エルロイド教授の妖精的事件簿   作:高田正人

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 ◆◇◆◇◆◇

 

 

「シディ君をねぎらってあげましょうよ」

 

 大学の研究室で、マーシャはそんなことを言い出した。様々な新聞や資料に添えられた妖精の写真を、マーシャは本物と偽物に分類している。

 

「藪から棒に何を言い出すのかね、君は」

 

 机に向かい書き物をしていたエルロイドは、胡乱な目で彼女を見た。

 

「だって、あの子は十四歳ですよ。仕事一筋なんて可哀想です」

「問題視するほどのことかね」

「ことなんですよ」

「私はそうは思わないが。彼が執事として仕えるのは、我がエルロイド家とマクホーネン家との正式な契約に基づいている。彼にはきちんと給金も遅れることなく支払っている。無理難題を押しつけたり、虐待や折檻も行っていない。マーシャ、この上君はいったい何を私と彼との間に望んでいるのかね?」

「ふっふっふ」

 

 言質を取った、と言わんばかりにマーシャは含み笑いをもらす。

 

「気色悪い笑い方をするのはやめなさい。私の鼓膜が、音として脳に伝えることを拒絶しないのが不思議なくらいだ」

 

 案の定、エルロイドは嫌な顔をする。

 

「教授、ご自分と照らし合わせて考えることをお忘れですか?」

「何?」

「教授は以前、ランドファリーの靴屋でおっしゃいましたよね。ご自分の研究を、女王陛下がご覧になったと」

「ああ、その通りだ」

「そして、女王陛下からお褒めの言葉を賜ったと。その誉め言葉は、教授のお仕事に対する情熱を燃え立たせるものとなったのではないですか?」

 

 比較的理路整然とした彼女の理屈に、エルロイドは考え込む。

 

「ふむ……確かに同感だ。あれほどの名誉と歓喜、生まれてこの方味わったことがない」

「ですから、教授が女王陛下から賜ったものを、今度は教授がシディ君にお渡しになる番だと思いませんか? ね?」

 

 ここぞとばかりに、マーシャは力説する。しばらくの間エルロイドは沈黙したが、やがてため息混じりにうなずいた。

 

「――まったく、君は人を乗せるのだけはうまいな。尻を鞭で叩かれなければ、論文一つ書くこともできぬこの大学の無知蒙昧の学徒どもより、よほどましかもしれん。少なくとも、やる気はある」

「学生さんたちと私とでは、分野が違いますよ」

「それを踏まえた上で、私は言っているのだが」

「光栄です、教授」

 

 と、ここまではとんとん拍子に思えたのだが、突如彼は首を左右に振る。

 

「ふん。だが、手放しで賛同はできんな」

「ええっ? どうしてですか?」

「では、今日私が自宅で、突然シディを呼び止めて日々の感謝を述べるところを想像してみたまえ。どうだ?」

「とても素敵だと思いますよ。紳士的です」

 

 本心からマーシャはそう言ったのだが、残念ながらエルロイドは哀れなものを見る目で彼女を見る。

 

「君の想像力はどうやら惨めなまでに壊滅しているようだな。頭蓋骨の中に守られているものはいったい何だね? 私にはキノコの変種に思えてくるのだが」

「教授、言い過ぎです」

「そう言われたくなければ頭を捻りたまえ。そもそも、理由がない」

 

 そう言われてマーシャは考えてみるが、見当が付かない。

 

「理由ですか?」

「誉める理由がないのに誉める。それを人は世辞というのだよ」

「そんなの『いつもありがとう、これからも頼むよ』でいいんじゃないでしょうか?」

「マーシャ、君は執事足らんとするシディの立場というものが何も分かっていないな」

 

 エルロイドは呆れた様子で腕を組む。

 

「彼と私にとって、彼が有能で従順な執事であるのは、空気のように自然なことなのだ。それを誉めてどうする。君は『毎日呼吸ができて偉いよ』と言われて喜ぶのかね。だとしたら実に安いプライドだな。念のため言っておくが、肺や気管に疾患を患っている病者は、呼吸ができるだけでもねぎらうべき相手だがな。健康な君だからそう言っている」

 

 エルロイドの自説にマーシャは多少頭が痛くなるが、何とか理解したつもりになる。

 

「ただ誉められても、シディ君のプライドが傷ついてしまうということでしょうか」

 

 有能で当たり前の扱いならば、気が張って大変だろう、とマーシャは思う。だとしたら、ますますねぎらってやりたく思うのだが、彼女はそれが老婆心であることに気づいていない。

 

「そのようなところだ。分かったならばいい加減時間の無駄だから……」

 

 話を打ち切ろうとしたエルロイドだが、一方のマーシャはぱっと顔色をよくして手を叩く。

 

「じゃあ、まず誉められるようなことをすればいいんですね」

 

 彼女のその積極的な態度に、エルロイドはつける薬がないと言わんばかりに首を振った。

 

「マーシャ……いや、もう何も言うまい」

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 数日後、マーシャとシディはエルロイドの書斎にいた。

 

「お姉さんがどうしていきなりこんなことを言い出したのか、正真正銘さっぱり理解不能だけどさ」

「はい」

「まあ、一応感謝しておくよ。ありがとう。オレじゃ、見つけられなかったからさ」

 

 いつも小生意気なことばかり言うシディだが、とりあえずマーシャに感謝する理由ができたらしい。

 

「どういたしまして。だって、私一応『お姉さん』ですから」

「年齢だけで他人から尊敬を勝ち得ようなんて、オレは虫がよすぎると思うけどな」

 

 ただそれだけで胸を張るマーシャに、シディはたちまち殊勝な態度をひるがえした。

 

「とにかく、どうするんだ?」

「まあ、見てて下さい。って言っても、見るのは難しいですけど」

 

 そう言うと、マーシャは窓を開ける。

 

「さあ、お出でなさい――」

 

 その言葉と共に、マーシャの左目が緑色に輝く。深く、妖しく。二枚目の瞼が開かれ、異界への道程が示される。

 

「風に乗り空気に溶け、囁きざわめく小鳥のような妖精たち――」

 

 彼女の言葉と共にどこからともなくわずかな風が吹き、部屋の中へと入ってくる。数匹の妖精と共に。

 

 その姿は、鳥のようにも小人のようにも見える。曖昧で不可思議な、両者の混じり合ったものだ。けれども、その姿はシディには見えないらしく、彼からは何の反応もない。

 

「あなたたちの目と手を、少しの間お借りしてもいいですか?」

 

 マーシャのその言葉に、宙に浮く数匹の妖精たちは無言のまま、そろってぺこりとお辞儀をした。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 


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