天音さんと千暁さんの冷戦状態を脱し、別々の方向へ向かった天音さんと私達。
「あの……」
「知りたい、よね。あの子のこと」
相変わらず、千暁さんは私の心の中を見透かしている。私、そんなに顔や声色に出やすいのかな……
「天音は……そうね、復讐に囚われている。本人以外、終わらせようがない復讐に。私もあの子も長く辺獄にいるけど、もう3年くらいかしら、ずっと恨みを原動力に動いてる」
少し悲しそうに、天音さんのことを教えてくれた。
3年、ずっと1人の人間を突き動かし続ける恨み……何に対して、どんなことをされたものなのか、私には想像もつかない。
「辺獄に来る代行者には、小夜みたいに誰かのヨミガエリを望む人と……復讐を誓ってなる人がいる」
「天音さんは後者、ということですか」
「ううん。天音は最初、貴女と同じだったのよ」
千暁さんは、そう言ってから少し黙りこんでしまった。顔色を伺う限り、少し葛藤や躊躇があるようだ。天音さんのプライバシーに関わることだし、当たり前かもしれない。
しばらくして、伝えられる範囲がまとまったのか千暁さんはゆっくりと口を開く。
「あの子もある人のヨミガエリを望んで、悪魔達と契約を結んだ。けど、そのヨミガエリは間に合わなかった……目の前でその魂を壊されて」
「魂を、壊される……」
「元々彼女は、ヨミガエリを望んだ人と共に、幽鬼の起こした事故に巻き込まれた被害者で、天音だけが生き残ってしまった」
幽鬼の起こす事故……前に千暁さんから聞いた。自らのヨミガエリの為、現世で生きている人間の魂を取り込むための行為が、現世では事故として現れる。
そうして辺獄に引きずり込まれた「生きている」人間を殺して、魂として取り込む……それに、実際に天音さんと天音さんの大切な人は巻き込まれ、大切な人を喪った……
言われて、その意味を理解して、私は改めて天音さんの境遇を噛み締める。もしかすると、私もまた天音さんと同じになるかもしれない。
そしてひとつ、気になることがある。ヨミガエリを望んで代行者になった後に、天音さんは大切な人の魂を壊されたのだ。引きずり込んだ幽鬼では、ない。なら、誰が……?
「千暁さん。天音さんがヨミガエリを望んだ人の魂……壊したのって、別の幽鬼だったんですよね?」
「……そう、ね。流石、いい着眼点」
千暁さんが思いの外ストレートに誉めてくれて、不意を突かれて少し照れてしまった。
「戦い方の指摘をしてからもそうだけど、小夜は周りを良く見れていると思うのは本当よ? えっと、話が逸れちゃったね。天音達を襲ったのは、実は引きずり込んだ幽鬼で間違いはないの」
「でも、引きずり込んだ幽鬼は殺した魂をさっさと取り込むんじゃないんですか?」
「その時は死んだ魂ごと引っ張って、逃げおおせたらしいわ。逃がされた、って本人は言ってた」
随分と良い性格の幽鬼だ。泳がせて、安心させて、奪う……殺しを遊びか何かと思っているんだろうか。
「その後に分かったことだけど……その時の幽鬼は、ヨミガエリを果たしたらしいわ。姫、を自称する幽鬼だったらしいけど」
姫。また随分と良い性格だ。そんな幽鬼が現世に戻ったなら、果たしてどんな厄介な人間なのだろう。
「私もその場には居たけど、何も出来なかった……天音が復讐に走ることを止めるのも」
表情を曇らせた千暁さんを見て、私は咄嗟に言葉をかけようとしても何も出てこなかった。
どんなに本を読んでいたって、勉強をしていたって、こんな時にどう言葉をかければいいのか、何も書いていなかった。もっと人生経験がある院長先生なら、何て言葉をかけて千暁さんの心を解せたのだろう。
「……とにかく、以来天音は復讐心で幽鬼や幽者を狩り続けている。まさか今もそうだなんて思わなかったけど」
