『お前が、何で! 空音!!』
あの後。天音さんが
「天音さん、大丈夫なんでしょうか」
『天音なら大丈夫……って自信をもって言えれば良かったんだけど』
流石に心配になって、しばらく時間を置いてから千暁さんに電話をかけていた。時間を置いたのは、もしかしたら千暁さんが天音さんに電話しているかも、と思ったからだ。
千暁さんは予想通り天音さんに電話をかけたらしいが、呼び出し音だけが続いて出ることは無かったと言う。流石に千暁さんも心配する様子が隠せていなかった。
『早まってどうこう、ってことは無いと思うんだけど……相手が相手だから、正直どう転ぶか分からない』
「そもそも、何故いきなり現れたのかが分かりませんね」
鬼怒川 空音――天音さんの親友にして、かつて幽鬼に魂を食われた……はずの人。
謎しかない、というのが素直な感想だ。手がかりになるかもしれない天音さんは、連絡も着かなければ正常な精神状態でもないだろう。そこにずけずけと聞いてしまえる程私は図太くはない。
『兎に角、今は明日、天音が辺獄に無事に来てくれることを祈りましょう』
「そう、ですね……というか! 千暁さんも休んでくださいね? 体調面では千暁さんの方が心配なんですから!」
『まあ……善処は……』
「や、す、ん、で、く、だ、さ、い!」
『分かった分かった……ふふふ、なんだか懐かしい感じ』
「懐かしい、ですか?」
『うん。私が小さい頃、よく妹に同じように言われてね。その頃を思い出して』
「妹さん……そういえば」
今はどうしているんですか。そんな言葉の続きは、いつもより殊更に優し気な声色の千暁さんに告げることは出来ず、殆ど咄嗟に飲み込んだ。
『小夜……?』
「あ、いえ。何でも。兎に角しっかりと休んでくださいね」
そんなありきたりなやり取りを最後にして、通話は終了した。
今思えば、かつては心配され通しだった私が、千暁さんや天音さんを心配する立場になってしまった。実力の伴っていない心配をするのはどうかと思うし、私の目的に付き合ってもらってのことなので罪悪感もあるが、それでもやはり心配なのは本当だ。
本当に無事なのか、不安と心配を抱えながらも朝を迎え、辺獄に降り立つ。変わらず、斜陽のような色合いの歪な町並みが景色として広がり、彼方には沈みゆく太陽のような光源が目を刺す。
果たしてそこには、天音さんも千暁さんも揃っていた。どちらも昨日の出来事が嘘のように、いつも通りの表情で私を待ってくれていたらしい。
「おはようございます。お待たせしました」
「大丈夫、私達も今さっき来たところ」
「そういうこった。さて、昨日はすまなかったな」
体調を崩していた千暁さんは、今のところは顔色も良い。しかし、天音さんは口調の気安さとは裏腹に、どこか硬いものを感じる。
「一晩置いて、整理はつけてきた。何で今になって出てきたのかはわかんねぇ。何をしに出てきたのかも、わかんねぇ」
けど、と天音さんは一拍を置いて言葉を続ける。
「多分アイツは、アタシの知ってる空音じゃない。会う前の空音って言えばいいのかな、何となくだけど分かるんだよ。でも、空音は空音だ。だから――――」
アタシが終わらせてやるんだ。
そう言って、天音さんは静かに瞑目し、一呼吸を置いてゆっくりと瞼を開く。宿っていたのは、悲しみや困惑ではなく、静かに揺れる炎。風前に曝されてなお消えない、決意の焔が確かに燃えていた。
強い人だ、と改めて実感した。私は同じことを出来るだろうか。一度引き裂かれた親友が目の前に現れ、それを自らの手で
多分、出来ない。出来ても、それをするまでに時間がかかる。ものの一晩で決意を固めた天音さんが、どれだけの精神力を持っているのか、計り知れないと思った。
「まあ、こうは言ったけどさ。固執するつもりはないから、刺せそうならとどめは躊躇わないでくれよ。特に小夜は、多分なんか関係があるからここにアイツがいるんだろうし」
「……そういえば、彼女と私は何か関係があるんでしょうか……今まで、相手の正体が分からなかったので、関係者が多いということにも実感が無いんですが」
そう。今まで、千暁さんからは辺獄の層の核となる幽鬼は、その層を訪れる代行者に関係する人物が多い、という話を聞いている。が、今までその幽鬼の正体が分かる事が無かった為、実感の使用が無かったのだ。
そして今、恐らくこの層の核である幽鬼は、天音さんの親友でもある空音さんということが分かっている。関係者が核となる事が多い、というのであれば、逆説的に核となる幽鬼は関係者であることが多い、ということだ。
