「別世界に行く方法?」
それは夏も真っ盛りの気配を出し始めた7月も末のこと。事の始まりは夏休みが始まってすぐだった。
朝ごはんを食べた後、近所の公園に集まっていたひなた・花・乃愛の3人は蝉時雨をBGMに木陰のベンチでおしゃべりをしていたのだが、乃愛が突然した風変わりな話題提供にひなたは驚いた。
「そう!昨日インターネットしてたらね、変なサイトに飛んじゃってそこに書いてあったんだ!」
「何々…『別世界に行く方法!あなたの理想とする世界へ小旅行してみませんか?』だって?」
内心あっけらかんとしてしまったひなただが、表情に出すことなく乃愛が見せたスマホの画面を覗き込む。
ひなたはホームページに関して詳しいことは知らないが、乃愛が見せてきたサイトは大変シンプルな構造・配色をしておりかなり昔に作られたもののようだ。
「それにしても以外だな 乃愛がこういうこと気になって話題にするなんて」
「だってこういうの話題にするってなんかキョーミシンシンな年頃ってカンジでミーハーでかわいくない?」
「……そ、そうか」
そういう考えがすでに興味津々ではなくミーハーでもなく可愛げがない気がする。ひなたは閉口しそうになったがなんとか持ちこたえた。
ひなたの隣の家に越してきた転校生、乃愛はこうやって興味深い情報を自分を飾るアクセサリーのように使うきらいがあった。これは「アタシが世界でいちばん」という彼女のナルシシズムから生じたものであったが、お陰で彼女と話すと面白い面白くないは別にして話題に事欠くことはまず無かった。
そんなひなたをよそに乃愛は花に話を振っていた。
「ハナちゃん、キョーミある?」
「私は面倒くさいからいい それにそんなの迷信に決まってるでしょ」
「バッサリだー!少しはキョーミ持とうよ!」
乃愛の話題に花は興味を微塵も惹かれなかったようだ。
正直、ひなたも乃愛の振った話題に関して強い興味は持てなかったが、ここで話を終わらせてしまってはかわいそうだと配慮することにした。
一息付くとひなたは花だったらこう言えば興味を持つかなと考えて声をかける。
「…花の理想とする世界ってやっぱりお菓子が毎日食べ放題な世界か?」
「お菓子が一生毎日食べ放題な世界!!?」
「うえっ!?」
花が普段なら絶対発しない大きな声で喋ったので乃愛が不意を打たれて驚いている。
クールで凛として咲く高嶺の花のようなイメージがある彼女だが、実は食に尋常ではない関心を寄せており、特にお菓子に関しては目が無い事を彼女と親しい間柄の人間は気づいている。ひなたはそれを利用することにしたのだが、幸いそれで花は乃愛の話に興味を持ったようだった。
乃愛は驚いたものの花が興味を持ったことに気づくとふふんと言って彼女にも画面を見せた。
「こういうカンジにすれば別世界に行けるんだって!」
「なんだこれ?踊りか?」
「えーと肩幅に足を広げて立ち右手だけ腰に当てて左手は斜め下に向ける、次に左手も腰に持ってきて、その次は右手を高く上げ空を指差す…」
『別世界に行く方法』とはなんとダンスをすることだった。しかもページにはご丁寧に文章のみならず手書きの棒人間が踊っているイラストが図解として添えられていた。
ひなたはこういう都市伝説めいた噂に関しては変な呪文を唱えるとか、色々な物を魔法陣の上に集めて儀式をするとかそんなイメージを持っていたが、これはダンスであった。
そして書かれている手順を眺めながら横目で花を見ると彼女はいつになく真剣な顔でダンスを覚えようとしていた。花は食べ物の事になると周りが見えなくなる性格でありそれにかける情熱もすごい。しかし自身の手先が不器用なのとまだ幼いこともあって調理技術自体を修める事はできないようで、だからこそ最近はこういう感じで暴走、もとい食べ物の事に夢中になってしまうことも多かった。
「できた!じゃあ踊ってみるね!…ふんふんふん!ふん!ふん!ふん!!ふん!ふん!ふん!!」
「……」
「……」
図解を見て大体想像できていたが、情報の載っていたページの古さからしたら結構かわいいダンスだなとひなたは思った。踊っている花の容姿が整っていることもあるのかぱっと見では大変愛らしいものだ。
しかし残念ながらダンスは本人が必死に踊りすぎているせいで台無しになっていた。ひなたと乃愛はダンスではなく雨乞いの儀式でも見せられている、そんな気持ちだった。
ダンスは時間にしたら30秒程度だったろうか。
必死になって踊った花だがお菓子が食べ放題な世界に行くことは勿論なく、「ちゃんと間違えずに踊ったのになんで!」と憤っていた所を「落ち着いて!」「でも、ハナちゃん最初は迷信だーとか言っていたよね」と乃愛になだめられていた。
