エルロイド教授の妖精的事件簿   作:高田正人

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 ◆◇◆◇◆◇

 

 

「こんな夜更けに、いったい何をしているのだね? 実に、実に怪しいなあ」

 

 警吏は立派なカイゼルひげの端を指で捻りつつ、こちらへと大股で近づいてきた。おまけに腰から警棒を抜くと、くるくると回してみせる。

 

「いい年をした男性と、うら若き女性が一組。ふむふむ、どうにも事件の匂いがするな。するなあ」

 

 さらに、ぐっと顔を二人に近づける。

 

「そ、そんなことありません!」

「いいや! これはどうにも看過できる事態ではないですぞ。駆け落ち、不倫、道ならぬ恋、はたまた悲恋かあだ花か。本官は絶対に、絶対に見過ごすわけにはいきませぬなあ」

 

 マーシャの抗議を、警吏は平然と聞き流す。何のつもりか、二人の周囲をぐるぐると回っている。まるで散歩中のイヌのような動作だ。

 

「ふん、厄介な相手に目をつけられたな」

「教授、言い過ぎですよ」

 

 小声で呟いたエルロイドとそれを諫めたマーシャだが、あいにくこの警吏は地獄耳だったらしい。

 

「むむむ、そこの紳士。日々首都の治安を守るために奮闘する官憲の働きを嘲るのみならず、本官を厄介者扱いとはなんたる非礼。公務の執行を妨害するつもりかね? つもりかね?」

「さて、どうだろうな」

 

 挑発するかのように、エルロイドは大げさに肩をすくめた。

 

「それで、君たちの名前は?」

 

 気に食わないと言わんばかりの視線を一度エルロイドに向けてから、警吏は手帖と鉛筆を取り出して書く用意をする。どうやら、すっかりこちらを不審者扱いしているようだ。

 

「はい、私は…………」

「エギルネフ・グニークス・ディオーレ。トロフナード大学の教授を務めている。そしてこっちの女性はアフサン・エタレシナード。私の助手だ」

 

 本名を言おうとしたマーシャを制し、すらすらとエルロイドは二人の偽名と偽の勤め先を口にする。その名にマーシャは聞き覚えがある。以前彼が遊びでした、本名の逆読みをベースにアレンジを加えたものだ。

 

「ふむふむ、聞き覚えのない大学だな。ふむふむ」

 

 スペルを聞きもせずに、警吏はその名を手帖に書き留めた。

 

「おいおい、君。いやしくも女王陛下の臣民に仕える警吏ともあろう者が、私の務める高名なトロフナード大学を知らないのかね? んん?」

 

 不審がる警吏に、露骨な侮蔑の視線をエルロイドは向ける。

 

「なっ、なっ、なにを言うのかね、言うのかね?」

「そもそも君は、本当に警吏なのかね」

「し、失礼な! 本官が警吏ではないと言いがかりをつけるつもりかね! 今すぐ留置場に入りたいようだな! だな!」

「おいおい、何をむきになっている。やましいことがないのならば、悠然かつ泰然と構えていたまえよ。この私を見習うといい」

 

 顔を真っ赤にしていきり立つ警吏と、冷ややかでどうにも芝居がかった態度のエルロイドは実に対照的だ。

 

「そっ、それで、君たちはこんな夜更けに何をしているのかね。さっさと本官に自白するんだ。それで罪は軽くなるぞ、たぶん、たぶん」

 

 つくづく、この警吏の口ぶりは奇妙だ。はっきり言って怪しいが、エルロイドはきちんと彼に付き合っている。

 

「夜釣りだよ。釣り竿にバケツ。この格好を見て、釣り以外の何をしていると君は言うのかね? 狩猟かね? 庭いじりかね?」

「それで、釣れたのかね?」

「見てみるかね? もっとも、霧の中を泳ぐ不思議な魚の姿をした妖精の一種だ。くれぐれも、逃がさないように」

 

 冗談のようなことを、エルロイドは真顔で言う。

 

「速く、速くよこすんだ。ほら、ほら」

 

 エルロイドが突き出したバケツを、警吏はひったくって中を見る。

 

「おお……これは…………」

 

 何やら嬉しそうな声と共に、彼の口元がにやりと歪む。

 

「うまそうだ…………」

 

 その言葉に、さすがのマーシャも違和感を覚えた。妖精の種であるこの魚をきちんと視認した上に、うまそうと言うこの人は何だ?

 

「……マーシャ」

「どうしました?」

 

 不気味なものを見る目のマーシャに、隣のエルロイドがそっと囁く。

 

「こいつの後ろを見たまえ」

「え?」

「気づかれないように、さりげなく、だぞ」

 

 そう言われて、マーシャは抜き足差し足で警吏の後ろに回り込む。幸い、警吏はにやつきながら魚を眺めていて、こちらにはまったく関心を示していない。

 

「……ええっ?」

 

 一瞬、それを見たマーシャはびっくりして大声を上げそうになり、慌てて口元を押さえた。何しろ、警吏の制服のズボンからは、獣の尾が伸びているのだ。

 

「キツネ?」

「恐らくカワウソだよ。まったく、君の目はつくづく面白い連中を引き寄せてくれるな。表面上は取り繕っているが、あいにくと頭隠して尻隠さずという奴だな」

 

