エルロイド教授の妖精的事件簿   作:高田正人

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10・貯金の使い道 と ちょっとしたデート の 話
10-1


 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 その日、エルロイドは自室の書斎の窓から外を眺めていた。といっても、夜なので外は真っ暗闇だ。眺めているのか、ただ窓の近くに立っているのか、実のところ判別しない。

 

「シディ、困ったことになった」

「何なりと、お申し付け下さい」

 

 彼の執事であるシディは、主人の言葉を聞いて背筋を正す。それこそが、この少年の存在理由だからだ。

 

「最近貯金の使い道がないのだ」

 

 エルロイドが深刻な顔で発したその言葉を受けて、シディの反応は少し遅れた。

 

「は、はい」

 

 「兵は神速を貴ぶ」ではないものの、スピーディーを信条とするシディにしては珍しいことだった。

 

「思えば、このところずっと根を詰めていたからな。この辺りで少し、気晴らしでもしたいところだ」

「おっしゃる通りかと」

 

 人並みなエルロイドの反応に、内心少し喜びつつシディは同意する。エルロイドへの忠心が揺らいだことは生まれてこの方一度もないが、それでも時折彼のエキセントリックな言動にはついて行けないことがある。今回はありがたいことに、実に人間らしい悩みだ。

 

「――と、普通の人間ならば口にするところだろう。だがシディ、私は常人とは異なる」

 

 しかし、シディの月並みな反応に、エルロイドは不満げな顔をする。どうやらブラフだったようだ。

 

「……おっしゃる通りです」

 

 よく分からないまま、シディは再び同意するしかなかった。まんまと引っかかった自分に、彼は内心で舌打ちする。「ドランフォート大学の教授たる方のお悩みにしては、矮小ですね」と言えばよかったのかもしれない。

 

「私にとって仕事は生き甲斐であり、娯楽であり、人生である。世間一般には仕事を苦痛だの退屈だの懲役だのと言う輩もいるが、彼らの問題点はただ一つ、自分の望む仕事に就いていないというだけなのだ。その点私は違う。私の仕事は、私の望みそのものだ。生活に支障が出ないならば、無償でも構わないくらいだ」

「大学で学生たちを相手に講義をするのは、とてつもない苦痛だとおっしゃっていたような気がしますが?」

 

 頭を捻って発したその一言に、さらにエルロイドは顔をしかめる。

 

「シディ、君もマーシャに影響されているようだな。反応の仕方が似てきたぞ」

 

 主の機嫌を損ねてしまったのは明白だ。慌ててシディは謝罪する。

 

「も、申し訳ありません」

 

 あの平凡なくせに妙に腹の据わった助手に似てきては、執事の沽券に関わる。

 

「彼女のような人材は一人いれば充分すぎるほどだ。君まで彼女の言動に倣う必要はないのだぞ。君は君で有能な存在だ」

「ありがとうございます」

 

 叱るだけでなくねぎらいの言葉をかけてくれるエルロイドに、シディは少しだけ顔がにやけてしまうのを隠せなかった。

 

「だが……そうだな。ならば、彼女の日頃のはたらきに何かしら報いる、という名目で少し出費も考えてみようか」

 

 エルロイドがいつもの気まぐれを起こしたらしいが、シディは素早くそれに対応する。

 

「でしたら、このようなものがあります」

「宝飾店のカタログが。悪くない」

 

 彼が差し出した冊子をエルロイドは受け取り、中身を見ていく。

 

「……オパールの指輪か。なかなかいいものだな。面白い。だが、ありきたりだ。私が行うのにふさわしいとは言えない」

 

 このまま購入かと思いきや、彼は冊子を閉じてシディに返した。

 

「まあいい。この際、出費はまた今度考えるとしよう。あの助手と行える、何か手頃な娯楽がないだろうか。シディ、思い当たる節はないか?」

「それでしたら……」

 

 シディはすかさず、引き出しから一通の手紙を差し出す。

 

「以前、このようなものが届けられました」

「ふむ」

 

 受け取るとエルロイドは差出人を確認する。

 

「近々行われる音楽会の招待状です。旦那様は受け取られたときは気乗りしないご様子でしたのでそのままにしておきましたが、いささか状況が変化したのではないでしょうか?」

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

「マーシャ、今何をしている?」

 

 突然のノックに部屋着姿のマーシャが自室のドアを開けてみると、そこにはなぜかエルロイドが立っていた。

 

「お手紙を書いていましたが」

「誰にだ?」

「以前お世話になった服飾店の娘さんです。今度結婚されるので、お祝いの手紙を書こうかと思いまして」

「ふむ、どこで知り合ったのかね?」

 

 なぜか妙にプライベートに関心を払ってくるエルロイドに、マーシャはいぶかしげな顔をする。普段のエルロイドは、自分の研究以外のこの世のすべてに関心がないような顔をしているのだが。

 

「聞きたいですか? 長くなりますけど……」

「いや、いい。君の私事にそこまで関心があるわけではない」

「そうですよね、承知しております」

 

 そう言って会話を終わらせようとしたマーシャだが、エルロイドはまだ立っている。

 

「まだ……何か? あ、分かりました。お仕事ですね。はい、どうぞ!」

 

