新たな辺獄の層でも、幽者や幽鬼の見た目に大きな差異はなかった。今までよりタフで、攻撃も重いのはいつも通りだ。ハルバードの扱いも分かってきた今となっては、その差にも驚くことは無い。
しかし、辺獄に漂う空気感が違っていた。重々しいとでも言うべきか、言葉にし難いが兎も角今までとは違う空気感だ、というのは確かだと思う。
嫌な予感がしているから、というのはあると思う。が、それを差し引いてもプレッシャーというか、そういうものを肌が感じているのだ。私以外の3人も大なり小なり感じているようで、表情は険しいものになっている。
「恐らく、この一帯は幽鬼の姫か……別の強力な幽鬼が影響して幽者達も多少強化されているようですね」
「別の幽鬼? 口ぶりからして、層のボスじゃなさそうだけど」
「はい。恐らくいます。幽鬼の姫に比肩するか、あるいは……より強力な幽鬼が」
久遠さんは恐らく、私以上に今の空気を感じ取っているのだろう。彼女からもたらされた情報に、私達は一様に固唾をのむ。
幽鬼は基本、敵対する存在なら、と考えるだけ無駄な話なので悩むことは無いのだが、敵が増える可能性を避けられないことには肩を落とさざるを得ない。
それと、ここまでで気になる事は他にもある。この層に繋がった時以降、悪魔の双子が一切こちらに関与してこないのだ。もっと言えば、愚門愚塔の時もほとんど干渉してこなかった。
久遠さんのこともあるから、干渉が少ないのはむしろ幸いだけど……今まで事あるごとに首を突っ込んできていたのがいきなり無くなると、何か企んでいるのではないかと不安にもなる。
「せいっ!」
不安はある。懸念すべきこともある。が、結局やらねばならない事もある。迫る幽者を斬り捨て、この層の突破を目指すことは大前提だ。向かってくる竜の姿をした幽者を、半歩下がるように斬りつけながら、私は内心を新たにした。
「あれは……」
一際大きな広間が目の前に現れ、ポツリと中央に佇む人影が見えた。人影、とは言ったが人間としてはあまりに巨大で、山羊のような捻じれた角が一対頭部に生えている。明らかに人間ではない、幽鬼の影だ。
数段の階段が隔てる広間へ踏み入れると、こちらの気配に気づいたのか大きな影がこちらへ向き直る。毛深い体躯、山羊のような頭部と、バフォメットを彷彿とさせる見た目だ。血に塗れたような色合いの腕と、錆びた鎖が巻き付いた四肢が罪人のような印象を持たせている。
「ほう、思ったよりは早く追いついてきたな」
こちらを見回した後、幽鬼はどこか感心したように、そして嘲るように呟いた。その言動から、私達は幽鬼の姫の企みに気づく。
「てめぇがアイツの目的か。目論見は崩れたようだが……」
「いいや? 手遅れではあるとも。想定よりは早かった、というだけだ」
ふふん、と見下す態度を隠すことも無く告げる幽鬼に、私達に一斉に緊張が走る。各々武器を構えた私達を見ても、余裕綽々といった態度を崩さない幽鬼。しかし、纏う雰囲気が変わり、ビリビリとした威圧感が吹き荒れたようだった。
「儂を倒せるとでも? 思い上がり甚だしい。が、大半は邪魔なのも確かよ。お前以外食って見せればどんな顔をするのか、それも一興か」
私の方を睨む幽鬼……私以外は邪魔? この幽鬼は何を知っていて、何を企んでいる……?
不気味この上ないが、それに気を取られてやられてしまっては元も子もない。少し力の制御が利かない手でハルバードを握り、防御を重視した構えを取った。
「くっ、重い……!」
「言うだけのことはあるってことか!」
巨躯を活かした剛腕と、それに見合わぬ機敏さ、狡猾さ。そして魔法攻撃も織り交ぜる隙の無さに、私達は防戦で手一杯となっていた。幽鬼の姫や久遠さんもそうだが、純粋に強いと覆しようがない。
「私が前に出ます! ハルバードなら……!」
小振りな刀身で不利な合口を持つ千暁さんと、そもそも防御を考慮に入れていない戦鎚を持つ天音さん。それに比べると、長物であり受け流すにも受け止めるにも向いたハルバードを持つ私は、比較的防御力に優れている。
前に出る以外、ジリ貧になる。久遠さんと最後に剣を交えた時とは逆に、私は2人より一歩前に出た。にやり、と幽鬼が笑みを深くするのが見える。
「吹き飛ぶがいい!」
「焼き切るッ!」
風の様に渦巻く黒い魔力の塊に、前に出るにあたって練り上げる準備はしていた魔力を炎に変え、刃と共に叩きつける。吹き飛びそうな身体を堪え、鉤刃と穂先に残った炎が吹き消えないうちに剛毛が覆う幽鬼の身体を斬りつけ穿つ。
「無駄な足掻きを……」
鉤刃は剛毛に阻まれ徹らず、穂先は突き込んだ瞬間に大きな手に掴み取られる。マズイ、と思った瞬間には浮遊感を覚え、上空に放り投げられていると一瞬遅れて理解した。
「まずっ……!?」
「ハハハァ!」
先程ぶつけ合った、渦巻く黒い魔力。それが幽鬼の片手に収束し、私へ邪悪な笑みを向けていた。それが狙う事を理解して、背中に悪寒が走るより先にハルバードの穂先へ魔力を集める。練り上げる時間は足りないが、やるしかない……!
