「ちー、姉ぇ……」
大量かつ高密度の魔力を纏った足がターレスの胸部を打ち据え、私が反動を使って距離を取った一拍を置いて魔力が爆ぜる。視界が晴れた後、既にターレスの姿はそこになかった。残滓の様に思念だけが残り、私へと吸い寄せられてくる。
2人の姉妹が、両親と共に手を繋いで歩いている。外側を挟むように歩く両親は紙袋を下げているから、買い物か何かの帰り道だろう。
そこまで把握して、これが「あの時」の記憶だということを理解した。これから起こる事も、よく知っている。そして、記憶であるが故にそこに介入出来ない事もまた、よく知ってしまっていた。
仲良く歩く家族の後ろを、数人の男達が歩いていた。リーダー役と思しき痩身の男が手首を捻ったと同時、リーダー役以外の男達が家族を囲うようにばらける。
ああ、あの時私達を襲った男はこんな風に動いていたのか、と無味乾燥な気づきを得た。
『うわあっ、何だよお前ら!?』
家族の傍で、誰かが悲鳴を上げた。それは瞬く間に周囲の人間へ伝播し、あちこちで悲鳴が上がり逃げ惑う。物理的に中心に位置していた
『楽勝って感じだな』
『ッ、何だ君は!? こんなことを――!』
『いーから出すもん出してもらおっかな。腹減ってイライラしてっからさ』
ぐ、と何かを一家の父親に押し付ける。父親は一瞬顔をしかめたかと思うと、脂汗と驚愕、そして恐怖で顔を染めた。浅く、刃物が脇腹へ突き立っていた。
『ぉ、お前達は逃げ――!』
『あー無理無理、ヒャハハ』
周囲から人の流れが去り、一つ目の役目を終えた男達が、家族を取り囲んでいた。当たり前のように、赤い液体が少し付着した刃物を見せつけながら。
それで一家は、自分達が逃げられない事を悟って、事態を正確に認識しきれていない姉妹は兎も角、その両親の顔は絶望に染まっていた。
『で、ホラ。出すもん早く出さないと無駄に苦しんじゃうぜぇ?』
『うぐ……っ! な、何を出せと……!?』
ぐり、と刃物を捻じりながら、リーダー役の男が嘲笑する。男は、頭部を包帯で覆っていた。目出し帽代わりなのか、
刃物で傷を抉られた父親が呻きながら、犯人の要求を聞き出そうと試みる。その後ろでは母親や姉妹達が父親の状況に悲鳴や嗚咽を上げているが、複数人の刃物を持った男に囲まれていては何もできなかった。
『とぼけちゃうんだ? おい!』
『いやっ!?』
『何をっ、やめろ!! っぐぅ!?』
リーダー役の男が父親から視線を逸らし、背後にいる仲間達へ声をかける。男達が囲んでいた3人の内の1人――母親を引き倒すと、一切の躊躇いなく胸部へと刃物を突き立てた。
どこか極端なまでに冷静な自分は、記憶の中とは言え母親を刺されたというのに、あれでは心臓には刃物は達していないだろうと考えていた。ああ、ただ、肺はもう駄目だろう、とも。
『あ……』
『お前のせいだぜ? とっとと出すもんを差し出せば、もーっと大事なものは無事だったかもしれねぇのになぁ?』
じたばたと暴れ抵抗を試みる母親は複数の男達が押さえつけ、やがてぐったりとその身体を地面に横たえる。その様子を見せつけられた姉妹も、腰を抜かして地面へへたり込んでしまっていた。
そして、父親の方は顔から一切の色が抜け落ち、しかし足の力が抜けてしまえば傷口が抉られ、刃を水平に捻じられれば崩れ落ちる事すら許されないでいた。
『胸を刺されて死ぬとなぁ、滅茶苦茶辛いらしいぜ? あっという間に死ぬことは出来ない。意識を失うことも難しい。激痛の中で死んでいくんだ。お前のせいでな?』
リーダー役の男が、父親に囁いた。罪悪感を煽るような文句は、人を刺した側が言っても本来は安易に突っぱねられることだ。けれど、分かる。擦り切れそうな状態の人間には、それを突っぱねることさえ出来ない。
悪辣極まりない男達は、父親に更に揺さぶりをかける。出すものを出せ、さもなくば。しかし顔から色を喪った父親は、その言葉に反応さえできなかった。蟻の脚や胴体を千切り、細切れにして遊ぶ子供のような残酷さで男達は嗤う。
『おいおいノーリアクションかぁ? じゃあしょうがねぇよなぁ。おい!』
再び、リーダー役の男が男の背後へ声を投げる。下卑た笑い声と共に、男達は次の犠牲者を選んだ。
ああ、どうか。お願いだから。その先は見たくない。
選ばれたのは、姉妹の内姉の方だった。腕を掴んで立たされ、見せつける様に刃物を揺らす。その時、刃物を持った男が尻もちをついた。意識の外から、腰の辺りに妹が突っ込んだからだ。
『てめぇ!』
『小夜!』
当然、男は怒りを露にする。文字通り大人と子供の差がある体躯は、起き上りざまの脚でも容易く妹を数十センチ弾き飛ばす。そのまま地面へ押さえつけられ、そして――――
そこで、記憶はブツリと途切れた。ただ、記憶を見ていただけだと言うのに、脇腹が熱を持ったように痛む。
代行者の印は、トラウマに応じた場所へ表れるという。であれば、その後どうなったかは想像に難くない。
そんなことを考えながら暗い空間を漂うと、再び視界が開ける。夕焼けとも金色ともとれる色合いの空と、似たような色の地面。光の加減があまりにも均一で、ここが辺獄での記憶なのだと察するには十分な情報だった。
『掬いあげることができたのは貴女だけだけど……それでも、本当によかった……』
巨大な塔のように集まっている歯車を見上げながら、その人は呟いた。傍らには上半身が2つある幽鬼が倒れ伏し、彼女らの周囲を淡く光を放つ蝶達が漂っていた。
その人、がちー姉ぇである事は、すぐに分かった。今のちー姉ぇと少し雰囲気が……何というか、儚げな部分が強いけれど、それでも同一人物だと確信を持って言える。
『ごめんなさい。私は、私の手は で れて から……きっともう、 えないけど。それでも』
目の前で再生されていた、どこかで聞き覚えのある記憶に、視覚的にも聴覚的にもノイズが走った。言葉の最後にはノイズが一旦消え、そのまま記憶の再生が続くのかと思った矢先。
バキリ、と音がして、視界に硝子が割れるかのようにヒビが入る。瞬く間にヒビが広がり、
もう一度、大きな音がした。今度は、ヒビが入るどころか、完全に硝子が割れるような音。抵抗しようという気持ちが湧き上がるよりも早く、事態が動いていく。
『ごめんなさい。私は、私の手は血で汚れているから……きっともう、会えないけど。それでも』
割れたヒビの向こうは、いつの間にか同じ記憶をリピートしていた。ノイズは走っておらず、しかしヒビで視界は先程より悪い。声だけは、はっきりと聞こえた。
ちー姉ぇの、最後の
『どうか生きて。幸せになって。私の、私の大切な妹……小夜』
きっと、彼女は
ああ、でも。それでも。もしもこの記憶に干渉できたなら、私は――――
「血塗れだろうと、何だろうと……一緒に、いたかったよ……ちー姉ぇ」