「あ、アルグリ、ス‥‥?」
失ったと思っていた。
この再会が奇跡だとすれば、なんと意地の悪いことだろう。
鉄血との交戦で今や見慣れたモノクロの煽情的な衣装に身を包み、こちらを見つめる彼女は。
20年以上昔、共に死線を潜り抜けてきた――アルグリス=ファンブルメイドその人だった。
「でも、貴方も鈍り過ぎじゃないかしら?
昔の貴方ならクレンザー程度、初手の
当然だが、人間という種にとって、死という現象は不可逆である。
心臓が止まり脳が活動を停止した時点で、その個体は永遠に機能しなくなる。
ノアは師からそう教わったし、死んだ人間の血が冷たいことも知っている。
そしてアルグリスは、確かに自分の目の前で息を引き取ったはずで――
「――怒りなさいよ!
家族をこんな形で冒涜されて、何をぼうっとしてるの!」
衝撃に足を止めた思考の背を叩いたのは、416の怒号だった。
白昼の悪夢から立ち返る。
彼女の言葉はきっと正しい。コレは特務課のことを知った異常鉄血が、自分のために用意した嫌がらせだろう。
アルグリスの外見と声を模した機体を作った、それだけの話なのだ。
「現実逃避は止しなさいよ。
全く。精神面はあの頃と同じ、寂しがりで泣き虫のままなんだか――」
溜息混じりの言葉を遮って、5.56×45mm NATO弾が放たれる。しかし弾丸は残像を裂き、
”
「アンタがたとえ本物のアルグリス=ファンブルメイドだとしても!
一緒にいた時間よりも死んだ後の方が長いくせに、偉そうな口を聞いてるんじゃないわよ!」
「貴女は、いつか私を殺しに来た‥‥。しっかりトラウマを刻んであげたつもりだったんだけど?
――あぁ、そういうこと」
トーチャラーの視線が、416とノアとの間を往復する。
視線は敵から外さぬまま、416が叫んだ。
「ノア!コイツはここで殺すわよ」
「‥‥あぁ、そうだね」
たとえ眼前の鉄血人形が、かつて家族同然だった者と同じ
彼女はアルグリス本人ではない。
もう一つ重要な事実があった気がしたが、それを思い出す時間はない。
416からアイコンタクトを受けて、C-MSが声を上げる。
「全員散開!対高速陣形!」
それは、トーチャラーを仮想的として考案された陣形だった。
展開の速い近距離銃撃戦を416とC-MSに任せ、残るメンバーは周囲から圧力をかけて敵の離脱を阻む。
エグゼキューショナー・ミョルニルとの交戦という上質な戦闘データを経て磨かれたこの陣形は、鉄血ハイエンドをその場に抑え込むには十分な戦術だった。
(煩わしいわね‥‥)
実際にトーチャラーは3分間、この場を抜け出せないでいた。
何しろ、今この場にはノア=クランプスがいる。C-MSは本来の作戦よりも一段階距離を取り、近接戦をノアと416が担うことで、この戦術の凶悪さは跳ね上がっていた。
ただ距離を取るという選択をしていれば、間違いなく彼女の上半身はノアの蹴りで消し飛んでいただろう。
しかし、相手の意図を理解した上で何の手も打たないトーチャラーではない。
第1強襲部隊において最も機動力と持久力に欠ける戦術人形――リベロールが、息吐く暇もない戦況に疲労を見せる。その華奢な肩がひときわ強張った瞬間、漆黒のヒールが路面を蹴りつける。
”絶火”による高速移動。リベロールの視線はその動きに全く追いついておらず、そのままトーチャラーの回し蹴りが――
瞬間、トーチャラーに数多の銃弾が迫る。
脳天から喉までを覆いつくすような斉射と、主に腹部を狙った狙撃。
見れば、G11がスコープを覗き込んでいた。その額には脂汗が滲んでいる。
それと同時に、トーチャラーの脚部を跳ね飛ばす衝撃があった。
リベロールとの間に割り込むようにして、416がこちらに銃口を突き付けている。
「――追い付いた」
「やるじゃないの」
体が流される力に従って、トーチャラーは左脚を跳ね上げる。
G11による渾身のカバーを防ぐサマーソルトで、416とも距離を取った。
トーチャラーが元居た場所には、戦術人形たちの放った銃弾が押し寄せる。
しかし息を吐く暇はなかった。なぜならすでに側頭部にノアのブーツが触れている。
全力で衝撃と同じ方向に跳躍。しかしトーチャラーの”絶火”よりも、ノアの"烈火"の方が数段速い。
あわや首が千切れるという感触に慄きながら、体勢の立て直しを試みる。
熱源。
トーチャラーが吹き飛ばされていく方向に、Vectorの焼夷弾が炸裂した。
反対側からは、ノアの追撃が迫る。
C-MSから包囲を突破せんと試みるも、右肩を踏みつけるようにノアの”烈火”が撃ち抜いた。
