エルロイド教授の妖精的事件簿   作:高田正人

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 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 二人が出会ってから、カレンダーが何枚かめくられ――――。

 

 首都の郊外にあるエルロイド邸。朝の陽光に照らされる庭を二階の窓から見ていたマーシャの顔が、不意に華やぐ。見慣れつつある一台の黒い自動車が、玄関に横付けになったからだ。ようやく彼が、自宅に帰ってきたようだ。

 

 いくらもしないうちに、マーシャの後ろのドアが、大きな音と共に開け放たれた。彼はいつも、ドアをこうやって全開にするのだ。それは、彼女と出会った最初の時から変わることがない。

 

「今帰ったぞ、マーシャ」

 

 両手にトランクを提げ、お気に入りの山高帽を斜めにかぶったエルロイドが、ずかずかと部屋の中へと入ってくる。ここは彼の私室だ。

 

「お帰りなさいませ、エルロイド教授」

 

 それを知ってなお、マーシャは平然とエルロイドに頭を下げる。

 

「マーシャ、またか? なぜそんな珍妙な格好をしたがる?」

 

 勝手に私室にいるマーシャを咎める様子もなく、エルロイドはその元から細い目をさらにいぶかしげに細める。理由はマーシャの出で立ちだ。彼女は、屋敷の侍女が着るような格好をしている。

 

「教授、お忘れですか。私は表向き、この邸宅の侍女として雇われているじゃありませんか」

 

 ロングスカートにエプロン姿のマーシャは、自分の外見の理由を語る。

 

「ああ、そうだな」

 

 しかし、エルロイドは彼女の手を借りずに、自分でインバネスと山高帽をさっさと仕舞い、ポケットから櫛を出すと黒髪を丁寧に梳く。

 

「ですから、この服装です。教授がお出かけの間、きちんとお部屋の整理整頓をしておきました」

 

 マーシャはマーシャなりに、自分の居場所をこの邸宅で見つけようとしていたのだろう。だが、彼女の気苦労をエルロイドはまったく意に介する様子がない。

 

「そんなこと、君がやるべきではなかろう。いいからさっさとその服を脱ぎたまえ」

 

 無論、それは単にエルロイドの助手を務めるマーシャが、邸宅の雑事に従事する侍女でいる必要はないという意味だ。だが、デリカシーのない物言いに、少しだけマーシャは不満そうな顔をする。

 

「教授、その言い方、なんだか嫌らしいです」

 

 彼女の抗議を、彼は鼻であしらう。

 

「心底下らん。年頃の少女でもあるまいし、どうでもいいことだ」

 

 ネクタイを緩めると、一度大きくエルロイドは伸びをする。長身で痩せているため、まるでねじった針金の束のようなシルエットだ。

 

「何はともあれ食事だ食事。朝食にするぞ。腹が減って仕方がない」

 

 どうやら、旅先からロンディーグまで食事も摂らずに列車で帰ってきたようだ。偏屈な教授だが、自宅に対する愛着は人並みにあるのかもしれない。

 

「どうせ、君はもう済ませただろう?」

 

 慌ただしげに階下に降りようとしたエルロイドが、不意に振り返ってマーシャの方を見る。

 

「電報では今朝戻るとのことでしたので、まだ食べていませんが」

「ふん、そうか。ならば着替えたら階下に降りたまえ。一緒に摂るとしよう」

 

 彼女の返事を待たずして、その細身の背中はドアの向こうに消えていった。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

「出張先の成果はどうでしたか?」

 

 食堂で紅茶を飲みつつ、パンにマーマレードを塗りつつ、煮豆をスプーンですくいつつ、目玉焼きを真っ二つに切りつつ、ソーセージにフォークを突き刺しつつ、さらに朝刊に目を通しているエルロイドに、テーブルを挟んで向かい合わせに座ったマーシャが話しかける。

 

「ああ、あれは妖精でも何でもない。とんだでまかせだ」

 

新聞から目を上げて、エルロイドは眼鏡越しにマーシャの方を見た。常に、ではないが、彼は時折文書を読むときは眼鏡をかける。

 

「何が妖精のミイラだ、馬鹿馬鹿しい。あれはカエルと魚を適当に繋ぎ合わせた、ただの干物だ。君を同行させなくて正解だったな」

 

 四六時中研究に没頭し、それを邪魔する者を悪魔か害虫のように邪険に扱うエルロイドだが、マーシャと会話する余裕はあるようだ。それどころか、彼の方も彼女との会話を歓迎する節さえある。事実、手と口と目を同時に動かしながらも、エルロイドは律儀にマーシャに今回の出張の首尾を語った。

 

 しかし、それだけ言うと、彼は再び食事と新聞のチェックに戻る。器用なものだ。手元を殆ど見ていないのに、皿から食事をこぼしたりする様子は全くない。眼鏡の奥で、エルロイドの黒い目が活字を追って左右に動く。マーシャが彼の顔を見ていても、気づかないようだ。黙っていると、絵に描いたような知性的で洗練された紳士にしか見えない。

 