そんな二人を遠巻きに見ていたひなただが、ページを眺めていてあることに気付く。どうもスクロールが最後まで下がりきっていなかったらしい。ひなたは最後まで読み進めるとそこにはこう書いてあった。
「えーと、なんか書いてあるな…『注意事項①!この方法であなたの叶えられる理想は1つだけです!複数はムリ!』『注意事項②!別世界を旅行できるのは5日だけ!長くいることはできないよ!』『注意事項③!理想は強く想っているものでなくてはいけません!生半可な気持ちじゃ別世界にはいけないよ!』…だと」
「え゛っ?」
「へー」
ひなたはこれを読んでははーんと感心した。これはジョークなんだと。
簡単な話だ。1つだけ理想を叶えられると言われても絞り込むのは難しいだろう。5日だけというのもそうだ、理想が叶った世界に行けるとしてそんなに短い期間しかいられないなんて耐えられるだろうか。人間どうしても欲が出る。これなら「失敗した理由」を簡単に作って納得させることができる。
そしてもしも本気でその2つを満たした世界に行きたいと願ってダンスをしたとしてもさら言い訳が立つ。「気持ちが弱すぎる。もうちょっと気持ちがこもっていたら成功したのに惜しいなー。」とか言ってしまえばいい。
まあそういうのを加味しなくともこれは単に友人や知り合いにかわいいダンスを踊らせて楽しむきっかけを作るジョークサイトか何かだろう。花(と乃愛)はネットの情報にまんまと騙されたのだ。
ひなたが頭の中でそう結論を出すと傍では花が「たった5日…一つしか選べない…かっぷけーき、ばうむくーへん、くりまんじゅう……」と何かをうわ言のように呟いている。でもまあ理想なんてこんなものだよなとひなたも少し心のなかで賛同する。ここまで食べ物に対する執着を持つ気持ちは分からないが。
タネが分かったひなただったが勿論「嘘だな、理想の別世界に行く方法なんて全て嘘だ ここに書いてあるのは全て誰かを騙すために作られた見せかけでジョークなんだぞ」…なんて空気の読めない指摘はしなかった。もちろん話題を提供してくれた乃愛に敬意を払って自分も踊るつもりだ。
そう思っていると花をなだめた乃愛が「次はヒナタちゃんの番だよ」と声をかけてきた。てっきり次は言い出しっぺの乃愛だと思っていたひなたは「えっ?私か?」と返すと乃愛は「私は大トリ!だってアタシが一番サイキョーにカワイイから!」と言い放った。
ひなたは苦笑すると再びダンスの手順を確認する。試しに踊ってみるとシンプルながら結構難しい。集中していたとはいえよく花はこんなのをさらっと踊ってみせたものだ。数度躓くも最後にはきちんと覚えて本番だ。
花ほど完璧ではないが花ほど必死ではない「ジョーク」のダンスを踊ってみせるひなた。なんだが乃愛と花に興味深げに見つめられているがやはり恥ずかしいものだ。ダンスを繰り返しの部分まで踊ってここから終盤だ。
だがここでひなたは重要なことを忘れていたことに気付く。”自分の理想の世界とは何か?”これを全く考えずに踊っていたことを。まあ明らかに胡散臭く、ジョークではないかと疑っていたので願いを叶えてもらおうなんて気持ちが微塵も浮かばなかったというのもあるだろうが、ひなたは冷静に構えすぎてすっかり本来の目的を失念していた。
ひなたはダンスをしながら考える。自分に花のようにどんな形であれ手に入れば理想の世界になると思えるものはあるのか?欲しいものは物だろうか、能力だろうか、それとも……。
悩んでみたが欲しいものといってすぐ思い浮かぶものはなかった。ひなたは小さい頃から何でもできた。運動は好きだったし勉強もそつなくこなした。それでいて明るいし礼儀正しく癇癪を起こすこともない。ひなたは大人からも子供からも頼りにされる存在であった。
なんかよくよく考えてみると自分って面白みがない人間と言うか子供らしくないな、たかがジョークサイトのダンスだと思っていたひなたはもはや深く思案しつつあった。自分がここまで子供らしからぬのは何故だろう。
そんな折にひなたの頭に突如として浮かんだのは「姉」だった。
今でこそ一人っ子のひなただが、彼女には実は姉がいた。まあもっとも姉はひなたが物心つくかつかないかといった時期に事故で早世してしまったのだが、ひなたはこの局面でなぜか姉のことを思い出した。
『もしかしたら自分が妹という立場で亡き姉に甘えれた世界があるかもしれない』
こんな考えが頭に思い浮かぶ。
