エルロイド教授の妖精的事件簿   作:高田正人

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 ◆◇◆◇◆◇

 

 

「なかなかの演奏だった。生の演奏は指揮者と演奏者の息づかいが伝わるようで、よいものだな」

「蓄音機から聞こえてくる音楽も、それはそれで味がありますけれどね」

 

 演奏会も終わり、マーシャとエルロイドの二人は連れだって廊下を歩いていた。廊下はホールから出てきた人たちでごった返している。

 

「もう、陛下はお帰りになったのでしょうか?」

 

 周囲をきょろきょろと見回すマーシャに対し、エルロイドは無関心なように見える。

 

「さて、分からんな」

 

 だが、果たして本心からそう言っているのかどうかまでは分からない。何しろ女王ゼネディカこそ、かつてエルロイドの研究に目を通すだけでなく直々に褒誉を賜り、彼を奮起させた張本人だからだ。

 

 演奏の余韻に浸っていた二人の背に、突然大声が投げかけられる。

 

「ヘンリッジ! おい、誰かと思ったらヘンリッジじゃないか。ずいぶん久しぶりだな!」

 

 マーシャとエルロイドが振り返ると、そこには一組の男女が立っている。年齢はエルロイドと同じくらいだろう。気障だが野性味のある赤毛の男性と、黒髪の大人しそうな女性だ。

 

「どうしたどうした、珍しいこともあるもんだな。学生の時分は、いつ誘っても絶対に応じなかったお前が、今日は研究室から出てくるなんて、明日は氷柱が降るな。あっはっはっは!」

「ケンディストン……」

 

 人混みを掻き分けるようにしてこちらに近づく男性と、その後ろに続く女性に、エルロイドの口が男性の名前らしきものを発する。

 

「そうだよ。懐かしいなあ、学友にして悪友よぉ。覚えてるか、俺たちの武勇伝の数々を?」

 

 大げさに握手を求めてくる男性に、エルロイドの眉がぴくりと動いた。

 

「すまない、人違いのようだ。帰ってくれたまえ」

 

 くるりと背を向ける彼に続こうかどうしようかとマーシャが迷うひまもなく、ケンディストンと呼ばれた男性は彼を追いかける。

 

「ああああ、すまん、すまん。むしろ朋友、親友、いや畏友だよお前は、なあ、そうだろ? ヘンリッジ・エルロイド」

 

 どうやら、自分のことを悪友呼ばわりされたことが、エルロイドの気に触ったらしい。畏友と呼ばれ、彼は足を止めて振り向く。

 

「……私の方が間違えていたようだ。久しぶりだな、ケンディストン・フーハンガー」

 

 エルロイドは静かに握手に応じる。名前から察するに、彼はイローヌで妖精と暮らしていたダランの親戚のようだ。力強くエルロイドの手を握りしめたケンディストンの目が、後を追って近づくマーシャに向けられる。

 

「そちらのレディは? ま、まさか……」

 

 正装した彼女を見て、彼はとんでもない勘違いをしたらしく、ぱっと顔を輝かせる。

 

「おいおい! ずいぶん若い奥様だなあ。お前の教え子を捕まえたのか? しかも美人じゃないか。お前にはもったいない良妻だなあ、おい」

 

 無茶苦茶な言葉に絶句するマーシャだったが、対するエルロイドはぶすっとした顔で訂正する。

 

「彼女は私の助手だ。勘違いしないように」

「あ、そうか。そりゃ残念だ」

 

 間違いを正されたケンディストンはあっさりと引き下がる。

 

「まあ、ここで立ち話もなんだな。予定がないなら、これから食事でもどうだ? うまいカモ料理の店を見つけたんだ、再開を祝って乾杯といこうじゃないか」

 

 彼に強く勧められ、しばらく考えてからエルロイドはうなずく。

 

「飲酒を無理強いするのでなければ、同行しよう」

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 それからしばらく後。マーシャとエルロイド、それにフーハンガー婦人を含む三人は、ケンディストンの案内で一軒のレストランにいた。店内の照明はほどよく弱められ、静かに会食を楽しむのに最適のムードがかもし出されている。マーシャは周囲をそれとなく見てみると、どうやら自分たち以外にもコンサート帰りの人間が何組かいるようだ。

 

「俺たちの古巣、ドランフォート大学に乾杯!」

 

 高々とグラスを掲げるケンディストンに、渋々といった感じでエルロイドもグラスを掲げる。

 

「女王陛下と帝国に乾杯」

 

 中に入っているのは、アルコールではなくレモン水だ。マーシャはワインをたしなみたかったのだが、彼に配慮して自分も同じものにしている。

 

「マーシャさん、先程は夫の勘違い、すみませんね」

 

 ケンディストンの隣に座る彼の夫人が、丁寧にマーシャに謝る。

 

「いえ、お気になさらないで下さい」

 

 マーシャとしても、それ以上過ちを責める気など毛頭ない。

 

「二人はなかなか似合いのように見えるんだがなあ、俺は」

「人を外面だけで判断する、君の悪癖は直っていないようだな」

 

 エルロイドは給仕にメニューを注文し終えてから相好を崩す。

 

