「おや。疲れが抜けていなさそうですが、大丈夫ですか?」
「多分大丈夫……だと思います。ちょっと腑に落ちない感情があるのは否定できませんが」
少し体を解して胸中の靄を払っておきたかった私は、いつもより早めに辺獄へ赴いていた。既に久遠さんが合流地点に来ていて、開口一番そんな風に聞かれたわけだ。肉体的疲労ではなく精神的疲労によるものだからか、相当分かりやすい状態だったらしい。
「腑に落ちない、ですか。詳しく聞いても?」
そんな風に聞いてくれる久遠さんに、私は話すべきか一瞬だけ迷った。が、ここまで協力してくれた久遠さんに隠し事をするのもどうかと思うし、彼女も私と同じ「妹」だ。ヒントをくれるかもしれない。
「実は……昨日、ターレスの、姉の思念を浄化した時のことで。責める言葉でも、赦しの言葉でもなく、ただありがとう、と言われまして」
「ありがとう、ですか。思念から聞こえた声ならば、嘘偽りを疑う必要はないでしょうが」
「それで、何故ありがとう、だったのかイマイチよく分からなくて。天音さんにも相談したんですが、家族の繋がりってやつだ、と」
家族の繋がり、というワードを呟いて、考え込む様子を見せる久遠さん。暫くして私の方を見たかと思えば、何かに納得したかのような様子を見せる。
「成程。貴女は確かにそれを受け取れる土台を持っていなかった、ということを伝えられたわけですね」
「と言うと……?」
「私と貴女は互いに妹という身分で、所謂家族愛というものを受け取ることが出来なかった身の上です。ですが」
一瞬だけ言い淀むような気配を見せ、久遠さんは言葉を続ける。
「私は、姉の魂に混じる形で現世に存在し続けました。自我を明確に自覚できたのは、辺獄で別たれた後ですが。だからこそ、家族愛がどういったものか私には理解ができます」
私がものを知らない、というニュアンスでそう言った訳ではないことはすぐに理解できた。であれば、ここから続く言葉があるのだろうから、口を挟まぬのが吉だろう。
「結論としては、千暁さんの思念は姉妹愛……貴女への愛が深かったからこその言葉でしょう。家族愛や姉妹愛が何なんだ、と言われればそういうものだ、としか言えませんが」
「……それだけ、ですか」
「それだけ、です。だからこそ、と言うべきかもしれませんが」
字面と知識だけで言えば、私の知る家族愛と、施設で一緒になった子供達との絆については、そう変わらないようにも思える。けれど明確な別物としての違いがある……のだろう。その前提で、天音さんも久遠さんも話していた。
しかし、家族愛はともかく、誰かを愛する感情からそう言ったのであれば、確かにそれは「そういうものだ」という理解をする他無いことくらいは分かる。分かるが、やはり腑に落ちるかと言うとそうでもないことも確かだ。
「納得しきれていない顔ですね。ですが……それだけ貴女は妹として愛されていたということですよ」
「それは……そうかもしれませんが。私が姉を愛することはできなかったということでもあるので……」
自分でもわかるくらい、がくりと肩が落ちた。何というか、勝ち逃げされたのと同じような気分だった、というのが本音だ。誰かに愛されたとして、それを返す義務があるかは分からないけれど。それでも、その愛を返す権利くらいはあって然るべきなんじゃないのか。
「そうでしょうか。少なくとも、貴女は養護施設へ入所してからも家族を忘れたようには見えませんし、入所するまでにも相応の愛を重ねてきた……違いますか?」
「それは、まあ……そうですが」
「であればきっと、貴女達はお互いを可能な限り愛していた……のだと思います。ここは逆に、私と姉さんで意思疎通を取ったことが無いので分かりませんが」
久遠さんの言葉に、周りで回る歯車の様に、自分の中で何かが噛み合う音がした気がする。天音さんとの会話の中で得た歯車と、私の中で回っていた歯車が、久遠さんの言葉によって同調した。そんなイメージ。
