妙な夢を見て、目を醒ました。
千暁さんと一緒に、地下鉄の駅と駅ビルを歩いていく夢だ。傍には、今となっては誰だったのか思い出せないが、もう2人いたと思う。大人の男女……だったような気がする。
そうして4人で連れだって歩き、駅ビルから地下鉄の窓のない駅に戻ってきた時、連れ立って歩いていたはずの私達は、千暁さんと2人だけになっていた。
その後薄暗いホームを更に少し歩いて、半ば程まで来た辺りで突然千暁さんに呼び止められたのを覚えている。振り返ると、そこにいたはずの千暁さんではなく、
そして千暁さんがちー姉に変わったことに驚いた途端、目が覚めて今に至る。驚いた、というより、嫌な記憶を思い出して刺激があったことが目覚めた原因だろうか?
地下鉄のホームは、私達一家が強盗に襲われた場所だ。そうすると、千暁さん以外の2人は父と母だったのだろうか。私だけが成長した姿で、記憶の場所を歩いていた……そんな夢だったのかもしれない。
最後以外ちー姉ではなく千暁さんが歩いていたのは……多分夢だから、同じ名前の千暁さんが一緒だったのかもしれない。そんなことがあり得るのか、と夢相手に考えたってしょうがないだろう。
なぜ今更になって、家族と死別したときの夢なんて見てしまったのかは分からないが……とても夢見が良かったとは言えない朝になってしまった。
朝の身支度をしながらどうにか心の整理をつけ、姿見へ向かう。極力鏡に映る顔から視線を逸らしながら、脇腹に浮かぶ代行者の印へ指で切るように魔力を通す。
最早恒例となった刹那の浮遊感を覚えた後、私の視界は自分の部屋から辺獄へと切り替わっている。今まで見てきた辺獄と同じには思えない澄んだ青空と、清潔感さえ覚える白磁のような聳え立つ塔が視界を埋める。
「よう、早かったな」
「天音さん、おはようございます。千暁さんはまだ来ていないんでしょうか?」
「いや、さっき会った。周りの様子だけ見てくるって少し外してるが、そろそろ戻ってくるんじゃないか」
天音さんがそう言った直後、背後から聞こえた足音に振り返る。予想通りと言うべきか、千暁さんがこちらへ歩いてくる音だった。
先日の顔色の悪い時と異なり、いつも通りの柔らかな笑み……は、天音さんと顔を合わせた途端真顔になったが、それはそれでいつも通りで安心する。
「今日はもう片方の愚塔を突破する、ということでいいんですよね?」
「うん、かかる時間も前回とあまり変わらないと思う。ただ、これ以上日を開けると突破済の片方が復活する可能性もゼロじゃないから……なるべく引き返さなくて済むように、慎重にね」
急いては事を仕損じる、ということだろうか。千暁さんの言うことは尤もで、私としても否定する理由はない。いや、もしかして何か見落としている準備があるのだろうか?
「……えっと、私、何か忘れてることとかありましたっけ」「え? いや、無いと思うけど」
「多分千暁の言い方が厭味ったらしく指摘したんじゃないかって思わせたんだろ」
「えっちょ、そこまでは思ってませんよ!?」
千暁さんが何かに気づいて、私に気づかせようとした可能性がある事は確かに思った。が、そこまで悪意ある言い方をされたとは決して思っていない。天音さんの千暁さんに対するバイアスがいつもながら酷いことになっている。
「と、兎に角。今は先に進むことを考えます。昨日攻略したのと同じように、頂上にいる幽鬼を倒す……のが、愚門を開く条件で合ってますよね?」
前提の確認に、千暁さんと天音さんは首肯で返す。昨日頂上で戦った幽鬼は、今までの幽鬼と違って、本能以外の何かを感じる戦い方だった。今回も恐らく、普通の幽鬼とは違う戦闘を仕掛けてくるとみて間違いないだろう。
昨日攻略した愚門の右手側とは逆、左側の愚塔の入口へ向かう。中に入ってすぐに熱烈な歓迎をしてくれた幽者の群れを一息で蹴散らし、頂上へ続く道を探す。まるで昨日の追体験のような光景に軽くめまいを覚えるが、言ってもどうしようもあるまい。
昨日の塔を攻略する過程で、辺獄の層を作り出せる程のものでもなければ幽鬼の思念をいなすのもだいぶ慣れてきた。気分が良いとは言えないが、どこかそう、他人事の様に見ていられるようになってきた、と言うべきか。
今も、不治の病でスポーツ生命を絶たれた男性の記憶を受け流したばかりだ。どうにも、幽鬼の力量に比例して、思念に触れた者に「当人のような」記憶として見せることができるらしい。
このまま順調に塔の頂上へ。そう思っていた時、ふと千暁さんが足を止めてどこか遠くを睨むように視線を向ける。私や天音さんが追うように視線を動かしても、何も見えないし感じない。ただ不気味なほどに澄んだ青空が広がっていた。
「おい、どうしたんだ? 勘違いや気のせい、って顔じゃないが」
「……分からない。ただ、何か妙な気配を感じる。すぐ近くってほどじゃないけど、遠くってほどじゃない。こっちを見ているような気配」
「……また、幽鬼の姫や黒い幽鬼が関わってるんでしょうか」
これまで複数回にわたって対峙してきた黒い少女の幽鬼と、天音さんを筆頭に過去に因縁がある幽鬼の姫。正直、彼女達はいつ再度目の前に現れても不思議じゃないと思っている。
千暁さんが感じた妙な気配は、特にこちらに手出しをしてくる様子はない。依然警戒する必要があるとしつつも、先へ進むことを私達は結論とした。こちらからアクションを起こせる位置に相手がいなさそうなのも、理由の1つだった。
ふと、不思議に感じた。以前、千暁さんから辺獄における法則を聞いた時のことを思い出したからだ。ここは、私が中心となって広がる辺獄の一部のはず。その中では、私が一番気配を察知しやすい……らしい。
しかし、今気配を感じているのは千暁さんだけで、私は一切その気配を感じることは出来ない。とすると、千暁さんに関連する人物(生きているとは限らない相手をそう称していいのかはわからないけど)が気配の正体なのだろうか?
