エルロイド教授の妖精的事件簿   作:高田正人

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13・青いバラ と 見果てぬ夢 の 話
13-1


 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 オラゴー岬方面へと向かう舗装されていない道路を、一台の自動車が走っている。時刻は正午過ぎ。柔らかな日差しを跳ね返す黒い車体は、人っ子一人いない田舎の道路にはやや似つかわしくない。運転席ではエルロイドがハンドルを握り、隣にはマーシャが腰掛けている。

 

「教授が園芸に関心がおありだなんて、意外でした」

「人間も植物も同じだ。水をやり、肥料をまき、虫を駆除し、時には添え木を当て、または剪定をし、さらに花実が育つまで時間がかかる。教育と園芸とは実に似通っていると思わないかね?」

 

 何やら難しいことを言うエルロイドを横目で見ながら、マーシャはしばらく首を傾げていたが、やがて大きくうなずく。

 

「ああ、なるほど。つまり、人を教える大変さをよくご存じの教授ですから、花を育てる大変さもまた理解できる……ということでしょうか?」

 

 彼女の返答は、どうやらエルロイドの言わんとするところだったらしい。彼もまたうなずく。

 

「ふむ、マーシャ。君は一を聞いて十を知るという言葉を体現しているな。珍しいこともあるものだ」

「これから行くところに興味がありますから。頭も冴え渡るというものです」

「女性はやはり花を好むというということか。私の母もそうだった」

 

 どうやら、二人がこれから向かうのは妖精関連ではなく、園芸関連の場所のようだ。

 

「お母様には、記念日などに花をお送りするのはいかがでしょうか?」

 

 マーシャの提案を、エルロイドは即座に否定する。

 

「気が向かないな」

「あら、どうしてでしょうか。たとえ野に咲く一輪の花であっても、それはまぎれもなく神様の傑作ですよ。贈り物としてはとてもよいものではないかと思いますが」

 

 マーシャがそう言うと、エルロイドは視線を正面に戻して遠くを見る。

 

「造物主の傑作、か。だが我々がこれから目にするのは、神ならぬ妖精の作かもしれないがな」

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

「おお、エルロイド教授ではないですか。今日はよく来て下さった。多忙な中、こんな老骨に時間を割いて下さり感謝しております」

 

 一本しかない田舎道を走り抜けた先にあったのは、ツタが執拗なまでに壁面に絡みついた一軒の館だった。玄関に立つエルロイドとマーシャを、館の主人らしき腰の曲がった白髪白髯の老人が出迎える。

 

「こちらこそ、過分のご対応痛み入ります、ドリズン・スレーラバージ名誉教授」

 

 普段の唯我独尊の態度はどこへやら。エルロイドは丁寧に頭を下げて挨拶する。どうやら彼はエルロイドの元同僚、あるいは若き日のエルロイドを教えた人物のようだ。

 

「ははは、もう退職した身ですから、そんなにかしこまらないで下され。して、そちらの女性は?」

 

 ドリズンが目をしばたたかせつつ、エルロイドの隣に立つマーシャを見る。もっとも、その目はやや濁っていて、本当に見えているかは少々疑わしい。

 

「ええ、彼女は私の助手です。名前はマーシャ・ダニスレート。コールウォーン出身で、なかなか優秀ですよ」

「それはそれは。聡明な教授の眼鏡にかなうのですから、何とも素晴らしいものですな」

 

 と、そこまで言ってから、ドリズンは自虐気味に笑う。

 

「いやはや、年を取ると要領が悪くなって我ながら嫌になりますな。こんなところでお二人を引き留めて申し訳ない。こちらへどうぞ」

 

 おぼつかない足取りで、ドリズンは二人を庭へと案内する。エルロイドはこの人物に、庭にあるバラを見るよう招待されたのだ。そのバラとは――――。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 スレーラバージ邸の庭は、小さいながらも非常によく手入れされていた。底に植えられた木の一本一本に、屋敷の主の深い愛情が注がれているのが見ていて分かる。エルロイドとマーシャが足を止めたのは、その中にある一際大きなバラの木だった。

 

「これは――――」

 

 普段は仏頂面のエルロイドが、今日ばかりは言葉を失っている。

 

「きれい――――」

 

 隣でそんな感想を口にしたマーシャに、エルロイドが我に返ったのかすかさず突っ込みを入れる。

 

「マーシャ、その反応は即物的だぞ」

「あら教授、これはドリズン様が手ずからお育てになった言わば作品です。美しくなるよう惜しげもなく手を加えられた作品を見て、きれいに思うのは当然でしょう?」

「ふむ、言われてみればそのとおりだ。だが、何よりもこれは……驚きだ」

 

 言い返すマーシャの言葉を真顔で受け止めつつ、再び彼はバラの花を眺める。

 

「ええ、本当に。これが……」

 

 マーシャもすぐにバラへと視線を戻した。

 

「……青いバラ、か」

 

 エルロイドの言葉の通りだ。その木には、サファイアのような輝きを放つ真っ青なバラが咲いているのだ。

 

「驚きましたでしょう?」

 

 じっと見入る二人の側に、ドリズンが近づく。かすかにその言葉には、得意そうな感情が交じっていた。

 

