幽鬼の姫が巻き起こした魔力の竜巻に耐え、身体が引き裂かれそうな力を感じなくなって数秒。ドサリドサリ、と二度程重いものが落ちてくる音に、竜巻が収まったことを察して辺りを窺う。
重いものが落ちた音は、黒い犬の幽鬼が発したらしい。幽鬼の姫は彼らを容赦なく巻き込んで、より近い位置にいた為成すすべなく浮かび上がり、こうして地面に叩きつけられたようだ。
「逃げやがったのか……クソッ!」
事態を察したらしい天音さんが、苛立たし気に落ちてきた幽鬼を蹴り飛ばす。それがトドメとなったのか、元々消える寸前で間に合ったのかは分からないが、犬の幽鬼はそのまま煙となって消えてしまった。
「時間稼ぎが目的なのは本当だったみたい。ただ、何のために……?」
「この先の誰かの為なのか、ここに来る誰かの為なのかが分かりませんね……」
もう一頭の幽鬼も起き上る体力すら残っていないようで、ハルバードの斧刃を叩きつけてトドメを差してやる。別に介錯してやろう、というような殊勝な話ではなく、少しでも回復されて動かれると厄介だから、というだけだ。
一先ず短い話し合いの末、まずはここを離れようという話になった。もし、時間稼ぎの目的が「ここにやってくる誰か」の為なら不味いからだ。あの幽鬼の姫が態々時間稼ぎをするくらいだから、厄介じゃないはずがない。
そう思っていたのだが、こちらに急速に迫る気配を感じて、手遅れだったと察したと同時に気配の方へ向けて戦闘態勢に入る。
「おや、貴女達……」
「あの時の……!」
空から飛び降りる様に現れたのは、黒いドレスのような衣装の軽鎧に身を包んだ少女の幽鬼。まさか、幽鬼の姫が時間稼ぎをしたのはこの幽鬼の為か。
臨戦態勢の私達に対して、幽鬼の方は特に構えを取ったりはしていない。反応を見る限り、むしろここに私達がいるとは思ってもいなかった様子だ。
「私はここで貴女達と戦うつもりはありません。追わなければいけない人がいるので」
「そう言われてはいそうですか、なんてなると思ってるの?」
「追っているのが貴女達にとっても敵だとしても、ですか」
「何……?」
ヒリついた空気が私達と幽鬼との間に流れる。声を上げた天音さん以外、私と千暁さんも同様に困惑していた。私達にとっても敵で、彼女にとっても敵。代行者と幽鬼という関係の私達にとって、共通の敵なんているのだろうか?
敵である幽鬼と対話を試みるべきなのか。それに悩んでいる間も、警戒の態勢は解いていない。流石に3対1という状況もあってか、幽鬼はこちらを無視するわけにもいかないようで逃げ出す素振りも見せていなかった。
剣を取り出すこともせず、ともすれば棒立ちにさえ見える黒い少女の幽鬼。追っているものが何なのかが分からない以上、素通しするわけにもいかないが、隙だらけのように見えて一切隙の無い幽鬼に、こちらから仕掛けることもできずにいた。
「幽鬼の姫……私は今、彼女を追っている」
この状況に業を煮やしたのは向こうも同じなのか、幽鬼はゆっくりと口を開いた。抑揚の少ない声色で、しかし夕焼けのような瞳には幽鬼らしからぬ確固たる意志の光を宿しながら。
そして口をついて出た、ある意味では予想通りである意味では予想外の相手に、一気に緊張感が高まるのを感じた。
「何故……幽鬼である貴女が、幽鬼の姫を追っているんです?」
「以前も言ったかもしれないけど、私は普通の幽鬼とは少し違う。あれを止めるのが、私の目的を達成する手段のひとつだから」
「普通の幽鬼と違うっていうのは? 少なくとも幽鬼としての外見的な特徴は満たしていると思うけど」
「……言葉にするのは難しいけれど。代行者か幽鬼かと言われれば幽鬼だから、幽鬼としての形を持って私はここにいる。ただ、ヨミガエリへの欲求も無ければ、ヨミガエリが出来る魂も私は持っていない」
「魂を持っていない? 訳わかんねぇ事を……」
「私は生まれる前に死んだ。そういう意味では、幽鬼としての条件を満たしていない」
特に何てことはない事、といった様子で話す目の前の少女。しかし、ならば何故辺獄にいるのか。