疑問を解決する手段も無く、喉にものがつっかえたような気分のまま塔を駆け上がっていく。とは言え辺獄で思念への対処を学んだからなのか、もやもやとした気分ではあっても、敵の攻撃をぼうっとしていて食らうと言うようなことは無かった。
幽者を切り捨て、幽鬼を倒し、思念を浄化して新しい道を進む。この作業に慣れてきたからか、先程の疑問について考えながら戦う余裕が生まれていた。生まれてしまっていた、と言うべきか。
「小夜。小夜?」
「……あっ、はい、なんでしょう?」
「いえ、どうにもぼうっとしているようだったから。大丈夫?」
「いえ、少し……気になる事があって」
流石に、戦いで傷つくことは無かったが動きは鈍っていたようで、千暁さんと、多分天音さんにも見抜かれていたようだ。隠すほどのことでもないと思って、私は疑問を打ち明けることにした。
「成程な、確かに言われてみれば不審っちゃ不審だ」
真っ先に私の疑問に賛同の意を示してくれたのは、意外にも天音さんだった。腕を組んで首を傾げる姿勢からは、彼女にとっても手がかりのない疑問であることが分かる。
「……この愚門愚塔は、恐らくだけど辺獄で2つしかない、全ての代行者が関わる場所にあたる場所。多分、それが関係して他の辺獄の層より代行者の関係性が交わりやすいんじゃないかな」
千暁さんは少し考えこんだ後、そう推論した。確かに、千暁さん達はこの愚門愚塔について知っていた。つまり同じ所を通ったことがある訳で、言うならば辺獄の共用部分とでも例えることが出来る地区になる。
つまり、だ。ここまで通ってきた辺獄の層は、私という存在から紐づいている誰かを核として出来上がった、言わば私だけの辺獄だった。だから私に深い人物が多く呼び込まれる筈で、私がその気配に気づきやすいということ。
けど、ここや、恐らく再生の歯車と呼ばれる場所に関しては代行者全てが関与する。だから、他の代行者に関わりがある誰かも紛れ込む可能性が高い。そういうことだろう。
「とは言え、今までの辺獄で倒してきた幽鬼の思念に、心当たりが無さすぎるんですよね……」
勿論千暁さんを疑うという意図はない。ないが、千暁さん達も辺獄に関して分かっていない事も多いという。イレギュラーを警戒するに越したことは――――
「そりゃあ、辺獄で死んじまったなら存在しないことになるからな。幽鬼に引きずり込まれた後に死んだなら、例外を除いて誰も覚えちゃいない」
「あっ……」
忘れてました。これも説明されてたのに、さっぱりと。目の前の課題にのめり込みすぎて、同じくらい大事な前提でした。
「どうあれ、今は情報が少なすぎるから、情報を集める為にも先に進むしかないと思う」
「そう、ですね……すみません、余計なことを考えてました」
考えてもしょうがない、とは辺獄で何度も思ったことだけど、またやってしまったというべきだろうか。これも何度目か分からないけど、気持ちを切り替えてまずは目の前の課題に集中する。今は、この愚塔を攻略するのが最優先だ。
白亜色の塔を登る、その2回目の道のりは、不気味なくらい1回目と同じような景色で。それでも内部の構造が異なるから、前回の道順は役に立たない。前に進む車の中で本を読んで、目に映る景色と移動速度との差異で車に酔った時のような感覚だった。
地理的にはそういう、一言でいえば違和感による不快感がある構造だったが、蔓延る幽者や幽鬼の顔ぶれに変わりはない。攻撃のパターンも既に頭に叩き込んである以上、特にピンチになる事も無く、ひたすらに突き進み続けた。
そうして2、3時間くらい経っただろうか。ついに塔の頂上に辿り着き、やはり反対側の愚塔と同じく石柱が囲う円形の広場と中央に佇む黒い犬のような幽鬼が待ち構える景色が広がっていた。
「汝、何を願う? 見るべきものを見ず追い求めるものは何だ?」
「またその手の質問ですか。問答無用、です!」
