エルロイド教授の妖精的事件簿   作:高田正人

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 ◆◇◆◇◆◇

 

 

「教授、そろそろ機嫌を直して下さいよ」

 

 次の日の午後、大学の研究室にこもっていたエルロイドを、マーシャは気分転換の散歩に連れ出していた。川沿いの道を、二人はやや早足で歩いている。

 

「マーシャ!」

 

 しかし、当のエルロイドの機嫌は、現在最悪の状況だ。

 

「この私が! 機嫌を悪くしていると! 君は言いたいのかね!?」

「違うんですか?」

 

 だが、彼は自分が不機嫌だと認めたくはないらしい。マーシャの問いに、エルロイドはそっぽを向いて虚勢を張る。

 

「ふん、私はちっとも不機嫌ではない。今日も頭脳は明晰であり、判断は明瞭だ」

「……懐中時計がすられたのは見抜けませんでしたけど」

「なッ……!」

 

 その一言に、彼の顔色が青くなったり赤くなったりと忙しい。

 

「ま、まだすられたと決まったわけではなかろう! 昨日私がどこかで落とした可能性もある!」

 

 彼が不機嫌な理由は一つ。昨晩帰宅して気づいたのだが、お気に入りの懐中時計をいつの間にかなくしていたらしい。

 

「教授がお調べになった資料によると、東洋の方ではカワウソは時々妖術で人をたぶらかすとされているんでしょう? やっぱり昨日の……」

 

 マーシャの想像は、エルロイドも考えていたらしい。だがそうなると、彼はあの警吏の姿をした妖精に弄ばれていたことになる。魚の妖精を失うことは避けられたが、まんまと気づかぬうちに懐中時計を奪われたのだ。

 

「ああもう、その話はなしだなしだなし! 以後口にしないように、いいな?」

「はい……分かりました」

「よろしい。及第点だ」

 

 赤っ恥をそれ以上直視したくないらしく、エルロイドは強引に話を打ち切る。それにきちんと応じたマーシャだったが……。

 

「あら、カワウソ」

「なにぃ!?」

 

 奇声を上げるエルロイドを無視し、マーシャは少し離れた公園のベンチを見る。そこには、一人の青年が隣に小さな檻を置いて座っている。中にいるのは、確かにカワウソだ。

 

 マーシャとエルロイドの視線に気づいたらしく、青年がこちらを見る。

 

「こんにちは」

「ええ、こんにちは、お二人とも」

 

 目が合ってしまったので、今さらそ知らぬ顔もできず、マーシャは彼に近づいた。

 

「そのカワウソ、もしかしてあなたのペットなんですか?」

「いや、野生の個体だよ。人には慣れていない」

 

 青年は視線を下げ、檻の中で大人しくしているカワウソを見る。季節はずれの厚着をしている青年だ。コートだけでなく、手には手袋、首にはマフラーをしっかりと巻いている。強いくせのある茶色の髪と、色素の薄い青い瞳が印象的な容貌をしている。特にその瞳は、青白いと言ってもいい。まるで、北方の凍てつく空か、海に浮かぶ流氷の色だ。

 

「僕は野生動物を保護する団体に属していてね。こいつは先日この近くの川で保護したんだ。どういうわけか、こんなところにまでやって来て、先祖の記憶でも辿ったんだろうかね?」

 

 穏やかな口調でそう言う青年の言葉に、ついついマーシャは惹きつけられる。

 

「どういうことです?」

 

 何とも不思議な雰囲気の青年だ。ここにいるのに、いないかのようだ。

 

「昔は首都を貫流するこの川も、カワウソや他の野生動物が暮らすきれいな河川だったんだよ。今は見る影もない……と言うほどではないけど、少なくともカワウソには住みにくい場所だね。僕は悲しく思うよ」

 

 青年の視線が、流れる川を見る。どぶ川ではないものの、生活排水や工場廃水が流れ込み、確かに野生動物が健康に住めるとは思いにくい水質だ。

 

「だが、人間の文明が進歩すれば、自然を開発して都市へと作り替えていくのは理の当然だ。そうでなければ、今も人類は洞窟で生活し、生肉に齧り付いていることだろう」

 

 横から、エルロイドが青年との会話に加わった。

 

「ええ。僕もすべてを自然に還せば、それで問題が解決するとは思っていませんよ。万物には調和、釣り合いが必要なのです」

 

 青年は、あの不思議な色の目でエルロイドの方を見る。

 

「善には悪が、光には闇が、生には死が、天には地が、そして現実には幻想が。ありとあらゆるものには、対立する二項があり、故にこそ調和が保たれる。僕たち人間は、それをきちんと管理することによって、ひいては自分たちの立ち位置を見つけられると思うのです」

 

 青年の持論に、エルロイドは難しそうな顔をする。

 

「東洋の陰陽の思想に近いな。ともすればそれは、二つの勢力の間を取り持つことに終始し、正常な進歩と発展を送らせることになりかねないと私は思うが」

「ですが、前へ前へと進むことだけが正しいと信じる姿勢は、同時に後ろを振り返ったり立ち止まることを恐れているようにも見えますね」

 

 双方が持論を主張しているが、幸いけんか腰ではない。

 

「ふん、自分の論説を擁護する姿勢は大事だ。私の生徒も見習ってもらいたいよ」

「こちらこそ、若輩者が知ったようなことを言いました」

 

 そう言って、青年は立ち上がる。

 

「そろそろ行かないと。では」

 

 ベンチから立ち上がって檻を手に持った青年だが、少し歩いてからくるりと振り返った。

 

「そうそう、今日会ったのも何かの縁だね。これを君にあげよう」

 

 青年は分厚いコートのポケットに手を入れると、何かを持ってマーシャに差し出す。

 

「これは…………?」

 

 反射的に手を出してそれを受け取ったマーシャの目が、驚きで大きく見開かれた。

 

「わ、私の懐中時計!? な、な、なぜ君がこれを持っているんだね!?」

 

 マーシャの両手の上に乗っているのは、昨日なくしたはずのエルロイドの懐中時計だったのだ。大あわてでエルロイドはマーシャの手からそれを取ると、蓋を開けて文字盤を見る。多少あちこちが泥で汚れているが、きちんと時計は時間を刻んでいる。

 

「おや、あなたのでしたか。それはよかったですね」

 

 青年は驚く様子もなく、そう言い放つ。

 

「私と君は初対面だろう!? どうしてこんなことが?」

 

 もちろん、昨日の夜気づかれずに青年が彼から盗んだ可能性もある。だが、手に持った檻の中にいるカワウソが、そんな現実的な理由付けを拒んでいる。あまりにもできすぎた話だ。しかし、青年は質問に答えることはせず、そのままきびすを返して立ち去っていく。

 

「ま、待ちたまえ!」

 

 なおも追いすがろうとするエルロイドに、青年は振り返る。

 

「昔から、こういう不思議が起きたときに、人々は言っていたんじゃないですか?」

 

 そして、彼は言う。

 

「――――妖精の仕業って」

 

 ――――これが、妖精を目で見る女性、マーシャ・ダニスレートと、妖精の血を引く男性、ダヴィグ・オリエンとの出会いだった。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 


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