なんでこの局面で?ひなたは少し不思議な気がした。「自分の理想とする世界に行くことができる」。こんな突拍子も無いことを真面目に考えたので頭が混乱していたのかもしれない。
だがひなたは思った。
ちょうど物心がついたような時期に初めから感ていた何かが物寂しいような独特な空気。出どころが分かっているのに分からない影の指したような自宅という不思議な場所。長女ではないのに次女としても振る舞えないようなあの雰囲気。
(もしもお姉ちゃんが生きていて私が妹として存在する世界があるのなら……少し見てみたい)
ここでダンスを踊り終えた。さてあの乃愛の事だ、私が何を想っていたのか詮索しようとするだろう、そうしたらなんて言って誤魔化そう。そう考えた時。
ひなたは目の前がすっと白くなったようなそんな感覚を覚えたのだった。
ひなたはいくつか勘違いをしていた。
「姉に会ってみたい」という想いは1つであること、「少し見てみたい」というのは別に長い時間ではなかったこと。
何より「姉を知ってみたい」という気持ちが実はひなたが気づいていないだけで到底「生半可」とは言えないとんでもなく強い想いだったこと。
そして最後に実は乃愛は嘘を付いた訳でもジョークを披露した訳でも無かったということだ。
「…ん…?」
土の匂いと太陽が背中に照りつける感覚、気がつくとひなたは地面に倒れていた。
なんだ私はダンスに熱中して倒れてしまったのかと思いひなたはすぐに体を起こす。こんな姿を見られてしまったのが恥ずかしかったというのもあるのだが。
だが、不可解なことにそこには乃愛も花もいなかった。
「あれ?」思わず声が出る。ここまで一連のドッキリで実は自分が騙されているのか……?いや、違う。なぜならもし自分が倒れてしまったとして、そんな状況を前にして二人が同時に姿を消すということはまず無いだろう。あの二人ならまず驚いて自分を助けてくれる、ひなたはそう思っていたからだ。
そして何故かひなたは妙な違和感を感じ辺りを見回した。蝉時雨の降り注ぐなんの変哲もない馴染みの夏の公園。だが、何かがおかしい気がする。でも、何がおかしいのかわからない。
ひなたは少し怖くなった。
何故かいない二人、何も変わっていないのに体が感じる違和感。もしかしたら…とも思ったがもちろんそんなことはないのだ、ひなたは自分に言い聞かせる。
そうだ、家に帰ろう。例えばもし二人が同時にどこかへ助けでも求めにでも行ってしまったのなら自分が公園から居なくなっているのを見れば回復して家に帰ったのだと思うだろう。
それに家には母がいる。こういう時は大人に頼るのも良いかもしれない。確か母も乃愛と花の両親とも面識があったはずだ。もし家に二人が来なくともなんで居なくなってしまったのか遠回しに聞いてもらうこともできるかもしれない。
ひなたは不安な心境を吹き飛ばさんばかりに駆け出し、公園を後にした。
『ん?あれ?』
『ハナちゃん、どうかした?』
『…いや、見間違いだよね。なんか今あそこを走ってった子、ひなたにそっくりだったような……』
『むすー!そんなことあるわけ無いじゃん!だって…』
『おう!私はここにいるからな』
『うん、見間違いだよね』
「はあ、はあ、ただいま」
『ああおかえり 楽しかったかい?』
「あ、うん……」
『どうしたの?』
公園から家まで駆けてきたひなただが、道中で出自の分からない違和感が消えることはなかった。見知った町並み、見知った道。なのに、自宅のドアを開けてもその違和感は減る所か増す一方のような気がした。
それは何か母がいつもより快活というか自信に満ち溢れたような喋り方をしている、そんな気がしたから。
だが、ひなたは気を取り直し母に聞いてみることにした。
「あの、いや… そうだ!乃愛と花が家に寄らなかった?公園ではぐれちゃって…」
『いや、来てないねえ んー、まあ乃愛ちゃんが帰って来てる感じは無かったしまだひなたを探してるのかもね』
「そうか…」
ひなたは自室へ入り椅子に腰掛ける。
自分が倒れたということは母を心配させるといけないと思い口をつぐんだのだが、しかし公園で倒れてからどうもおかしい。妙な違和感を感じるとまま家に帰ってきてその違和感は気のせいではなく確信的な物へと変わる。
まずおかしいと思ったのは母の雰囲気だが、違和感を確信的なものに変えたのは『匂い』であった。人は匂いに慣れてしまうのでいわゆる生活臭には鈍感だと聞いたことがあった。確かに乃愛の家も花の家もその家独特の匂いがするな、ひなたは感じていた。
じゃあこの家に入ってから感じる知らない甘いような『匂い』はなんだろう。
