「対鉄血防衛線には特に異常なし、か。善哉善哉」
ノアはタブレットを眺めて呟いた。
妖精の視界を基に、戦術人形と鉄血の配置や戦況を可視化するソフトだ。
暇潰しに作ったものだが、思ったより便利かもしれない。
(いきなりI.O.P.のgitにプッシュしたら、ペルシカさんビックリするかな‥‥)
E.L.I.Dとの戦線からやや自軍側に寄った、”猫の鼻”から見て数キロ離れた市街跡地。
何を商っていたのかも判断つかないほどに錆びて風化した看板が、冷たい風に今際の喘鳴を上げている。
照明の代わりに埃と蜘蛛の巣ばかりを孕んだデパートの残骸で、ノアたちは仮の拠点を広げていた。
ピクチャーインピクチャーでぽこんと顔を出したUMP45が手を振ってくる。
『”欠落組”にも動きはないよー。
いつも通り夜までは散歩もしないんじゃないかな』
「姿は確認できてる?」
『”
”
元々引きこもりがちだから、これもいつも通りかな』
「Gut.
引き続きよろしくね」
間延びした返事で通話を終える。
現実の視界では装備の点検やら雑談やら、第一強襲部隊の人形たちが思い思いの形で休息をとっている。
その様子を一瞥して、かじかむ指先を擦り合わせた。沈黙したままの通信機をねめつける。
「――遅いな」
「そうね。もう予定の時刻から3分も経つのに、何の連絡もないし。
C-MSなんて暇すぎて、地下室への階段を見つけてはしゃいでるわ」
ノアの独り言を拾いながら、416が隣に座り手を握ってきた。
差し出された水筒を受け取りながら、独り言から会話に路線変更する。
「だんけ。
作戦では、5分までのズレは許容することになってるけど‥‥。
今回護衛を担当するのはAR小隊だ。
AR-15とかRO635あたりは几帳面な人格だし、連絡くらいくれそうなのに」
「まったく。
お高く留まったAR小隊サマも、随分とだらしなくなったものね」
そう吐き捨てる416の表情はあまりにも憎々し気だ。
ノアは思わず笑ってしまった。
「やっぱり嫌?あの子たちとの共同作戦」
「いつもアイツらの補助とか尻拭いをさせられてたんだもの。
やっと縁が切れたと思ったらコレよ?」
繋いだ手の指を開いたり閉じたりして、彼女の感触を確かめる。
一口つけた水筒を返し、腕時計を確認して立ち上がる。
「まぁまぁ、それだけ恩を売ってるってことで。
みんな、そろそろ出ぱ――」
その声を遮るように、遠く、雷鳴のような音が聞こえた。
鉄血や正規軍の兵器から放たれる音を全て想起、そのいずれとも一致しない。
通信機を手に窓から飛び出して、外壁を屋上まで一直線に駆け上がる。
「AR小隊!応答しろ!」
しかし、微かなノイズ以外に返る音はない。
一体なぜ?背中を冷や汗が伝う。
彼女らの動向はずっと監視していた。UMP45率いる第二偵察部隊と妖精24機が、今この瞬間も氷の城を見張り続けている。
突如としてあの城が建立されたあの日から、”欠落組”による被害は報告されていない。
『ちょっと!どうしたの?』
空は晴れている。今のは落雷などではない。
自然現象の雷鳴とは、瞬時に3万度まで熱された空気によって発生する衝撃だ。
つまり、同じように空気を熱することができれば、同じような轟音が鳴り響く。
高所から望む視界にたなびく黒煙が、ノアの予想を裏付ける。
そして、轟音は一つで終わらない。先よりも近い位置で、廃墟が弾け飛ぶ。
ノアはインカムを押さえて告げた。
「今すぐ45たちを撤退させて。
それから、総員戦闘態勢。
”
「アーッハァ――!」
大通りを挟んだ向かい側、もう一つの廃ビルが弾け飛んだ。
飛散するコンクリートと砂煙の中から、
生物に喩えられるようなシルエットではなかった。ずらりと並んだ大小の砲身は、中央に鎮座した華奢な少女を守るように囲んでいる。
棒立ちのまま周囲の全てを焼き尽くしたい。そんな子供じみた設計思想が透けて見えた。
さらに信じがたいのは、夥しい兵装の隙間から爆炎を噴き出して飛行している点だ。まともな燃料では2分も動けないだろうに、一体どうやってあんな巨体を飛ばしている?
