「天音さん? 何かありましたか?」
『ん……伝え忘れ、というか……ちょっと時間がかかりそうなんだけどさ、予定とか大丈夫か?』
「ええ……特にないので、大丈夫ですよ」
その通話で、珍しく歯切れの悪い話し方をする天音さん。余程言いにくい話なのだろうと身構えていると、深呼吸を挟んだらしい天音さんが、電話口の向こうで口を開くのが聞こえた。
『アタシは……多分無意識に避けてたんだと思う。アイツの、空音の昔のことを知りたくない、知らなくていいんだから。そう思ってたんだろうな』
「……何か、心当たりがあるんですか?」
『ああ。アイツは多分……お前と同じ施設の出身なんだ。アルバムを見たんだよ。ずっと避けてた、昔の写真が写ったページを。その中に、お前と一緒に写ってる写真があったんだ』
言葉を選ぶように、ゆっくりと喋る天音さん。彼女が導き出した結論の根拠に、私は返事をすることも出来ずにいた。
全く予想していなかったわけじゃない。施設の出だということは聞いていたから、もしかしたらという思いはあった。けど、きっとそれだけじゃない。今になって空音さんが姿を現したのは、それだけでは説明を付けられない。
『アルバムの写真は、執拗に大人だけが塗りつぶされてた。それで思い出したんだ。アイツが、何で施設を出てきたのか……』
「それ、は……」
『アイツは逃げてきたんだ。お前達友人への感情はどうだかわからねぇけど、大人達に何か不満を抱えて』
施設からの脱走。そんな話は、聞いたことが無かった。あそこは正真正銘、第二の実家とでも呼ぶべき温かい場所で。温かいご飯、賑やかな友人、優しい大人達が揃った場所で。だから、脱走なんて、しようとさえ思う子は聞いたことが無かった。
つう、と頬を汗が伝っていくのを感じた。この先の天音さんの言葉を、聞きたくない。でも、聞かないわけにはいかない。もしかしたら、私の早とちりかもしれないから。そんな、藁よりもか細い希望に縋って。天音さんの言葉を待った。
『不審に思って調べてみたんだよ。表向き、確かにお前達がいた施設は評判のいい児童養護施設だ。けど……』
「天音さん?」
『……なあ。この先を聞く覚悟はあるか。多分、お前にとって……相当キツいことだと思う』
「それ、は……でも、私が知るべきだと、天音さんは思ったってこと、ですよね?」
ああ、とだけ返ってきた天音さんの返答には、言葉に詰まるような間があった。本当に私に伝えるべきなのか、一瞬に思えてもかなり悩んだことが分かる、ほんの一拍の間。
でも、だからこそ。私はそれを聞く覚悟を決めた。きっと私の予想は……最悪の予想は当たってしまう。けれど。
『分かった。小夜、お前のいた施設は……犯罪に手を染めていた。分かっただけでも、人身売買、臓器売買、違法薬物の取り扱い……裏社会じゃ知らねぇ奴がいねぇって程、大手らしい。悪魔どもの力を使ってちょっと調べただけでも、かなりのもんだった』
「ッ……その、主犯は……」
『……お前が追ってた院長だ。お前が、どうして院長のことに気づけなかったのかは分からねぇ。巧いこと隠してはいたんだろうが、それにしたって好印象が過ぎる……不自然なくらいに』
「騙されていた、ってことですか?」
『多分、それだけじゃない。何かに利用しようとしたんだ、お前を。推測の材料は足りてねぇから、細かくは分からねぇけど……ロクでもねぇ事なのは確かだ』
返す言葉が出てこなかった。会話の中で、まさかとは思った。その通りだったから、予想外だったわけではない。のに、整理をつける術がなかった。信じられない。でも、真実だと直感してしまった。
天音さんの話には、物的な証拠はない。けど、辺獄という場所を介して知り合ったからなのか。少なくとも、天音さんが嘘をついていないことだけは分かった。分かって、しまった。
『小夜。お前がこれからどうするかは、お前にしか決められない。けど……嫌な予感がする。暫くは、アタシとお前、あと多分見抜いてる悪魔どもだけの秘密にして、気づいていないフリをした方がいいかもしれねぇ』
「……現世への襲撃、ですか?」
『ああ。シレンを中断できねぇか、アタシからも探ってみるよ。だから、その、さ……』
「いえ、ありがとうございます。暫くは……知らないフリをして、シレンを続けていきます。じゃないと……私の目で、耳でじゃないと、認められない気がして」
『……そうか。分かった』
