エルロイド教授の妖精的事件簿   作:高田正人

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 ◆◇◆◇◆◇

 

 

「俺を説得しようと居座るかと思ったけど、ずいぶんと早く帰るんだな」

 

 次の日、マーシャとエルロイドはダランの屋敷を後にしようとしていた。あくまでも帰る気がないならば、さっさとダランは二人を追い出せばいいのだが、こうやって彼は律儀に見送りに来ている。果たしてどこまで彼が帰る気がないのか、マーシャは分からなかった。

 

「その子たち……」

 

 彼女は、相変わらず腰巾着のようにダランにベタベタ引っ付いている三人の少女たちを見る。

 

「ああ、シルとフェンとユーか。どうしたの?」

「外に出入りするときは、アザラシの姿だって言いましたよね」

 

 それは、昨日ダランが話したことだ。三人の妖精は、アザラシの皮をかぶって化けられると言っていた。

 

「え、うん。そうらしいな。見たことはないけど。アザラシの皮をかぶって人の目をごまかしているんだ。動物の皮を脱いだら、中には可愛い女の子がいる。面白いだろう?」

 

 いきなりマーシャに尋ねられ、ダランはどぎまぎしつつも答える。

 

「それがどうしたんだ?」

「ならば、女の子の皮の下には、何がいると思います?」

「へ?」

 

 不可解なマーシャの言葉に、ダランは目を丸くした。彼女の言葉がまったく理解できていないらしい。

 

「ダラン・フーハンガーさん。この場所は、もう寿命なんです」

 

 マーシャは心苦しさを覚えつつも、ついに本当のことを口にする。

 

「じゅ、寿命?」

 

 それは、彼女が妖精女王の目を持つ故に分かった、理想郷の真実だった。

 

「ここは妖精たちの隠れ里です。本当ならば、もう寿命を迎えて、閉鎖する場所だったんですよ。妖精たちはあなたとほんの短い間遊びました。でも、それももう終わり。一緒に帰りましょう」

 

 彼女の言葉に、妖精たちが反応する。

 

「ツァーテス様、帰っちゃ嫌です」

「ずっと一緒にいましょうよ」

「私たちのこと、嫌いになっちゃったんですか?」

 

 ワンパターン極まる甘言だが、ダランの心を鷲掴みにするには充分すぎるほどだった。

 

「い、嫌だ! 俺は帰りたくなんかない。帰らない! ここにずっといるんだ! この子たちだってそれを望んでるぞ! なぜ分からないんだ!」

「それは、この子たちがあなたにとって今一番聞きたい言葉を発しているだけです。意味はありません」

 

 マーシャは、この妖精の隠れ里で何度も似たようなものを見てきた。甘い言葉、甘いシチュエーション、甘いキャラクター。だが、それらはすべて張りぼてであり、何の意味もない。

 

「もう、この子たちは抜け殻です。その本質は妖精郷に帰っています。あなたはずっと、抜け殻相手に一人芝居をしているんですよ」

「嘘をつくな! いったい、何様のつもりで俺に説教するんだ!」

 

 マーシャの言葉に耐えられなかったのか、ダランは腰の剣を引き抜いて切っ先を彼女に突きつける。だが、マーシャが一瞥すると剣はひとりでに彼の手から落ちた。

 

「なっ、何でぇ!?」

 

 ダランが悲鳴を上げる。妖精の作ったオモチャが、妖精女王の目の持ち主を傷つけられるはずがない。

 

「私がこんなことを言っているのは、それが危険だからです」

「危険って何だよ! 外の方がよっぽど危ないじゃないか!」

「いいえ。ならば、しっかりと見て下さい。この場所の本当の姿を」

 

 とうとう、マーシャは覚悟を決めた。言葉で説得できるのならば、そうしたかった。だが、ここまでしなければならなかったのだ。マーシャの二枚目の瞼が開く。

 

 次の瞬間、世界は一変した。緑豊かな丘陵地帯は、荒廃し変色した大地に。立派な屋敷は焼け跡のようなあばら屋に。地面に落ちた剣は、ただの棒きれに。そして――――。ダランが、言葉にならない絶叫を絞り出した。三人の妖精の真の姿を見たからだ。それは、麦わらを集めて作った、ただのカカシでしかなかったのだ。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 洞窟の外で、ダランは地面にうつ伏して泣きじゃくっていた。漆黒公ツァーテス・シュテンヴェルムなど、どこにもいない。今ここにいるのは、ずいぶんと汚れた制服を着た、ダラン・フーハンガーという一人の少年でしかなかった。

 

「きっと、あの妖精たちは、あなたを騙していたわけじゃないと思います」

 

 ダランを慰めようと、マーシャは言葉を尽くす。妖精女王の目で現実を突きつけるのは、正直言って気が進まなかった。けれども、このまま放っておいて彼の命に関わるのならば、嫌な思いをしてでも真相を見せるしかなかったのだ。

 

「あちこちが限界だったんですけど、それでも最後のお客さんのあなたを歓迎していたんです」

 

 妖精の隠れ家は、既に寿命を迎えていたのだ。妖精たちは妖精郷に抜け殻だけを残して帰り、そして今、最後の客人が隠れ家を後にした。三人の目の前で、門が崩れていく。

 