きっと私の中に必要なピースは揃っていて、久遠さんの言葉で後押しされたのだろう。ならば、身体を解す為なんて何てことの無い理由で早めに来たことは望外の収穫を得られる行為だったということだ。
「久遠さん。何というか、霧の中で灯台を見つけたような気分です。ありがとうございます」
「少しでも力になれたなら良かったです。ええ、私も貴女も同じ妹ですから、力になれないのは夢見が悪いので。いえ、死んでいるので夢は見ないのですが」
「何でもないような顔でとんでもないジョーク急に飛ばすの止めてもらえますか……?」
ここ最近、久遠さんの私達に対する態度が非常に軟化したような印象がある。単純に親交が深まった、というだけなら喜ばしいことだが。直感だけではあるが、良くない何かの影響を受けている気がする。具体的には、奥に待ち構える再生の歯車とか、追っている
「小夜さん? 考え事ですか?」
「あ……いえ。思えば天音さんや久遠さんともそれなりに長い付き合いになってきたなと」
私の答えに不思議なものを見る目で小首をかしげる久遠さん。流石に内心で抱いた疑問をそのままぶつけるわけにもいかないので、ご容赦頂くほかはない。
そろそろ天音さんもやってくる頃合いだろうから、身体を軽く解しながら久遠さんと共に待ち時間を消化する。自分で言ってから、確かに天音さんと久遠さんとの付き合いは、それなりのものになったな、と思っていた。時間的には大したことのない期間だが、毎日のように会って共に死線を潜り抜けたのだから、一般的な友人関係とは違う絆が生まれた……と思いたい。
「よう、待たせちまったか」
「それほどは。意図的に早く来たので」
「ふぅん……ま、顔色は良さそうだな。じゃ、無駄じゃなかったわけだ」
こちらの顔を覗き込んでそう言った天音さんは、心底安心したというような表情だった。昨日の通話で思ったより心配をかけていたらしい。辺獄に来てから周りの人に心配をかけすぎている気がする。というか気のせいじゃないと思う。
まあ、それだけのことが連続した以上、恐らく当事者が私以外であったとしても似たような状況に陥ったんじゃないかと思う。それでも心配をかけてしまったことに対しては罪悪感と謝意があることも、また確かな事だった。
「あの。改めて、お礼を言わせてください。私が本当の意味で折れなかったのは、今こうして立ち直れたのは、間違いなくお2人がいたからです。だから、ありがとうございます」
感極まって、とでも言うのだろうか。特に意識することなく、ただそうしたい、そう言いたいと思って言葉が勝手に口から出て行った。紛れもなく2人への感謝は本音だ。が、そんな私を見た天音さんは、胡乱なものを見るような目つきだった。
「……お前ねぇ」
「えっ」
「そういうのを
「うっ、確かに……」
至極真っ当な意見が飛んできた私は、心臓を特大の矢で打ち抜かれた気分だった。しかし、まさかの久遠さんから助け舟が出た。
「しかし天音さん。こういう時に胸中に秘めた思いを、無事に戻ったら打ち明けようと言うのは特大の死亡フラグです。姉さんの知識にありました」
「あー、俺この戦いが終わったらあの子と結婚するんだ、ってやつか。確かにそりゃそうなんだが。ま、肩の力を抜くにはこの茶番も良かったかね」
肩をすくめる天音さんは、呆れた表情でもあるが笑ってもいた。確かに、余計な力が入っていないのを感じる。これから挑むのは最難関とも言える場所なのに、心が軽い。
そう。これは本来、私にとっての最後の挑戦となる舞台だったはずの場所だ。そして、上手くいけばそのまま最後の決着を着けることができる。
なら、今私達が目指すべきは、上手くいけば、の部分を実現することだ。力を抜いた肩へ、ほんの少しだけ力を張る。あまり力が抜けすぎても良くないのと、滾る気合が自然とそうさせていた。
さあ、行こう。私の歪な旅路に、決着を着ける時が来た。