エルロイド教授の妖精的事件簿   作:高田正人

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 ◆◇◆◇◆◇

 

 

「見たまえ。これがこの家のおおまかな見取り図だ」

 

 そこには、鉛筆で描かれたこの家のスケッチがある。

 

「こことここ、そしてこことここ。以上の四箇所で空間のねじれが発生し、この別の空間が出現している」

 

 ソファに腰掛けたエルロイドはそのスケッチの四箇所に、それぞれ鉛筆で丸をつけてから、その鉛筆を使ってもう一つのスケッチを指す。

 

「ただの廊下……」

「ですね~」

 

 向かいに腰掛けたマーシャとルーニーがそれを見て応じる。そこに描かれていたのは、側面にはずらりとドアが並んだ筒状の空間だ。

 

「そのとおり。意味のない個室が延々とつながっている。長さは可変だな。極端に長い場合もあれば、ほんの部屋が二つだけの場合もある」

 

 鉛筆が動くと、そこに「2~∞?」と記される。

 

「一階はまれにしかあらわれず、私たちは主に二階と三階をさ迷っているようだな。一階から直接三階に行くことはできず、必ず二階を経由している。二階から三階、あるいは二階から一階へ階段を使わず、出現した空間を経由して移動することもあった。昇降の感覚を味わわずに移動するのは不気味だな」

 

 エルロイドの説明に、ルーニーが悲鳴を上げる。

 

「すみません、聞いているうちにどんどんこんがらがってきたんですが~」

「情けない。君は位相幾何学をもう一度学び直したまえ」

 

 だが、彼の講義について行けない相手に対して、エルロイドはにべもない。

 

「では、私たちは何とかして一階にたどり着き、ここを通り抜けて玄関に行かねばならないんですね」

「そうだ。だが、現時点においてここは必ずねじれに巻き込まれる。故に君たちはいっこうに脱出できなかったのだよ」

 

 どうやら、これが迷宮と化した家の種明かしのようだ。確かに、どれだけ玄関を目指しても、知らない間に二階か三階に送り返されてしまうのでは、いつまで経っても出られないのも無理はない。

 

「マーシャ。ここで君の目を使いたまえ」

 

 説明を終えて腕を組むエルロイドだが、マーシャはためらう。

 

「ですが、先程も説明しましたが……」

 

 妖精の本質を暴くマーシャの左目は、今回に限り不発である。そのことを、彼女はエルロイドに真っ先に説明している。

 

「君は、この家のどこかに妖精が隠れていて、そいつを左目で見ない限り正体を暴けない、そう考えているのではないのかね?」

「違いますか?」

「嘆かわしい。君はそれでも私の助手か? こんな単純なことさえ見抜けないとは、将来が思いやられる」

 

 一日を丸々費やして彼のために働いた助手に向けて、この言い草である。

 

「悪かったですね。どうせ私の目は節穴の亜種ですよ」

 

 マーシャがむくれるのも無理はない。だが、彼女の表情はエルロイドの次の言葉で驚きへと変わる。

 

「結論から言おう。この家自体が、妖精なのだよ」

「ええっ!?」

「そもそもここはどこだ? あのボーヘン・ダイラバートが高値をつけようと必死の廃屋ではなく、まったく違う場所だろう? 廃屋に妖精が住み着いていたずらをしているのとはわけが違う。それならば、言わば私たちは妖精の腹の中にいるとも考えられないだろうか?」

 

 得意満面に自説を披露したエルロイドだが、すぐに真顔に戻る。

 

「もちろんこれは仮説だ。そして、仮説は立証しなければならない。さあ、マーシャ、頼むぞ。私は推理することはできるが、実際に妖精を暴くのは君の力が必須だ」

 

 そう言われては、助手のマーシャとしてもこれ以上仏頂面ではいられない。

 

「……分かりました。お任せ下さい」

 

 彼女は立ち上がると、一度深呼吸する。

 

「ここでいいんですか?」

「構わん。手始めに壁面を凝視したまえ」

 

 マーシャはうなずくと、じっと応接室の壁紙を見つめる。その二枚目の瞼が開かれ、左目が鮮やかな緑色の光を帯びた。

 

「もっと強く」

 

 だが、数秒経っても何も起こらない

 

「もっと長く」

 

 しかし、エルロイドは諦めない。

 

「もっとだ!」

「教授、ちょっと黙って下さい。こんなに長く一箇所を見たことなんて……!」

 

 とマーシャがエルロイドに抗議したのと同時に。

 

「アーア、ウルセーナー。バレチマッタジャネーカ」

 

 壁紙がぐにゃりと歪み、応接室の空間そのものが一瞬だけ揺らいだ。まるで壁の中に隠れていたかのようにして、何かが姿を現して床に降り立つ。

 

「これはこれは、ずいぶんと可愛らしい姿だな」

 

 大きさは子供ほど。ぶかぶかの服を着た、小さな少女の姿をした妖精だった。どことなく、人形のような出で立ちとぎこちない動きだ。

 

「ウザッテーナー。心ニモナイコト言ッテンジャネーヨ。人間ノクセニヨー」

 

 その口が開くと、獣のような乱杭歯がずらりと姿を見せた。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

「フン、間抜ケ面ガ雁首揃エテ並ンデンナー」

 

 その妖精は三人の顔をじろじろと見ながら、早速失礼なことを口にする。相当口が悪いようだ。

 

「私の隣の二人についてはあながち間違いではない表現だな。だが、そこに私を加えるようでは、たいしてこの妖精の知性は発達していないようだ」

「ナンダトー。ヤルカテメー!」

 

