Dies irae Alter ipse amicus. 作:青嵐未来
その後は特に何もなく、アパートまで帰ってきた。
香純でさえ、何も言葉を発せないようだったし、暮阿は何かを考え込んでいるようで、当然俺もあのギロチンについて思索を巡らせていたから、そこに会話はなかった。
あのギロチン。
そして、そこから現れた頸に傷のある蒼白い美しい少女。
答えは出ない。
答えはない。
知らない。
ただ、何か奇妙な縁のようなモノは感じていた。
まるで、かつてあそこで同じように、同じモノを見たことがあるような。
自分は何回繰り返しても、あのギロチンからは逃れられないような。
そんな感覚。
ともかく。
帰ってきたとは言っても、どうせ香純は隣の部屋だし、暮阿は真上の部屋なわけで。ついでに言えば、少なくとも香純のほうは俺の部屋や司狼の部屋まで含めて自分“たち”の部屋だと思っている節がある。
要約。
只今、この部屋の男女比1:2。
「ねぇ、蓮……? 大丈夫……?」
「俺は大丈夫だよ。これぐらいで体調崩すほど軟弱じゃあないぞ?」
「……うん、そうだけどね。……暮阿ちゃんも、大丈夫?」
「──……」
「……暮阿?」
「──あっ、はい! なんでしょう!?」
「いや、だから、大丈夫か? 気分悪いんならいろいろやってやるけど」
「だっ、だだだ大丈夫ですっ!」
おーけー。
大丈夫ならいいんだ。
「つーことだし、今日は取り敢えずお前らも自分の部屋に帰れ。俺はとっとと寝たい」
そう言うと、香純は露骨に心配そうな顔をするが、問答無用で部屋に帰す。暮阿は、聞き分けが良いから自分から帰ってくれるしな。
……あれ、まだいた。
「どうした? 帰んねぇのか?」
「ねぇ、センパイ……」
「なんだ?」
「もし、もしですよ? わた、し、が……」
そういって俯く暮阿。
「わた、しがっ、────…………ぇへへ、やっぱり何でも無いですっ」
「……なんでも、いいけど、さ…………なんか気になってることとか、悩んでることとか、そういうのがあるならいくらでも、言ってくれて良いからな? 香純もそうだし、俺も。玲愛先輩だって聴いてくれる。……あんまり、抱え込むなよ?」
「────ありがとう、ございますっ」
そう言うと暮阿はちゃんとドアから自分の部屋に帰っていった。
今日一日は疲れたし、俺も、もう寝よう。
おやすみなさい。
◆◆◆
「あれは、やっぱり」
暗闇のなか、少女は己の認識を確認する。
「聖遺物。しかも、あの場所は……」
魂、が。
「……なら、アレが見えてたセンパイは、なに?」
私は……どう、すればいいの?
「センパイは、あいつらとは違う。あいつらの仲間でもない」
だけど。
分からないことばかり。
聖遺物、数多の魂と怨念を吸収した特級の魔術品。
聖遺物を利用して、魂を燃料にして発動する総合魔術、
でも、センパイがこんなことに関わってるはずがない。
あのとき驚いていたし、何よりもしもそうだったとしたら私でも流石に気付いている。
それくらいは距離が近かったと自負してる。
じゃあ、なんだったんだろう。
わからない。
わからない。
答えは出ない。
でも、──。
「──はいはーい、久しぶりねぇ」
────っ!?