 ドアを大きく開けて自室に招こうとしたマーシャだが、エルロイドは手を振って否定する。

 

「いや、違う。違う、そうではない」

「はい……?」

 

 何やら、今日の彼は煮え切らないことおびただしい。

 

 と、そこまで説明してから、エルロイドは本論に戻る。

 

「いや、そんなことはどうでもいい。マーシャ、私宛に音楽会の招待状が届いている。チケットは二枚あって困っているのだ。今度、君も一緒に来たまえ」

 

 一気呵成とばかりに自分の目的を告げたエルロイドは、マーシャの反応をじっとうかがっている。しばらく彼女はきょとんとしていたが――

 

「――はい。喜んで」

 

 そう言うと、軽く一礼する。まるで、ダンスに誘われた良家の淑女のように。

 

「そう来なくてはな。当然の反応だ」

 

 エルロイドは悠然としているように見えるものの、どことなくほっとした様子だ。

 

「……一つお聞きしますが」

「何だね」

「教授は、本当に困っていらしたんですか?」

 

 マーシャにそう尋ねられ、彼はうろたえる。

 

「と、当然だ。私は人からの好意はきちんと応えたいと思っている。紳士として振る舞うのは当然の務めだろう。何を言っているのだね、君は」

「そういうことにしておきます。教授からのせっかくのお誘いですもの」

 

 マーシャの笑みに、エルロイドはそっぽを向くことで応える。こうして、彼の目的はとりあえず達成できたのであった。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

「まったく、君は平然と馴染んでいるな。コールウォーンでもこのような会合が頻繁にあったのかね?」

「いいえ、教授。滅多にないですよ」

 

 演奏会当日。会場で夜会服に身を包んだマーシャを見て、改めてエルロイドは感想を述べた。

 

「とてもそうとは思えないな」

 

 普段侍女や助手をしているとは思えないほど、彼女の姿はこの場に溶け込んでいた。

 

「どうですか、私の格好。おかしなところとか、ありません?」

 

 改めてマーシャは、今日の服装の感想をエルロイドに尋ねる。主賓ではないため、色合いや形は地味で目立たない。けれども華美なものや装飾過多なものを嫌うエルロイドにとっては、彼女の外見は充分観賞に堪えうるものだ。

 

「いや、問題ない。よく似合っている」

 

 彼の率直な感想に、マーシャは目を丸くして驚きを露わにする。

 

「教授、今日はすごく紳士的ですね。どうされましたか?」

「私は常日頃から紳士だ。それに、私が選んだコーディネートだ。問題ないのは当然だろう?」

「ふふ、そういうことにしておきましょう」

 

 何やら含みを持たせたマーシャの言葉に、エルロイドが抗議しようとしたその時だった。

 

「あら、あちらの方…………」

 

 マーシャの目が、階上のロイヤルボックスへと向けられる。

 

「ん?」

 

 つられてエルロイドがそちらを見ると、一人の老婦人がこちらを見ているのに気がついた。目立たないが、周囲にそれとなく警備の人間を連れているようだ。

 

「なっ!?」

 

 だが、驚くのはそこではない。彼女の顔に、エルロイドは見覚えがあったのだ。

 

「――じょ、女王陛下ではないか。なぜこのような場所にいらっしゃるのだ?」

 

 エルロイドは大声で叫びそうになるのを、何とか理性で押しとどめる。だが、その厳格かつ気品のある顔立ちは忘れもしない。彼女こそ、帝国女王ゼネディカだ。

 

「陛下だったんですか? でしたらお静かに、教授。きっとお忍びで来ておられるんですよ」

「そ、そうだが……」

 

 落ち着いているマーシャを少し羨ましく思いつつ、彼はおかしなことに気づいた。

 

「いったいなぜ君が陛下のお顔を?」

 

 女王の顔写真が新聞に載ることは稀にあるが、大概は遠くからの写真である。それに、田舎育ちのマーシャがこの国の政治に詳しいとはとても思えない。

 

「いえ、なんだか、以前お会いした方にそっくりだな、と……」

「そっくりだと?」

「はい。コールウォーンのお屋敷に務めていた頃、よく尋ねてきた方なのですが……」

 

 何やら話がおかしな方向に流れていく。エルロイドは、てっきりマーシャが女王を見つけたのだと思っていたが、どうやら違うらしい。彼女は単に知り合いに似た人物を見つけただけのようだ。

 

「陛下は教授とお話しされたいのでしょうか?」

「だとしたら、供の者を使いとしてよこされるはずだ。君の気のせいだろう」

 

 結局のところ、マーシャはただ勘が鋭かっただけのようだ。エルロイドが見ている前で、マーシャは階上の女王に笑顔を見せると、目立たないようにそっと頭を下げる。まるで、しばらく会っていない祖母と再会した孫のような自然な笑顔だ。

 

 その脇でじっとしているのも失礼に当たると思い、エルロイドも彼女に倣って一礼する。対する女王は静かにうなずいただけだ。周囲の護衛らしき人間が何やら動くが、彼女が何事か囁くとすぐに元に戻る。

 

「君は不思議な女性だよ、マーシャ・ダニスレート」

 

 率直なエルロイドの感想に、むしろ彼女の方が不思議そうな顔をするのだった。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 


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