Dies irae Alter ipse amicus. 作:青嵐未来
この平和な日常を、守りたいと思った。
この日常が、何か微細な切っ掛けで揺らいでしまう陽炎のようなものだとしても。
たとえ、そのとき私が皆にとっての異物になってしまうとしても。
何も知らずに、何も気にせずに笑い合えるあの場所を、自分を偽らずにいられるあの平穏を、そして何よりもあの優しい人たちを、美しいと、何にも代えることの出来ないこの世で最も尊いものだと思ったんだ。
この陽だまりはいつか必ず消えてしまうものだとわかってはいる。
仮に、一億分の一の確率をつかみ取って、何も起きなかったとしても、先輩たちが卒業してしまえば霞のように消えてしまうだろう。
けれど、いつか必ず無くなるから、いつ失ってもいい訳じゃない。
あいつらが、いつか、近いうちにこの諏訪原の街に現れる。
そのときには、私は、皆と、何よりも温かいこの場所を護るために戦う。
何があっても、この陽だまりだけは守り切る。
──けれど、今は、今だけは──と。
私はあいつらと本質的には同じなのに。
甘い誘いばかりが胸に漂う。
センパイのせいだ。
センパイが、俺は一人がいいんだなんて嘯きながら私なんかに優しくしてくるから。
全部、センパイのせいだもん。
だから、今だけは。
この温かい日常が、何時までも続いて欲しいと。
願うだけなら、許されるかな……?
◆◆◆
時間が止まればいいと思った。
矢鱈と口うるさい幼馴染みと、口の悪い悪友。
俺なんかにくっついて何が楽しいか分かんないけど、よく懐いてくる後輩に、そんな馬鹿みたいな俺たちを後ろから見守る電波な先輩。
このかけがえのない時間が何時までも続けばいいと。
別に、俺だけがこんなことを思っているんじゃあないだろう。
大学受験への不安とか。
毎日の平平凡凡さとか。
将来への微かな期待とか。
子供とも大人とも断言できない自分たちの微妙な立ち位置とか。
そういうこの時期特有の、一種のアンバランスさがそうさせる。
何時までも続くなんて都合のいいことは思ってない。
だから俺は、その分、知っている道、歩んだことのある道、選んだことのある選択肢を選んできた。既知のイベントだけを。
その永遠には続かない時間を限りなく長く味わえるように。その一瞬を一分一秒でも多く引き延ばせるように。
だというのに、あいつは──。
司狼は。
「じゃあお前、自分の人生を小説だと考えてみろ」
急に屋上に呼び出して追いて、何言ってんだよお前は。
「うるせえ、黙って聞いてろ? ……まあ、ゲームだろうがマンガだろうが、何でもいいがよ。とにかく一人称語りで進む長編だ。自分をその主人公だと考えてみろ」
一人の人間の、誕生から死亡までを綴る巨編。読めばその人間の人生を知ることが出来る物語。
自分の人生をそう仮定しろと、コイツは言う。
「そこで質問。お前が今歩んでる物語は面白いのか? 物語として売れそうな棘なり花なりを持っているか?」
お前は、急に何言って……。
「語彙が貧弱だとか、表現が下手くそだとか、そういうことを言ってるんじゃないぜ、オレは。お前はその中でキャラが立ってるのか? 何か特別なものがあるか? はたまた同じようなジャンルを囲った中でも、何か抜きん出ているものがあるのか?」
司狼は俺の返答も待たずに続ける。
いや、ハナから返答なんて期待していないのかもしれない。
「他の誰かがやるような人生なら、別に俺らがやる意味はねーだろ? 連れと駄弁って馬鹿やって。女作ってよ。そんなありふれて珍しくもない、こんなの日本中で俺らの同世代が同時に経験している」
司狼がなんの脈絡もなくこんな話をするときは、決まって俺や香純をからかうときだ。
「薬になれなきゃ毒になれ、なんて言葉もあるけどよ。
誰でも出来る人生やってても、つまらねーだろ? けど俺はなぁ、薬も毒も飽きてるっつーか。なんつーかなぁ、デジャヴるんだよ」
はあ?
「だから、デジャヴるんだよ。この人生、前にも体験したんじゃねーかなーって」
だからどうしたんだよ。
「まあ聴けよ。お前、無駄にせっかちなとこあるよな? ──好きだろ、それ」
それって?
「何もかもが既知の範疇。率先して楽しまない代わりに、知らない不幸は近づけない。一から十まで知ってることを飽きもせずに繰り返す。そんな頭涌いてるようなやつ、お前以外に知らんし」
……。
「だから、ちょいと手伝ってくれよ」
何を?
「フラグ立てと、フラグ折りさ」
それはどういう……。
「言っても分かんねぇだろうなぁ。……そもそも、オレの話に出てくるお前は、なんかズレてるトリックスターみたいなもんなんだよ」
それは、俺も同感だった。
何か、別の物語の登場人物というか。
コイツは、分からない。
本当なら俺の話に出てくるはずもないような存在なのに、気付いたらその中核に位置している。
喩えるならそう、誤植のような……。
「そんなお前をここでどかせば、何かしら変わるかもしれない。それにオレらはガキの頃にいろんなものから弾かれてる。本当ならこんなとこで気楽に学園ドラマやってられるような身分じゃねぇんだ」
ああ。
「だからこそ、今まで普通をやってきた。なのにデジャヴが止まらない。泣きそうだよ、笑えねぇ。だから抜けるぜ、オレは。根性なくて悪いけどな。……人生は短い。選択肢の総当たりをやらせてくれ」
それは、いつも通りの不敵な笑み。
「この一本道、何処かに別ルートがあるはずだ……。オレはそれを見つけたい。それがたとえオレが望むようなものじゃないとしても」
いつもの、軽い、こっちを挑発するような表情。
「だったら、ここでお前と切れるのも、面白いとオモウだろ?」
ああ、確信した。
何を言っているのか分からない──。
ただ、俺とコイツの生き方はもう決定的にズレたのだと、その確信だけがあった。
「死んだら化けてでてくれよ? オレ、まだユーレイ見たことねーし」
そして。
普通、素手の喧嘩は限界がある。
生身の体を使う以上、それがイカレたら、続けることは出来ないからだ。
俺たちの躰は限界を迎えたから、今回はここで痛み分け。勝負はつかなかったけど。
俺たちに限って、そんな殊勝な結末はあり得ないと思っていた。
俺たちがやっていたのは殺し合いじゃなく、互いの身体機能を一つ一つそいでゆく、言うなれば潰し合い。
血ィ吐いて屋上に転がって。
折れた手の骨は肉を突き破っていたし、幾つか内臓をかすっていた骨もあったろう。
肩は脱臼し、アキレス腱はブチ切れ、筋肉は痙攣して。
そんな状態でもあのバカは。
「ハハッ、楽しィなぁ、蓮」
巫山戯んな、楽しいわけねぇだろ、この馬鹿が。
ただ、この勝負は正真正銘どちらも動けなくなるまで続行したと記憶している。
ボロ雑巾みたいに成り果てて、放置されてたらどっちもそのまま死んでたんじゃねぇかと思って。
「──!? センパイ!? どうしたんですか! 大丈夫ですか!? え、えと──どういう状況なのぅ?」
「落ち着いて、まずキミは救急車を呼んで。私はその間にこの馬鹿な二人から事情を聴いておくから」
と、見慣れた二人がやってきて、そのクソみたいな結末は回避されたのだった。
共通√は本編と殆ど被ってしまいますが、気にしないでください。