「はい、大喜です」
幽鬼の姫に手痛い敗北を喫した後、一先ず帰還することになった次の朝。洗顔を終えて戻ってきたタイミングで、スマートフォンが着信を知らせてきた。画面には天音さんの名前が表示されている。
「悪いな、朝っぱらから電話して」
「いえ、元々起きている時間ですから。何かありましたか?」
「……いや、幽鬼の姫のことで、あんたにも筋を通すべきだと思ってな。今日も辺獄に来るんだろう? ちょっと早いが、落ち合えるかと思ってな」
ところで、私はいつ天音さんに自分の番号を教えて、自分の連絡帳に天音さんを登録していただろうか……
あのファンシーで猟奇的な空間の中、既に天音さんは到着していたようだ。こちらに背を向け、どこか遠くを見つめているように仁王立ちする彼女に、そっと近寄りつつ声をかける。
「お待たせしました、天音さん」
「思ったよりも早かったな。悪いな、呼び出して」
「いえ。それで、筋を通す、とは?」
「……話しておくべきだと思ってな。アタシと、あのクソアマと、もう1人。
空音。恐らく、以前千暁さんが言っていた、天音さんの親友……だった人のことだろう。幽鬼の姫に奪われたと聞いているが。
しかし空音……くおん……どこかで、聞き覚えがあるような。知り合いに同じ名前の人がいただろうか?
「
「あまり多くは……幽鬼の姫を恨んでいて、弄ぶように親友を殺されたんだ、と」
「まあ、十分だな。そん時殺されたのが、空音……
何でもないことを言うように、しかし必死に感情を抑えて、天音さんは言った。鋭い爪のついた手甲の裏側で、真っ赤になるほどの握り拳もそれをまざまざと表していた。
こんな時、どんな言葉をかけるべきなのか分からなかった。以前にも似たようなことを思ったが、どんなに本を読んでいても自らの言葉として紡げないことに歯がゆさを覚える。
「っと、すまねぇ。別に同情や同意が欲しいってわけじゃあないんだ。ただ、知っていてほしい。アタシの親友が、生きていた人間だったってことを」
「それは……」
「お前も知っているんだろうが、幽鬼共に魂を食われた生きた人間は、存在自体がなかったことになる。ちょっとした例外の存在以外からな」
初めて聞く話だった。だが言われてみれば確かに、幽鬼に殺されたすべての人間が、あらゆる人間の記憶にとって存在しなかったことになるなら。それは天音さんが空音さんのことを覚えていることに矛盾する。
「例外にはいくつかパターンがあるようだが、アタシが知るのは3つ。まず、そいつが消えると歴史的に大きな矛盾が起きちまうやつ。それと魂ごと繋がってるくらい、繋がりの深い間柄のやつ。そして……実際に殺されるのを、見たやつ」
3つ目のパターンは、言われずとも天音さんの経験談でもあるのだろう。他の2つが線引きの若干曖昧なものである事を鑑みるに、実際に経験したのは最後の1つだけ、なのかもしれない。
例外のパターンを述べ終わった天音さんは、しばらく何かを戸惑うように黙り込んだ後、再び口を開く。
「前にな。空音から聞いた話だが、アイツは施設の出だった。本だけは沢山ある施設だったらしい。今考えてもアイツとアタシが何で親友になるほど気が合ったのか分からねぇが」
と言うことは、空音さんは天音さんのようなアグレッシブな人ではなかったのだろう。わざわざ話題に出すほどだし、きっと施設でも本をよく読んでいたと思う。私のいた所も本は多かったしよく読んでいたから、どちらかと言えば私の方が性格は近いかもしれない。
「街で偶然出会って、2人してトラブルに巻き込まれて……以来、なんでか気が合ったアタシ達は、それからも度々連絡を取って遊び合う間柄になって……里親が決まったって嬉しそうに報告してきた、そんな矢先だった」
その後に起きた出来事は言われずとも分かった。幽鬼の姫による事件だ。
「一度はアタシ達は逃げることが出来た。念のためアタシの家に2人とも戻って、互いのことを確かめ合うように手を繋いで震えてた。その晩、アイツはまたアタシ達の前に現れた。見ーつけた、なんて、かくれんぼでもしてたみたいに」
天音さんの顔に、再び影が落ちる。怒りと悲しみが恨みとなって、彼女を突き動かしている。しかし、それに寄り添える人は、その時に喪われてしまった。
「それでアタシらは辺獄に連れていかれて、アタシらを散々に痛め付けた後……アタシに見せつけるように、空音を殺した」