観察終了。敵がノアの存在に気付くよりも早く、全身を一条の矢として撃ち放つ。
体内で反射させることにより重ねられた”
速度にしてマッハ27に達するノアの飛び蹴りが、破滅的な
崩れたビルの骸が降り注ぎ、命を押し潰すような音がいくつも連なって響いた。
「‥‥不意を突いたはずなんだけどな」
「ノア!」「指揮官!」着地したノアの許に、第一強襲部隊の面々が駆けてくる。
「一瞬も気を抜かないでね。相手はAR小隊を瞬殺した怪物だ」
「確定?」
確定、というのは「AR小隊の完全破壊」に係っているのだろう。
あの規模の破壊に巻き込まれて連絡一つ寄越せないとなると、疑う余地はない。頷く。
「いやぁ、やっぱりカストラートの蹴りは効くなぁ。
”
巻き上がった砂煙が晴れると、そこにはクレンザーが佇んでいた。
地表と激突したのか、機体下部の装備はそれなりに破損している。しかしそこと”烈火”が当たった砲塔を除けば、目立った損傷は見当たらない。
平然としたクレンザーの様子を目の当たりにして、C-MSが驚愕を露わに瞠目した。
「噓でしょ!?指揮官の蹴りよ!?」
「驚くことじゃないさ。あの程度で死ぬなら、AR小隊が仕留めてる」
戦闘における、ノア=クランプスの唯一ともいえる弱点は「強力な範囲攻撃の欠如」である。
アルグリスたちの血を飲んだことによって取り戻した技の一つ――”
強力なフォースシールドで守られた巨躯の相手は、どうにも相性が悪かった。
「C-MS」
「全員散開!リベは私と!」
ノアの一声で意図を察した隊長が号令を放った。
それぞれが距離を取り、疎な円を描くようにクレンザーを囲む。
しかし人形たちの動きには目もくれずに機銃を斉射しながら、彼女は親しげな口調で語る。
「南東にもっと来てたんだけどさ、全部焼き殺してあげたよ!嬉しいよね?」
「E.L.I.DとNYTOのこと?」
「そうそう!あとは戦術人形も何個かね。
せっかく遊ぶんだから、あんな連中に邪魔されたくないもん!」
そう言ってクレンザーが何かをこちらへ放り投げる。
がしゃりと大きな音を立てたソレは派手に拉げて裂けていたものの、ノアには見覚えがあった。
――M4A1のメインウェポン、鉄血製武装モジュールだ。
「こういうときは、首を晒した方が効果は大きいよ。
トーチャラーからは教わらなかったか?」
「仕方ないじゃん。残らなかったんだもの」
今にも踊りだしそうなほど楽しげなクレンザーの言葉を聞き流しながら、周囲の気配を探る。
視覚・聴覚・嗅覚を鋭敏化させる。同時に、風の流れと周囲の全オブジェクトの位置を照合。
違和感はなし。すべての感覚が伏兵の存在を否定する。
瓦礫に隠れたC-MSと416に視線を送る。頷きが返ってきた。全員無事だ。
「トーチャラーは来てないの?」
シールドは消えている。
かつて拝借した報告資料では、常時展開されているとのことだったが。
攻撃し続けても破ることが叶わなかったから、そう判断したのだろう。
「今日はね、トーチャラーに内緒で来たの。
最近のトーチャラーはいつもお前の話ばかりするから。
エッチしてるときもだよ?流石に度を越してるよね!