「千暁さんは、天音さんがそうしていることを快く思っていない、と?」
「そうね……忘れろとは言えない。けど、復讐に囚われ続けていれば、いつかあの子は壊れてしまう。私が出来ることは何か、考えるときはあるかな」
哀しさを湛えた苦笑いに、私は認識を改めざるを得なかった。きっと、天音さんも千暁さんも、お互いのことを嫌っている訳ではないと思う。
とは言え、きっとまだ、2人の距離を縮めることはできないと思う。私にも、あまり時間の余裕は無い。だからきっと、私の目的を終えたら、何か私にもできることを探したいと思う。
「これは……」
天音さんのことを一頻り聞き終わり、探索を再開した私達の目の前に現れた広間。そこは、辺獄という場所であることを以てしてなお異常と呼ぶべき光景になっていた。
歪な都会という場所に代わりはなかったが、そこかしこに戦闘の形跡が残っていた。
何か硬いものを叩きつけたようなひび割れ、大きな獣の爪跡を思わせる傷。気配すら見せない幽者達が、この戦闘で全滅したと想定するには充分な痕跡だ。
「天音が通ったのね。相変わらず、辺獄そのものを攻撃してるんじゃないかしらあの子……」
「天音さん、強いんですね……」
広間の方角を考えると、天音さんは私達と別れた後にここに来たのだろう。そして幽者達を殲滅した後に、私達が来る前に立ち去るほど時間に余裕を持っていた。
「そうね……多分今いる代行者の中では私に次いで強いかも。年数の差を考えれば、私より上かな?」
合口と体術で敵を圧倒する千暁さんがそう言うのだから、天音さんは相当なのだろう。
……冷静になって考えると、天音さんの凄まじさが恐ろしいほど分かってきた。
何せ私がハルバードを全力で幽者に叩きつけて床ごと攻撃した時だって、床には傷ひとつ付かなかった。多分幽者を巻き込まずとも、私では床に跡を残すことは出来ないだろう。
とは言え、戦闘をスルーして先に進めるならありがたいことだ。心の中で天音さんにありがとうと告げつつ、先へ進むことにした。
2つ程幽者や幽鬼がいる広間を切り抜けて、私達は長く続く下り階段へ辿り着いた。
「珍しい地形ね……単純に層が移るときは光の渦があるから、ここは層の一部としての地形みたい」
「手すりがないのは怖いですね。お、落ちたらどうなるんでしょう?」
「……聞かない方がいいと思う」
苦笑いでもいつもの微笑みでもなく、何かを悟らせまいとするような真顔に、私はそれ以上聞くのを止めた。
それでも、落ちたらどうなるのかついつい考えてしまう。光の届かない底無しの闇。遠近感が狂い、平衡感覚が狂い、覗きこもうとした私は体が浮くような感覚が──あれ?
「ちょっと! 何を考えてるの!?」
腰を引き寄せられて、我に帰る。焦った千暁さんの声で、自分がどういう状況になっていたか──バランスを崩して、自ら闇の底へ落ちていこうとしていた状況を把握した。
「す、すみません……いつの間にかバランスが……」
階段に座り込んだまま、呼吸が荒れ放題の肩を抱く。あの闇へ呑まれることがどういうことか、嫌でも理解してしまった。
あの闇は地獄より深い底無しの闇だ。沈み続け、落ち続ける無限の谷。
代行者は辺獄においては身体能力にある程度補正を受けることができるが、翼を得て飛べるなんてことはない。あそこからは、帰ってくることができない。
「気を付けてね小夜……そのうっかり癖はもう治せないかもしれないけど」
「本当に助かりました……気を付けます」
呼吸と脂汗がどうにか落ち着くまで、階段に腰掛けていた。幽者に初めて遭遇したときにも感じた、明確な死へのイメージが脳裏にこびりついて離れない。
足を踏み外したら。降りている途中で躓いたら。嫌な想像ばかりが巡るのを、頭を振って追い払う。