「その後、空音さんを助けるために代行者に?」
「ああ。結局、追い付いたと思った途端、魂を喰われて間に合わなかった……いや、間に合わせるつもりなんて無かったんだ」
虚しさを感じていることがよく分かる声色だった。最後の最後まで弄ばれたその心境は、私が理解できる領域にはなかった。
「経緯はそんなところだ。アタシは今でも、空音のことを忘れちゃいない。本が好きなこと、聞き上手なこと、表情はあんま変わんねぇけど感情豊かなこと、辛いものがアタシより得意なこと、誰にでも優しくできること……今でもずっと覚えてる」
チクリ、と心が痛んだ。悲しそうな笑顔でそう語る彼女の心境に共感してしまったのかもしれない。でも、何となくそれだけではない気がした。他人事に思えない、と言うべきだろうか。
「でもな、少しずつ思い出せなくなってるんだ……あれだけ2人で喋って、笑いあったのに……声を思い出すのに、時間がかかる」
「声……本で読んだことがあります。大切な人程、声を最初に思い出せなくなると」
「はは、アタシだけじゃないんだな。少し気が楽になった。ただな、やっぱり悔しいんだ。これからアタシは段々、鬼怒川 空音という人物を忘れていっちまうんだって」
「それは……」
「だから、空音程じゃないけど、アタシなりに考えて……こうやって、人に話すようにしてんだ。アタシが空音を忘れないように、世界が空音を思い出せるように、ってな」
少し力無く、しかし明確な意志を持って笑って見せる天音さん。本当に彼女は、復讐のためだけに辺獄で代行者を続けているのだろうか?
天音さんの本心を探りあぐねる私は、ふと背後に感じた気配に振り向く。そこには、こちらも何やら複雑な気配を連れた千暁さんの姿があった。
「……結局話したわけね」
「悪ぃかよ。アタシは話すべきだと判断した、それだけだ。小夜が興味を持たずに忘れたって、アタシは構わねぇ」
「いえ……私は、忘れません。忘れてはいけない、気がするんです」
口を挟むべきか迷うより先に、考えるより先に、口が開いていた。私自身に言い聞かせるように、直感めいた確信を宣言する。
正直なところ、理由は分からなかった。けれど、忘れてしまうと取り返しのつかないものを忘れてしまいそうで、それだけは嫌だったから。
「そりゃありがたいがな。前にも言ったが、忘れることが大事なこともある。無理はするんじゃねぇぞ」
「それは、はい……でも、私は私自身の為に……忘れてはいけないし、忘れたくないんです」
自分でも理由はよく分かっていないけれど、それでも譲ってはいけないと本能が叫ぶ。それを感じ取ったのか、天音さんは複雑な表情を私に向けて、それ以上何か言うことはなかった。
「で。随分小夜に肩入れしてるみたいだけど」
「そうだな……お前に比べりゃあの悪魔2人だって肩入れしてるだろうよ」
「えっと、あの。喧嘩しないでくださいね?」
ちょっとでも隙を見せるとこの2人の間に流れる空気は最悪になる。仲良くしてほしい、までは思わないけれど、せめて手を出したり戦闘中のコミュニケーションまで拒否したりすることは避けてほしい。切実に。
とはいえ、私が安易に口出しをするべきではないのだろう。そもそも、2人がここまで仲が悪い理由を私はよく知らない。天音さんが幽鬼の姫に関する一連の戦いの中で千暁さんと関わりがあった、くらいしか。
信念や信条の違い、と言えばそれまでかもしれない。けれど、単純に相反している、とも思えない。だからこそ理由が分からないし厄介なのだと思う。いっそその時期の天音さんの記憶溜まりでもあれば解決するかもしれない、なんてことを考えるくらいには煮詰まってしまった。
「小夜、大丈夫? 何か考え込んでいるみたいだけど」
「へっ!? あ、いえ、大丈夫です。先を急ぎましょう」
大分考え込んでしまっていたようだ。視界を遮るように手を振っている千暁さんを見て意識を急浮上させる。そもそもここは辺獄で、つまり幽者や幽鬼という脅威がうろついている場所なのだ。そんなところで立ち止まって考え事なんて、自殺行為以外のなにものでもないのに……
慌ててクリーム色の空と地面代わりのタイルの中を進み始める。そう言えば、ここのボス格である幽鬼は、悪魔の2人が態々警告するくらいには厄介という話だ。一度気合いを入れ直さねばならないだろうか。