手にしたハルバードを、構えて相対するよりも早く距離を詰めて振り抜く。横一閃に薙ぎ払ったその一撃は、跳び上がって回避された。やはり、こいつも他の幽鬼の様にただ突っ込んでくるだけじゃない。
反撃が来る、と考えるより早く、事前にそうすると決めていた私は練り上げた魔力を脚に纏っていた。強化された脚力で幽鬼よりも高く跳び上がる。
「はああぁぁっ!」
エアリアルストライクを、落下による勢いが乗る前に叩きつけるのは初めてだ。けど、相手ごと地面に叩きつけてしまえば関係ない。
「小手先の策を弄しても無意味だ」
落下する、数秒にも満たない時間。しかしその短時間で幽鬼は、行動を起こした。犬のような見た目のくせして、まるで猫の様に空中で体勢を変えて、私の体を蹴るように離脱する。回避されたハルバードの穂先が地面を叩き、彼我の間に距離を取られた。
「……片割れと同じで、随分と私の神経を逆撫でしますね」
あえて受けて見せた、と言わんばかりの幽鬼の行動に、いつも悪い目つきがさらに悪くなっているだろうことを自覚するくらい睨みつける。
別にそんな効果を期待してはいなかったが、全く意に介さない様子には少しイラっとする。お互いにダメージはほとんどない。開いた距離をどう詰めるべきかと、ここにいる3人と1匹が探る。
最初に動いたのは、他の誰でもなく私だ。先ほどの横一閃のような大振りの攻撃ではなく、穂先を鋭く突き出す隙の少ない一撃。当然、踏み込みを必要とする以上その分相手に猶予があり、回避される。
横へ滑り込むように回避した幽鬼へ千暁さんの合口が襲い掛かるのを横目で見ながら、私自身も幽鬼の反撃を回避する。合口の水流さえ断ち切りそうな一撃を回避した幽鬼へ、狙いすましたかのように天音さんの魔力の杭が撃ち込まれた。
「小夜、やれ!」
「はい!」
魔力の杭による、行動阻害の呪いは効き目に期待できない。相手が相手だからだ。しかし、純粋に対処が必要な攻撃への回避行動という、足止めとしての効果だけは無視することは出来ない。なんせ、この攻撃は相手も初見なのだから。
だから、回避の直後から練り上げていた魔力をハルバードに纏わせて炎へ変換する。フレイムブレードは、3回別々の刃でという制約こそあるものの、どう振るうかは自由というメリットがある。
踏み込んで振り上げるような鉤刃の一撃。屈むように身を引いて躱された。素早く柄を引き戻し、穿つ穂先の一突き。鋭い爪で強引に穂先を逸らされる。逸らされた勢いをそのままに、身体ごと振り抜く斧刃による横薙ぎ一閃。ようやく、深くはなくとも一撃が幽鬼を捕らえた。
私のハルバードが浅く軽い一撃を与えた直後、千暁さんと天音さんが同時に手にした得物による痛打を叩きこむ。深々と合口が突き刺さり、腹部にめり込んだ戦鎚が幽鬼の体をわずかに浮かせる。
「せぇやっ!」
痛打を与えた2人に、経験の差を嘆いている暇はない。むしろ、このタイミングこそが本命なのだ。隙が少ない相手である以上、隙を強引に作って短時間で叩き込むほかない。
「……成程。追い求めるのに、それなりの覚悟はあるということか」
「知ったような口で、馬鹿にするのもいい加減にして下さい!」
戦闘による昂ったテンションなのか、思った以上に口から出た言葉は荒々しいものだった。虚勢を張ったわけでも、虚言を弄したわけでもない、確かな私の
「邪魔を……するなッ!」
地面に突き立てたままだった刃を、引っ張り上げる勢いのまま振り抜いた。それはするりと吸い込まれるように、しかし荒々しい速度で幽鬼の胴体を両断する。
幽鬼が煙となって掻き消える。気づけばそうなっていた目の前の光景に、戦いが終わったことを理解した。前回も思ったが、彼らが普通の幽鬼と違うのは、この呆気なさも印象に影響を与えているかもしれない。
強くない、というわけではない。何か、条件のようなものを満たすことを前提とした「用意された」幽鬼、というのが今の私の印象だった。