『振り上げた拳を下ろす先が無い。私もよく分かるよ』
『っ、黙って下さい! 貴女が、よりによって、貴女がそれを言うなぁッ!』
『……そうだな。そして、私はお前のそれに応える義務がある。そして、私は私の
『……どうして、八つ当たりだって分かってたのに、態々付き合ったんですか』
『それが私にとっての正義だと思ったからだ。私もお前と同じ……いや、それ以上の醜態を晒した。多少は気持ちも分かるつもりだ』
『……そう、ですか。ありがとうございます、もう、十分です』
『……そうか。今まで辛かったな。ゆっくりと、休め』
ザクリ、ともグチャリ、とも聞こえるような音と共に記憶が途切れ、同時に悪夢を見て飛び起きた時のような感覚と共に視界が元に戻る。
「今、のは……」
「……4つ目の
思い出した、という聞き方。どう考えても未来で起こっていそうな出来事を見せられて、過去に起きたことに対するような聞き方だが、不思議と違和感と呼べるものはなかった。
「……これは、一体どういう理屈なんでしょう。私は貴女を知らないはずなのに、久遠さんを知っている……正直、記憶がこんがらがってきたんですが」
「細かな理屈は分かりません。が、
それを意識した瞬間、知らないはずの記憶が、私の中にはあった。院長先生が裏で色々手を引いていたこと。千暁さん、天音さん、そして久遠さんと辺獄を駆け回ったこと。悪魔の2人が、一連の出来事の黒幕であったこと――
「恵羽さん……彼女も、辺獄に……」
最後に見た記憶は、私が彼女に介錯されたとき、のようだ。久遠さんが確保した、曰く4つ目だったという
私達家族を襲った戸増もまた辺獄で幽鬼になっていると知った私とちー姉ぇだったが、既に同じく因縁を持っている恵羽さんによって討伐されていた。そして、私達を見て嘲笑っていた悪魔達でさえも、仲間達と共に倒してしまった後だったという。
我ながら、というのもおかしいが、そこからの私の行動は常軌を逸していたと言わざるを得ない。
体に積み重なった負担と、仇を討てなかったという落胆が重なり、ちー姉ぇはまたしても私の目の前で亡くなった。天音さんもそれによって自棄に陥り、出会う以前と同じような、幽鬼達を探し回ってはひたすらに倒し続ける生活に戻り連絡が取れなくなった。
そして私はと言えば、仇を奪った相手として恵羽さんを認識したらしく、再生の歯車へ再び乗り込み、八つ当たりで彼女を襲った。結果として、経験値の差を覆すに至らず、
「……久遠さんが私に記憶を流し込んだことは、わかりました。この後、零さん、でしたか。彼女の所へ行くつもりである事も」
「そうですね。零姉さんは、貴女と違って私との繋がりが濃すぎるのと、渡すべき記憶が多すぎるので……私は消滅せざるを得ないでしょうが」
「そう、ですか……何というか、前回もそうでしたけど。随分と納得した上で行動しているんですね」
「それはそうです。私は生まれなかったはずの命。零姉さんに会うことが出来て、そして貴女達にも出会えた。私からすれば、望外の幸せというやつです」
ふわりと、そんな印象の儚い笑みだった。思えば、彼女が笑うのを見るのは初めてな気もする。それが、こんな風に何かを諦めたような笑みだったのは悲しいけれど。
「例えば、ですが。ヒーローでも現れて、私を救ったとしましょう。ですがその形は、私が生きることではありません」
「一応、理由を聞いても?」
「私は別に、生きたいと思っている訳ではありません。そもそも生きたことが無いわけですが、つまり私にとってはそれが自然な状態です。自意識がある方が、色々とイレギュラーと言いますか」
理由はそれだけでは無い、と感じさせつつも、恐らく嘘はついていないだろうという久遠さんの言に、私は何も言い返す言葉が出なかった。反論自体はある。あるが、どう言葉にすればいいか分からなかった。