これは、私のエゴだ。人の言葉より、自分の見たもの、聞いたものを信じたいという、誰でも持っていて誰よりも強い、私のエゴ。天音さん越しに聞いた推測の話じゃない、私が直接聞きたいという話だ。
でも、それを天音さんは分かってくれた。許してくれてるのか、は分からないけど。それでも、とりあえずは行動を諫めることはなかった。
千暁さんと辺獄を歩くようになって、天音さんと合流して。最初は近寄りがたい人だと思っていたけど、今ではその印象は違っている。厳つい代行者衣装や千暁さんとの確執、男勝りな性格もあって勘違いしていたが、根本的には優しい人なのだ。
いや、まあ、敵対者に対しての態度から、やっぱり近寄りがたいという部分は残ってはいるけど。髪型や代行者としての装いも相まって、狼のような人だ、と思う。凛々しさや威圧感の奥に隠された慈愛の精神。あるいは、それが狼のような見た目として発現しているのかもしれないが。
『アタシも、気持ちが分かるなんて軽々しくは言えないけどさ。けどまあ、腹の内に抱えてるもんがあんのは代行者みんなそうだ。自分だけで解決しようとすんなよ』
「ありがとうございます、天音さん。ところで、この件は千暁さんや久遠さんにも?」
『多分黙ってた方がいいだろうな……2人が誰かに話すってことはないだろうが、漏らしちまう可能性は出来るだけ下げた方が良いだろう。空音があの層にいたってことは、奴さんも近くにいる可能性が高い』
天音さんは、粗暴に見える言動から分かりにくいものの頭のキレはかなり良い。というより、そのキレの良さを生かしてインファイトに持ち込むので、多分敵対したら私では手も足も出ないだろう。
その天音さんの判断は、私としても納得できるものだ。そういうのを一番ポロっとやらかしそうなのが私、というのはこの際置いておくことにしよう。
「……とにかく、覚悟だけはしておきます。今でも信じられないというか、信じたくないのが正直なところですが……」
『そりゃそうだろうさ。千暁やアタシだって辺獄じゃ色々目にしてきたが……今回くらいとんでもねぇ案件はそうそう見ねぇ。そこに責任を感じる必要はないさ』
「ありがとうございます。天音さんとこんなに話したのは初めてでしょうか?」
『かもな。千暁よか話しやすいのもあるが、共通の知り合いがいるって分かったからかもな』
「私は殆ど覚えていませんでしたが……」
哀川 空音。思わぬところで判明した、思わぬ共通の友人。私は覚えてこそいなかったけれど、天音さんの持っているアルバムをいつか見せてもらうのもいいかもしれない。
それから一言か二言か、別れの挨拶を告げて長かった通話は終わった。
「……本当に、そうなのかな」
天音さんとの通話が終わった後、シャワーが作る湯の雨に身を任せながらつい呟いていた。天音さんの話していた、空音さんの出身と、そこから繋がった院長先生の話。空音さんが同じ施設の出身だから、というだけではない裏取り。
疑う理由が無い。騙されていた、というのはきっとそうなのかもしれない。けど、まだ自分の目で見ていない。聞いていない。 それだけが、私をまだ諦めさせてくれない。認めたくないと我儘な心が叫んでいる。
何かの間違いであって欲しい。悪魔達が悪戯で、天音さんに根も葉もない嘘を吹き込んだだけであって欲しい。天音さんが見たアルバムの塗りつぶしも、劣化か何かを深読みしてしまっただけであって欲しい。
色々な「こうであって欲しい」が頭の中をぐるぐると巡って、そして最後にはどれも「そんな都合のいい話はない」と切り捨てられてしまう。最後に残った、まだ直接確認していないことだけが。それだけが心に影を落としている。
「駄目。そろそろ切り替えないと」
カランを捻り、シャワーを止める。大きく長い息を吐いて、ぼやけた視界でも見えるくらい近づいて鏡の自分を見る。いつも通り、睨むような目と目が合う。いつも通りの目つきの悪さだ。隈が出来ていたり頬が痩せこけていたりもない。
最後に軽く、挟むように頬を叩いて気合を入れる。どんな結末を見届けることになろうと、辺獄を歩く以上は命の危険があることは何度も体験してきた。注意力不足で間抜けなやられ方をする事は避けたい。
シャワーを終え、身だしなみを整えて姿見の前に立つ。さっき、シャワーを浴び終える時に見たのと同じ顔がそこにはあった。いつも通り。大丈夫。そう言い聞かせるように大きく深呼吸を挟み、脇腹に浮かぶ印を指で切った。