CRY'sTAIL   作:John.Doe

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混迷のアンガージュマン-3

『お家に帰して……』

 

 

 背筋が氷ついたかと思うほど、ゾッとした。聞き間違いなんかじゃない。口らしい部分こそ動かなかったが、確かに目の前の幽鬼は「喋った」のだ。振り上げようとしたハルバードを、思わず取り落としそうになる。

 

 罠? それとも本当に助けを求めている? 私はどうすればいいの?

 

 色々な感情が渦巻いて、気持ちが悪い。思わず、後ろへ大きく跳んだ。距離を取らないと、何か大きなモノに飲み込まれそうな。とにかく怖くて仕方がなかった。

「帰してって……どういう、こと……?」

『帰りたい……お家に、帰して……』

 私の問いかけに応える素振りはない。ただ同じような言葉を、うわ言のように繰り返した。意思疎通ができないのか、するつもりがないのか、分からない。その奥にある真意も見えてこない。

 

 ぐるぐると頭の中で考えが蠢く。ゆっくりと近づいてくる幽鬼に、後退りするしかできない。

 

 分からない。分からない、分からない! 私はどうするべきなのか、どう受けとるべきなのか、誰か教えてよ!

 

 

 今にも喉から飛び出しそうな叫びが、冷や汗となって皮膚を冷たく伝っていく。

 

 怖い。恐い。来ないで、近づかないで!

 

 

 ああ、分かった。こうするしか、ない────

 

 

 

 

 気付けば私の目の前には、突きだされたハルバードの穂先。それを握っていたのは、当たり前だけど、私の両手。汗が大粒の玉を形作っていた、私の両手。

 

「やっ……た…………?」

 

 微かに残っていた、幽鬼が消えるときに発した煙が吹き消えて、ようやくそう確信した……して、しまった。

 その瞬間。私の心が動き出す前に、私の「中」に何かが入って────

 

 

『お家に返して』

 

『僕を置いてかないで』

 

『僕のお家はどこ……?』

 

「い、や……入って、くるな……っ!!」

 

 

 喉に何かがこみ上げてくる。気持ち悪い。私の中に、誰かが……さっき貫いた子供が、入ってくる……!

 

 頭を振って、地面に膝と手をついた。吐き気と得体の知れない恐怖と痛みに、視界が滲んだ。私の中で、入り込もうとしてきたソレを閉め出したくて、必死に拒絶する。

 

 考えるより先に分かってしまった。ソレを、私の中に入れてはいけない! 私を壊させてはいけない!

 

 踞って、叫んで、何もかもを拒む。鍵をかけた扉を全力で押さえるように、ソレが入り込むのを抑え込む。

 

 

 

 どれくらい、そうしていただろう。いつの間にか涙を溢していた私は、少しだけ落ち着いてきた。でも。

 

「私……私が()した、のは…………!」

 

 

 

 これもまた、考えるより先に、分かってしまった。私がハルバードで貫いた幽鬼は、倒してきた幽者達は────

 

 

「ひ、人……人間なんて、そんなの、聞いて、ない……!!」

 

 

 

 

「ふ、くく……これは存外、面白いことになったのう」

「うふふ、そうだね。まさか、完全に拒んじゃうなんて」

 愉快、愉快。実に愉快だ。笑いがこみ上げて堪らない。そう、その調子。もっともっと────

「「その心の強さ(エゴ)を見せ続けて」」

 

 

 

 

 傍らにハルバードを置いたまま、私は座り込んでいた。立ち上がる気力も湧いてこない。

 

 直感に近いが、これは正しい答えだと、認めざるを得なかった。幽鬼と幽者は、元々人だったものだ。

 そして私が貫いた幽鬼は、少なくとも子供のそれだ。町にあるはずの自分の家へ帰れなかった子供の記憶が、私のことのように流れ込んできた。

 その子は理解ができなかったのか、したくなかったのかは分からないけど。多分、その子の「家」は、もうなくなってしまったのだ。でもそれは、つまり。

 

