2本目の愚塔を攻略し、私達は一度現世へ帰還することにした。連続で攻略することも体力的に不可能ではなかったが、何でも愚門の突破は強力な幽鬼との戦闘が想定されるらしい。整えられる体調は整えよう、ということになった。
自分の部屋に戻ってきて、シャワーを浴びて汗を流し一息つきながら新聞に目を通していた時、ふとある記事が目に入った。
地方紙だからこそ書かれたニュースかもしれない。先日の、バス事故への追悼式で倒れたという恵羽さんが意識を取り戻した、という紙面だった。ほっと安堵の感情を覚えると共に、倒れたニュースを見た時に思い出せなかったことを思い出す。
『お前にとってあまり思い出したくない話かもしれないが……お前のご両親や姉上を殺した男が捕まった』
『まだ判決が決まったわけではないが、時間の問題だろう。これはまだ、お前とあたしだけの秘密にしておいてくれ』
恵羽さんに、放課後に呼び出されて話をしたことがある。何を言われるのだろう、と内心穏やかではなかった私は、それを聞いて言葉が詰まった感覚を今でも覚えている。その時初めて、彼女の父が法にまつわる仕事に付いているのだと知った。
守秘義務があるからと、誰にも言わないように彼女は私の胸の内に留める様に言った。本来なら、私にだって言えなかった事のはずなのに、それでも私にだけはと伝えてくれたのは、彼女の強かった正義感からだろう。
捕まった男の名前は知らない。元々別件で逮捕されたらしく、有罪判決の報道があったとしても私には知る由が無かった。恵羽さんとの連絡もその後は特に取っていなかったしこちらの連絡先も伝えていなかったから、手がかりも無かった。
それでも、彼女に恩義を感じていることは確かだ。自らの正義感で、自分にできる精一杯のことを私にしてくれたのは間違いないし、その気持ちも嬉しかった。
だからだろう。彼女が目を覚ましたというニュースへ覚えた安堵は。しかし、妙な胸騒ぎもあった。理屈や理由がある訳ではないが、今の私にとって無関係ではないニュースのようで、嫌な予感がする。
それでも時間は待ってくれることは無いし、私のやるべきことが変わってくれるわけでもない。明日無駄に千暁さんと天音さんを待たせるわけにもいかないので、読んでいた新聞を片付け、就寝の準備を進めることにした。
「おはようございます。今日は天音さんがまだ来ていないんですね」
「そろそろ来るとは思うよ。朝に学校で済ませる手続きがあるってメールが来てたから」
白磁の床と壁が続く辺獄で合流した千暁さんは、ここ数日で見せていた調子の悪そうな顔色ではなく、穏やかな微笑みと共にそう教えてくれた。
そうか、千暁さんと天音さんはいがみ合っているように見えたが、連絡先を交換するくらいには正常な仲のようだ。戦闘中のコンビネーションの良さもあって、所謂喧嘩するほど仲が良い、というやつなのだろう。
暫く待っていると、僅かに背後で段差を飛び降りるような足音が聞こえた。振り返ると、そこにはやはりというかコートのような防具がなびく天音さんの姿がある。
「おっと、悪ぃ、待たせたか」
「いえ。それよりも、学校の方は大丈夫なんですか?」
「あー……まあ、これでも結構優秀なんだぜ。必要単位分全部取って教授共を黙らせてきただけだからさ」
ふふん、と腕を組んで自慢げに言った天音さん。私は大学という場所に行ったことは無いから詳しくは分からないけれど、必要単位というのが卒業に必要なものだということくらいは分かる。私が通う、所謂高校のシステムとは違うということも、まあ知識として知ってはいる。
つまるところ天音さんは、その男勝りな言動からは伺い知れないがかなり頭がいいらしい、ということだ。いつだったか、空手もやっていると聞いたことがあるので文武両道と言える人なのだろう。
あるいは、最悪の場合文武両道になった、という人なのかもしれない。天音さんにはそれだけの動機をこの辺獄に抱いている。辺獄に居続ける為には学業との両立をしなければならない。辺獄で生き残るためには、自らが強くあらねばならない。そんな世界だから。
「ま、こっちの事情は無事片付いてるから安心しろ。今はお前の用事を済ませるのが先決だ。そうだろ?」
「……はい。ありがとうございます」
ここまで付き合ってもらった以上、私が中途半端な気持ちで挑んで無碍にしてしまうのは一番失礼な話だ。天音さんも、現状で問題が無いからこうして付き合ってくれている。