幽者のように、攻撃してくるわけじゃないんだ。足元まで暗いわけでもない。気を付ければ、避けられる。そう考えると、少しずつ落ち着けてきた。
「すみません、行きましょう千暁さん」
「わかった。少しゆっくり行こうか。急がば回れ、よ」
少し膝が言うことを聞かないのを叱りつつ、ゆっくりと立ち上がる。それからそっと1歩目、2歩目と脚を下ろして、次第にいつも通りのペースで階段を降りていく。
「これは……地下に入ったみたい、ですね」
「ますます珍しいね。同じ層でここまで明確に景色が変わるなんて見たことがない」
今までのビルがそこかしこに浮いていた景色からうって変わった。所々穴の開いた天井、不規則に配置された柱や店舗の入り口。私はあまり経験が多くないが、地下のアーケード街を彷彿とさせる。
「ここまで明確に、地図のように位置関係のしっかりした層……ここに関与している存在は相当強いみたい」
「つまり、奥で待っているだろう幽鬼も強いかもってことですか?」
「戦闘能力に直結するかはわからないけど……小夜」
「……はい」
辺りを見回す私達に、幽者達を引き連れて幽鬼が姿を表した。ここに来てから見かけるようになった、ゴリラ型の幽鬼だ。
初めて遭遇して苦戦した相手である以上、苦手意識はある。けど、避けられる相手じゃないし、私なりに戦い方を覚えてきた。ハルバードを左半身に構え、不揃いな足並みでこちらへ近づく幽鬼達と相対する。
邪魔をするなら倒すだけ。私は思い切り地面を踏み切り、敵の集団めがけて突っ込んでいった。
初撃、まずは竜の幽者。突っ込んだ勢いを乗せた、威力重視の突きを見舞う。まだ層の薄い中だから囲まれることもない。
倒しきるには至らなかったが、遠くまで吹き飛ばすことができた。概ね想定通り。突き出したハルバードを手元へ滑らせつつ、魔力を編み上げる。
「燃えろ!」
再び小さくハルバードの穂先を突き出し、
如何に
ハルバードの刃を右半身側に掲げ、別方向から寄ってきていた頭巾の幽者へ振り下ろした。コンパクトさを意識した袈裟斬りは、そのまま剣筋をなぞるように反対側の小さな刃で振り上げて繋ぐ。
振り上げた刃の勢いを使って時計回りに体を捻り、翻すように入れ替えたメインの大きな刃で回転斬りを叩き込む。
続けざまに3度の斬撃を受けた頭巾の幽者は煙になって消え去り、同時に
「数は多くない……試してみるか」
少し後ろへ距離をとって戦況を把握し直した私は、ひとつ試してみたい技があることを思い出す。
代行者としての経験を積んだからか、頭の中にいつの間にかあった
「はあぁぁっ!!」
強化した脚力で空へ跳ぶ。代行者であるだけでも身の丈の倍近くまでジャンプはできるが、もっと高く、もっと鋭く。
空を飛んでいると錯覚しそうな程の高度はしかし、重力によって限度を迎える。その力に任せて急降下し、魔力を帯びたハルバードの穂先を地面に、否、真下に来ていた幽鬼に叩きつけた。
穂先を突き刺した幽鬼を蹴り飛ばして離脱した私は、幽鬼の周りにいた幽者達も魔力の衝撃波でダメージを負っているのを見た。
「……あの時私、相当運が良かったんだ……」
自らの攻撃の威力に、改めてあの時、黒い少女の幽鬼に攻撃を受けたときのことを思い出していた。いやいや、そんなこと考えてる場合じゃなかった。
2度に渡って巻き添えを食らった幽者達は、耐えきれずに消滅したようだ。後は最初に突き飛ばした竜の幽者と、ゴリラ型の幽鬼だけ。
ただでさえタフだったゴリラ型の、幽者よりタフな幽鬼と考えただけで緊張が走る。だけど、当たりさえしなければ怖くはない。
竜の幽者も最早瀕死。まずはあちらをどうにかするべきだと踏んで、タイミングを計るべくゴリラ型の幽鬼へ注意を向ける。
固唾を飲み込んで、私はハルバードの柄をしっかりと握り直した────