「やはり……貴方は。貴方が、院長先生、なんですね……」
私がそう口にしたとき。私の凍り付いた心境が現実をも浸食したかのように、一切の動きが止まっていた。天音さんだけは私じゃなくて、
呼吸すら忘れそうになるのに、いやに冷静に周りを見ている自分がいる。モノクロ写真のように色を感じない景色ではあったが、誰がどんな姿勢でいるのかは明瞭に分かっていた。
「そこまで間抜けでは無くて安心したよ。あまりに気づかないとなると愉しみが減るのでな」
邪悪。そう表現するしかない笑みを浮かべる、山羊頭の幽鬼。未だに、私はこの幽鬼が院長先生なのだということを、今一認識しかねていた。
頭では理解できる。推測の筋も通っていたし、他ならぬ彼自身がそれを認めた。けれど。けれど、私の知る院長先生の人柄と違いすぎて、同一人物だと結びつかないのが今の素直な感想だ。
それでも理解して……認めなければならない。目の前にいるのは、院長先生だった男は、最早私が救うべきではない人なのだと。右手に力が籠り、奥歯がギシリと音を立てたのが聞こえる。
目の前にいる幽鬼は、敵だ。
私を騙し、空音さんを傷つけ、そして幽鬼の姫を生み多くの人に悲劇を生んだ。
目の前にいる男は、悪漢だ。
孤児を集め、騙し、非合法な取引の材料とした。そもそも孤児を作る事さえしたかもしれない。
だから、目の前の幽鬼に情けをかけることは出来ない。
情けをかけるだけの態度も見られない。
ハルバードを通して魔力を開放する。
「溶け落ちろッ!!
魔力は一気に解き放つが、敵へ襲い掛かる火球は3つに分かれて放たれる。左右から挟み込むような軌道で2つ、その中央を通るように放たれたのが1つ。火球は寸分違わず同時に幽鬼へ命中する。
ただ命中しただけならば、
「ヌ、ウゥ……心をへし折って楽に済むかと思えば、手に噛付くとはな」
「シィッ!」
爆発が起こした煙が晴れるよりも速く、踏み込みざまに袈裟斬りに斬りつける。あの攻撃で仕留められるとは思っていなかったから、油断も躊躇も一切しない。
甲高い音と共に漆黒の斧にハルバードが弾かれるが、それも予想はしていた。弾かれた勢いでそのまま体を捻り、魔力の炎を纏わせた斧刃で横薙ぎの回転斬り。返す刀で鉤刃の逆袈裟、半歩後ろに下がり体にハルバードを引き寄せてから、勢いを乗せた突き込み。
全ての攻撃は崩された体勢ながらも逸らされ、クリーンヒットと呼べるものは無かった。悪辣な幽鬼は腹立たしいことに途轍もない戦闘技術を持っている。
「良いのか? ここで倒せばお前は、お前の目的は消える。そこにいる女の様に、目的もなく辺獄を彷徨う代行者になるつもりか?」
「千暁さんのことを悪く言うなら……!」
チャーマーズは片腕を振るうと、驚くべきことに幽者が沸いて出る。私以外の3人に向かって幽者は動き出し、逆に私のところには一切来ていない。
行動と言葉、双方共に挑発だと分かり切っている。けど、今までお世話になった人を貶める発言は許すわけにはいかない。怒りを籠めた大薙ぎの一撃は斧でいなされ、しかし僅かに足を止めさせることが出来た。
今までは受け止められた攻撃は、使用魔力も大きい
薙ぎ払って戻すのが間に合わないハルバードは右手だけで保持し、左手に魔力を籠めて天にかざす様に構える。その先で形成されるのは魔力の竜翼。
「潰……れろ!」
パリン、といやに軽い音と共に
彼我共に、先に動けば不利になりやすい得物を持っている。しかし手札の数は違う。故にこそ、私は先手を取らざるを得なかった。取らされた、と言っても良いだろう。
「せぇっ!」
ハルバードを使う中で最も出が早く隙の小さい、穂先による刺突。弾かれるのは織り込み済み。ただ、私には状況として相手の攻撃を待てる余裕は無かった。
