楊家将幻想・独眼の三郎   作:あるなし

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02 七郎の調練

 その喊声を聞くまでもなく、三郎は察していた。

 

 右手の丘の上に騎影が並んでいる。稜線をなぞるような横列だ。中央に末弟・七郎延嗣の姿を認めるや手信号を発した。率いる百騎を駆けさせる。多少の列の乱れは厭わない。

 

 逆落としが来た。

 

 横列から変化した。中央が突出し両端を退げ、楔の形で突っ込んでくる。速い。避けきれない。後尾の二十騎余りがひと当てに蹴散らされた。騎馬の勢いを一点に集中させてきた証左だろう。

 

 それが七郎の見事さであり、また、拙さでもあった。

 

 百騎の馬列は、緩んだ。いとも容易く突き抜けてしまったがために勢いを殺せず、さりとて活かす先もなく、余裕とも逡巡ともとれる数十歩を丘陵に刻んだのだ。

 

 衝くべき隙である。三郎は残る七十数騎を率いて左方へ駆けていた。反転しようとする七郎隊へ縦列でぶつかる。抵抗は初めだけで、十騎も落とすとすぐに分け入れた。兵の向こうで七郎が声を上げている。先ほどの逆落としと比べると見るも哀れな統率だ。

 

 割ってしまえばあとは一方的な展開となった。分けては囲い、叩き落し、また分け囲う。残すところ七郎を含む十数騎となったところで鉦が鳴った。

 

「おい、延平兄上が呼んでいるぞ」

 

 七郎は馬上で泣いていた。声をかけても、歯を食いしばっていて返事もない。

 

「気持ちはわかるが後にしろ。兄上もおっしゃると思うが、お前は強くなっているよ」

 

 真っ直ぐに涙を流せるこの末弟を、三郎は特に可愛がっていた。今年で十七歳になるが、幼いころから何かと三郎の後についてまわってきて、遊びにしろ兵法にしろ一緒にやらせろとねだる。他の弟たちが一癖も二癖もある分、その素直さがまぶしく映るのだ。

 

「強くなれますか、俺は」

「ああ。やはり騎馬隊を率いるのにむいている……」

 

 才を見極めるよりも早く、そう知っていたように三郎は思う。精強な騎馬隊を率いる姿を容易に想像できもする。うっすらと鈴の音が聞こえている。

 

 

 長兄・延平は丘の上で待っていた。その微笑みを面映ゆく感じるも、三郎は表情に出さない。

 

「両軍ともよくやった。負けたとはいえ七郎の逆落としには目を見張ったな。三郎も驚いたろう」

「はい。兵を殺す判断を強いられました」

「聞いたか、七郎。お前の強さが、独眼鬼に損失を呑ませたのだ」

「二十騎を討ったことが、俺の敗因という気もするのですが」

「討たされたからな。実戦では時に味方を殺させることでもって敵を殺すことがある。非情な判断だが、それができてはじめて楊家の将だ」

「実戦かあ……次こそは俺も出してもらえるかな」

 

 延平は笑ってごまかしたが、三郎はしっかりと頷いておいた。七郎に非凡なものがあることは明白である。

 

 そんな七郎に、父はまだ初陣を許していない。

 

 先年の宋との戦に七郎率いる騎馬隊がいたならと三郎は思う。後方の攪乱にと二部隊で出張り、機会を謀って、宗将の一人二人でも首を獲れたかもしれない。

 

 結局、宋軍十万は北漢の領を踏めるだけ踏んだ後、退いた。

 

 国境の村々が荒らされることはなかったが、その振る舞いはむしろ脅威だった。必ず併呑するという意志の表れだからだ。太原府も察したものか、随分と怯えたようだ。父が謁見した際、なぜ追撃しないのかとなじった廷臣がいたという。父は睨みつけるだけで宮廷を凍りつかせたそうだ。

 

 そういう態度だから捨て駒にされるのだと、三郎は苦々しく思う。

 

 楊家は北漢随一の武門だが、その総兵力は三万に満たず、単独で宋と闘えるわけもない。かといって挙国一致の必死をもってしても勝てるとは思えなかった。北漢はわずかに河東路を領土とするだけの小国であり、呉越をも下した中原の大国からすれば統一の残余でしかあるまい。

 

 北の遼と結ぶことも、危うい。異民族にして武断の国である遼にとっては、すでに北漢など宋との係争地でしかないだろう。

 

「野営地に戻るぞ、二人とも」

 

 この調練の日々もそろそろ終いかもしれない。決戦は間もなくで、いざその時が来れば楊家は潰えるかもしれない……父の頑迷さに殉ずるようにして。

 

 夕餉の火を囲む頃には、三郎はすっかり気が塞いでしまった。こうなると七郎も寄ってこない。

 

「また難しい顔をしているな」

 

 延平だ。この微笑みにばかりは、三郎も敵わない。木皿に豚肉を乗せて持ってきたようだ。

 

「楊家の行く末を考えあぐねたのです」

「宋と遼の狭間にあることは、どうしたって苦しい。父上も色々と苦心しておられよう」

「……北漢の行く末についてでしょう、それは」

「もちろん、そうだ。我らは北漢の軍人だからな。兵権も、兵を養うための塩の権益も、国によって認められたればこそだぞ」

「国とは、あの帝のことですか。戦のなんたるかを理解できない廷臣を信じ、援兵を寄越さず、それでいて全軍をあげる時には我らを呼ばない。愚劣を侍らせて蒙昧を晒すばかりの、あの」

「やめろ。実際に宮廷へ上がっている父上が口にされないことを、お前が言っていい道理はない」

「……父上は、どうするつもりなのです。先の戦のようなことを繰り返していては」

 

 一度開いた延平の口が、何を言うこともなく閉じ、椀の水をすすった。三郎もまた椀をとった。どちらともなく焚火に見入る。薪が、戻しようもなく灰と滅んでいく様を。

 

「この国には、楊家軍が必要だ」

 

 固くつぶやかれた言葉を、三郎はただ受け止めた。 

 

「それはつまり、帝には父上が必要だということだが……帝はそう思っていないのかもしれない。恐れている節すらある。この戦乱だからな。幾つもの道理が入り乱れてしまって、もう―――」

 

 ―――どうしようもない。

 

 そう苦く笑った横顔を、三郎は食い入るように見た。ひどい悪寒に襲われていた。

 

「畢竟、誰しもが生滅を求められているようにも思う。国も家も、帝も父上も、我ら一人一人も、それぞれの器量を試されているのかもしれない。どう生き、どう死ぬのかをな」

 

 この人は、こんな風な顔をして、死んでいく……三郎には確信があるものだから、震えた。あってはならないと思った。そうさせないために自分がいるのだと叫びたかった。

 

「呼延賛をどう思う、三郎」

「勇将です。味方であれば頼もしかったろうにと思いますが、敵として当たってみると、存外場所を得ていないようにも感じました」

「そうだな……いや、あの男もお前のように思いあぐねたのかもしれないと思ってな」

「……なるほど。どう生きようとも、ということですか」

 

 延平が物足りなそうに首を傾げたが、三郎は韜晦を決め込んだ。どう死ぬかについて言葉を交わしたくなかった。死なないために、死なせないために、兵法軍略を磨いてきたからだ。

 

 方々で火が燃やされ、笑い声が上がっている。七郎の声も聞こえた。無邪気な賑やかさだ。

 

 どうあれ、強くなければならない。兵を、育て上げなければならない。

 

 三郎は豚肉にかぶりついた。耳にはいつもの鈴の音が、励ますように心震わせるように鳴り響いていた。

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