久遠さんは、少なくとも姉……零さんと会える、辺獄での自意識という物を悪しくは思っていないはずだ。だけど、それを自覚した上で、きっと彼女は彼女なりの理由か矜持かで、気持ちに蓋をしている。
それが分かるから、私が零さんへの気持ちを指摘したところで、既に決着が着いたことを蒸し返すことにしかならない。無策で伝えた所で、彼女の心を傷つけるだけだ。
それと、少し納得した部分もある。今までの久遠さんの、私達に対する態度。冷ややかとは言えないながら、どこか自分達と、というより周囲の一切と一線を引いているような振る舞い。その理由は、彼女の望みに由来していたのだろう。
「そういう訳ですから、私は既に納得……というより、望んでこうしています。私の望みは、私があるべき姿へ戻る事と、零姉さんに降りかかった理不尽を晴らす事」
「……納得はいきませんが、理解はしました。私としては久遠さんとお別れになることは悲しいですが」
「そう言ってもらえるだけで光栄です。私はそろそろ零姉さんの所へ向かいます。直に、千暁さんがここへ来るでしょう。貴女を中心とした線が、再び繋がったはずです」
立ち去ろうとして、こちらへ背を向けて歩き始める久遠さん。私は、それを引き留めることも出来ず見送るしかなかった。
しかし、当の久遠さんが、言い忘れていたとこちらを振り返る。
「小夜さん。私も貴女達といる時間は、嫌いではありませんでした。それから、貴女の涙は貴女だけのものです。貴女は、意味を失ってしまった涙に意味を与えることが出来ますが……誰の涙か、までは変わりません。どうか、覚えていて下さい」
「ちょっと待ってください、何の――!」
聞き返す間もなく、久遠さんは再び私に背を向けてすぐさま光と共に転移してしまった。直感的に、必要なピースを手放してしまったような、そんな気がする。
「小夜!」
「っ、ちー姉ぇ!」
背後から聞こえた足音に振り返る。最初に会った時と同じ場所で、全く違う出会い方をしたのは、
安堵、だろうか。久遠さんから
「良かった……本当に。それと、ごめんなさい。私は小夜の気持ちを全然考えていなかった。小夜が許してくれるなら、また一緒に……駄目、かな?」
「まさか。一緒に、やっと、やっと一緒にいられるんです。断る理由なんて、ある訳がありません。現世でだって、ようやく一緒に暮らせるかもしれないんですから」
「そうだね。うん。流石に離れ離れになる前の家は残っていないから、今度一緒に部屋を探しに行こうか」
「はい! でも、その前に――」
何となく気恥ずかしさがあって、あるいは私の癖として馴染んでしまったからか、ちー姉ぇに対しても敬語が抜けない。それでも未来が明るいことに胸が弾むが、その未来を掴むためには、まだやらなければならないことが残っている。
「恵羽さんは、
幽鬼ホッブズ。私達が離れ離れになった直接の原因である強盗事件の、実行犯の成れの果て。久遠さんが4つ目の
でも、今回は4つ目で既に繋がりを得たのか、私と恵羽さんの間に、細い糸のようなつながりがある事を感じる。私達が先に到着して、恵羽さんを待って合流すれば、彼女と共にホッブズを討伐するなんてことも可能なはずだ。
「と、いう訳で。早速行きましょう、ちー姉ぇ。途中で天音さんも合流できればいいのですが」
「え……嫌だけど……」
「そ、そう言わずに……」
そうだった。ちー姉ぇと天音さんは表面的には犬猿の仲だ。本人達の態度とは裏腹に相性が良かったり、再生の歯車付近では天音さんにかなり良くしてもらっていたこともあって、本当にすっかり忘れていた。
でもまあ、こういう気の抜けるようなやり取りが出来るようになったのは、間違いなく久遠さんのおかげだ。これを無駄にしないようにしなければ。
そう思うと自然と気合が入って、ホッブズが待つであろう辺獄を、恵羽さんとの繋がりを頼りに気配を探す。その後に待つ、悪魔達をぶん殴るチャンスを含めて……恵羽さんより早く到着しなければ始まらない。改めて、気合を入れて行こう。