「これで、もうあの隠れ場所はなくなったのか」

 

 エルロイドが尋ねると、マーシャはうなずいた。

 

「ええ。もし中に人間がいたら、そのまま帰ってこられなかったでしょう」

「その方がよかった!」

 

 突然、うつ伏していたダランが大声を上げた。

 

「また現実に帰るくらいなら、またつまらない連中と付き合うくらいなら、いっそ死んだ方がましだ!」

 

 ダランは拳を握りしめ、何度も地面を殴りつける。

 

「どうしてあんたたち、俺を連れ出したんだ! どうして、あのまま死なせてくれなかったんだよ!」

 

 その顔がこちらを見た。

 

「どうせ、勝手な正義感からだろ! そうやって現実を押しつけて、自分たちの正義を押しつけて、さぞかしいい気持ちだろうな! あんたみたいな現実で成功している連中に、俺みたいな弱い連中のことなんて分かるわけないんだ! 口では俺を助けるみたいな事を言ってるくせに、内心では弱者を見下して自己満足に浸ってるんだよ! この偽善者!」

 

 理想郷から現実へと引き戻された怨みを、これでもかとばかりにダランはエルロイドたちにぶつける。だが、それはどう控えめに見ても八つ当たりでしかなかった。

 

「私も若い頃は君と同じだったよ」

 

 なおも顔を真っ赤にして罵ろうとするダランが、エルロイドのその言葉にぴたりと動きを止めた。

 

「私は父と妾の間に生まれた子だ。幼い頃は兄たちに虐待され、寄宿舎に入ったら上級生たちにいじめられた。初恋の相手には振られ、教師たちからはいわれない差別を受け、就職には失敗し、さらには不治の病を抱えている。おまけに数年前に事業に失敗し、借金まみれだ。家族には縁を切られ、友人もいなければ結婚など夢のまた夢だ」

 

 壮絶な過去を告白したエルロイドだが、ダランが硬直しているのを見て、すぐに言葉を続ける。

 

「――と、私がこのような過去と現状だったのならば、君は満足かね?」

「は?」

「何を驚いている。全部でたらめに決まっているだろう。私の過去を、どうして昨日会ったばかりの君に事細かに説明しなくてはいけないのかね?」

 

 皮肉とも指摘ともつかないエルロイドの言葉に、完全にダランはついて行けないでいる。

 

「私が君を助けたのは、君の捜索を君の父に依頼されていたからだ。ただそれだけだよ。君がどうしても死にたいのならば、家に帰ってから首を吊るか、寄宿舎に戻って窓から飛び降りるべきだな」

 

 そこまで言われて、ダランは何も言い返せなかった。

 

「あんたなんかに、俺の辛さが分かるわけないんだ…………」

 

 そう愚痴ると、彼はうつむく。

 

「確かにそのとおりだ。私は君ではない。どうして君ではない私が君の辛さを理解できるというのだね? できぬことを相手に要求し、叶えられなかったら拗ねるのは時間の無駄だ」

 

 さらにそう言われ、ますます彼はうつむく。

 

「あのまま、死にたかった……」

「架空の好意を示す妖精の抜け殻と共に死ぬのは、いくら何でも惨めではないかね。君は、そんな程度の人間なのか」

「あんたなんかに…………!」

 

 顔を上げたダランは、何が分かる、と言いたかったのだろう。だが、その先は続かなかった。

 

「一つ、提案がある」

 

 エルロイドは顔色一つ変えず、彼の言葉を遮る。

 

「私の助手は、私から見れば荒唐無稽極まる通俗小説にはまっていてね」

 

 いきなり話題を変えられて困っているダランに、マーシャが助け船を出す。

 

「日報に連載されている潜水艦の小説ですよ。読んだことあります?」

 

 その一言で、幸いダランには通じたようだ。

 

「す、少し……じゃなくて、ファンなんだ……実は」

 

 彼は顔を赤らめて告白する。

 

「君も同じような小説を書きたまえ」

 

 エルロイドのその提案は、まさに青天の霹靂だった。

 

「お、俺が?」

「君の冒険活劇、私にはピンと来なかったが、その雰囲気や人物、さらに物語の構成はあの通俗小説とよく似通っている。私は君の空想を、君一人にとどめておくのはもったいないと思う」

 

 平坦だが心のこもった彼の言葉に、ダランの涙が止まった。

 

「で、できるかな……俺」

 

 ややあって、遠慮がちにダランはエルロイドに尋ねる。

 

「私は、できると思う。あの小説が人気なのだ。君が自分の空想をきちんと読める形で文章にするのならば、成功するだろう。それが、君の新しい居場所になるのだ」

 

 エルロイドがそう言うと、ダランは押し黙った。

 

「……どうだね?」

 

 しばらくして、彼は強くうなずく。

 

「書くよ、俺。書いて、成功してやる。絶対に!」

「そうか、そうこなくては」

 

 涙を拭うダランを見て、満足げにエルロイドは腕を組む。

 

「できたら、まず私に見せなさい。私は小説の面白さについては不得手極まるが、文章を読みやすく添削することくらいは可能だ」

 

 ――かくしてここに、後の小説家は最初の一歩を踏み出したのである。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 

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