意図せぬアポリア-1
久遠、という幽鬼と呼んで良いのか分からない幽鬼と共闘関係を結んで、私達はすぐに次の行動を計画した。久遠さんが幽鬼の姫を「追って」いるなら、あまり悠長にしているのは良くないだろうという判断だ。
「とは言え、一度貴女達は辺獄を離れた方が良いでしょう。彼女が向かった先はある程度絞れます。ならば」
「消耗を回復した方がいい、というわけですか」
こくり、と頷いた久遠さん。千暁さんや天音さんもそれに異議は無いようで、比較的すんなりとその提案は通った。
久遠さんは現世に戻る――戻るという形容が彼女にとって正しいのかは兎も角――ことが出来ないが、代わりに辺獄で動ける範囲では私達より融通が利く、らしい。彼女は彼女で落ち着ける場所に避難するそうだ。
現世に戻ってきて、一息入れた頃。ふと気になって、最近読んだばかりの新聞紙を引っ張り出す。
「やっぱり、無関係とは思えない……」
恵羽 千。かつての同級生が生き残ったバス事故の追悼式。それが書かれた記事に再び目を通しながら思わず呟いた。
今にして思えば、奇妙な点が目に付く。突如バランスを崩し崖下へ転落したというバス。バスが走るような山道であればガードレールがカーブ毎にあるはずで、つまり多少操作を誤った程度では落下まで行くとは考えにくい。
運転のプロが、明らかに曲がり切れない速度でカーブに突っ込むか、またはガードレールもいらないような直線でいきなりハンドルを切る。居眠り運転にしたって、ちょっと唐突な気がする。勿論、そういう事故が無い訳でもないが。
そしてたった1人、恵羽さんという生存者を残して死亡するという悲惨な事故だった。事故当時は全国規模で報道があったにも関わらず、未だに犠牲者の身元確認は殆ど進んでいない。遺体は全員分確認されているのに、だ。
それに恵羽さんも、事故から1年の追悼式で突如倒れた。計ったように体調不良が襲い、そして後日何事も無かったかのように目を覚まして地方紙の一面を飾った。
全部、辺獄で何か異変があった、というより異変を起こした幽鬼がいた、と考えると有り得ない事ではない、と思う。勿論全部偶然の産物だ、という可能性だってあるけれど、狡猾な幽鬼がいる事も分かった今では確信に近い物を感じている。
恵羽さんが黒幕だ、等とは思わない。むしろ彼女も被害者なのではないかと考えている。たった1人の生存者として1年を過ごし、油断した隙を突くように悪辣な二の矢を放つ。
天音さんから聞いた、幽鬼の姫のやり方が頭に過った。幽鬼の姫にとって、バス事故は十分な動機だ。大量の魂を犠牲にする幽鬼のヨミガエリは、そのまま大量の生きた人間という犠牲者を必要とするからだ。
ここまでの推察は、全て直感に基づいた憶測にすぎない。証拠がある訳でもないし、単純に幽鬼がやろうと思えば全部出来る、というだけの話だ。
それに、仮に本当に幽鬼の仕業だったとしても、事故を帳消しにすることもできないし、犠牲者に親しい人がいたわけでもないから仇討にさえならない。一言で言ってしまえば他人事の事件だ。
「でも、野放しにはできない、よね」
困っている人がいたら、出来るだけ手を差し伸べたい。もし幽鬼を放っておいて更に被害が出るなら、食い止めたい。幽鬼を狩ることへの言い訳かもしれないが、自分がまだ善い人としての考えを持てていることに、恩師の教えが自分の中で生きていることに少しだけ安心した。
「さて。ここからは以前よりも一層危険な領域になってくる。十分気を付けてね」
「はい。ところで、久遠さんは……」
「呼びましたか」
物陰から黒い衣服に身を包んだ久遠さんが出てきて、心臓が止まるかと思った。物静かな彼女の雰囲気もあって、刺客や忍者が命を狙ってきたのかと思う程だ。
「すみません、驚かせましたか。周囲の確認から戻ってきたところだったのですが」
「い、いえ、大丈夫です。ちょっと意識の外から来られただけだったので」
相変わらず抑揚の少ない声色で話す彼女だが、特に悪意があるとか私達に退屈を感じているとか、そういうわけではなさそうだ。単純にそういう性格、とでも言えば良いのか。兎に角人付き合いに疎いタイプではあるようだ。ここにいる4人が、全員大体コミュニケーションに難を抱えている気もするけど……
新たな層に辿り着いて、私達はここが何をモチーフにしているかは大雑把にはすぐに分かった。が、詳細が分からない。夕焼けのような色合いの、住宅街のような場所だった。
最初に突破した辺獄も、色合いこそ違えど住宅街のような場所だった。が、全体的な建物の作りや、そもそも住宅以外に見当たる建造物の違い等、細かな差異がある為、同じ町をモチーフにしている訳ではないようだ。
「特定がしにくい景色はもう毎度のことですね……ですがこの街並み、どこか馴染みがあるような……?」
「辺獄の景色は心象や記憶を反映するって話か。実際にはごちゃ混ぜになってるから分かんねーのは当たり前だと思うぞ」
関りがある場所が景色に反映はされているが、それがどこなのか分からないのは当たり前、と。そこも含めて悪い意味でいつも通り、ですね……
愚門愚塔を越えて、死者とシレンを突破した例外のみが訪れることが出来るという区切りを迎えた辺獄。しかしその景色に変化らしい変化はない、というのが私の感想だった。今までからして秩序らしい秩序の無い景色だったから、むしろ今は整然としているな、とさえ思えてしまう。
「近くに幽鬼の姫はいるようですが、細かい場所までは分かりません。しかし大きく動こうという気配は今のところ無いようです」
「そこまで分かるの?」
「一応幽鬼なので、そのあたりの情報は多めに入ってきます」
暫く歩きながら久遠さんが集めた情報を受け取る。鵜呑みできる程信頼がある訳ではないが、嘘をつく理由も今のところ思いつかないのでそれなりに信じていい情報だろう。
夕焼けのような明かりが斜めから差してくるこの層は、戦う位置によっては目が眩んでしまうかもしれない。気を付けられる内は気を付けるべきだろう。何となく、この層でもまた厄介なことが起きるんだろうなという確信に近い予感を抱きつつ、新たな層の攻略が始まった。