魔力を僅かに使って宙を蹴り、落下方向へ身体を加速させる。放たれた黒い魔力へ強化したハルバードの穂先を突き込み、変則的なエアリアルストライクで対抗。私にできる精一杯の抵抗。
敵を食い破る為の魔力同士が衝突を起こし、その衝撃で思わずハルバードから手を放しそうになる。けど、それは私の命をも手放すことになる行為だ。食らいつくように必死にハルバードの柄を握り、魔力の塊へ穂先を押し込んでいく。
「ぐ、ぅ……ッ!?」
咄嗟に練り上げただけで体勢も整っていない私に対し、そうすると決めて練り上げていた魔力の塊。当然の結果の様に、私は空中で弾き飛ばされたらしい事を感じ取っていた。
「大丈夫か?」
「直撃じゃありません、まだやれます」
そう、直撃じゃない。空中で踏ん張りが利かず、傍目からは多分派手に吹き飛んだように見えたと思う。が、実際体へのダメージはあまり大きくは無い。予想より威力を相殺できたみたいだ。
コケること無く着地するくらいには余裕があった。動き回ってズレた眼鏡を直しつつ、幽鬼の姿を見据える。相変わらず余裕綽々といった雰囲気で、腕まで組んでこちらを見下していた。
あの幽鬼が極めて強力な幽鬼である事は十分理解できた。恐らく、明確な害意がある事も含め久遠さんより数段厄介だ。
強力な幽鬼であるアイツの、今の姿が異形化をしたものなのかは少々判別がつかない。幽鬼の姫のように、人間の少女としての姿と完全な竜の姿とでハッキリと分かるような姿だったら兎も角。アイツは人とも異形ともとれる姿をしている。
もし、あれが異形化しての姿なら、まだいい。けど、これから更に異形化を残しているとしたら……? その先は少し考えたくない。
剛腕から繰り出される拳をハルバードの柄で受け流し、他の皆に反撃の隙を作れるよう正面に立ち続ける。生身、と言っていいのかは分からないが、特に武器らしい武器を持っていないはずの拳を受け止める度、まるで巨大なハンマーで殴られたかのような衝撃と鋼の刃を打ち付けられたような音が響いてくる。
「チッ、埒があかねぇ!」
「硬い、ですね。上からダメージを与える火力が私達には足りません」
「と言っても……ッぐ、無いものがいきなり手に入るなんて……!」
先程から、私が正面で攻撃を受け止め、3人が猛攻とも言える攻撃を加えてはいる。が、そのいずれもが剛毛に阻まれたり芯を逸らされたりと、有効打を与えることが出来ない。
クリーンヒットしても有効打にならない、となるとかなりジリ貧気味だ。何か戦況を変える手立てを見つけないと……
4対1という状況に有効打を打てない、というのは悪魔の幽鬼も同じようだ。私が受けて、その隙に他の人が攻撃する戦法は間違っていなかったようで、中々魔法攻撃に繋げる隙を作れていない。
このまま続けていけば、少なくともどちらかが焦れて戦況を変えようと動き出す。だが、このままでもいずれはどちらかが崩れて決着はつく。私達は、待つ方を選ばざるを得なかった。
「埒が明かぬ、という部分は同意せざるを得んか。思ったよりは粘る」
「くっ、余裕って感じ、腹立つねッ!」
合口が苛立ちを力に変えて虚空を薙いだかと思うと、魔力の刃によるものか剣技によるものか、閃光が瞬いたかと思った瞬間には幽鬼の剛毛が数本切り飛ばされ血飛沫が舞う。
有効打とは言い難いが、皮膚までダメージが徹ったらしい。僅かに表情に驚愕が浮かび、しかしすぐににやけた笑みに戻る。
千日手の戦況ではあったが、攻撃の発する風を切る音や地面や武器とぶつかる音といった戦闘の発する音は絶えず鼓膜をつんざいている。
そんな状況が変わったのは、対峙している奴の纏う気配が、威圧感の質が変わった瞬間からだ。
まだ本気を出していなかった。そう気づいた時には、私のハルバードは穂先を握り止められて動かせなくなっていた。