Dies irae Alter ipse amicus. 作:青嵐未来
暮阿は緋々色金を形成した螢と切り結びながら、タワーを離れてゆくように彼女を誘導する。
彼女たちのその姿は、一般人には到底認識できないであろう速さにまで加速している。しかし、もし見えたのならこう感じただろう。
まるで二人の天女が雄々しく、それでいて美々しく舞っているようだ──と。
その最中、螢は彼女に問う。
「あなた、一体誰なの? 藤井くんの後輩みたいだけれど、彼みたいな人はあなたみたいな逸脱人を半ば嫌ってそうだし。それも、病的なまでに」
「──うるさいですよ」
天女たちの剣戟は、さらに苛烈さを増していく。
「さっきから……黙ってください──」
彼女は攻撃の手を緩めず、さらに激しく螢を攻め立てていく。当然螢も黙って攻撃を受けているわけがなく、連撃の隙間隙間に自分の攻撃を差し込んでいく。
二人の闘いは頭脳戦と化していた。お互いに剣の実力は五分。攻撃を防ぐことは出来るし、その間隙を縫って自らが攻めに転ずることも可能。けれどそれ故に相手に有効な斬撃を当てるのはどちらにとっても難しかった。
どう相手を罠にかけ、自身の優位を築き上げるか。
この闘いに於いては、それが勝敗を大きく分かつことになるだろう。
そして、こうも考えられた。
どちらか一方が自身の渇望を曝け出せば──創造を使えば、この局面は大きく動く。
それは両者ともに理解していた。しかし、螢は動かないし、暮阿も同様。
螢が知るよしもないことだが、暮阿の位階は形成──彼女は自身のルールを創造出来ない。それは彼女が内なる狂気を受け入れていないからだが──重要なのはそこではなく、螢がそうしない理由であった。
大橋にて向かい合いながらどちらともなく距離をとる二人。
螢はバランス型。自分から手札を曝すのは出来るだけ避けたかった。可能なら相手の手の内を見尽くしてから──最低でも、向こうの創造を理解してから──と、冷静に判断を下していた。
そして、このまま切り結んでも盤面はなかなか動かないだろう、とも。
暮阿もまた同様の結論に至っていた。ただ螢と異なっているのは、相手に対する優先順位。
螢の目的としては、藤井蓮、彼を連れて行ければそれで自分の任務は一旦終わりなのだ。勿論その後にスワスチカを開いていくだとか儀式自体は続いていくけれど。少なくともこの場では彼だけが目当てだったといってもよい。
対して暮阿はといえば、彼女の目的は徹頭徹尾変わらない。そしてその優先順位に螢の名前は入っているし、後のことを考えても、このまま螢を逃がすという選択肢は彼女としてはなかった。
「ねぇ、あなた──」
螢は十年間磨いてきた自身の剣技に自信を持っている。そして、それについて来れている暮阿についても疑問を持つ。
「くどいかもしれないけれど、あなたは何者?」
その疑問に、暮阿は答えない。
「黙れ、と言っているんです──」
ただこう返し、颶風と化して劔をふるった。
「黙って──死ね」
そして、螢に向けられる強烈な生の否定。研ぎ澄まされた矢のような殺意を一身に受けてなお、螢は動じない。ソレなど、これまでに幾度となく対峙してきたのだ。
動じない、が──。
「────ッ」
その、あまりにも急激な暮阿の変化には、いささか驚愕を覚えざるをえなかった。
それまでのまるで舞いのように軽やかな動きから一転、自身の防御などどうでもいいといわんばかりの猛攻だった。
それまでは防御を考えた上での攻撃だった──そう、まるで受けては攻め受けては攻めるオセロのような二人零和有限確定情報ゲームの様相を呈していた──が今の彼女に受け身の意志など微塵も感じられない。
そうなってしまえば螢も当然受けに回らざるを得ない。同等の技量を持つ相手が全力で攻めに回っているのだから。
その理由は、わかる。大方、あまりにも動かない戦況に痺れを切らしてアクションをとることで少しでも自分に有利になるように、という立ち回り。
だがしかし解せないのは、その殺意。螢とて、自分が誰からも恨まれることのない人間ではないということなどとうの昔に知っているし、だからどうということも全くないのだが、それでもその螢が分からない程度にはその大本は奥深く、さらに複雑に絡んでいるのだろうと思った。