 エルロイドは、おかしそうにくつくつと笑う。

 

「ど、どうして教授は、この人が……カワウソ? だと分かったんです?」

「ちらちらとそれらしきものが見えていたからな。霧の中を泳ぐ魚がいるのだ。官憲に化けるカワウソがいてもおかしくはあるまい。まったく、妖精女王の目を持つ君が、あっさりと騙されてどうする。人間として情けなくないのかね」

 

 マーシャと違って、エルロイドは即この警吏が妖精の類であることを見破ったらしい。

 

「すみません……」

「まあ、君の場合はその目があるからな。小細工を見破ろうと気を張る必要などないのか」

 

 彼の言う通り、マーシャの左目は妖精の偽装をすべて打ち破る力を持っている。多少騙されやすくても、なお余りある異能の効力だ。

 

「そろそろいいかね?」

 

 エルロイドが声をかけると、妖精の一種とおぼしき警吏は、ようやく真面目ぶった顔に戻る。

 

「ふ、ふむ。どうやら、暗闇に乗じていかがわしい行為に及ぼうとしていたのではないようだな。関心、関心」

「なっ……そ、そんなことあるわけないじゃないですか!」

 

 とんでもないことを言われ、マーシャの顔が赤くなる。

 

「ならば、それを無罪放免ということで返してもらおうか。研究用のサンプルとして取っておきたいのでね」

 

 バケツに向かって伸ばされたエルロイドの手を、乱暴に警吏は払いのける。

 

「いいや、これは没収である。没収!」

「ほう、その理由は?」

「え~と、その、う~ん……そう、強固復権であるからである! 強固復権!」

「……それを言うなら、証拠物件ではないのかね?」

「そう! そうそうそ~う! 証拠物件として本官が預かるのである! 異論はないな? ないな?」

 

 居丈高にまくし立てる警吏に、なぜかエルロイドは折れた様子でうなずく。

 

「まあ、仕方がないな」

「うむ、ならばよし! よし! 行っていいぞ、ほら! 行っていい!」

 

 さっさといなくなれと言わんばかりに邪険にする警吏に、さらにエルロイドは食い下がった。

 

「ところで……」

「ん? まだ何かあるのかね?」

「ネストラーム警視はお元気かね? 首都の警吏ならば、彼の直属ではないのかな?」

「ネ、ネスト……ラー……ム?」

 

 突然の人名に、警視は目をしばたたかせている。反応に窮しているのは間違いない。

 

「そう、私は彼とはずいぶん懇意にしていてね。このところ会っていないので、少々心配なのだよ。で、どうだね?」

「も、もちろん元気である! 日々健康そのものだそうだ! 元気で健康!」

「それはよかった。寝覚めはいいと?」

「もちろん!」「毎日愛妻の食事を平らげていると?」

「当然だ!」

「撞球の腕も最近上がったのではないかね?」

「その通り!」

 

 エルロイドの言葉に一つ一つ大げさに同意する警吏を、突然彼は睨みつける。

 

「君」

 

 その言葉の冷たさに、それまで威張っていた警吏がびくりと震えた。

 

「そもそも、ネストラームなる人物など、存在しないのだが?」

「は、はいぃ!?」

「全部、私の空想の産物だ。さて、架空の人物と知り合いと豪語する君は、いったい誰なのかな?」

 

 あまりにも単純な引っかけにまんまとはまった警吏は、目を白黒させたまま冷や汗を垂らしている。自分が偽りの警吏だとばれてしまったのが、よく分かるのだろう。

 

「もういい。マーシャ、その左目で見たまえ」

「はい」

 

 そう命じられ、マーシャは一歩前に進み出る。自分の内にある二枚目の瞼を開く感覚。それと共に、彼女の左目が緑色に輝く。

 

「そ、そ、その目は! その目はぁ!」

 

 警吏が、まるで暴風をまともに浴びたかのようにのけぞり、次いで悲鳴を上げた。それは明らかに人間の声帯が出す音ではなく、獣の金切り声だった。持っていたバケツが地面に落ちる。一瞬で警吏の姿は引き裂かれるようにして消え、そこにいたのは小さなカワウソだった。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

「いじめすぎですよ、教授。初めから私が左目で見ればよかったんじゃないですか?」

 

 後ろを振り返ることなく、一目散に霧の中へ逃げ去っていくカワウソから目を逸らし、マーシャはエルロイドをたしなめる。

 

「何を言う。人外と会話できる機会など、そうあるものではない。時間を費やす価値はあった」

 

 マーシャの言葉に対し、エルロイドは悪びれる様子は一切ない。これもまた、彼にとっては妖精研究の一環らしい。

 

「それに……」

 

 地面に落ちたバケツを、エルロイドは拾い上げる。何匹か逃げてしまったが、残っている魚もいるようだ。

 

「人間をなめてかかった妖精が、吠え面をかいて醜態をさらすのを見るのはなかなか痛快だっただろう?」

 

 そう言って冷ややかに笑うエルロイドに、マーシャはため息をついた。

 

「教授って…………」

「知性的だ、と言いたいのだろう。分かるとも。君の言いたいことは、きちんと分かる」

 

 勝手にマーシャの言葉の続きを断定してうなずいているエルロイドに、彼女ははっきりとこう告げた。

 

「結構性格がねじけていらっしゃるんですね」

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 


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