 

 

「酷い顔ね。幽鬼と繋がったのが初めてなら、当たり前か……」

 

 不意に、誰かに声をかけられた。ゆっくりとそちらを見ると、女の人が1人立っている。

 少しだけ緑がかった黒髪を後ろで大きく三つ編みに束ねた、背丈は同じくらいだけど、多分年上の人。

 黒に近いわずかに緑を感じる塗装の、急所を守る鎧。それと対照的に純白のセーターのような服とマント。懐に差した剣と鞘。それらが彼女も代行者だと教えている。

 

「こんにちは、大嘉 小夜。私は貴女の代行者としての先輩、と言えばいいかしら」

 屈んで目線を合わせた彼女はそう言った。何となく、落ち着く声色と顔立ちだ。

 視力の悪さが原因で目付きが悪いとよく言われる私とは違う、少し大きめの丸みを帯びた瞳がそう感じさせるのだろうか。

 

「貴女、は……」

「私は千暁。相楽 千暁(さがら ちあき)。さあ、まずは深呼吸して。そうしたら、楽になる方法を教えてあげる」

 楽になる方法と聞いて、私は深く考えるより先に大きく息を吸って、吐き出す。2、3回ほど繰り返した。

 

「うん、素直ね。じゃあ、約束を守るわ。まずは、思い切り泣きなさい。それが今できる、一番確実で必要なこと」

 

 泣けと唐突に言われても、と言おうとした私の唇は、私の言うことを聞いてはくれなかった。

 堰を切ったように、心の奥底から声を上げて泣くのが止まらなくなって。相楽さんが背中を優しく叩いてくれるのを感じながら、訳も分からず私は泣き続けた。

 

 

 

「……落ち着いたかしら」

「あの、すみません。私、止められなくて……」

 そうさせたのは私だもの、と気にしていないような表情を見せる相楽さん。とは言われても、見知らぬ人の前でぎゃんぎゃん声をあげて泣いたというのは、やっぱり恥ずかしいというか……

 

「幽鬼の思念に触れるというのは、それを解決するのは、そういうもの。だから、気にすることはないのよ」

 思念、という単語に首を傾げそうだったが、すぐに思い当たる。私の中に入り込んできた記憶や感情のことだろう。

 

「幽鬼や幽者は、生前の未練を果たそうと……具体的には、ヨミガエリを狙う魂達のこと。例外も、まあ無くはないけれど」

 そう言えば、メフィスとフェレスが「再生の歯車」という場所について言及していた。そして生前の未練、つまり死者の魂が幽鬼や幽者の正体で、私の願いは亡くなった院長先生の"ヨミガエリ"だ。と言うことは。

 

「私がやらされるのは、正常に所謂輪廻転生を行う為のこと、ということですか」

「私の知る限りはね。死んで、時が経ち欠けてしまった魂でも、周りの魂を喰らって完全な形になれれば、生き返ることができる」

 唖然とするほかなかった。さっき私の中に入り込もうとした子供の魂ですら、他者を喰らい生き返ろうとしていたということだ。

 

 

「ヨミガエリは、死んだことそのものが無かったことになる。死んだことを知っている全ての人間の記憶や、生活の痕跡に影響があるわ」

 ……相楽さんの言うことが本当ならば、それは私の周りにもヨミガエリした人がいるかもしれないということだ。

 少し背筋に寒気を感じた私だったが、相楽さんの次の言葉に、より悪寒を感じる。

 

「……ヨミガエリの問題点は、力をつけた幽鬼の捕食は、生きている人間の魂を引きずり込むことがあること。事故や事件として起きるから、普通認識はできないけれど」

 

 ゾッと、どころではない悪寒が身を強張らせる。死ななかったはずの人も、死んでしまうということではないかと気づいてしまった。

 