「あなたは、どうしてそこまで
だから、思わず口をついて出た言葉はただの悪態のようなものだった。まるで正体はわからず、敵か味方なのかも判然としない(まあ、こうしているからにはほぼ百パーセント敵でまちがいないだろうが)、さらに剣技は自分と同等。ここまでこちらを困らせる役に即いていながら、合理的に此方を追い詰めると言うよりは自分の感情に身を任せるような今現在の戦い方。
その状態でこうまでピンポイントな言葉が出てきたのだから、彼女もまあたいしたものだろう。
「……憎んでいる? 私が、
「そうでしょう? 私としてはなんでもいいけれど、やっぱり理由は気になるわね。──あなたが、なぜ
「…………ええ、そう。私は貴女たちが憎い」
だからまあ読み違えたのは彼女のその感情の大きさだ。螢には、自分の意志で戦うことを選んだ、自分の力で愛する人を救わんと立ち上がった螢には。悪魔に魂を勝手に売られた──彼女の心情までは理解が及ばなかった。
「──憎いなんて言葉で足りるわけがないのにね」
どだいわかるはずがないのだ。暮阿は蓮と同じく強制的に聖遺物の使徒に仕立てられたなどということは──。
「私から平穏を奪った貴女たちが憎い」
巫山戯るな、私の日常を返せ。
「私から幸せを奪った貴女たちが憎い!」
私は貴女たちを皆殺す。
「私をこうしたあの魔女が憎いッ!」
死ねよ、屑共が。
「そして──」
あの人から、私の大切な人から──。
「日常を奪った貴女たちが憎くて憎くて仕方がないのよ──ッ!」
そう言い放って振るった剣先は、先ほどまでのものよりも数段速く、研ぎ澄まされている。
さらに劣勢に陥る螢。
「自分の不死のため? 失った家族を取り戻すため? 貴女たちのそんなくだらないもののために私は、私たちは生きてきたんじゃないッ。赦さないし赦せない。貴女たちなんて、そのまま何も出来ずに惨めに酷たらしく死ねばいいッ」
「──なんですって? くだらない? あの人たちを取り返すのが?」
ただしそのまま三流映画の敵のように退場するなどあり得ない。
彼女も彼女で譲れない理由などいくらでもあるのだから。
「────取り消せ」
あの人たちは、あの二人はあの生活は──何も知らない貴女に馬鹿にされていいものじゃない──私が必ず取り返す。
ああ、確かに私のほうこそ貴女の事情なんて知らないし知りたいとも思わない。その上でこんなにも激しているのだからまだ、私は私の炎をなくしてない。道化にもほどがあると自分でも思うが、関係ない。関係ないのよ。
この情熱はなくさない。だから、貴女はそのまま焼き尽くしてあげる。貴女は今、私の逆鱗に触れた──。
切り札を出し惜しみする理由など、それの前に完膚なきまでに、木っ端微塵に、砕け散った。
それは彼女の渇望を具象化する祝詞。
内に眠る情熱を、永劫絶やさず燃やし続けること。
今、彼女のルールは現出する。
焔に包まれていく、いや、正確にはその躯体そのものを焔に変えてゆく。
さらにその聖遺物までもが姿を一変させ、大太刀というような長さまで伸張している。
自らとその聖遺物を炎に変生させる──それが櫻井螢の創造だった。
「撤回しろ、なんて言わないわ」
「…………そんな馬鹿げたことするとでも?」
「ええ、しないでしょうね……だから、自分の発言を後悔しながら泣き叫んで死んでくれれば結構よ」
そう言い放つと、螢は跳ね上がった身体能力を以て、暮阿に接近する。
「────っ」
彼女が振り上げた斬撃を暮阿は弾こうとするが──。
すり抜ける。まるで陽炎のように。
「──これ、はっ」
虚をつかれた暮阿だったがすんでの所で躰を捻り、辛うじてではあるが、直撃は避けた。しかし無傷とはいかない。
左腕は出血し、けれどそれが地に落ちる前に蒸発した跡があり、切り裂かれた箇所が熱によって引きつったようになっていた。
「これが、貴女の創造……」
決して目で追えなくなるほど速度に差があるわけではない。
見えるし、反応も出来る。けれど暮阿にとって最も厄介だったのは、螢の剣が炎と化していたことだった。
相手の斬撃は弾き、そのまま切り返して攻撃する。これが剣と剣の攻防の基本であるが、この状態では暮阿はそれが出来ない。
なにせ、弾こうとしても相手の大太刀は自分の劔をすり抜けてしまうのだ。
