囚人のジレンマ-1
「成程。
私の考えを話して、千さんはそう要約した。まさしくなまとめ方に首肯を返す。辺獄において完全な魂、というのは「欠落が少ない」魂を指し、同時に「生きている状態に近い」ことを意味する。
そして、
「小夜の案は確かに、実現できれば魂の保護は出来るかもしれない。けど、出来るかも止まりでもある。私としては、当人の意見次第かな」
「私は……賛成です。何もしなければ確実に久遠を手放すことになってしまう。けど、僅かでも可能性があるなら、私はそれに賭けます。私は、久遠の姉ですから」
「……零がそう望むなら、あたしに異論はない」
ちー姉ぇの視線を向けられて、零さんと千さんはあっさりと応えた。零さんと千さんの間には、確かな友情と、お互いへの恩義のようなものがあるらしい。対等な友人でありつつ、お互いが恩人でもある。ちょっとうらやましい関係かもしれない。
その後、発案者の私だけでなく、天音さんも賛成の意を表してくれたことで、消極的賛成を含め全員が賛成となった。天音さんもここまでの旅路で久遠さんと確かに信頼を築いてきたし、それが功を奏したのだろう。
……あとは、多分本人に言うと否定するだろうけど、名前のこともあって放っておけないのだろう。奇しくも、くおんという同じ音の名前を持つ久遠さんと空音さん。親友と同じ名前の誰かを、二度と喪いたくない。私に実感があるとは言えないけど、理屈としては尤もだと思う。
方針がまとまった私達は、一先ず
そして、私達は
「と言っても、
「一旦、あたし達は他の仲間と合流しようと思う。そうすれば、懸念点への解決法が見つかるかもしれない」
「その間、こちらもこの辺りを調査してみようか。悪魔達の痕跡があれば、一旦合流場所を変えないといけないからね」
私、ちー姉ぇ、天音さんのグループは周辺の探索。千さん、小夜さんは他の仲間との合流。そう取り決まって、現世での連絡先を伝え合った後に、2人は仲間に連絡する為現世へと戻っていった。
見送った後は、私達も暫く周辺に悪魔達の痕跡が無いかを探す。今までの辺獄探索で分かったことのひとつは、悪魔達は辺獄において強力な権限を持つが、全知全能という訳ではないことだ。
先ほどの会話だって、聞こうとしなければ悪魔達は聞くことができない。だから私達が何のために動いているかまでは知ることができない。
悪魔達が泳がせて来るうちは合流すること自体は問題なく出来る。会話が聞かれている様子があれば……何らかの痕跡が残っていれば、それを前提に押し通すほかはないだろうけれど。
少なくとも、私達が悪魔達に反旗を翻していることは知られている。だからこれは悪魔達との腹の探り合いだ。辺獄では向こうが様々な面で圧倒的に有利だけど、それでも私達は足掻かなければいけない。
「……これは?」
そうして痕跡がないか確認している途中、見慣れないものを見つけた。蝶、だろうか。辺獄で蝶、といえば、幽者にならなかった魂の仮初の姿。でも、この蝶はそれらと違って私から距離をとったり、どこかへ飛び立つ様子もない。
「小夜? どうかした?」
「あ、うん。この蝶……なんというか、今まで辺獄では見たことがない蝶で」
私の様子が目に入ったらしいちー姉ぇから声をかけられて、その蝶を指し示して見せる。色合いなどの外見的要素は魂の蝶そのものだけど、行動などの内的要素は全く違う不自然とさえ言える存在。
そんな蝶を見て判断に迷ったのか、ちー姉ぇは少しの間蝶を見つめていた。かと、思えば。
「多分、だけど。この蝶は間違いなく、辺獄で見かける他の魂と同じ蝶。だけど他より少しだけ魂が強いみたい」
「魂が強い……ということは、自我が残っているかもしれない? 幽者になったりとか」
「どの程度まで残っているかはわからないけど……」
自我がぼんやりと残った蝶。少しだけ、身に覚えがある。
「くく、まあそう目くじらを立てるな。無論、契約内容を読み上げることに不満はないが」
「そろそろ、キミの魂が危ないんじゃないかな」
黒いドレスの方が言うのを聞いて、意味を問おうとしたその瞬間。ぐにゃりと世界が歪んだような気がした。そして
────ワタシは わたしは なんだっけ?
