幽鬼2体と戦った広場を後にした私達は、千暁さんの後を追って小さな広場に辿り着いた。ここでいいか、というように立ち止まった千暁さんはこちらに振り返る。
いつもの柔和な表情ではあるものの、纏う雰囲気は穏やかとは言えず。これから話すであろう内容が、それなり以上に重い内容になる事が伺えた。
「とりあえず、ここなら悪魔2人もあまり干渉しないはず。久遠、いるんじゃないの?」
「……よく分かりますね」
「辺獄には長いこといるから」
辺獄の、ただの背景と化しているデフォルメされた家に向かって声をかけた千暁さん。家の影から、黒い影――久遠さんが姿を現した。何というか、影に潜んでいるところをよく見るからか、忍者のような印象さえ抱いてしまう。
「それで、あの幽鬼の話、だね」
久遠さんにも話をするべきだ、と彼女を呼び寄せた千暁さんは、注目が集まっているのを把握して話し出す。ごくり、と固唾を飲んだ音は私の出したものだろうか。
「あの幽鬼は、かなり古い幽鬼のはず。正確には、何度かヨミガエリを成功させているから、辺獄を古くから知っている幽鬼、と言うべきかも」
「それって、千暁さんもあの幽鬼と敵対したことがある、ということですか?」
「あの時は異形化していない状態だったから、気づくのに時間がかかったけど……私にとっては、一連の出来事の黒幕みたいなものだった」
微笑みが鳴りを潜め、鋭い目つきの千暁さんが語ったのは、かつて千暁さんが最初に辺獄で代行者になった一連の事件のことだった。
千暁さんが家族を喪い、辺獄で代行者として活動を開始したことと、妹だけは助けることが出来たことは以前聞いている。その黒幕があの悪魔のような幽鬼だった。
そうは言っても直接刃を交えた、ということではなく、実行犯を影で操っていたという関りらしい。何度か顔を合わせることは合ったものの、大体手下のような幽鬼を従えており倒すことはおろか戦うことも出来なかったという。
「人間としてのアイツの名前は分からない。悪魔達も、生前の名前には意味が無いからって本人が覚えてなければ探らないから」
千暁さんは暗に、幽鬼としての名前は知っていると告げた。
幽鬼の名は、チャーマーズ。悪辣な本性を善良な人間というメッキで包んだ、まさしく悪魔のような男、らしい。
「それで、私も呼んだ理由は?」
「幽鬼の姫を手引きしたのが、そのチャーマーズ。そう言えば、納得してもらえる?」
む、と唸るような声を上げた久遠さん。追っていた幽鬼の、更に黒幕に該当する存在をあまりにもポンと差し出されて困惑していると言った様子だ。
実際、私も大いに困惑している。なんせいきなりラスボスの名前が出てきたようなものだ。辺獄に長くいる千暁さんから出てきた名前、ということで全く脈絡が無い訳ではないけども。
「これは私の推測だけど……幽鬼の姫を生む以前にヨミガエリして得た知識を、幽鬼の姫に伝えたのがチャーマーズ」
「理には適ってるな」
「幽鬼の姫が意図的に辺獄へやってきた、と?」
「今がそうなのか、は分からない。ただ、初回はそうじゃないかと思う。そうせざるを得なかった、かもしれないけど」
千暁さんは恐らく、以前にチャーマーズから幽鬼の姫の名を聞いているのだろう。そしてその後に、辺獄で幽鬼の姫の存在を聞き、そういう確信に至った。細かな経緯は分からないけど、遠からず当たってはいると思う。
久遠さんを辺獄に駆り立て、天音さんの大切なものを奪った幽鬼の姫。その手引きをしたものが、再び辺獄に現れた。
恐らく千暁さんにとっても、衝撃的なことなのだろう。そもそもヨミガエリを果たして辺獄を去ったと思っていた幽鬼が、また目の前に現れたのだから。寝耳に水、と言って差支えないのだろう。
「ま……私が知ってるのはここまで。あとは私が辺獄に来る理由になった男を唆したとか、人身売買に関わってたとか、そういう最低な男だってくらい」
「思ったより最低な男ですね……」
思わず突っ込んでしまった。人を殺した、というだけならば、悲しい話ではあるが珍しい話ではない。殺さざるを得なかった、というケースだってあるだろう。
