エルロイド教授の妖精的事件簿   作:高田正人

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プロローグ・絵本に対する駄目出し と 妖精の研究家 の 話
00-1


 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 絵に描いたようなお城の大広間が、彼女の眼前に広がっている。

 

 燦然と輝く天井のシャンデリア。窓の外は漆黒の闇。それとは対照的に、ぴかぴかに磨き抜かれた白亜の壁。分厚い絨毯の敷かれた床。大広間を埋め尽くすのは、思い思いに談笑する着飾った貴族や王族の男女。あまりにも典型的かつありきたりで、何とも現実味に乏しい光景だった。

 

「さあ、一緒に行こう、灰色姫」

 

 着飾った彼女の隣でほほ笑むのは、金髪碧眼の美男子。この国の王子様という立ち位置だが、それ以外の何も個性と呼べるものはなかった。確かに顔はハンサムではあるが、逆に言えばハンサムでしかない。

 

「いや……マーシャ・ダニスレート」

 

 本名を呼ばれ、とりあえず彼女はうなずく。

 

「はい、仰せのままに」

 

 彼女と王子様が大広間に入るや否や、居並ぶ賓客たちはぴたりとおしゃべりをやめてこちらを向いた。そのただ中で、王子様は胸を張って宣言する。

 

「諸君! 私はようやく、あの白銀の靴の持ち主を捜し当てた! 彼女、マーシャ・ダニスレートこそが、白銀の靴の持ち主だ。故に私は、約束通りここに彼女を私の妃とすることを宣言する!」

 

 発言としても演出としても凡庸なそれの答えは、割れんばかりの拍手と喝采だ。すべての貴族と王族が、今まさに彼女と王子様の婚姻を祝福している。無条件で、ただそう在るべくして。

 

「さあ、今宵は宴だ! この幸いな日を私と共に祝してくれ!」

 

 王子様の喜びの声と共に、遠くにいた楽団が舞曲を演奏し始める。舞踏会の始まりだ。

 

「…………それでは改めて」

 

 パートナーを決めて踊り出す群集から目を逸らし、王子様は彼女に向き直った。

 

「あの夜のように、私と一緒に踊ってくれないか、姫」

 

 彼女がまだ幼い少女だったら、この申し出に目を輝かせ、この場面に陶酔したかもしれない。しかし、もう成人している彼女の胸中に昂揚などはない。

 

「喜んで、王子さ…………」

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 「そういう筋書きだから」という理由で、マーシャがお誘いに応じようとしたその時だった。

 

「却下だ!」

 

 大広間に響くワルツを切り裂いて、突然一人の男性の声が響き渡った。

 

「却下! 却下する!」

 

 続いて、こちらに歩み寄る靴音。

 

「却下却下却下却下すべて却下だ! 何もかも、徹頭徹尾、一切合切、最初から最後まで、ことごとく却下する!」

 

 ぴたりと止む音楽。さらに動きを止める人々。不自然すぎる沈黙と停止を一顧だにせず、マーシャと王子様の方に向かってくる人物がいる。黒いローブに尖った帽子、さらに節くれ立った木の杖を手にした壮年の男性だ。

 

「教授? そんなことをいきなり言い出しても…………」

 

 マーシャが教授と呼んだ男性は、地団駄を踏みながらさらに言葉を続ける。

 

「下らん! 心底下らん! 何だこのありきたりな上に野暮ったい台本は! 虫酸が走るとはこのことだ!」

 

 男性はまるで、鑑賞していた演劇があまりにも稚拙であるため、舞台に上がって文句を言い始めた観衆のようなことを言っていた。鼻息も荒く、彼はマーシャの隣で停止している王子様に自分の杖の先端を突きつけて怒鳴る。

 

「まずは王子! ゆくゆくは一国を統治する王族でありながら、一夜の舞踏会で見初めただけの町娘を妃にするとは何事だ! 自分の一挙一動が国政を左右することをわきまえたまえ!」

 

 続いて、その杖の先端はマーシャにも向けられた。

 

「そして灰色姫!」

「わ、私もですか? 私はただ物語の筋書き通りに行動しただけで…………」

「まったく、君はなぜ継母一家にいじめられっぱなしなのだ! 少しは頭を使いたまえ! こんな唐変木と婚姻しなくても、知恵を働かせればあの愚者どもから手を切る手段などいくらでもあるぞ!」

 

 当惑するマーシャを完全に無視し、男性はよく分からない持論を展開する。

 

「はあ、ご高説どうもありがとうございます。まったく参考になりませんが」

 

 実に冷ややかかつ慇懃なマーシャだが、男性はさらに一人で過熱していく。

 

「続いて大臣以下有象無象の役人ども! 君たちの存在理由は王と王子の補佐であり、彼らが間違った判断を下せばそれを正すのが仕事なのだ! それを血迷った王子の独断を諫めるどころか狂信的に支持するなど……私には到底理解しがたい!」

 

 彼は杖を振り回して声を張り上げるが、周囲からは何の反応も返ってこない。

 

「そしてもう一つ! なぜこの私が、よりによって魔法使いという役なのだ!」

 

 そしてついに、男性は完全に激昂した。自らの頭から帽子をむしり取って放り投げ、杖を真っ二つにへし折ってさらにはローブを引き裂く。その下に着ていたのは、近代的なスーツの上下だ。

 

