「嘘だろ……なんだよこれ、嘘だろ!」
残念ながら、あなたの身長は取られた。嘘ではない。
「ふざけるなよ! 出せ! ここから出せよ!」
もう広場から出られるぞ? いつの間にか透明な壁がなくなっていたからな。
壁から少し離れているから気づいていないのか?
「こんなの困る! このあと約束があるのよ!」
ああ、知人に身長が縮んだところを見られたくないんだろうな。
「嫌ああ! 帰して! 帰してよおおお!」
そんなに返してと絶叫するほど身長を取られたことが嫌なのか。
悲鳴。怒号。絶叫。罵声。懇願。そして咆哮。
身長を取られ、小さくなってしまった人間たちは、頭を抱えてうずくまり、両手を突き上げ、抱き合い、あるいは罵り合った。
……いや、流石に反応が大きすぎではないか?
全員が全員、身長を取られたわけではなかったと思ったのだが。
それに、もし仮に俺以外の全員が身長を取られていたのだとしても、全員が全員、身長をそこまで重視しているとは思えないのだが。
いや待て、もしかしたら先ほどの亡霊の話の中に、何か俺が聞き逃した重大なことがあったのか?
大半が小難しい話で理解できなかったが、この人たちは俺よりも少し理解ができていて、そこに何か重大なことがあった、と言うことが考えられる。
もしくは、皆と俺とでは、亡霊の話の解釈に認識の違いがあったのか。
俺は、何かを勘違いしているのか?
確認したいが、今この人たちに聞ける雰囲気ではないな。
どこか冷静そうな人はいないものか。
そうして周りを見渡していると、この広場から離れていく黒髪の少年と、逆立った赤髪の男の2人組の姿が見えた。
あの人たちは冷静そうだ。
よし、2人を追いかけて少し尋ねてみるとしよう。
俺はあの2人を追いかけた。
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見失った。
こっちの方に行ったと思ったんだが。
しばらくこのあたりをうろうろしていたが、見つけられなかった。
仕方ない、一度広場に戻るか。
少し時間も経ったことだし、あの広場の人たちも冷静になっているかもしれない。
しかし本当にお腹が空いた。
早く家に帰って詩乃と食事を取りたいものだ。
そうして広場に戻ろうとした時、広場を離れた2人のうちの1人を見つけることができた。
黒い髪の少年の方ではなく、逆立った赤い髪の男の方だ。
「すまない、少しいいだろうか?」
「あん? 誰だ、って、あんた、あん時の……ん?」
「俺のことを知っているのか?」
この男とは、初対面だと思ったのだが。
「ああ、いや、何でもない、で、なんか用か?」
「いや、先ほどの広場での話がよく理解できなくてな、誰かに聞きたかったんだ」
「ああ、まあ、理解したくねぇ気持ちもわかるぜ、俺だってまだ信じられねぇしな」
「そうか」
この人も、身長を取られてしまったのだろうか?
「で、何が聞きたいんだ? つっても、俺だって全部理解できたわけじゃねぇからよ、答えられるか分からんぜ?」
何が理解できなかったかと言ったら、一部以外全て理解できなかった。
だけど、なんと聞いたらいいのだろうか?
全てが理解できなかった、では、教える方も困るだろう。
なら、今一番知りたいことを聞くとするか。
今一番聞きたいことはこの世界から元の世界への転移方法だ。
先ほどの話とは関係ないかもしれないが、聞いてみよう。
「元の世界に戻る方法、なんだが」
「あー、正直それは半信半疑だわな、ゲームのクリア、つまり第百層の攻略でしかこの世界から出られねぇなんてよぉ」
「……第百層、攻略? 他に、元の世界に戻る方法は」
「残念ながら、今んところ無さそうだ」
つまり、元の世界への転移装置か何かは、第百層にしかない、ということか?
もしくは、あの亡霊が本来あったはずの転移装置を破壊、もしくは使用不可にしてしまい、第百層のものしか使用できなくしてしまったのか?
そういえば、あの亡霊、ナーヴギアの開発者と言っていたはずだ。
ナーヴギアは、この世界に入る時に使った頭からかぶる転移装置のことだ。
なるほど、転移装置の開発者の亡霊だから、転移装置を操れるということか。
……と、いうことは、だ。
「すぐに元の世界には、戻れないのか」
「あー、いや、これが悪趣味なイベントの演出っつう可能性もあるからよ、案外すぐに戻れるかもしれねぇぜ」
「そう、か、分かった、ありがとう」
よく意味はわからなかったが、すぐに帰れる可能性もあると言っているのだろう。
だが、確率は相当低いんだろうな。
顔や声色を聞けばわかる。
今の言葉は、俺を励ますために言ったのだろう。
いい奴だ。
「もういいか? じゃあ、俺は行くぜ、広場にダチ残してきちまってるからな」
「ああ、助かった」
「いいってことよ、じゃあな!」
そう言って、逆立った赤髪の男は広場の方に去って行った。
っ、そうか、そういうことか。
あの広場での狂乱は、身長を取られただけで起こったわけではなかったのだな。
おそらく、直ぐに元の世界へ転移する方法が無くなったから、あれだけの騒ぎが起こっていたのか。
つまり俺は、しばらく、数十年は詩乃と、家族と会えなくなるということか。
それは、寂しいな。
……随分と、冷静だな。
それもそうか、正直、まだ俺はあの世界で生きている実感が少なかった。
人との関わりも、家族以外とはろくにとっていないし、繋がり自体が少なかった。
勿論、できれば一言、俺は大丈夫だと詩乃に伝えたくはある。
だが、それだけだ。
母は、むしろ俺がいない方がいいだろうしな。
それに、この世界は俺の前世にかなり似ていることも、冷静でいられる理由の一つなのだろう。
かなり不謹慎ではあるかもしれないが、俺は今の状況に、楽しみすら覚えている。
また、このアインクラッドを1から登ることができることに、嬉しさを感じている。
だから冷静でいられるのだろう。
しかし、あの広場の人たちは、元の世界に繋がりが強い人たちなのだろう。
そんな人たちが、元の世界に戻れずに、ここで十数年も過ごすということになったら、発狂したくもなるかもしれない。
「……そうか、帰るためにも、行かなければならないんだよな、第百層に」
第百層まで登る頃には、俺の未練は晴れるだろうか?