「確かに。人類の進歩と共に発展し続ける科学が、いつかはこれを可能にすると私は信じていましたが、まさかこの時代に、この目で見ることができるとは思いませんでしたよ」

 

 エルロイドはマーシャの方を見て説明を始める。

 

「有史以来、ヒトは様々な色のバラの品種を生みだしてきた。しかし、この色だけは決して作ることがなかったのだよ。それが――」

「今ここにある、ということですか」

 

 彼女が言葉を引き継ぐと、そのままエルロイドは首肯する。二人の息のあった会話につられたのか、青いバラについての説明はドリズンに受け継がれた。

 

「そのとおりです。青いバラの原種は、現在見つかっておりません。私たちバラの愛好家も、様々な方法で青に近い色合いのバラを作り出そうと苦心惨憺してきました。しかし、まさか私の庭園で、世界中の愛好家の夢が結実するなど……自分でも信じられないくらいです」

 

 ドリズンは貴重な宝石を見る目で青いバラを見る。いや、事実これは宝石だ。

 

 このドリズンという人物は、相当バラの育成に精力を傾けてきたようだ。この館の手入れが行き届いた庭を見れば、彼の努力と精根が如実に伝わってくる。その彼の庭に、世界中のバラの愛好家が夢見る青いバラが咲いたのだ。これこそまさに、バラの形をした宝石である。

 

「これは、どのようにして育てたのですか?」

「いや、それが分からないのですよ」

 

 しかし、エルロイドの質問にドリズンは首を振る。

 

「取り立ててこの木にのみ、特殊なことをした記憶がなくて。肥料も他のものと同じものを与えていますし、見たところ特別の虫がついていたり、病気にかかっているようにも見えないのです。我ながら、なぜこうなったのかさっぱり分からず、手放しに喜べないのが実状です」

「どうしてでしょうか?」

 

 マーシャが尋ねると、さらに彼は説明する。

 

「今のところ、これは偶然の産物です。突然変異、とでも言いましょうか。れっきとした品種として認められるのには程遠い状態でして。できれば、いや、是非……」

 

 そしてドリズンは、深々とため息をついた。

 

「同好の士の庭にも、同じものを咲かせたい。そうなれば、皆どんなに喜ぶことか…………」

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 その後、意図的にエルロイドはドリズンを連れてその場を後にした。今バラの木の側にいるのは、マーシャただ一人だ。

 

「妖精さん、出てきて下さいね」

 

 彼女が呼びかけると、すかさず青いバラの周辺から歓声が上がった。

 

「はいはーいっ!」

「お呼びとあらばっ!」

「即参上ですっ!」

 

 彼女の緑色に輝く左目に従い、三匹の妖精が姿を現す。

 

「何かご用でしょうか? 女王様と同じ目の人間さん!」

 

 外見はいわゆるフェアリーに近い。羽虫のようなほぼ透明の羽根が生えた、可愛らしい小人の姿だ。全員が女性で、手に手にじょうろや鋏やはしごを持っている。

 

「このバラを青く染めたのはあなたたちの仕業で間違いないですね?」

「はい!」

「そのとおりです!」

「大正解!」

「……やっぱり」

 

 悪びれる様子もなく、むしろ得意そうに跳びはねる三匹を見て、マーシャは内心ため息をつく。いくら何でも、少々やり過ぎだ。

 

「どうしてそんなことをしたんですか?」

「おや、ご存じありませんか?」

「私たち、妖精王様のバラ園の庭師なんです」

「妖精王様のバラ園はご覧になったことあります? すっごくきれいなんですよ」

「なんてったって、私たちが毎日手入れしてますから」

「あれ、でも今私たちここにいますよね」

「……ってことは、バラ園は荒れ放題?」

「きゃーっ! どうしようどうしよう?」

 

 勝手に説明して、勝手に盛り上がり、勝手に危機感を抱いている妖精たちを、マーシャは軽く手を叩いて諫める。

 

「はいはい、落ち着いて下さいね」

「あっ、スミマセン」

「妖精王のバラ園は、これのような青いバラが咲く場所なんですか。素敵ですね」

「はいっ! 一度ぜひご覧になって下さい。いつでも大歓迎ですっ!」

「こらこら、妖精王様の許可がないのにそんなこと言っちゃ駄目じゃない」

「そうそう、後で怒られちゃうよ」

 

 妖精たちは、それはそれは楽しそうに、マーシャとの会話に興じる。

 

 恐らくはた目から見れば、マーシャが一人でバラの木に話しかけているように見えることだろう。さすがにそれでは、彼女の正気が疑われる。エルロイドが意図してドリズンを遠ざけたのは、そのような配慮によるところが大きい。いくら変人であることを誇りにしているようなエルロイドでも、自分の助手が同類に思われるのは嫌なようだ。

 

 このたびエルロイドがここスレーラバージ邸を訪れたのは、館の主であるドリズンに招待されたからだ。彼からの手紙には、庭に青いバラが咲いたこと、そしてそれがエルロイドの研究と何か関連があるのではないかということが書かれていた。そして、ドリズンの予想は的中した。マーシャの目の前にいる妖精たちが、バラを青く染めてしまったのだ。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 


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