれただの物と成り果てるのだろうと、霞がかった頭で理解できる。

 

 

──ああ。俺はここで死ぬのか。

 

 

 諦めようと理性が呼び掛けてくる。さっさと眠ってしまえば、もう楽になれるのだと。正しいと思うし、そうしたい。しかし別の感情が、いつまでも生きようという本能に薪を燃べ続けていた。

 生きろと叫ぶ本能がいつまでも心臓と肺と脳とに、風を送り続け燻った火種を維持していた。

 

 怒り。理不尽な仕打ちを行った誰かへの怒りだけが、いつまでも生存本能の篝火を絶やすことを許さないでいる。

 こんな目に合わせた奴を見つけ出すまでは。胸ぐらをひっ掴み、怒号を浴びせ、拳を叩きつけるまでは眠るなと、手足を動かせといつまでも命令してくる。

 

 

 眠って楽になれという理性と、復讐を果たすまでは眠るなという本能が、ぼやけた頭のなかでぶつかり合う。

 

 

 

 端から見れば結局はただ力尽き倒れているだけであろう俺だったが、ふと耳に今まで聞こえていなかった音が聞こえてきた。

 規則正しく連続して聞こえてくるそれは、次第に大きくなっている。足音だ。誰かがこの小屋に近づいてきている。脳に僅かにエンジンがかかってきた。足音の他に、何か引きずるような音も聞こえてきた。

 誰だ? 小屋の持ち主か、偶々休める場所を見つけたと思った観光客か。あるいは──俺をほくそ笑みにきたクソ野郎か。

 

 

「……おや、まだ息があるようだ」

「参ったな……ったく、こうなるって予想してたんならあの爺、俺達をハメようとしてないか」

「さあな。さっさとやることやっちまおう」

 

 

 答えは最後の候補だった。身体はまだ動かないが、会話は割りとはっきり認識できた。俺をここに連れてきた奴が、死亡確認でもさせにきたのだろう。

 足音と共に聞こえた、何かを引きずる音の正体は詳しくは分からない。けど、こいつらの言うやること(息の根を止めること)に使うのだろう。

 

 側で重い何かを振り上げる気配がする。ああ、クソ。折角クソ野郎のヒントが来たのに、こいつらの顔を見るために頭を動かす力も残っていない。

 4本の脚と床だけが見えている視界を最期に、俺は死ぬのだろう。ああ、なんて惨めな最期だ。せめてこんなことをしたクソ野郎の顔だけでも……

 

 

 

 

 

「ぐ、ぅ……頭が、割れそう……」

 自分が殴られた訳ではないと分かってはいるが……恐らく頭を何かで叩き潰されただろう視界を最後に、意識が戻ってきた。思念の記憶の中では頭が朦朧とし過ぎていて痛みを感じなかったが、私まで殴られたのかと思うほど頭が痛みを訴えている。

 

 怒りや虚しさをどうにか自分のものにしないように切り離しつつ、そっと心のスペースの一部へ収めてやる。

 そして、幽鬼パスカルとなった彼の死に至った経緯に思いを馳せる。誰が彼に目撃され、消したのか。

 記憶溜まりで見た記憶と合わせれば、彼を連れ去り閉じ込め、殺したのが恐らくはその「見られた誰か」によるものなのは明らかだったから。

 

「小夜、誰が彼を殺したのか考えてる?」

「はい……何となくですけど、嫌な予感がするんです。前の、ヴィルヘルムの子達も誰かの手引きで理不尽な目に遭っていました。同じ人物かもしれないので……」

「……あまり考えないことをおすすめしておくよ。私達は探偵じゃないし、今の私達には必要のない、ノイズになり得る情報だから」

 

 冷徹にも聞こえる千暁さんの忠告は、きっと正しい。些細な繋がりは私に誤解を与え、的外れな答えを導きかねない。何より幽鬼や幽者との戦いの中で意識が逸れれば、命取りになりかねない。

 それでも気になるものは気になってしまうから困るのだけど。もしかすると院長先生を殺したのがその人かもしれない、なんて疑念があるからだろうか。

 

「とにかく、今の状態で考えても悲観的になるだけ。取り敢えず帰って休んでからでも、遅くはないでしょ?」

 千暁さんが視線を僅かに動かす。その先には姿見があった。こくりと頷きだけをどうにか返して、姿見に触れる。不可思議な浮遊感と共に、私達は現世へと帰っていった。


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