これではまともな攻防が出来るはずがない。
このままでは不味い、主導権を握られてしまう。防げないなら一先ず相手の間合いから逃れなくては、と一足に距離をとる暮阿だったが、しかし。
「距離なんて関係ない。……今の私は炎。炎は広がるもの、よ」
その宣言通り。相手との距離など関係ないのだ。今の螢にとっては。
彼女の振るう斬撃が、伸びた。
「────なっ……ぐ──っ!?」
完璧に意識の間隙を縫われた暮阿にそれを回避するのは不可能だった。
「あっ……ぎ──ッ…………ァッ」
左の肩から右の脇腹にかけて袈裟に肌を焼かれ肉を裂かれる。いくらいずれはその傷も癒えるといっても、その痛みまでが消えるわけでは断じてない。
常人では、というか普通にいくら魔人と雖も、そこまでの裂傷を負って動けるはずはない。
「このままさらに苦しんで死ぬ? それとも泣き叫んで自分の言ったことを悔やみながら無様に死ぬ? 嫌いな方を選ばせてあげる」
暮阿を見下ろしながら、そう迫る螢。それに対し暮阿は。
「…………いいえ……まだよ────私は、まだッ」
立ち上がって。
普通ならば動けなくなる傷など、知ったことかと。
「なっ──」
「ここで死ぬわけには、いかないんだから──あああぁぁぁぁああッッ!!」
迸る銀の燐光。
疾駆した銀の剣先が、彼女を見下ろす螢の胸先を切り裂いた。
「ぐっ……」
「──づ……あァっ」
地面のコンクリートに染みていく血液は螢のものだけではない。むしろ、暮阿のそれのほうが圧倒的に割合は大きい。
しかし──。
「そんなこと……知るもんか──っ」
その不当の精神を以て、ただ只管に我慢する。
こいつらを倒すためならば──先輩の、藤井蓮の、彼らの平和、日常を護るためならば、復讐を果たすためならば、こんな身などどうなろうが知ったことではないと。
「──貴女たちは、殺すんだよ、私がッ」
そして、もう一度切り結ぼうとする彼女ら二人の斬撃は──而して横合いから挟み込まれた二メートルほどの大男の躰を以て、止められた。
「そこまでです、レオンハルト」
現れた大男──聖餐杯、ヴァレリア・トリファ=クリストフ・ローエングリーンは、自身の背中側にいる精神面に於いても技術面に於いても未だ未熟な
「それ以上は私闘の域に入ってしまう。勿論、始まったのならばそれも構いませんが、今宵の我々の目的はあくまで藤井さん──ツァラトゥストラにあることを忘れてはいけません」
「──ッ」
「あの方々を蘇らせようという貴女の願いを侮辱されたことを到底我慢ならないのは理解できる。しかし、それとこれとは別のことです。収めなさい、レオンハルト」
そして──と。
悩める迷い仔を導く教会の神父は、今なお傷口から鮮血を散らして自分に劔を振るう、眼前の哀れな羊を見て、こう言った。
「まるで子供の癇癪ですねえ……。マレウスの落とし子よ、貴女はまるで変わらない。あのときから貴女の時間は止まっている」
「黙りなさい……」
「動いて、生きているように見えていても、貴女の世界には色がない。貴女が世界を美しいと感じても、貴女自身は世界にとって鮮やかな彩色のないモノクロの異物だ」
「黙れ……っ」
「だからこそ貴女は、彼の世界を壊したのですから」
「黙れえぇえぇぇええ────ッッ!!」
切る、斬る。
切る斬る伐る切る斬る斬るキルキルキルキルキル──。
憤怒と、抑えきれない心の求めに従って。
自らの躰を捨て鉢にしてどれだけ斬撃を浴びせても。
聖餐杯に傷一つを負わせることすら叶わない。
「無駄ですよ。聖餐杯は壊れない」
だけど、それでも。
「私は──私はァッッ」
より一層力強さを増す剣戟。そして、それに比例して零れていく命の雫。
「だから、無駄だと言っているのに」
神父はそう呟くと、初めて反撃に打ってでた。
いや、あるいはそれも反撃などではなかったのかもしれない。なぜならば、このときの突きは彼にとって、単なる児戯にも等しいものだったのだから。
「あっ……──ぐっ」
けれど深い傷を負っている今の暮阿には児戯でも十分。彼女を地面にたたきつける程度の効果はあった。
「此方は此方で藤井さんを迎えなければならないのでね。申し訳ありませんが、少々眠っていてください」
と、振り下ろされた拳は──。
次回は野郎共サイド。