けど、私は空音さんと面識は無い……はずだ。勿論、天音さんを縁として姿を現した可能性もあるけれど、彼女は天音さんと出会う前の空音さんだ、と天音さんは言った。
直感、予感を根拠としたものではあるけれど、そういったものが現世よりも強く意味を持つのが辺獄だ。経験則ということもあるだろうし、信じるに値すると私は思う。
さてしかし、そうなると空音さんと私との関係が一切見えてこない。もしかすると、施設出身らしいので同じ施設にいた、辺りだろうか。ただ同じ施設にいただけの関係を、関係者というのかは微妙なところだけれど……
そう言えば、初めて天音さんに話を聞いた時にも、名前にどこか聞き覚えがあったような――――
「小夜、考え込んでるけど大丈夫?」
「あ……すみません。目の前のことに集中しないと、ですね」
考えている間にも、辺獄の探索は進んでいる。今も半ば無意識ながら、幽者達を斬り捨てたところだ。ハルバードがそれだけ
さておき、集中を切らして碌なことにならないのは世の常だ。それはこの辺獄においても変わらない。軽く頬を両手で叩いて、考えてもどうしようもない問題を思考から追い出す。
「ふー……せいっ!」
邪念、とは言わないまでも、余計な思考を深呼吸と共に体の外へ吐き出す。そのまま筋肉を動かす準備が整い、最後の幽者を斬り捨てた。
考えた所で、考える為のピースが足りないのだ。辺獄では毎度毎度のことだが、どうしても体より頭が先に動いてしまう。幽者が紫色の煙となって吹き消えていくのを見送りながら、内心で悪癖を反省する。
「……考えているんですか。貴女と、空音と天音さんが呼んだ幽鬼との関係を」
広場の安全が確認できたタイミングで、背後から久遠さんがそう聞いてきた。奇しくも同じ読み方の名前をしているからか、久遠さんは空音さんをどう呼ぶべきなのか決めあぐねているらしい。
「考えても仕方がない、ってことは分かってるつもりです。けど、どうしても気になってしまって」
瘡蓋を剥がしてはいけない。蚊に刺されたところを引っ掻いてはいけない。けど、ついやってしまう。それくらいの無意識加減と、それくらいのどうしようもなさだ。
「私は考えることが無駄だ、とは思いません。確かに幽鬼によって殺された人間は、周囲から記憶が抜け落ちます。しかし、例外がある事も確かです」
「それって、思い出せるようなもの、なのでしょうか」
「幽鬼と切り結んで漏れ出た記憶に触れたり、記憶だまりを見つけたり、あるいは無意識に思い出の品のようなものに触れたり。そういう例はあるようです。意識を向けておけば、心構えをすることはできるかと」
成程、と頷いた。例外がある事は、天音さんにも詳しく教わっている。千暁さんにも聞いた。つまり考えておけば思い出せる可能性も、思い出したときに慌てずに済む可能性も高められる。
ただ、まあ、久遠さんはこう言ってくれてはいるが、要は薬にならないが毒にもならないのなら好きにする方が良いのではないか。そんな話だ。
それでも、気が楽にはなった。無駄なことかもしれないが、油断や注意力散漫にならないようにすれば、やってはいけないことではない。些細なことだけど、私の心はそれで大分楽になったのだ。
「あれ?」
久遠さんに礼を告げ、辺獄の探索を再開して暫く。唐突とでも言うべきタイミングで、何の脈絡もなく辺獄の区切りである姿見が、ポツンと姿を現した。
「また幽鬼の擬態、ってこともないですよね」
「多分……まあ、本来的にはこれが普通の流れで、めったやたらと邪魔が入った今までがちょっとおかしいんだけど」
苦笑交じりに千暁さんが漏らした内容は、まあその通りとしか言いようがない。比率として、邪魔が入る方が多かったから私も忘れていた。これが正常なのだ。
「兎に角、今日は区切りがついたことだし一度戻るとしよう。小夜も考えたいことがあるみたいだしな」
「う……」
「いや、その気持ちはアタシとしちゃ有難いんだ。けど、お前が傷つくことは望んじゃいない」
「はい……」
諭すような口調で私に告げる天音さんの言葉には、きっと色々な感情が詰まっているのだろう。その全てを読み取ることは出来ないけれど、読み取れた感情だけは真摯に受け止めなければいけない。心から、そう思った。
そして、現世に戻った翌朝。私の手元で、天音さんからの着信を知らせる音がスマートフォンから鳴り響いた。それが、その通話が、私にとって大きな衝撃を与えるなんてこれっぽっちも思わず、通話ボタンを押した――――