楊家将幻想・独眼の三郎   作:楊十郎延々

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03 北漢楊家軍、最後の出陣

 国が亡びる時というのは、かくも、一切合財の愚かさを晒すものなのか。

 

 夏の名残りを甲冑下の汗とにじませて、三郎はしみじみと考えていた。宋軍十一万が怒涛の北上を続けている。使者や報告の者が駆け込んでくるたびに、北漢という国の断末魔が聞こえてくるかのようだ。

 

 沢州からの侵攻へと当てられた北漢軍は、ただの二万ばかり。急作りの関に詰めたところで何を防げるというのか。禁軍六万を太原府に展開させて、何と戦うというのか。要害という要害をたやすく突破されてなお、楊家軍へは何も知らせてこない。

 

 あまつさえ遼に救援を求めたという。猛将・耶律沙の率いる二万が我が物顔で北漢の地を駆け、宋軍とぶつかった。そして一敗地に塗れたというのだから、もはや忌々しいというよりも―――。

 

「馬鹿々々しい、という顔だ。兄上は」

「……お前もな」

 

 気づけばそばにいた四郎延朗へ、三郎は顔も向けず答えた。

 

 代州城郭外の兵営である。演習の打ち合わせに用いるこの部屋は、連日、最新の情報を求める諸将により騒がしい。誰も彼もが憤懣やるかたなしといった中にあって、三郎と四郎だけが空気を異にしていた。

 

「父上はどうすると思いますか」

「居直るよりあるまい。手前勝手に戦おうにも、その時機すら失っていては」

「北漢は北漢らしく亡び、楊家も楊家らしく滅ぶと」

「おい」

「兄上もそう思っているから、皆のように怒らない」

 

 皮肉な物言いはいかにも四郎らしいが、そこに暗い情念のようなものまで感じられて、三郎は眉根を押さえた。

 

「……呆れているのは確かだが、むざむざ楊家を滅ぼさせてなるものかよ」

「戦う機会があろうとなかろうと、もはやこれまででしょう」

 

 四郎は他の兄弟と違い、楊家に染まりきらない。鬱屈としたものを抱えていて、それがために三郎とだけ話が合うものと思われた。

 

「臆病風に吹かれたようなことを言う」

「まさか。しかし軍人の純情を貫くのならば、それは滅び方が変わるだけではないですか」

 

 純情という言葉をあざけるように口にする、その陰気が吐息を誘った。

 

「その思い、延平兄上には申し上げたのか」

「……いいえ。難しい立場でしょうから」

「俺はいいのか」

「三郎兄上は、まあ」

「馬鹿にしているな、お前」

 

 肩を叩いて誤魔化したもの―――父への隔意とでもいうべきものには、三郎はあえて触れないことにした。四郎のそれと己のそれとでは内実が違うとわかっているからだ。

 

 次の日、ついに詔書が届くにいたり、諸将は激発した。

 

「人を馬鹿にするにもほどがある! この事態を招いた廷臣の首を並べて晒すべきだ!」

 

 二郎延定が吠えている。

 

「すでに二州も獲られた今更に、宋を撃退せよだと!? 事の初めに届くべき詔書ではないか! 我らをさしおき遼に援兵を請うたことにも触れていない! なかったことにするつもりか!!」

 

 荒武者を地で行く二郎だ。剣すら抜きそうな勢いだったが、それを止めたのは父である。

 

「黙れ。詔書である。楊家軍は粛々として進発する。我らのある限り北漢は安泰であることを、太原府に示すのだ」

 

 やはり、こうなった。

 

 誰もが思い詰めたような顔をする中で、三郎はちらりと四郎の様子をうかがった。うつむいて目立たないようにしている、その様が却って目についた。

 

 さても、出陣である。楊家軍のほぼ全軍および七兄弟全員で戦いに行く。三郎は歩兵三千と騎兵五百を率いる。騎兵については増強のためにと集めた良馬をそのまま七郎へ譲っていた。初陣へのはなむけとしてではなく、あの弟ならば精強な騎馬隊を作ると確信してのことだ。

 

「ようやくの出番ですな、兄者」

 

 城郭外で兵の集結を眺めていると、五郎延徳が寄ってきた。危急存亡の秋に臨んでも飄々とした態である。いっそ嬉しげだ。この武人然とした弟には、事態が動き出したというだけで十分なのかもしれない。

 

「おもしろい戦になればいいのですが」

「兵力差が大きい。この期に及んでも援兵があるとは思えない。難しいだろうよ」

「それはそうでしょうが、一度もぶつからないということもないでしょう」

「どうだかな」

「父上が執る戦です。俺は期待していますよ」

「……そうだな。無様な戦いにならないことだけは確信が持てる」

 

 父・楊業が戦争の天才であることは疑いようもなかった。一人の兵法者としても、一部隊の隊長としても、一軍の指揮者としても、父以上の強者というものを三郎は想像すらできない。

 

 英雄なのだ、楊業という人間は。

 

 戦乱の世にあっては最も尊敬される者であり、それがために帝との間に隙間風が吹く。遣る瀬無い話ではあった。苦悩のほども察せられた。主君が英邁であればどれだけの戦功を積めたものか知れない。

 

 しかし、と三郎は思う。もとより多くの人間は英雄の基準で生きられやしない。それをわからないでいては、どんなに己が美しく在ろうとも、結局は無残な最期を迎えるに違いないのだ。

 

「六郎は、また兵のところか」

「ええ。自信がないのでしょう。あいつはまだ前面に出せませんな」

「……優れた将になりそうなのだが。それこそ、俺よりもよっぽどに」

「兄者はいつもそう言いますがね。あいつは根本的に軍人に向いていない気がしますよ、俺は」

「そうかなあ」

「兵に慕われてはいるようです。それはつまり、やさしい男というわけで」

「まあ、軍人以外の道にも通じそうではある。楊家の男としては虚しい話だが」

「その点、七郎は天性の騎兵ですな。あいつの百騎は三郎兄上でも手こずるでしょう」

「うむ。だが、あいつもやさしくないわけではないぞ」

「そりゃあ、俺や兄上に比べればそうでしょうよ。しかしやさしい男というよりは、気のいい馬という気がしますな」

「上手いことを言うなあ、お前」

 

 笑って、それぞれの持ち場へと別れた。ほどなく父の直率する旗本たちが城郭外へ出てきた。

 

 そして楊家軍二万五千が征く。

 

 楊業の旗印である「令」の字を堂々と掲げ、さりとて帝の閲兵を受けることもなく、後方支援はおろか補給すら怪しいままに、南へ。岳陽へ。

 

 これが北漢の命運を決する最後の戦いになることを、誰もが心密かに理解しながら。


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