 けれども、マーシャはよく知っている。ヘンリッジ・サイニング・エルロイドというこの人物が、多分にエキセントリックな人格の持ち主であるということを。その性格は、簡単にいうならばマッドサイエンティストの類である。自分の研究のためならば周囲の迷惑など一顧だにせず、我が道をどこまでも突き進む、大きな子供のような人柄。

 

 彼が生涯の研究対象としている存在は、妖精と呼ばれる寓話生命体である。確かに存在しているが、血肉を備えた実体を持たず、むしろ寓話のようにあやふやな謎の生命体。エルロイドはその生態を解明し、体系立てた学問として科学の中に組み込もうとしている。寓話の中のキャラクターではなく、生物の一端に位置づけるつもりのようだ。

 

 だが、妖精は寓話生命体と書いたように、一般人にはその存在さえも確認できない奇妙な存在だ。凡人には、虫取り網を振り回してお化けを捕まえる学問に見えるだろう。だからこそ、エルロイドにとってマーシャ・ダニスレートという女性は得難い助手なのだ。妖精をはっきりと視認し、理解できる人間。妖精女王の目を持つ存在。

 

 エルロイドとマーシャが出会ったあの日、彼女は妖精にすがりつかれたフーリガンを見かけ、それを追ったのが原因で警察に検挙される羽目になった。教授の下で調査した結果によると、あれは古い家屋敷に住み着き、家人に仕える妖精の下僕とのことだ。きっと、家人の一人が危険な行動に走るのを諫めようとしていたのだろう。

 

 今、マーシャはエルロイドの助手として生計を立てている。妖精を追いかけ回しているとして、周囲から変わり者扱いされているエルロイドの助手である。表向きは、彼女はエルロイド邸の侍女として雇用されたことになっているのも、仕方がないと言えるだろう。マーシャは気にしていないが、エルロイドが一応彼女の評判を気にした結果らしい。

 

「マーシャ」

 

 いきなり、エルロイドが新聞を畳んで脇に置くと、眼鏡を取ってマーシャの方を見る。

 

「何でしょう?」

 

 小首を傾げる彼女に、エルロイドは真顔でこう言った。

 

「私に妖精を使って魔法をかけるのはやめたまえ」

 

 そう言ってから、彼は世界の終わりのような顔をして頭を抱える。

 

「ああっ! 私としたことが何という非科学的な言葉を!」

 

 そもそも、妖精たちを生物学的に研究しようとするエルロイドである。魔法という神秘を神秘のまま言い表す言葉は、タブーであり禁句だ。

 

「ええい、疲労がたまっているのか。まったく、魔法などこの世には存在するわけがない。単なる未解明の技能と職種に過ぎんというのに、この私が率先してそんな下らん言葉を使うとは、心底忌々しい」

「教授?」

 

 一人で唸っているエルロイドに、さすがに心配になったマーシャは顔を近づけた。

 

「とにかくだ、マーシャ。君が妖精女王の目の持ち主ということは知っている。だから、ことさらに自分を有能だと証明しようとして、私に妖精をけしかけるのはやめるんだ」

「そんなことはしていませんが?」

 

 まったくもって意味が分からない。マーシャは何もしていないのに、魔法をかけるなと言われても困る。

 

「ならば、これをどう説明する?」

 

 エルロイドの目が不審そうに歪む。

 

「食事というものはどこで誰と食べようと変わるはずがない。それなのに、こうやって君とテーブルを囲んで食べる食事と、よそで食べる食事とでは気分の高揚がまるで異なる」

「……はあ」

「私は出されたメニューでいちいち一喜一憂しない人間だ。故に、食材や調理方法は除外される。異なるのはただ一つ、君がいるかいないかだ。そうなると、君が妖精に頼んで、私の精神に何らかの干渉をしていると考えるのが妥当だろう?」

 

 真顔でエルロイドは、そう言いきった。本気で、一片の曇りもなく、完全に純粋に天然に。

 

「教授……」

 

 ややあって、マーシャは口を開く。

 

「何だ?」

「それ、本気でおっしゃっているんですか?」

「本気も何も、事実だろう?」

 

 完全にそう信じ込んでいるエルロイドの姿に、思わずマーシャの口から笑い声がもれる。

 

「ふっ……ふふっ……ふふふっ」

 

 一度笑い出すと、それはもう止まらない。

 

「あはははははっ!」

 

 楽しげに、マーシャは笑う。

 

「な、なぜ笑う! 図星を突かれたからか!?」

 

 一方的にあたふたするのは、エルロイドだけだ。

 

「違います。教授のそのでたらめな理論が、もうおかしくって…………っ!」

 

 なおも肩を振るわせるマーシャに、困り果てたエルロイドは叫ぶ。

 

「……と、とにかく、君のせいでこちらは年甲斐もなく気分が高揚して困るんだ。さっさと何とかしなさい!」

「それは無理ですよ、教授」

 

 ようやく笑いが収まり、マーシャは優しく彼に告げる。偏屈で、意固地で、変人で、しかし不器用な親しみと愛情をかいま見せる年上の紳士に。

 

「何?」

「だって、それは教授がご自分でお感じになっていることなんですから」

 

 ――これは二人の物語。妖精の見える女性と、妖精を捜し求める紳士との、奇妙で優しい物語である。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 

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