そのまま地面に押し倒され、致命的な音とともに右肩が粉砕される。
(これは詰みかしら――いや)
ナイフを構えたノアの表情を見て、考えを改めた。
こちらを睨むような、それでいて縋るような。
今にも泣きだしそうなこの顔は、彼の長髪に隠れている。人形たちには見えていないだろう。
「‥‥お前の目的は、何だ」
「教えると思う?まるで人間を脅すようなやり方だわ」
ナイフを突きつけるノアの手を掴み、ハイエンドとしてのスペックと”
ぶじゅりという鈍く濁った音と共に、鮮血が噴き出した。
「ノア!!」
一瞬怯んだ彼の横腹を蹴り飛ばし、トーチャラーは身を起こした。
ノアを受け止めたまま片膝をつき、416は愛銃を構える。
(アイツは銃弾よりも早く動く。ただの射撃には意味がない)
周囲をスキャンする。瓦礫、突き出た鉄骨、宙吊りで風に揺れる看板。
できるかどうかは分からない。しかし、やるしかない。
引き金を引く。弾道は既に計算済み。わずかに銃口をずらし、引き金を引く。
ずらす。引き金を引く。ずらす。引き金を引く。ずらす。引き金を引く。
電子回路が過熱して、人工血液が鼻腔から漏れた。
やがて1発目の銃弾がトーチャラーに迫り、トーチャラーは右足を引いて半身になった。
その動きだけで、8発の銃弾が回避される。しかし――
金属同士の衝突音が、示し合わせたように一斉に鳴り響く。
緻密に計算された銃弾たちは、それぞれ最適な角度で障害物や他の弾丸にぶつかり――
重なり合って生まれた鐘のような音の中。やがて一発の銃弾が、トーチャラーの死角からその脇腹を貫いた。
「う゛‥‥ッ!」
思いもよらぬ被弾に狼狽えた隙に、もう1発の弾丸がトーチャラーの右手を破壊する。
鼻血を拭った416が、不敵に笑う。
「お返しよ」
「本当に、やるじゃない‥‥!」
その間に、VectorとC-MSが両翼からトーチャラーに迫る。
しかし、416の絶技は作戦に無い。咄嗟のアドリブでフォローに回ったものの、Vectorの方がわずかに遅かった。
C-MSの射撃を避けつつ、トーチャラーは膝を曲げる。続くVectorの顔面を、"烈火"で吹き飛ばすためだ。
しかしその動作は、不意に飛来した衝撃で中断させられた。
見れば、俯いたままのノアが指を弾いていた。"秘刃"を放ったその右手は、とうに治っている。
Vectorの斉射が腹部にクリーンヒットしよろめいたトーチャラーの頭部を、G11、リベロール、そして416の銃口が狙っている。
これで詰みだと、その場の全員が確信した。
そのとき、すぅ、とトーチャラーが深く息を吸った。
「――は?」
その呟きは誰の声だったのだろう。
第一強襲部隊の眼前には、巨大な氷塊が現れていた。
VectorとC-MSはその中に飲み込まれ、衝撃の面持ちで固まっている。
頂上に佇むトーチャラーが、416たちを見下ろしている。
「氷結能力‥‥まさかアンタ‥‥本当に」
はっとした416が、腕の中のノアを見る。元より血の気が薄い彼の顔は、これ以上ないほどに白くなっていた。見たくなかったものを直視させられたのだと、全身でその衝撃を語っている。
「ノア!しっかりして!」
呆然とこちらを見上げるノアを見返しながら、トーチャラーは時刻を確認する。
(想像以上に傷を負ったけれど‥‥時間稼ぎは十分ね)
「待て!!!この鉄屑女!!!!!!!」
血を吐くような416の怒号を背に、トーチャラーは氷塊から飛び降りるようにして姿を消した。
***
凍り付いた二人を割ってしまわないよう注意しながら、氷から削り出す。
すでに日は沈んでいたが、ただの一言も発することなくナイフを振るい続けるノアに、誰も声を掛けられないでいた。
重苦しい沈黙の中、スリープモードのVectorとC-MSを抱えて装甲車両のドアを開けたとき、ノアが顔を上げる。
「‥‥AUG?」
その直後、ノアが呼んだ通りの戦術人形が、車両の向く先から姿を現した。
しかしその姿を見て、416たちは息を吞む。
どれだけ戦場にいようと砂埃すらつけなかった美しいドレスは、見る影もなく裂けて汚れている。AUG自身も体中から人工血液を流していた。
駆け寄った416が、ふらついたAUGを支える。「リベロール!」「はい!」
AUGはそんな周囲に構いもせず、ただ崩れ落ちるようにしてノアに縋りついた。
シャツを握り締める拳と同じ、震える声で呟く。
「アンバーズ、ヒルが‥‥落ちました‥‥」
お待たせしました。ご査収ください。