弾かれた勢いを使って跳び上がる。代行者としての脚力ならば朝飯前だが、行動として予測するのは難しいのだろう。視線だけはこちらを追っているが、行動としては追いつかれていない。
後ろを取った。着地しながらの落下する勢いを乗せた回転斬りはしかし、距離を半歩分取られることで回避される。しかし、またすぐに睨み合いに持っていかれるわけにもいかないし、躱されることはある程度予想していた。
回転斬りの勢いを殺すのに使った力を、そのまま鉤刃での攻撃に使う。チャーマーズの剛毛に阻まれ有効打とは言い難かったものの、相手の予想を上回った証拠だ。
「チッ……手加減していたつもりはないが、思っていたよりはやるようになっているか」
「もう諦めてください。一体何が楽しくてこんな……!」
「愉しいとも。ああいや、まだお前は思い出していないのか。ふむ……それは愉しみに欠けるな」
「何のことを……」
「まあ、いい。あまり遊びを持たせても破綻するのでな」
斧を大きく振りかぶるチャーマーズに、いつ振り下ろされても対応できるように身構える。収束していく魔力に、紙一重での回避は許さないという気迫を感じた。ならば、と足に魔力を溜め始め、来るべき一瞬を待ち構える。
フェイントの可能性も考慮しなければならない。例えば、振り下ろすフリをして、エアリアルストライクで跳んだ私を打ち上げる軌道で狙う、とか。どうするか。振り下ろすのを確認していては回避が間に合わない。
いや、ならばいっそ。足へ回す魔力を最低限に、穂先へ集中させる魔力を極限まで集中させる。ただのエアリアルストライクでは駄目だ。なら、さっきの
「お別れだ、小夜ちゃんよぉ!」
振り下ろされる、漆黒の魔力を纏った大斧。その出始めの瞬間、足に纏った魔力を使って私は跳び上がっていた。右手で振りかぶったハルバードは穂先に濃密な魔力を纏っている。
対してチャーマーズの大斧もまた、私を待ち構えて今にも振り上げられんとしていた。地面に叩きつけたのはフェイントを兼ねた予備動作、ということか。身体を空中で目一杯にしならせて、全力を懸けてハルバードを投擲する。地面に叩きつけた反動を利用して振り上げられた大斧と、魔力の波濤を伴った衝突が起きた。
「ぬ、うぅぅッ!」
「まだ……まだぁッ!」
投げつけたハルバードが衝突を起こした瞬間。飛び上がった直後から即座に練り上げた魔力を脚に纏い、斧刃と柄を繋ぐわずかなスペースを蹴りつける。もう一つ小規模な魔力の爆発がハルバードを後押しし、勢いを加速した。
大斧とハルバードがぶつかり、魔力のぶつかり合いが一瞬の拮抗になった所へ更なる力を加えたことで、本来の力量差を裏切り余波を向こうへ叩きつける。まだ傷は浅いはずだ。そしてこの
体へ突き刺さったハルバードの柄を空中で掴み取り、相手の体を蹴って宙返り。引き抜きざまに残った魔力を放出しながらの一閃。最後にもう一度、頭蓋骨からカチ割ってやるつもりで放った叩きつけ。
「バカな……こうも予想を超えるとは……」
「ッ、まだ動けるの……!?」
「ク、クク……素直に見事だと……言うべきか」
確かに致命打だったはずだ。手応えがあった。タフネスが予想を超えていたとでも言うのだろうか。さっきのエアリアルストライクの一歩先……ドラゴンストライクで、私の魔力は現在底をついている。例え理念解放が出来てもジリ貧なのは確かだ。
「見事……! だが、終わりだ……私も、お前も……!」
内心で驚愕と焦りが渦巻いていた。だから、気づいた時にはもう遅かった。
「これ……は……!」
投げつけられたものが記憶溜まりだと気付いたころには、私は。それに飲み込まれていた。