「それにしても、君が代議士か」

 

 エルロイドがマーシャに説明したところによると、このケンディストンという人物は、彼の大学時代の同級生である。その頃は悪童がそのまま成長したような札付きの不良だったが、いつの間にか代議士にまで出世していたようだ。

 

「まあ、八割方親父のコネだな」

 

 あっさりとケンディストンは、出世が親の七光りによると認める。

 

「いいや、六割五分だろう。君の口の上手さは確かに政治家向きだよ」

 

 エルロイドはそう言うと鼻で笑う。

 

「だが、君のような舌先三寸で大脳がカタツムリと同レベルの人間が国政の一端を担う、か。帝国の栄光にもかげりが見えてきそうで空恐ろしいよ」

「馬鹿言え。俺が首相になった暁には、帝国は未曾有の発展を遂げること請け合いだぜ。洋の東西を問わず、帝国の名はこの星全土に知れ渡ることになるのさ」

「その言葉で何人の有権者が釣れるのか、拝見させてもらうとしよう」

 

 あくまでも無愛想な様子を崩すことはないが、エルロイドはそれなりにこの旧友との会話を楽しんでいるようだ。

 

「一方お前は大学の教授か。上層部に絶対に媚びないお前にしちゃかなり早かったな」

 

 ケンディストンに話題を振り向けられ、エルロイドはつまらなそうに答える。

 

「望む研究を続けるためには、それ相応の肩書きが必要だっただけだ。研究さえできるのならば、教授だろうが助教授だろうがなんの興味もない」

「昔からお前は、出世にはちっとも関心がないんだよなあ」

 

 大げさにため息をついてから、ケンディストンはぐっと上半身を近づける。

 

「それで、お望みのものは手に入ったかい、教授?」

 

 即答が返ってこないため、彼いぶかしげな顔をする。

 

「……あれ? 聞いちゃいけない話題だった?」

 

 どうやら、痛いところを突いてしまったと思ったようだ。

 

「いや、そうではない」

 

 ややあって、エルロイドは首を左右に振った。

 

「未だ五里霧中、と表現するほど手詰まりではないが、あいにくと明々白々な結果が出ているわけでもない」

「そりゃ大変だ」

 

 彼の研究がどのようなものか、さらにどれくらい成果が出ているかなどは、ケンディストンの興味を惹かなかったようだ。

 

「早いところ結果を出すか、もしくは期限を決めて諦めろよ。お前も俺も、もう大学時代の頃とは違うんだからな」

 

 代わって、彼はお節介ともとれるようなことを口にした。

 

「何を言う。私はあの時よりもさらに聡明になった。学生時代の聡明さに今の聡明が組み合わされて二倍、いや二乗である」

 

 案の定、エルロイドは不愉快そうな顔で反応する

 

「あー違う違う。そう言う意味じゃないって。お前のインテリはよく分かっているからさ」

 

 大げさに手を振って、彼はエルロイドをあしらう。

 

「そうじゃなくて、お前も俺もいい年だってこと。若くはないぞ、分かってるのか?」

「若さなど……」

 

 鼻で笑って相手にしないエルロイドだが、なおもケンディストンは食い下がる。

 

「まだ独身だろ? それでいいのか? 俺みたいな凡人から見ると、ワケ分からん研究に一生を費やす男なんて、嫁の来手がないぞ。まあ、実家に頼めば何とかなるか。エルロイド家もなかなか良家だし」

「どうでもいいことだ、興味がない」

「お前ならそう言うと思っていたけどな、ヘンリッジ」

 

 そう言って、月下氷人になりつつある旧友は笑う。

 

「君の方はどうなのかね?」

 

 エルロイドはさっさと話題を変える。これ以上結婚についてあれこれ世話を焼かれるのはごめんだ、と思っているのが傍目から見てよく分かる。

 

「ああ、みんな元気さ。チビが最近とみにやんちゃになって困るぜ」

「それはそれは大変なことだ」

 

 ちらりとマーシャがフーハンガー婦人の方を見ると、笑顔でうなずかれた。

 

「だが、楽しいもんだ。自分と連れ合いの血を半分ずつ分け合った人間が存在して、しかもそれが俺の子供だっていうのは不思議な気分だ。自然と、こいつのためなら何でもしてやろうって気になってくる。こいつが健やかに育つのにふさわしい、善い国にしようって気がするんだよ、本気で」

 

 それまでの不真面目な様子とは打って変わって、ケンディストンは柔らかな笑みを浮かべつつ言った。そこにいるのは、かつての不良でも、出世街道を歩む代議士でもない。一人の父親だった。

 

「それを聞いて安心したよ」

 

 そんな旧友の所信表明を聞いて、エルロイドもまた口元にかすかな笑みを浮かべていた。

 

「かつての君ならば、享楽の果てに売国奴になりかねない不信にして不敬な輩だった。だが、今の君ならば安心だ。やや心配な面はあるものの、とりあえず国政を任せるに足る人物だと言えよう」

「ドランフォート大学一の秀才にお墨付きをもらえて、俺としても光栄だね」

 

 何はともあれ、かつての学友たちはテーブルを囲んで旧交を温めるのであった。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 


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