久遠さんに精神的に打ちのめされた2人が立ち直ったのを機に、辺獄の探索を再開する事となった。
相も変わらず、歪な住宅街のような風景の街並みは斜陽に包まれたように染まっている。しかし、只ならぬ気配が漂っているのを肌で感じるようになったのは、前回と比べて明確に変わったと言えるところだった。
気配の元がどこか、は分からない。発している者の正体も、確信は無い。とはいえ「あいつだろうな」という予想はあった。多分、他の3人も同じような感想を抱いているんじゃないかと思う。
「とりあえずこの層の指針は2つ。この層の核になっている幽鬼を見つけることと、うろついているだろうチャーマーズを見つけること」
「チャーマーズは見つけたとしても攻略に寄与するものでしょうか」
久遠さんが、千暁さんの提示した指針に疑問をぶつける。確かに、幽鬼の姫を追う事を目的とした場合は、チャーマーズは足掛かりになるだろう。けど、私の目的を達成するという点においては、必ずしもそうではない。
「あいつが無意味にこの層にいるとは思えない。何より、向こうは私だけじゃなくて小夜も知っているようだった」
「この層の突破、じゃなくてこの層以降も含めた足掛かりになるかもしれない、ってことか」
天音さんが補完したことへ頷きを返して、千暁さんは最後に私へ視線を向けた。
「多分、今までで一番唐突な不意打ちを警戒しなきゃいけない状況になっている。気を付けてどうにか出来るか分からないけど……」
「警戒は常に最大限に、ですね。分かりました」
そんな会話をしながら、人2人分程の通路を歩く。こういう通路でこそ、戦闘に支障を来す分不意打ちは恐ろしいが、どういうわけか通路で幽者や幽鬼の姿を見たことは無い。
千暁さん達もそういった経験は無いようで、理由が分からない分不気味ではあるが、ともあれ一息つける場所がある事はありがたい。
「久遠さんは何か心当たりはないですか?」
「いえ……私は現にこうしてここを通っていますし。私が純粋な幽鬼ではない事も関係しているかもしれませんが」
幽鬼である久遠さんならあるいは、という期待は儚くも砕け散った。まあ、話のタネ程度ではあったけども。
そんなやり取りをしていれば当然歩みは進んで、目の前には広場が現れる。いくらかの幽者が取り巻くように、中心には幽鬼がいた。何というか、この光景は辺獄ではありきたりなはずなのに、とても久しぶりに見た気がする。
「せぇっ!」
鎧袖一触、とはこのことか。4人がかりでの広場の制圧は、まさに一瞬だった。
恋人を交通事故で喪った女性の叫び。そんな思念を受け入れて、僅かに気落ちしたことを自覚しつつも……無駄に足を止めている時間は無い。
「そういえば、まだ院長先生のことを見つけられていないですね……まだ追いつけないんでしょうか」
時間が無い、ということを再認識した途端、ふと思い出してしまった。メフィスとフェレスには、シレンを突破する中で
ヨミガエリを果たせなかった時にどうなるのか、は単純な話で。ゴールでありリミットでもある再生の歯車に魂が辿り着けば、次の魂に生まれ変わり――――魂がその魂であった痕跡の一切は無くなってしまう。
「まあ、大抵私達代行者よりも進むペースは速いから、再生の歯車の直前で見つかることになると思うよ」
千暁さんはそう言ってくれているが、不安なのは確かだ。実際に経験したわけではないゴールまでの道のりを、暗がりの中走っているような、そんな感覚がずっと私にはある。
勿論、それを常に意識している訳じゃない。必死に強力な幽鬼と戦っていたり、衝撃的な事実を目の当たりにして、意識の外にある時というのは確かにある。けど、忘れたことは無い。
「ま、不安なのはわかるが、ならなおさら走り続けるしかねぇ。アタシの動機と違ってゴールが明確なんだ。走る方向は見えてる。後は、1着を目指して走るしかねぇ」
「それは……まあ、そうですね……」
天音さんの言う事はもっともだ。けど、何がゴールかは見えていても、そのゴールがどこにあるかが見えない。それが不安の原因なのだ、と天音さんも分かってはいるようだが、それ以上の答えを持ってはいない。
「確かに、走るしか選択肢が無い状況ではあります。なので、お付き合い、お願いします」
そうして私は改めて、3人へ向けた誠意の印として頭を下げた。
「あれは……この層のボス、でしょうか」
「様子がおかしい気もする。あれは……不調? とは少し違うか」
辺獄探索の再開から程なく。周りの幽鬼とは一線を画する気配を纏う幽鬼を見つけた。脚が見えず、白いシーツともヴェールともとれる薄い布を被った姿。辺獄でよく見る、カラフルな布を纏った幽者が長身になったような、そんな幽鬼だった。
だが、千暁さんの指摘通り、どこか様子がおかしい。その歩みはふらふらと不安定で、時折後ろを振り返るような様子を見せる。何かから逃げている、そんな雰囲気だった。
逃げている、というなら好機だ。そう思って、通路から様子を見ていた私達は広場へ躍り出る。そして、有無を言わさず幽鬼へ攻撃を仕掛ける――ことは、なかった。
「お前が……何で。何で、こんなところにいるんだよ……」
それは、側にいるはずの天音さんの声だった。若干後ろから聞こえてきたことで、飛び出した後にブレーキをかけたことをようやく理解する。
遠方への警戒を解かず、しかし明らかに様子のおかしい天音さんを振り返った。
いつもの強気な表情は蒼白く染まり、明らかに驚愕と動揺が彼女を襲っていた。何度も見た幽鬼への憤怒、憎悪さえも抜け落ちてしまったような彼女を、私は初めて見た。そんな彼女から、慟哭にも似た叫びが上がる。
「お前が、何で! 空音!!」