だからぁ、お前の死体を持って帰ってぇ、お前のコトを忘れてもらおうと思うの!」
つまり、シールドを張られる前に触れることができれば話は簡単だ。
「なるほど、キミは中々賢いね――」
視覚モジュールのフレーム間を突いた一撃。
マッハ12の”烈火”は、クレンザーの鼻先から1メートルほどの位置で火花を散らして弾かれた。
「うーん、さっきより浅いか」
「すっごい!目の前にいるのに全然見えなかった!」
ノアが身を翻すと同時、416たちの一斉掃射と”
しかし実弾など何の脅威でもないのだろう、意に介さず全身に並ぶ砲塔の角度を調整する。
そして砲火が満開に咲き誇る瞬間、ノアが右足を振り抜いた。
”梓馬鏡”。暴風の塊がクレンザーを打ち付け、本来人形たちに注がれるはずだった弾頭はその大半が軌道を失った。
それを免れた数発がG11と416の傍に着弾する。
「しくじった‥‥ッ!ごめん416!G11!」
『被害報告!私とリベは損傷なし!』
『私は無傷、G11は左手に熱傷!』
『私も損傷なし』
インカムからの声に胸を撫で下ろした。
役割を奪ってしまうことを、胸の中でC-MSに謝罪する。
「416とVectorはクレンザーの背後でありったけの火力をぶつけ続けて。
リベは二人の火力補助。
CーMSは僕とクレンザーに接近。回避最優先でね」
『わ、私はどうしたらいいの?』
「G11はリベを守って」
『りょ、りょうかい』
「最後は空だ。飛んだら416以外は地下。
ミサイルが終わったら416も地下」
『『了解!』』
追加の砲撃を、今度は先んじて”秘刃”で撃ち落とした。亜光速で空気を弾いた指が焼け落ちそうになったので、治す。
自ら放った爆撃から身を守り、クレンザーが視界を失っている一瞬。
着地する時間も惜しかった。”
羽ばたくと同時に、先ほどと同じ速度の”烈火”を放つ。バヂリと火花を散らし、靴底に硬い感触が返ってきた。
そして”烈火”を止められたときの彼我の距離は、初撃より遠く二撃目より近かった。
確信する。
このフォースシールドはクレンザーの知覚や思考から独立したアルゴリズムで、自動的に展開されるのだ。
センサーも彼女自身のモジュールからは独立しているはずだ。でなければ、彼女に見えない攻撃は防げない。
そして機体下部だけに見られる重傷を鑑みると、兵器以外のオブジェクトおよび環境はセンサーの捕捉圏外だ。
「Vector、ヤツの足元を燃やし続けて。
416は寄生榴弾の準備を。僕に当たる心配はいらないよ」
『了解』
C-MSが
クレンザーから見れば鼻先を飛び回る蚊だ。一方の火力は考慮する必要すらないが、もう一方の”烈火”は高出力のフォースシールドによる防御を強いてくる。
「この‥‥ッ!」
歯軋りして砲門を開けば、間髪入れずに”烈火”と”梓馬鏡”、416の寄生榴弾と殺傷榴弾の乱れ撃ちが襲う。
機銃は意味がない。軽量級の攻撃はすべてあの暴風で文字通り足蹴にされる。
「邪魔しないでよ!」
単純な作戦能力なら、どの戦術人形もAR小隊と同じか少し上回る程度だ。
ノア=クランプスと1対1なら、フォースシールドの出力も問題ない。火力だって十分あるはず。
だがこの人形たちは、どいつもこいつも機敏が過ぎる。まるで以前住んでいた隠れ家にいた鼠のようだ。
いかにも鈍臭そうなチビ二人を除いて、全員が”絶火”を修めているのが原因だろう。
そして今、何よりも不味いのは――
(熱い熱い熱いッ!コレはヤバい、このままじゃアレが爆発する!)
炎上するアスファルトのせいで、自身に搭載された
今はまだ問題ないが、じきに出力も不安定になってくるだろう。
しかしどれほど焦ろうと、クレンザーの強化外装は機動性に致命的な欠缺を抱えている。
この場を離れるには機体下部のブースターを噴かせるしかない。
3分の1は最初の墜落で破損したが、火の海から脱出できる程度の出力はある。
戦術人形共の射程から逃れつつ、ノアとの空中戦に持ち込む。これしかない。
ブースターに点火しようと決断した瞬間、ノアが叫ぶ。
「総員退避!」
(読まれてる‥‥!クソ!)
しかしこれ以上この場に留まっていられないのは事実。爆炎を撒き散らしながら、クレンザーは勢いよく空に飛び出した。
見下ろすと、戦術人形共がこちらに銃口を向けている――
「もういない!?」
「空中戦なんて見せたことないからな。鉄血にもデータは無かっただろ」
クレンザーの視界に影が落ちた。
直上から声と衝撃が同時に襲ってくる。
自動的に展開されたフォースシールドが、機体へのダメージを阻んだ。
――ここまでは想定通り。
クレンザーは会心の笑みで背面のミサイルポッドを開いた。
「アンタがこっちに来ていいわけ?