「……あれ。思ったより深いところまで忘れちゃったかな、メフィス?」
「そうじゃなフェレス。一足跳びに「蝶」になるとはのう」
薄靄のように微かな記憶なのは仕方がない。なんせ、覚えがあるのは私自身のこと。
ショックで放心し、辺獄で魂を霧散しかけた時のことだったから。
ただ、ちー姉ぇのいう、少しだけ強い魂、というものの存在を証明するような記憶に、私は推測を本題へ進めることにした。
「自我がある程度残っているとして、一体何をこの魂は求めているのか……」
「探る手掛かりがないからね。でも、それが無意味ではないと思う。辺獄っていうのは人の意識を寄る辺に形を作るものだから……」
そもそもこの辺獄のエリアからして、誰の魂がもとになった辺獄なのか分からないのだ。手掛かりも無しで推理小説の犯人を当てろ、というようなもので、そればかりはどうしようもない。そして分かったところで、必ずしも辺獄の攻略に役立つとは限らない。だから。
「とりあえず今は、ここに飛び立たない蝶がいることを覚えておきます。こういうのは、得てして物語の核心を突くヒントになるのが"お約束"だし」
「……まあ、そうかも。何か気づいたことがあったら伝えるね」
ちー姉ぇとのヒント解読を一区切りさせ、少し離れた位置にいる天音さんに声をかけに行く。もしかしたら天音さんなら、違う視点から何かに気づくかもしれないし、同じ戦場を征く人として報告するのは当たり前のことだろう。
天音さんもどうやら周囲の確認に一区切りついたようで、こちらの足音に振り返って片手をあげながら声をかけてくれた。そのまま聞いた限り、天音さんのほうでは特に目立った痕跡等は無いようで、とりあえずは一安心といったところ。とすれば、この一帯では先の蝶だけが、異変あるいは痕跡と呼べるものだろう。
「蝶……魂か。アタシもこんなパターンは初めてだが」
件の蝶は天音さんに声をかけ、再びここに戻ってきても変わらず同じ場所でじっとしていた。それをしげしげと観察しながらつぶやく天音さんが、ゆっくりと蝶の側面から正面に立ち位置を変えていく。
「……あれ?」
天音さんが真正面に移動したとき、せいぜい軽く羽を動かすだけだった蝶の動きが、俄かに活発になった。まるで、飛び立つかどうか逡巡しているかのようにも見える。人に例えれば、知り合いに声をかけようとして、本当にその人が知り合いか探るような動き。その動作に天音さんも気づいたようで、歩くのをやめてそのままじっと蝶と視線を合わせていた。
「……お前、アタシのことを知ってるのか?」
「そう、としか見えませんね」
しばらく見つめあう姿勢だった天音さんと蝶だが、蝶は光の鱗粉を微かに纏いながらゆっくりと飛び立つと、そのまま天音さんの周りをくるくると飛び回っている。明らかに天音さんを一個人として認識しての行動に、いつからか傍にいたちー姉ぇも戸惑っている様子だ。周りを飛び回られている天音さんは、蝶を視線で追いつつ、何かを考えこんでいる素振りを見せている。
くおん。
僅かに、天音さんの口から音が漏れた。その、自分の口から出た言葉にハッとしたように目を見開くと、天音さんは飛び回る蝶を自分の人差し指に留めた。
「お前、まさか空音なのか? だけど、お前はあの時……それに、あの時からどれだけ時間が……!」
空音。天音さんと共に幽鬼の姫が起こした事件に巻き込まれ、魂を取り込まれたという、天音さんの親友。天音さんと空音さんが幽鬼の姫に巻き込まれたのは、もう数年前になるはずだ。およそひと月半という、普通の魂が死んでから再生の歯車に到達するまでの時間を考えれば――――ここにいるのはあり得ないことだ。
「
「根拠は天音の確信だけだからね。嘘や間違いとも思えないけど」
「……分からねぇ。言葉にはできないけど、こいつが空音以外の誰かとは思えない。それくらいだ」
根拠らしい根拠はない。ただの直感といえばそれまでだし、そうであってほしいと思う気持ちが見せる錯覚の可能性だってある。けど、ここが辺獄である以上、あり得ないという私達の常識は嘲笑われる価値観であることも知っている。
「仮にその魂が空音のもの、として……何故こんなところに、というのは気になるところだけど」
「幽鬼の姫についちゃ、ある程度終わった話だしな……」
空音さんを喰った、天音さんにとっての仇敵である幽鬼の姫は、
だからこそ、分からない。
喰われて消滅したはずの魂が、なぜ死してから長時間たった今も、ここにいるのか。
謎を抱えたまま、それでも前に進むべきだと判断して、私達は千さんと零さんを再び辺獄で迎えることになった。