気合を入れ直して、攻略を終えた愚塔に挟まれるようにそびえる愚門へ視線を向ける。2人の言うことが確かならば、今まで通ることが出来なかったそこを通過できるようになっているはずだ。
「いい? この先で待ち構えるのは、多分今まで相手にしてきた幽鬼でも相当に強い幽鬼の可能性が高い」
「門番ってわけですか……でも、ここを乗り越えなければ先には行けない。ですよね」
ひとつ、深呼吸を挟む。今まで通ってきた辺獄の層とは違って、青空を思わせるここの空気は澄んでいるように思えた。肺の中に溜まっていた空気を全て入れ替えるつもりで、深く長い呼吸。
ハルバードをしっかりと握り直し、門へ歩みを進める。門を抜けてすぐにボスの幽鬼と戦闘、とはいかないだろう。スタミナ切れを起こさないように、しかしいつでも強敵へ挑むギアへ切り替えられるように進むしかない。
「ふっ!」
小さく、柄を引くように薙いだ刃が幽者をよろめかせる。そこへ踏み込みと共に思い切り穂先を突き込み、致命打となって幽者を紫色の煙へと変えた。
この広場にいる幽鬼、幽者は今のでラストだ。蔓延る幽者はそれなりに数がいるが、幽鬼の数が少ないように感じる。広場3つにつき2体いるかいないか、と言ったところか。
「そろそろ終点だと思うんだけど……小夜、体力は?」
「まだまだいけます。幽鬼が少ないような気がしますが、そのおかげでしょうか」
黒い輪の有無以外は同じ見た目でも、幽者と幽鬼の基礎的なスペックには大きな隔たりがある。その隔たりの分、倒すのにかかる労力にも差があった。
のだが、こと愚門で遭遇する幽鬼の数が少ない。その為、ジョギングで駆けなければいけないところをウォーキングくらいのスタミナ消費で済んでいる、というのが現状だ。
こういうパターンの時は、油断が最大の敵だ。調子に乗って飛ばしすぎれば、肝心なタイミングでスタミナが切れる。警戒を怠れば、決まって不意打ちが飛んでくる。そういう経験をこの辺獄で何度もしてきた。
その甲斐あってか、進行そのものは一定のペースを保って順調極まりない。いや、順調すぎる、というべきだった。今まで、ここまで順調な時は大体悪魔2人の横やりが入ったり、強力な幽鬼が待ち構えていて不意打ちされたりとしていたが、そういうアクシデントも今回は起きていない。
「あの……何というか、順調すぎませんか? お2人の時も、こんな感じでした?」
「うーん……不安定な印象はあったけど」
「小夜のクジ運が良いだけなら良いんだがな」
あまりにも不穏な言葉を漏らす2人に、嫌な汗が背中を伝うのを感じる。碌なことにならない。そんな確信めいた予感が、こんな発言の後に現実にならないケースを、私は知らないからだ。
「クジ運が良かっただけみたい、だな」
天音さんが漏らした通り、あのやり取りから変わったことも無く私達はゴールと思しき広場の前に辿り着いた。白磁の塔に挟まれた広場の向こうには、愚門入口のものよりも大分小さな門が見える。
あの先が、本来ならば死者のみが通行する事の出来る辺獄、になるのだろう。そして、今まで一切気配を感じなかった強力な幽鬼、即ちこの辺獄のボスにあたる存在は、きっと目の前の広場で立ち塞がる。右手にハルバードを持っているのを視線で確認して、足を踏み入れた。
『汝、変わらずこの先へ進むことを望むか』
『汝、己の望みを真に見つめて先を望むか』
降ってきた、あるいは飛んできた。広間で立ちはだかるように現れたのは、2体の幽鬼。愚塔で倒したはずの、大きな黒い犬のような幽鬼だ。愚塔で対峙したときと同じように、真意の分からない問いかけを投げてくる。
問いかけも、敵としても、2倍に増えた。1体の時だって、タフさはなかったからいいものの戦闘能力には苦戦した。けど、予想しなかった事態じゃない分、焦りはなかった。
「このまま2体現れて終わり、とは考えにくい……新手には注意して、2人とも」
「だな。アタシん時はどうだったかな、確か増えたんだったか」
私が予想している範疇にある現状に、2人は違和感を覚えたようだ。というより、このまま行くとは私も思っていない。が、増えたとは何だ増えたとは。分裂生殖でもするのか、この黒い幽鬼は。
「油断しない、なおかつ何か手を打ってくる前に倒す。それだけですね」
ずるずると引き延ばしていい結果になるとは思えない。敵に奥の手があるかもしれないなら、それを使う前に叩き潰す。魔力を練り上げる準備をしながら、ハルバードを構え私は幽鬼へ向かって飛び込んだ。