正直、何が俺の未練なのか自分にも分かっていない。
なんとなく、思い当たるものはあるが、それだけだ。
でも、なんとなく、元の世界に帰るまでには、未練が晴れている予感がする。
そんな気がする。
「なら、行かなきゃな、第百層に」
本当は、この街で仕事を探して、お金を稼いで、武器や防具を整えてからの方がいいのだと思う。
でも、今の俺は先に進みたいと思ってしまった。
この思い出の街の中で、思い出に耽るより、今は先に進みたいと。
「なら、行くか、思ったように、感情に身を任せて」
俺は、進み始めた。
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時は少し遡る。
2022年11月6日、日曜日、午後1時。
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「お兄ちゃん、楽しんできてね」
「ああ、行ってくる、詩乃」
お兄ちゃんは、ナーヴギアを被り、ベッドに横たわった。
「リンク・スタート」
その声とともに、お兄ちゃんは眠ったように動かなくなった。
実際に眠ったわけではなく、お兄ちゃんは今、ナーヴギアによって、意識だけをゲームの中に飛ばしている。
フルダイブ、すごい技術だと思う。
ナーヴギアは、脳そのものと直接接続して、目や耳ではなく、脳の視覚野や聴覚野などの五感にダイレクトに感覚を送る。
そして、それだけではなく、脳から自分の体に向けて出力される命令を、遮断、回収して、ゲーム内のアバターを動かすためのデジタル信号に変換する。
つまりお兄ちゃんは、今、ここにいるようでここにいない。
たとえ今、私がお兄ちゃんの体に
やりたい放題、という訳だ。
「……お兄ちゃんの寝顔、初めて見るかも」
お兄ちゃんは、眠っている姿を他人に見せない人だ。
こんな無防備に眠っている姿なんて見たことがない。
一時期、どうしてもお兄ちゃんの寝顔が見たかった時期があって、真夜中にこっそり部屋に入ろうとしたり、一緒のベッドに入って、お兄ちゃんが寝るまで起きていようとしたことがあった。
だけど、どれだけ真夜中でも、こっそりできるだけ音を立てずに部屋に入ろうとしても、部屋の入り口に立っただけでいつでもお兄ちゃんは返事をする。
お兄ちゃんが寝るまで起きていようにも、いつまで経ってもお兄ちゃんは眠ってくれず、いつも私が先に眠ってしまう。
だから、こんな無防備に眠っている姿は、初めて見る。
「……フフ」
これだけで、ソードアート・オンラインを買った甲斐があった。
別に、無防備なお兄ちゃんに何かをするつもりはない。
お兄ちゃんは、意外と勘が鋭い。
もしここで私がお兄ちゃんにナニカをしたら、お兄ちゃんが戻ってきたときに、バレて嫌われてしまうかもしれないから。
だけど、こうやって寝顔を眺めるだけなら、いいよね?
今日1日は、ここでお兄ちゃんを眺めていようかな。
……
珍しいものだからか、それともお兄ちゃんだからか、いつまで眺めていても飽きる気がしない。
いつからだろう、こんな気持ちをお兄ちゃんに抱くようになったのは?
子供の頃は、ここまでではなかった。
いや、むしろ嫌っていた。
お兄ちゃんは、今も昔も変わらずだ。
いつも体を鍛えている。逆に言えば、体を鍛えてしかいない。
つまり、あまり周りに関心を示そうとしなかった。
私のお母さんは、一言で言えば、弱い人だ。
儚く、傷つきやすい、少女のようだった。
だから、自然と、物心がつくにつれて、私がしっかりしなければと思うようになった。
お兄ちゃんは、お母さんに寄り添おうとはしなかったから。
だから私が、お母さんを守らなければ、と。
お兄ちゃんは、きっと私達に興味が、関心が無いんだとずっと思っていた。
その認識が変わったのはいつだっただろうか。
きっかけは多分、私が9歳の時だ。
祖父母が外出中、しつこい訪問販売の男が玄関に居座って、お母さんが怯えてしまったことがあった。
だから私がその男を追い払おうとした。
けど、私は怖かった。
当然だ、相手は大人の男の人。見上げるような大きさの人間だ。
でも、お母さんを脅かす人をそのままにはできない。
私がお母さんを守るんだ、守らなければ、とそう思って、私は玄関に向かった。
その時、私はお兄ちゃんに肩を掴まれた。
そして、私に一言。
「詩乃、俺がやる、だから母を、頼む」
そう言って、お兄ちゃんは訪問販売の男を追い払ってくれた。
この時から、少しだけお兄ちゃんの印象が変わった。
それでも、まだ私はお兄ちゃんが嫌いなままだった。
それが決定的に変わったのは、あの事件の後からだ。