「下らん! 馬鹿げている! あってはならん! この世に魔法などない。魔法も、魔術も、妖術も、呪術も、そういった類は一切存在しないし存在するはずがない! 馬鹿馬鹿しさもここに極まる!」

 

 一人だけ場違いな服装になった男性は宙を仰ぎ、先程の王子様のように宣言した。

 

「故にこの物語はすべて却下だ! 却下! 却下するッ!」

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

「気が済まれましたか? ヘンリッジ・サイニング・エルロイド教授」

 

 ここはドランフォート大学の研究室。帝国の首都ロンディーグに建つ名門校の一室だ。教授陣に個別に割り当てられたそこは、半ば彼らの私室でもある。かなり散らかってはいるものの、家具も照明も内装も揃って一級品だ。その床に落ちている一冊の本を、一人の女性が拾い上げる。

 

 大学には似つかわしくない、黒のロングスカートにエプロン姿という、典型的な侍女の出で立ちだ。自宅で働く女性が、主人の職場に着いてきたようにしか見えない。彼女はマーシャ・ダニスレート。先程までどういうわけか、灰色姫という子供向けの童話で主人公を演じていた女性だ。現実の彼女の職業は妃などではなく、大学教授の助手である。

 

 服装こそ雑用が仕事の侍女のそれだが、彼女の外見はそれに似つかわしくはなかった。やや長身の体形はほどよく均整が取れ、立ち居振る舞いも粗野なところが少しもない。芯が強く物怖じしない性格が見て取れる顔立ちも、充分美人の部類に入る。やや茶色がかった金髪の下に隠れがちな彼女の両目は、右が青、左が緑という珍しいオッドアイだ。

 

「多少溜飲が下がったが、まだ不愉快だ」

 

 マーシャの問いかけに、この研究室の主が机に肘をつきつつ返答した。年齢のわりに腕や腹に贅肉のない、すらりとした壮年の男性だ。着ているスーツも品がよく高級品らしい。丁寧に分けた黒髪の下には苦虫を噛み潰したような顔があるが、本来は理知的でいかにも真面目かつ几帳面そうな顔付きなのだろう。

 

 彼の名はヘンリッジ・サイニング・エルロイド。ドランフォート大学で教鞭を執る教育者の一人である。しかしこの大学では、彼の名前はある二文字とイコールで結ばれる。それは「変人」の二文字だ。教授という職に就きながら、自分の研究のみに没頭し、学校も生徒も他の何者も顧みない人間。すなわち札付きのマッド・サイエンティストである。

 

「子供向けの絵本の内容ですよ。私は、そこまで目くじらを立てる必要はないと思いますが?」

「マーシャ、君は何を言っている。子供向けだからこそ、情操教育にふさわしいものを提供する義務が大人にはあるのだ」

 

 エルロイドはマーシャから受け取った絵本を、まるで疫病の感染源のように嫌悪感をあらわにしつつ引き出しにしまう。

 

「継母たちにいじめられていた少女が、魔法使いの力を借りて王城の舞踏会に出席。そこで王子に見初められるがいったんは別れ、その後履いていた白銀の靴が決め手となって彼と結婚する……か。ふん、実に下らん。才能も努力もなければ、周囲と協力する精神もない輩が、ただある日突然幸運が転がり込んでこないかと期待するだけの物語だ」

 

 エルロイドが一方的に非難するそれは、「灰色姫」という昔話のあらすじだ。たかが童話一つにここまでむきになるのは実に大人げないのだが、当のエルロイドはまったくそれに気づいている様子はない。

 

「だが、どれだけ絵本の内容が低俗でも、私の研究には役だった」

 

 一通りけなして気が済んだのか、彼は少し落ち着いた様子で椅子に座りなおす。

 

「マーシャ、妖精の用意した舞台とはいえ、君には下らない芝居に付き合ってもらったな」

 

 ――妖精。それは、科学がそろそろ迷信を駆逐しつつあるこの時代では、徐々に消えつつある幻想の存在だ。けれども、おとぎ話を低俗と断じる彼が妖精の実在を疑う様子はない。そもそも、この気難しい大学教授の研究対象こそ、ほかでもない妖精なのだ。

 

 事実、エルロイドは帝国中をかけずり回り、様々な妖精による怪事を蒐集してきた。先程の絵本もその一つだ。この本を開いた者は、物語を実体験することになる。子供にとっては灰色姫になれる至福の体験だろうが、大人二人にとってはただのぎこちない芝居である。絵本に住み着いた妖精も、今頃エルロイドの罵詈雑言に涙目になっているだろう。

 

「少しは楽しかったですよ。お姫様の気分も味わえましたし」

 

 しかし、マーシャは笑顔でそう言う。確かに背景は書き割りめいているし、人物は皆大根役者だったが、それでも妖精たちが読み手のために一生懸命作った小さな舞台である。

 

「助手の君が、実はお姫様、か」

 

 一方で、魔法使いを演じさせられたエルロイドは、胡乱な目つきでマーシャを見る。

 

「普段の態度を改める気になりましたか?」

「まさか。君が王女など、たとえ天地がひっくり返ってもあり得んよ」

 

 自称秀才のエルロイドだが、今の彼に当てはまる言葉はただ一つだ。すなわち「見る目がない」。この変人教授が、自分の助手の出生について真実を知る日が来るか否か。

 

 ――――それは「神のみぞ知る」ならぬ「妖精のみぞ知る」であった。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 


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