暫く細い通路を進んでいた私達の前に、広場が現れた。つまり、幽者や幽鬼との戦闘になる可能性があるということで、私達は無言のままいつでも戦闘に入れるように武器に手をかけ緊張感を高める。
広場は一見静寂を保っていたし、通路から見える範囲では目立って幽者達の姿を見ることは出来なかった。しかし――――
「あれは……あの時の」
不意を突けるほどではないが、通路からは死角になる位置。そんな場所にある大きめの柱の上に、以前見かけて警戒対象となっていた、黒い少女が背を向けるように立っていた。
「……また逢ってしまったみたいですね。それに……貴女達はあの子にも」
「あの子?」
「幽鬼の姫。貴女達は、あの子に挑むつもり?」
私達の気配に気付いたのか、振り向きながら問いかけてくる少女。頭上に浮かぶ黒い輪が、彼女が幽鬼であると告げていた。同時に、ただそれだけの幽鬼ではない、と纏う気配は主張する。
あの幽鬼は、幽鬼の姫を知っているようだ。深い関わりがあるかのような口振りに、天音さんが反応するよりも早く千暁さんが口を開いた。
「必要があれば戦闘になるし、討伐するだけ。貴女もそう。私達の前に姿を見せた以上、幽鬼である以上、討伐する他の答えはない」
鞘から合口の刀身が引き抜かれる音が、それだけで物を斬り裂けそうな気配と共に発せられる。私だけじゃなく天音さんもが身を竦ませる中、相対する黒い少女の幽鬼は微動だにせずこちらを見据えている。
「なら、警告だけしておきます。貴女は幽鬼の姫に対抗できるかもしれない。けれど「貴女達」では幽鬼の姫に対抗できなくなる」
純白の光を反射する、黒いドレスアーマーと対照的な剣。その刀身を迫る合口のに合わせながら、幽鬼はそう告げた。
更に2合程の打ち合いを挟んで、両者は柱から飛び退く。黒い少女の幽鬼は着地から間を置かずに更に横へ飛び退いて、頭上より振り下ろされたハンマーを難なく回避して見せた。
「おい、なんだこいつは? こんな幽鬼アタシゃ見たことねぇし、聞いてもねぇぞ」
「聞く耳持たないでしょう。それに、やる事が変わるわけじゃない」
「はっ、そいつはそうだな」
「短絡的ですね。代行者としては優秀なのでしょうが」
合口が、鎚が、剣が、魔法が。3人の姿と共に暴れまわる戦場を、私は状況を理解するだけで精いっぱいであった。ただ密かに魔力を練り上げ、あの3人の中で生み出されるかも分からない隙を伺い続ける。
2対1という状況の中、黒い少女の幽鬼は的確に攻撃を捌き続ける。千暁さんも天音さんも、普段の態度からは想像もつかないコンビネーションで猛烈な攻勢を見せているが、決定打が出ない。
「やり辛ぇな! こんな戦い方を幽鬼がするのか!?」
「私は幽鬼であって幽鬼でない。それが分からないうちは、倒されませんよ」
「そんな出鱈目を!」
隠す気のない苛立ちを天音さんが鎚に乗せてぶつける一歩後ろで、その隙を埋めるように千暁さんが合口を疾らせる。それを幽鬼は笑みを浮かべることも冷や汗を見せることもなく、打ち払い足を捌き悉く躱し続ける。
表面だけを見れば、攻め続けている千暁さん達が優勢に見える。しかし、幽鬼は必死という風にはとても見えない。守勢に徹せざるを得ない、というよりもあえて守勢に徹している、といったようにも感じる。
何かを企んでいるのか、あるいは試しているのか。そんな様子を見せる幽鬼を注視しながら、観察し隙を伺う。前回のように不意に反撃を貰うのは御免被る。何より、今回は主に天音さんの猛攻が凄まじい。天音さんの背中を誤射しない隙を探すだけでも一苦労だろう。
黒い少女の幽鬼と、2人の代行者の戦闘。それを観察する中で、私は違和感を覚え始めていた。何かを企んでいるか、試そうとしている気配は先程から感じていた。それだけではない、別の何か。
「そろそろですか」
覚えた違和感を見透かしたかのように、戦場に似つかわしくないほど落ち着いた幽鬼の声がした。視線がほんの一瞬こちらへ向いたような気もするが、そう感じた次の瞬間には相対する代行者へ向けられている。
いつまでも違和感に構っている暇はない。次の天音さんと千暁さんの連撃の間が、おそらく彼女が生むチャンスと隙になる。ギリギリまで練り上げていた魔力を、
「そこっ! 燃えろ!!」
ハンマーの振り上げを半身になって躱し、追撃の合口を剣でもって受け流すその瞬間。
「だから言ったのです。貴女達になった途端、幽鬼の姫には対抗できなくなると」