アイツらじゃコレはどうしようもないでしょ」
ノアの顔に焦りが滲んだのを見て、勝利を確信した。
眼前の相手にレールガンを突き付け、思い切り機体を回転させる。
同時に計250発の小型ミサイルがクレンザーの背を離れ、
2メートルも飛ばぬ内に炸裂した。
「は!?」
背面のカメラで地上を見る。
そこには、今まさに手元の榴弾を蹴り飛ばそうとするHK416の姿があった。
次の瞬間、再び背面で爆発。背面の視界が死んだ。
「榴弾をサッカーボールみたいに‥‥バカじゃないの!?」
黒い粒子がシールドとせめぎ合う。追撃の爆裂が、何度も何度も背後を打ちつけた。
振り落とされまいと砲門に五指を突き立てたノアの、鳩羽色の髪が風に暴れている。
逆光の中に、琥珀色の視線がこちらを見据えていた。
「――姿勢が崩れたね」
「ッッッッ!?!?」
クレンザーが華奢な手で小銃を取り出すよりも早く、ブーツの踵が迫る。
フォースシールド越しに見たそれは、血のように赤い光を湛えていて、中天にかかる光球よりも強く輝いている。
そしてブースターによる推進力などありもしないかのように、黒い凶星を地面に叩きつけた。
***
青天に束の間顕現した流星は、周囲の瓦礫や廃墟を吹き飛ばし、アスファルトを深く穿った。
クレーターの中心には砕け散った武装たちのなれ果てと、あらぬ方向に曲がった全身から内骨格を突き出したクレンザーが横たわっている。
なんとかコアやメモリを回収できないものかと残骸を漁るノアは、残った熱に指をひっこめた。
「熱っ。全部熔けてる‥‥。
機能停止に追い込む手段がなかったとはいえ、やっちゃったなぁ‥‥」
”血遊”を発動。手を形作り、8割ほど熔けたコアを
インカム越しに、不満げな416の声が届く。
『ねぇノア、どうして私たちは近づいちゃダメなのよ』
「そりゃあだって、原子炉の爆心地だよ?危険じゃないか」
「――莫迦じゃないの!?」
答えた瞬間、416が”絶火”で飛び込んできた。
腕を強く引かれ、そのままクレーターを駆け上がる。「うああ」
地上で周囲を警戒していたC-MSたちと合流するや否や、袖やシャツを捲られた。
異常が無いか確認しているのだろうが、この状況はいささか拙い。
「すけべ」
「お黙り!
あなただって生物でしょう!?放射線の被曝でどんな影響が出るか分からないわ!
そもそも何よ、原子炉って!」
少し揶揄えば赤面して止まるだろう、という思惑は砕け散った。
眉を吊り上げて声を張り上げる416を、リベロールとG11がおろおろと見上げている。
自分の胸を何度も突く人差し指を受け止めて、
「元々予想はしてたんだけど、確信したのは戦闘中だったから。
説明する暇が無くて‥‥ごめん」
「私が怒ってるのはそこじゃないって、分かってるわよね‥‥?」
回答を間違えた。いよいよ416の目が据わる。
「でも、僕は正しい細胞の構成を憶えてるから、被曝してもその場で治せるわけで」
「被曝のリスクが無くなるわけじゃないでしょ!
そもそも余計なリスクを負うなって言ってるのよ!」
「ご、ごめ――」
「あら、あの子ったら負けちゃったのね」
その声を耳にした瞬間、4つある脳の全てが一瞬動作を停止した。
416への謝罪の言葉も、人形たちへの労いも、全てが喉の奥で凍結する。
人形たちが突然の闖入者を目にして、416が衝撃に瞠目し、やがて憎悪に顔を歪めても、ノアの体は動かない。
「まぁ、以外でもないかな。
断血を止めた吸血鬼に、戦術人形が敵うわけないじゃない。
そう思うでしょ?ノア」
ありえない。
45たちが動向を監視していたから?――そうではない。
クレンザーとの戦闘中に気配を感じなかったから?――そうではない。
油が切れた絡繰人形のようにぎこちなく、ノアは声の主を振り返った。
「どしたの?幽霊でも見たような顔をして」
髪は伸び、鉄血人形らしい肌は死人のように色がない。
姿は変わっているが、面影は変わらない。
遠い昔に何度も見たままの笑顔を前にして、なんとかして震える声を押し出した。
「‥‥アルグリス‥‥?」
このお話、僕のメモでは『マホーレン保護編(仮)』となっていました。
全然保護できてねぇじゃんwwww
何笑ってるんでしょうねコイツ。
10か月ぶりの投稿です。すみません。
実はとてもゆっくり書き進めてはいたんですが、どうしても絵に時間を割いていたのと、いつも通り承認欲求にモチベを殺されている状態でした。
しかし先日、珍しいことにマシュマロをいただきました。
「WinterGhost Frontlineは更新しないんですか?」と。
待っている方がいるという事実は非常に強力なモチベです。
その結果が今回の更新です。
これからも書きます。
完結までの道筋はできているので、あとは書くだけです。