「へぇ、暮阿ってば、あなた、こんな所で生活してるんだぁ。ワタシ、もっといいところに住める程度には助けてあげてると思うんだけどなぁ」
振り向けば、視線の先にいるのは、赤髪の魔女。
一見可憐にみえる年端もいかぬ少女の外見でss軍服を羽織るその奇妙は、市民にどう写ったのだろう。
魔女らしく魔術でなんとでもしたのだろうが。
一体いつの間に部屋に入ってきたのか、なんて問いはこの魔女に対しては意味を成さない。
彼女は、
「な……んで」
「ベイと一緒に来る予定だったんだけどねえ。貴女がどんな状態か気になったから、見に来たのよ。」
「……私に、攻撃されるとか、考えなかったの」
「あら、貴女、ワタシにひとりで挑みかかってこれるような勇気があったかしら?」
「……うるさい」
「だって、今までだって、ぜーんぜん仕掛けてこなかったじゃない。ちっちゃかった頃はもうちょっと素直で可愛かったのにねぇ」
「そんなくだらないことを言うためにわざわざ来たの」
「だ・か・らぁ」
人を馬鹿にするような甘ったるい猫なで声で魔女は言う。
「貴女の様子を見に来ただけって言ったでしょう? それとも、他に何か理由がいるかしら?」
「だから──っ」
「んもぅ、うるさいわねぇ」
魔女は私に指先を向ける。
「寝ちゃいなさい。おやすみぃ」
歴戦の魔女を相手に私は抵抗も出来ず、意識は闇に包まれていった。
◆◆◆
波の音が聞こえる。
ザザァ、ザザァと海水が波打ち際にやってくる音。
どことなく重い瞼を上げれば、俺は黄昏刻の波打ち際にいた。
果ての果てまで広がる水平線は、その先にある太陽によって、橙赤色に色づけられ、何処か幻想的な雰囲気を醸し出していた。
そして──。
ギロチンの前で出会った少女。
白磁の肌に、対照的な美しい金色の長い髪。
エメラルド色をした両眼は吸い込まれるような美しさで、身に巻き付けているそのぼろ布も彼女の美にはなんの影響ももたらさない。
その程度で彼女は地に落ちない。
彼女を眺めていると、何かを口ずさんでいることに気が付いた。
「……………………」
可憐な、けれどひ弱という印象は持ち得ない少女の唇から紡がれる調べはまるで小鳥のさえずりのよう。
「……………………」
フランス語らしき言葉は、俺には何と言っているのかはわからない。
「……………………」
けれど、どういう理屈か、彼女の紡ぐフランス語はやがて俺の知る言語に置き換わっていく。
「…………………い」
けれど、これは──。
「血、血、血が欲しい」
──────ッ。
「ギロチンに注ごう、飲み物を」
奏でられるは血のリフレイン。
「ギロチンの渇きを癒すため」
血の断頭台に捧げられる聖句。
「欲しいのは血、血、血」
「キミ、は──」
と、言おうとしたところで。
ガタンっと何かが嵌まる音とともに、頸が何かに覆われる感覚。これは、木か?
そして。
こちらを血走った目で見上げ、何かを叫び続ける群衆。どことなく現れる過去の亡霊。
彼らは。
「「血、血、血」」
「「血が欲しい」」
俺を──
「「ギロチンに注ごう、飲み物を」」
「「ギロチンの渇きを癒すため」」
ギロチンを──見ているんじゃあないか?
「「欲しいのは」」
「「「「血」」」」
そうして、直感する。
俺は今──ギロチンにかけられているんだ。
それも、博物館のあのギロチンに。
どういう理屈が伴っているかなんて、わかるわけもなかった。
「ま、待て──これは、どういう──!」
相手は、処刑に酔った亡霊。
そんな言葉が聞き届けられるわけもなく。
ひとりでに切り落とされる縄。
支えを失う断頭の刃。
重力に従い落下する無慈悲な慈悲の刃は。
そこに嵌まっていた俺の、頸を。
一刀のもとに切り落とした。
「ッ──ガアァアッ──」
何が、どうなっているんだ。
わからない。
わからない。
何もかも。
そうか、これは──夢か。
なら今までの不可思議も得心出来る。
そう、これは夢なんだ。
睡眠中の脳が記憶の整理とともに見せるある種の幻覚。なら、別に。
「──いいや、夢ではない」
なん、だ。
「これより、オペラの開幕と行こう」
この全身の毛が逆立つような感情は。
「──主役は、君だよ」
待て。
「ツァラトゥストラ──」
待て。
「では、オペラの終焉で」
待て。
「また、会おう」
待、て。
声の主が遠ざかるのとほぼ同時に、俺の意識は再び眠りに落ちていった。
◆◆◆
「シュピーネがこの街に何度も訪れていた理由も気になるし、何か使えるものがあるかも♪ 私は、手段は選ばない、わよ?」
魔女の独り言が、宙を舞った。