交わるアポステリオリ-1
相楽さん、もとい千暁さんが代行者の任務──メフィス曰く「シレン」と呼ぶ──の補助を申し出てくれた後、私達は一度辺獄を出て元いた世界である現世に戻り休息することにした。
辺獄への出入りの方法を教えてもらうことを兼ねていたが、実際のところは代行者として本能のように身に付いていた知識の実践、といったところだ。
「すごく……疲れたな……」
現世に帰って来て食事などを済ませた私は、ベッドに寝転び意味もなく天井を見上げている。
高卒のひとり暮らし、それも正社員登用を目指してアルバイト中の身だから、あまり良い部屋ではない。味気ない天井や壁紙、すこし硬いベッド、引き出し一つ無い机。そもそも賃貸だし。それでも、立派な私の城だと胸を張って言おう。
寝転がり、次第に瞼が重くなってきた頃。シャワーは明日浴びればいいか、このまま眠っちゃえ。なんて時だった。
「うわっ!? え、携帯? 誰、もう!」
デフォルト設定のままの電子音が、充電コードに繋いでいたスマートフォンから鳴り響く。
時刻としてはそろそろ22時。微睡みを邪魔した相手が相手なら文句の一つも言ってやろうと画面を見ると、心当たりの無い番号。それでもコール音が途切れることはなく、少し慎重に受信ボタンに触れる。
『夜遅くにごめんなさい。大喜 小夜さんの携帯でよろしいですか』
「……千暁さん?」
スピーカー越しに聞こえた、聞き覚えのある柔らかな声。私の返答に千暁さんが、ああよかった、と安堵の声を漏らした。
『ごめんなさい、少し確認したいことがあったの。少し時間いいかしら』
「はい、大丈夫ですよ。仕事も暫くお休みを頂いたので、明日は早くないですし」
『そう、良かった。小夜、貴女
「それを集めろ、とは聞きました。ただ、現物は見ればわかるって言われて、どんなものかは……」
スピーカー越しにため息が聞こえた。あれは多分、私じゃなくて悪魔2人へ向けたものだと直感した。
『どうりで気付かなかったわけね。実は、貴女に会った場所にちょっと気になって戻ってきたのだけど。貴女が生み出した
……今千暁さんは何と言った? 私が
今度は、私が大きなため息をつく。これは当然、あの悪魔共へ向けた呆れと怒りのため息だ。
ため息の意図を向こうも察したらしくて、詳しい
それから悪魔共への愚痴をお互い少しこぼしあって、千暁さんの労いの言葉をもらったのを最後に、通話が終わる。
……しまった。千暁さんにどうして私の携帯番号知ってるのか聞きそびれた。しかしどうせ明日千暁さんと会うし、と自分で答えを出して、私は膨らんできていた睡魔に身を任せることにした。
ほんの少し横になっただけで、瞳が開けられないほど重くなる……おやすみなさい。
「つまり、高まった純粋な感情の塊、それが
「感情の、塊……ですか」
翌日。辺獄で千暁さんと合流した私は、予定通り
曰く、理由はどうであれ純粋な感情は辺獄では結晶のようなものになるらしい。事実、千暁さんが回収してくれた
曰く、代行者であれ幽鬼であれ、感情が高まりさえすれば
そして曰く、
「……つまり、この
「そうね、仮にどこかに落ちてでもいなければ。他の人のものだったとしても、契約違反にはならないと悪魔共は言うけど」
改めてまじまじと手の中にある
「……ひとつだけ、気をつけて。
手のひらの輝く結晶を見つめる私に、千暁さんが語りかけてきた。
「生み出したからといってその感情全てが一度に無くなるわけではないけれど、確実に摩耗していくものはある。それが酷すぎれば……」
言い淀んだ千暁さんの言葉の続きは、具体的な内容は分からないが、きっと楽観できる意味ではないのだろう。固唾を飲んだ私は、その先を聞く覚悟を整えておく。
「摩耗しすぎることは、魂の死よ」
言い終えてから、どれだけの時が過ぎたか分からない。ほんの数秒かもしれないし、数分ほどだったかもしれない。
とにかく私は、千暁さんの「魂の死」という表現に、言葉が見つからず口が開かなかった。言い表し様のない恐怖が私の頭の中を埋め尽くしているのだから。
「一応、7つの
「……魂が死ぬと、どうなるんですか?」
考えるより先に訊ねてしまった。後悔しても、私の口から発された言葉は、既に千暁さんの耳に届いてしまっている。いつもは柔和な千暁さんの顔を覆っていた神妙な表情が、一層深くなる。
「輪廻の輪からすら外れる……生まれ変わりすらできなくなる、と言って良いかしら。孤独にこの辺獄をさ迷うことになるわ、永遠に……」
さっきよりも長い沈黙の中で、言葉が出ないなりに、頭の中で様々な想像が巡る。
辺獄を永遠にさ迷い続ける……それはたださ迷うだけではないはずだ。私が倒した幽鬼と同じ……いいや、きっともっと酷い存在となるだろう。
思わず、拳を握る力が強くなる。だけど……それは「最悪のパターン」の話だ。そう口に出さずに何回も唱えて、ようやく整理がついてきた。
そして浮かんできた、希望の光を確かめるための質問を掴みとる。