『匂い』は自室を含む家全体に染み付いている。こういう甘い『匂い』どこかで…と考えると何か美味しいものを食べている時はこういう匂いがしているよなという感覚がひなたにはあった。でも、なんで。
何故だ、何故だ。もはやひなたは恐怖を感じていた。あのダンスを踊ってみて以降自分の周りの全てが何かおかしい、まるで全てが本当に自分が別の世界に来てしまったような気にさせようとしているようだと。
そしてひなたは己の違和感に気を取られすぎて気づいていなかった。
自室の隣、二階の突き当たりの本来なら物置になっている部屋に生活感があるという点に。
そんな時に階下で声がした。聞き耳を立てると玄関で母と乃愛と花の声がする。
ひなたは安堵した。やはり二人は自分を放り出してどこかへ行ってしまった訳では無かったのだ。おおよそ誰かに自分が倒れてしまった事を伝えに行っている時に入れ違いになってしまったのだろう。
だったらこれまでの違和感は全て不安に思う自分が作り出した思い過ごしで自分は別の意味であのジョークサイトに騙されてしまったのだ。
一番引っかかってるのは自分じゃないか。ひなたはふふっと思わず笑ってしまった。
だが、そんなひなたの耳に知らない声が聞こえた。自分と同じくらいの女の子が二人と同じく玄関で喋っている声。
友達が訪ねてくる、というのは星野家にはありふれた光景であったが、ひなたにはこの声に聞き覚えがなかった。小依ではないし、夏音でもない。他の同級生でもないし、下級生や上級生にもこういう声質の子はいなかったような気がする。でもどこかで聞いたことがあるような声なのは確かだ。
誰を連れてきたのだろう?そう思いひなたが応対しようと自室を出ると誰かが階段を駆け上がってくるのが見えた。
ひなたが誰が来たのか分からないのも訳はなかった。
階段を上がってきたのは自分と同じ顔をした女の子だったのだから。
お互いに顔を見合わせて絶句する。
自分が二人いるという異常事態。後から階段を登ってきた乃愛と花も同様に、二人のひなたが顔を見合わせて固まっているのを見てそれに加わった。
『うわああああああああああ!』
静寂を破ったのは階段を登ってきた方のひなただった。
突然上げられた大声でひなたははっと正気を取り戻し気を張りつめる。そうだ、こいつは出自の分からない自分と同じ姿をした存在なんだ、自分や乃愛と花に何をしでかすのか分かったもんじゃない。
ひなたが用心深く眺めてるとそいつはこう言い出した。
『もしかしてクローン妹製造計画か!?』
「え?」
『隠し妹から手を引いたと思ったら、今度は私自身を増やすなんて…』
「え?」
『だったら今度こそ私はこの子のお姉ちゃん…?』
「……」
『でもあんまりだああああ!私に何が足りないんだ!?そうか!最近また一緒に寝たりお風呂に入るのを三日に一度くらいしかしないからか!!それでみゃー姉は妹成分が足りなくなってこんな計画を!?』
「……」
駄目だ、会話が成立しない。ひなたは思った。
常識的に考えれば自分と同じ顔の人間に鉢合わせたらお互いに警戒して慎重に出方を伺うだろう。なのにこいつはどうだ、いきなり妹が何のとか良く分からないことを喋っている。
だが幸いこいつは自分達に危害を加える感じはしなさそうではある、そう確信したひなたはあくまで警戒を解かずに乃愛と花に話しかける。
「な、なあ乃愛!何か良く分からないことになってるんだが、これもさっきのダンスと関係があることなのか!?」
『えっ?えっ?ダ、ダンス?!アタシ知らないよ!それよりなんでヒナタちゃんが二人いるの?』
「……じゃあ花は知ってるか?お菓子が食べ放題な世界に行きたいみたいなことを行ってただろ!?」
『……私も知らないよ そして思ってる事は乃愛と同じ ってかお菓子が食べ放題な世界って何?…まあ、行きたいけど……』
おかしい。
私が言っていることが二人には分からないと言う、じゃあなんだ、逸脱しているのはこいつではなく私の方か、ひなたは呆然とする。
乃愛も花も何が起こっているのかさっぱりという顔で自分と同じ顔をしたこいつの顔を交互に見比べている。自分の不安を否定してくれる救世主のはずの二人の反応が逆に自分の不安を確固たるものにする。
嘘だよな、これじゃまるで、私は……ひなたがそう思い始めた時だった。
『朝から何騒いでるのひなた~』
ひなたの背後にどこからか知らない女の人が現れる。
それは全身を小豆色のジャージに身を包んだ大人としては少し背の高い、左目を前髪で隠したショートカットの女性だった。
これは「星野ひなた」に舞い降りた、ほんの少し不思議な5日間の物語。