「私は魂だけが生きていた。共に生まれる魂に、残滓として引き寄せられたから。そして今は、その魂が辺獄に落ちた衝撃で、元通りになった。そうして一時的に「死んだ」ことになっているのが、私という存在」
目の前の幽鬼は、生まれずして、死だけを経験したという。しかしだからこそ、生き返ることを望んでいない……もしくは望めないのだろう。
同情や哀れみと言った感情はまた別として、少なくとも目の前の幽鬼が極めて特別な事情を抱えていることは分かった。というか、幽鬼と呼んでいいのかすら分からない存在だということも。
「……で。それを話したところでアタシらにどうしろと?」
「貴女達に聞かれたから、私が何なのかを答えただけです。目的は幽鬼の姫を追うことから変わりはありません」
「それは確かに。ただ、私達もはいそうですか、と通すわけにもいかないの」
「それはそうでしょうね。貴女達は悪魔との契りがある」
警戒を解くことをしない私達を見て、ついに少女の幽鬼は純白に煌めく直刀を抜く。黒い衣服とは対照的な剣は、敵ながら見惚れかねない程に気高い美しさを備えていた。
「ま、そうなるよなぁ!」
踏み込んできた幽鬼の斬撃を戦鎚の柄で受け止めて、天音さんが猛る。だが、それは受け止めさせられたと言うべきだった。
ぐるり、と前方に宙を舞う幽鬼。最前線にいた天音さんの背後をいともたやすく奪い、しかし私と千暁さんを正面に挟まれる形となる。当然の様に追撃を仕掛けるが、これもまた当然の様に予測されていた。
「行きますよ」
純白の剣に、魔力が集まる。それを感じた時には、咄嗟にハルバードを自身の体の方へ引き寄せていた。次の瞬間、いつの日にか味わったのと同じ衝撃が腕に痺れとして襲い掛かる。
彼女が以前も使っていた、魔力を込めた剣で辺りを薙ぎ払う回転斬りだ。私が食らった時には私しかいなかったが、今回は3人全員の攻撃に対する防御兼攻撃として繰り出されたようだ。
「チッ!」
「相変わらず、強い……!」
戦い慣れしている、というのは私も思う。さっきの話が本当なら、実質年齢は0歳じゃないのか。双子の片割れにくっついてたからと言っても、その双子は少年兵か何かなのか。それくらい、スペック云々よりも戦いに対する慣れというものを感じていた。
攻撃に対して怯む様子を見せない。思い描いた最適解をなぞれば、攻撃を捌いて反撃できる。そんな状況を作るよう、誘導されている。捌き方も見事なもので、重い戦鎚の一撃も、素早い合口による攻撃も、点を突くハルバードの襲撃も、一切の無駄なくいなし、躱していく。
肉薄と呼べるほど距離を詰める千暁さん、天音さんに対し、私はその少し後ろをキープして攻撃に参加していた。この幽鬼には、何度も逃走を許している。いずれも、千暁さんと天音さんという熟練者相手に隙を突く形でだ。
私はそれを警戒していたし、千暁さんと天音さんもおそらくそれを私に期待しているからこそここまで踏み込んでいるのだろう。2人の隙を埋める立ち回りを意識して、幽鬼を睨むように戦闘を続ける。
千暁さんと天音さんが挟み込むように、見事な連携を見せて攻勢を続ける。幽鬼は防戦一方にも見えるが、焦った様子すら見えず冷静に私達の攻撃を捌き続けていた。時折混じる魔法による攻撃さえも、最低限の動きで対処されている。
おかしい、と思った。いくら何でも強すぎる。確かに強力な幽鬼である事は確かだが、それでも攻撃を捌かれすぎている。以前戦った時には、もう少し付け入る隙があったはずだ。
「……目が良いですね」
「え?」
「やはり、先に潰しておくべきでした」
すり抜ける様に2人の挟撃を対処して、そのままこちらへ幽鬼が突っ込んでくる。やけにゆっくりと見えた。ゆっくり見えるだけで、私が対応しようとハルバードの刃を振るってもそちらもゆっくりに見える。
純白の剣とハルバードの斧刃が火花と共に音を立てる。視界が刹那の間だけ明るく染まって、直後に色が消えた。身体が宙に浮いた感覚がある。辺獄に来て何度も味わったから知っている。私は弾き飛ばされた。
「小夜!」
「馬鹿、注意を逸ら――――」