 小さな拳で殴りかかってくる妖精を、エルロイドは軽くかわす。

 

「やれやれ、凶暴でかなわん。マーシャ、少し大人しくさせてくれないか?」

「やってますけど……」

 

 彼の頼みに、マーシャは困惑気味に答えた。先程からずっと妖精女王の目でその妖精を見ているにもかかわらず、妖精はまったく怖じる様子がない。

 

「ヒャヒャヒャ! 偽物デアタシヲドウコウシヨウナンテ、チャンチャラオカシーゼ! オ前ノ目玉ハがらす玉ナンダヨ! ナンダッタラアタシガクリ抜イテヤロウカァ?」

 

 関心がエルロイドからマーシャに移った妖精は、ここぞとばかりに彼女を馬鹿にする。

 

「待て、偽物とはどういう意味だ?」

 

 妖精の言葉に、エルロイドが早速興味を示した。

 

「ソノマンマノ意味ダゼ、オ馬鹿サン。コイツノ目ハりあめいがん様ノ粗悪品サ! 人間ノ分際デ女王様ノ目ヲ授ケラレルナンテ、クソ生意気ナ小娘ダゼ、ムカツクナァ!」

「リアメイガン……」

 

 その名をマーシャは呟く。

 

「伝承で妖精の女王とされる存在だ。妖精郷を兄もしくは伴侶である妖精王アルヌェンと共同統治すると言われているが……」

「ダガ! テメーノ目ハりあめいがん様ノ目ニャ足元モ及バネーヨ! 紛イ物ガ本物気取リデノサバッテンジャネーヨ!」

 

 余程、この妖精は女王リアメイガンを慕っているようだ。同じ目を持つマーシャを偽物呼ばわりし、敵意を露わにしてくる。

 

「わ、私はそんなつもりでは……」

 

 むき出しの悪心に、マーシャがたじろいだとその時。

 

「マーシャ、まともに取り合わないように。所詮は妖精の戯れ言だ。真面目に聞く価値はない」

 

 彼女をかばうようにして移動したのは、エルロイドだった。

 

「ウルセー! テメーハソイツノ何ナンダヨ! 保護者カ? 親父カ? 彼氏カ? ソレトモ旦那様ナノカヨ?」

 

 癇癪を起こしたように地団駄を踏む妖精に、エルロイドは胸を張る。

 

「情けない。人間にレッテルを貼らなければその偉大さを理解できないとは。私はそのような一つ一つの細かな称号を既に必要としない存在だ。矮小な名詞によって個々の可能性をつみ取るなど……ふん、まさに愚者の所業だな」

 

 なにやら自己の言葉に陶酔しつつ天井を仰ぐエルロイドの姿を目にして、妖精は毒気を抜かれたように口をぽかんと開けた。

 

「アノー、スイマセン。コイツ、何言ッテンノカ全然分カンネーンダケド」

 

 次いで妖精は、それまで罵倒していたマーシャにそんなことを言ってきた。

 

「気にしないで、妖精さん。人間の私でも、理解できないことがよくあるから」

「アッ、ソウ。大変ナンダナ」

 

 妖精は首を左右に振って困惑している。どうやら、根っからの邪悪な存在ではないようだ。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

「さて、何はともあれ、家の意志たる君が姿を現してくれたのは好都合だ」

「ホー、分カルノカヨ」

 

 少女とも人形ともつかない姿をした妖精は、精一杯反っくり返ってエルロイドに対峙する。口は悪いし手も早いし態度も横柄だが、幸い邪悪ではないらしい。家屋敷に住み、いろいろないたずらをする妖精に近いが、どうも別種のようだ。

 

「君は現世の家に居着く妖精ではない。家の扉を媒体に、自己そのものである異相空間に人を引きずり込む妖精だ。外周のない家が君の形態であり、ここは君の体内だ。そして今私たちが対峙している君は、言わば象徴であり、イメージだ。家が媒体で君が本体なのではなく、君が客体で家が主体なのだろう?」

 

 エルロイドの推理に、妖精は手を叩く。

 

「ヒャッヒャッヒャッ、ゴ教授恐レ入リマス。ダイタイ正解ダゼ。誉メテヤルヨ!」

「では、誉めてくれるついでに、私たちをそろそろ出してもらえないだろうか。手品の種が明かされれば、手品師はショーを終えるのではないのかね?」

 

 エルロイドの提案を受けて、妖精はしばらく考え込むように見えたが、それはフェイクだった。

 

「ヤーダヨ!」

 

 ぴょん、とテーブルに妖精は飛び乗ると、真っ赤な長い舌を出してエルロイドを小馬鹿にする。

 

「アイニク、アタシハマダマダ遊ビ足リネーンダヨ。モット遊ボウゼ、ナア?」

 

 エルロイドはどんな返事をするのか。マーシャは内心固唾を呑んだ。妖精を追い回すことに腐心する彼のことだ。突然変心し、しばらく逗留すると言い出す可能性だってある。

 

 だが、マーシャの予想は真っ向から裏切られた。

 

「お断りだ。私の助手を紛い物呼ばわりするような輩に費やす時間は、一秒さえも惜しい」

 

 エルロイドは妖精の誘いをその言葉で切って捨てる。

 

「教授……」

 

 一瞬、マーシャの心臓が大きく鼓動した。どうやら、エルロイドは妖精がマーシャを罵倒したことをちゃんと覚えていたらしい。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 


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