 

 私の親と姉は、事件に巻き込まれて死んだ。強盗殺人で、家族では私だけが怪我で済んだ事件だ。施設に入る前、まだ小さかった頃だが、鮮明に記憶にこびりついている。

 目の前で刺殺される家族。飛び散って私の頬を染めた赤い血。すぐ後に私を襲った、脇腹への熱と痛み。声を掛けても反応を反さない、倒れ伏した家族。

 今でも、はっきりと覚えている。忘れようがない。事件という単語で、私はその記憶に釘付けになってしまっていたようだ。

 

 

「大丈夫? 顔色が悪いわ」

「……っ! すみません、少し嫌なことを思い出して」

 今では、どうにか過去の苦い記憶として抑えることはできるようになった。心配そうにこちらを覗きこんだ相楽さんに、話の腰を折ったことを申し訳なく感じる。

 

「……相楽さん。それで、思念に触れるとこうなるのが当たり前というのは?」

「思念は果たせなかった未練の塊で、幽鬼の原動力。純粋な意思のそれは、触れた者の意思に干渉するの」

 だから、あの時私は、私の心の中に入り込もうとした感覚を覚えたのか。どうにか拒めたからいいものの、入り込まれていたらどうなっていたのだろう。

 

 

「思念の干渉を防ぐことは出来ない。でも、振り払うことは出来る。その方法は干渉されたら────」

「泣くこと、ですか……」

 ひとつはね、と相楽さんは応えた。多分、他の方法は良くない方法なのだろう。だからか、相楽さんはふたつめ以降の方法は喋らなかった。

 

「幽鬼の未練は、干渉された側の感情に蓄積される。大抵は、負の感情としてね」

 負の感情。未練なのだから、当たり前と言えばそうかもしれない。もし、その負の感情を溜めこんだらどうなるか、は容易に想像できる。

 

「代わりに流した涙そのものは、貴女自信の感情じゃない。でも、貴女の感情として、代わりに意味を与えることはできるわ」

「意味を与える……」

「でも、それは思念が、幽鬼が抱いていた思いと向き合うことでもあるわ。抱え込んでも、押し流しても、とても辛いこと」

 まるで念を押すように、一字一句ゆっくりと私に告げる相楽さん。私の瞳をじっと見て、問うてくる。

 

 

「その辛さを乗り越えてでも、叶えたい願いの為に代行者を続ける自信はある? 引き返せるのはここまでよ、小夜」

 

 私はそれに、たった一度の頷きだけで、迷うことなく返答した。

 私の瞳を見据えたまま、相楽さんはしばらく黙っている。沈黙の間、私も相楽さんから目を逸らさない。私の眼鏡越しの瞳を、試されているのだから。

 

 

「……分かった、いいわ。改めて、私は相楽 千暁。悪魔共に貴女の補助を頼まれたの。これからよろしくね、小夜」

 その唐突な発表に、彼女の柔和な微笑みと真逆に私は呆気にとられた間抜け面を晒しているだろう。

 というか、さっきまでの私への優しい語り口が、メフィスとフェレスを指すときだけやたら殺意を感じさせるトーンだったのは、果たして気のせいだろうか。

 

 そんな私をよそに、相楽さんはそうそう、と言葉を続けた。

「私ね、相楽っていうのは事情があって名乗ってる親の旧姓なんだけど、あまり好きな呼ばれ方じゃないの。出来れば千暁って呼んでくれる?」

「あ、はい。さ……千暁、さん」

 その突然の申し出に、思わず名字で呼びかけてしまったが、特に気にしていないようだ。理由は……深く聞かない方が良さそうだ。

 そういえばさっきから私を小夜と呼んでいるのは、もしかしたらこのことの裏返しなのかもしれない。

 

 じゃあこれから暫くよろしくね。と差し出された手を取り、握手を交わす。ここから、私の本格的な代行者としての活動が始まった。

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