弾き飛ばされたとは言っても、足が地面から離れただけだ。着地は問題なくできる。けど、追撃には対処できそうもない。
千暁さんと天音さんの声が聞こえて、気合だけで片方の瞳を開く。突き込んでくる剣が見えて、でも「間に合う」のも見えた。左手がハルバードの柄を押し、石突を幽鬼の身体へ向ける。
「ッ!」
視界の速度が元に戻った。刺突しようとしていた剣が柄を弾いたせいで、手は少し痺れている。けど、着地して体勢を立て直す時間くらいは取れた。
幽鬼は背後から追ってきた2人への対処で、それ以上の追撃はしてこない。流石に動いた戦況への対応が手に負えないと判断したのか、魔法攻撃と思われる小規模な竜巻を起こしたかと思えば飛び退いて距離を取った。
「……侮っていたつもりはありませんが、予想以上ですね」
ふう、と息を入れながら幽鬼が呟いた。時間にして僅か数分足らずの攻防であったはずだが、身体は疲労に悲鳴を上げそうになっていた。これで向こうは全く疲労の色を見せていない、となったら膝から崩れ落ちる自信がある。
再度訪れた膠着状態は、想像より早く終わりを迎えた。件の幽鬼が口を開いたからだ。
「いい加減、私も貴女達をいなし続けるのも限界ですね。どうでしょう。そろそろ手を組んでみるというのは」
「……は? 幽鬼と代行者で手を組めって?」
「有り得ない話、ではありません。幽鬼と一口に言っても、望まずして幽鬼になった者もいますから」
「私達が手を貸して、何かメリットが?」
「私は幽鬼の姫を追っています。彼女を止める為に。貴女達も、幽鬼の姫とは敵対しているように思えますが」
幽鬼の指摘に、私達の間に流れる空気の質が変わった。私は、正直手を組むのはアリとも思う。そもそも彼女がまともな幽鬼ではないことは彼女自身が語っている。
だが千暁さんや、特に天音さんは別だ。天音さんは幽鬼全てに強烈な恨みを抱いている。千暁さんも天音さん程では無いにしろ、敵意以外を持っている様子はない。私だって、敵だからと割り切っているだけとは言え仲間意識まではないが。
「まあ。いいんじゃねぇの」
「えっ!?」
「お前が驚くのかよ……」
真っ先に口を開いたのは天音さんだった。そして、それは私と千暁さんの予想を180度裏切るものだった。ハルバードを取り落としそうになったことを、誰が責められようか。
「……まあ、さ。確かに幽鬼は憎い。特に奴は。今でもそれは変わんねぇ。だから、利用できるものは利用してやろうって思っただけだよ」
そっぽを向きながら頬をかくその姿は、とても憎悪を想像できるものではない。けど、それだけでは覆いきれない執念が漏れ出ていることも確かだった。言葉は全くの嘘ではない、のだろう。
「……まあ、天音が言うなら私は止めはしない。小夜の目的を果たすっていう前提が崩れなければね」
「逆です。貴女達が目的を果たす為には、幽鬼の姫……みらいとの戦いを避けることはできない」
「どういう……ことですか?」
「最初の時点で、貴女とみらいは運命の糸が繋がっている。意図したものかは分からないけど、そうした人がいるから」
今一判然としないが、要は私はあの幽鬼となった少女と出会ったことがあるか、双方と関わりを持つ人がいるということだろうというのは分かる。そして後者は確実らしい。
こういう言い方をするのはどうかとも思うが、要は「みらい」と呼ばれた幽鬼の姫と繋がりがあったから、辺獄で出会ってしまい戦わざるを得ない相手となった、んだと思う。
「兎に角、貴女が利害の一致で手を貸してくれる、ということは分かりました」
「話が分かることは喜ばしいことです。私は幽鬼としての名前を持たないので……
「久遠……久遠、か」
「天音、大丈夫?」
名乗られた名前を繰り返し呟きながら、天音さんは考え込んでしまった。理由は多分、彼女が喪った親友の名前と同じだからだろう。どういう漢字を書くのかは分からないが、それでも意識せずにいられるはずがない。
千暁さんも天音さんを気遣う様子を見せて、いつもの喧嘩腰もお互い鳴りを潜めている。珍しい雰囲気の中で、私達は奇妙な共闘関係を築いたのだった。