けど、千暁さんの口振りからして、教唆は一件だけではないのだろうし、人身売買以外の悪事にだって相当関わっているということだろう。想像よりも数段、悪辣な男のようだ。
「……しかし、それが何だって小夜の辺獄にふらっと現れたのかが分かんねぇな」
「小夜さんを目的としているのか、間借りできる辺獄があればそれでいいのか……そこまでは分からないですね」
ううむ、と唸る天音さんと、そこまで表情は動かないものの考え込む素振りを見せる久遠さん。
けど。その二択なら、多分前者なのだろうというのが、私の推測だ。
「あいつは……私のことを知っているようでした。無意味にこの辺獄に来たわけではない、と思います」
「けど、小夜に心当たりがあるわけじゃない、か……」
千暁さんもまた、思案に耽る様子を見せる。一方的に私を知っているのか、単純に見た目や言動が私の知っている普段の誰かと異なるから分からないのか、それさえも分からない。
分かる事と言えば、いずれあいつとはまた対峙することになるだろうという事くらいだ。尤も、今までの幽鬼だって知り合いかもしれないと言われても誰一人分からなかったのだから、あまり驚きはしないのだが……
「ま、ここで議論を重ねても結論は変わらない。幽鬼を倒して、小夜の目的を果たす手段を整える。でしょう?」
「それはまあ……人となりも何も分からず、有利な対策の立てようは無いわけですからね……」
事実、相手の幽鬼としての名前を知ったところで、それ以上の情報が無いのならば立ち回りにおける優位を掴めることはない。
先の戦闘で、魔法攻撃を使う事や体毛が鎧の代わりを果たしている事を知った事の方が値千金の情報だろう。まあ、本人の記憶溜まりでも落ちていれば、話は違うかもしれないけど。
さて、結論としてはこれ以上ここで情報を共有しようとしても共有できる情報が無い、ということで再び辺獄の探索を進めるほか無いという形となった。尤も、これ以上進もうとするなら一度傷を癒す必要がある。
まだ辺獄の区切りに辿り着いた訳ではない。しかし、あの幽鬼達に再び戦いを挑むことになれば、今の状況は分が悪い。多少引き返すことにはなれど、急がば回れということで私達は一度現世に引き返すこととなった。
「はぁ……一体何なんだろう……」
一人暮らしでは費用面と手間とで毎日は使っていない湯船を、数日ぶりに占領して思慮に耽る。そうしたところで答えが出ないことは既に結論づいているけれど、それでも考えずにはいられなかった。
湯船の熱は血の巡りを良くしても、頭の巡りまでは良くしてくれない。あるいはピースの足りないパズルを組み上げることは出来ないのだから、そもそも思考が回ったとしても意味は無いかもしれないけれど……自分を納得させることが出来る答えは、得られるかもしれないと思った。
「私を知っている人……悪事を働く事……は、普段は隠してるか……」
意図的に口に出して情報を整理する。幽鬼としての姿も、参考になるかもしれない。悪魔、バフォメットのような姿。あるいは、山羊の頭部を持つ男。
使うのが斧、断罪に使われた得物を好んでいたことも考えると、やはり山羊よりは悪魔やバフォメットの方がイメージとしては近しそう。
そういえば、千暁さんは自身が辺獄に来た際の黒幕と言った。もしかすると、案外私にとっても黒幕、またはそれに近しい立ち位置かもしれない。いや、黒幕が誰なのかすら判然としないのは確かだが。
「うーん。何というか、意図的に情報を切り取ってあるような……?」
渡したくない情報を秘匿する囮か、あるいは錯綜させてこちらの狙いを乱す狙いでか、ともかくこちらが得られる情報は向こうが意図的に流した情報に過ぎない。根拠らしい根拠はないが、そう思った。
ミステリ小説を読んでいたおかげ、なのかミステリ小説の読み過ぎで、なのかは分からない。けど、そういった情報操作は様々な場面で有効となり、また様々な歴史で用いられてきたことは確かだ。
まあ、結局のところ見落としが無いのか一歩下がってみた所で、それが見つからないので湯面にブクブクと泡を作って拗ねているのが、最終的な私の姿なのだけれど。