「そういえば、千暁さんは何を望んで代行者に? もしかして、そのときの対価も……」
「そう、ね……私は家族のヨミガエリを望んで、貴女の想像通り
少し表情に陰を落とした千暁さんだったが、私にとってはそれは希望を掴みとれる答えだった。
千暁さんが見たところ問題無さそうということは、私が
ただ、その質問が少し軽率だったことを、千暁さんが続けた回答で思い知ることになってしまった。
「私は、家族……両親と妹のヨミガエリを望んだ。けど……間に合ったのは、妹だけだったの。両親は既に、幽鬼になっていた」
「……っ! すみません、こんな質問……」
「知る由もなかったもの、しかたないでしょう? でも、覚悟はしておいて。再生の歯車にたどり着く前でも、魂が未練に飲み込まれてしまえば、もうヨミガエリは望めない」
「でも、幽鬼自身はヨミガエリを望んでいるんですよね?」
「ええ。でもそのヨミガエリは許されてはいけない。私達代行者はそれを止める代わりに、他者の魂に依らない特例のヨミガエリをしてもらうだけ」
あの時の悪魔達との契約の意図するところを、思いもよらないところで聞かされた。なるほどと思う。けれど……
理性的には無駄のない話だけど、あの2人にとってはもっと別の、私からすればきっとどうでもいいとか何でそんな理由でとか、そんな動機がありそうな気がして仕方がない。
「さて……
「そうなんですか? とにかく、今はこの先に進んでいけばいいんですよね?」
「そうね。この層を抜けて、メフィスとフェレスが次の層とシレンを見つけ出したら、そこを攻略していく。その繰り返しになるわ」
その言葉を聞いて、私はやるべきことがはっきりした分躊躇することなく歩き出した。
以前と同じ、家の近所を思わせる景色のなかを進んでいく。細い道は幽者が出てこないが、迷路のように行き止まりへ向かう道があって油断はできない。
辿り着いた広間はやはり行き止まりになっていることがあるし、幽者がうろうろしていた。
今目の前にある広間は行き止まりではないが、枝分かれした道全てが幽者に見張られ、そして──
「幽鬼……」
「一応忠告しておくけど……あいつらの言葉に耳を貸しては駄目よ。見た目も声も、あいつらは中身と合致させずにいられる。言葉はこちらを揺さぶる罠よ」
千暁さんの忠告を背に受けて、私はハルバードを持ち上げる。握る両手の位置は少し離して、右半身に構えをとった。
最も警戒すべきは幽鬼。しかし周りの幽者も無視はできない。こちらに幽鬼達も気付いて、相変わらずゆっくりとだが向かってくる。
「たああぁぁっ!」
向かってくるうち、一番近い幽者へ力一杯踏み込みながらハルバードを叩きつける。天から振り下ろされた刃が一撃のもとに幽者を消し飛ばす──ことはできなかったが、大きく吹き飛ばすことはできた。
今回は薔薇の幽者はいなかったが、竜の幽者はいる。あいつらも、恐らく魔力で構成された刃を飛ばしてくるので油断ならないのだ。
吹っ飛んでいった布被りの幽者をよそに、竜の幽者目掛けて飛び込むように踏み込む。その勢いのまま逆袈裟に斬り上げる。重力がないのかと思うくらい宙に高く浮いた幽者を、ぼうっと眺めるほどのろまなつもりはない。
「
魔力で編まれた竜の翼が私の腕と連動して、宙の幽者を地面に叩きつける。それがとどめとなって、竜の幽者は煙と消えた。その瞬間。
「小夜、後ろ!!」
千暁さんの声に咄嗟に後ろを振り向く。そこには、いつの間にか背後をとっていた竜の幽鬼がいた。
少しコミカルな、棘の生えた口が開かれている。ハルバードを反射的に振り抜こうと腕が動く。でも────
(間に合わない!)
柄の長いハルバードでは、その牙が私に食らいつく方が早い。ほんの一瞬だろうけど、私は死を予感した────
「……あれ?」
「ぼさっとしてる暇はないよ、幽鬼はまだ生きてるわ!」
生きてる? 幽鬼だけじゃない。私もまだ無事だった。側に立っていた千暁さんの手には、腰から抜かれた刀が握られていた。
ようやく、私は状況を飲み込めてきた……千暁さんが幽鬼より疾く、手にした刀──刀身が短いから、所謂合口とか短刀とかの類いだろう──で斬りつけて助けてくれたのだ。
そして千暁さんの言うとおり、吹き飛ばされはしたものの竜の幽鬼は起き上がって再び滞空し始める。
「……ふう。小夜、ここを切り抜けたら少し、その武器の使い方を見直さなきゃ駄目ね」
「うっ……すみません」
てっきり、油断を咎められると思っていた。しかし千暁さんの目には違う問題点が写っていたようで、小さなため息混じりにそう言われてしまった。
ただ、千暁さんの言うとおり、それをどうこうするのはこの状況を切り抜けてからでなければどうにもできない。
「私は危なくなるまでは、手出ししないわ。ここで自分の武器の扱い方に気づけたら、あとの講義は短縮ね」
少し冗談混じりに言って、千暁さんが下がる。私はそれを感じて、再びハルバードを構え、前を見据える────