ドルフロで聞いたことが無い固有名詞は、「ノア=クランプス」以外無視しても大丈夫です。
「クソッ、いつになったらジャミング解けるのよ」
砂を巻き上げながら家路を急ぐ車内。
ハンドルを握る416が、何度目か分からない疎通確認に失敗し悪態を吐いた。
リベロールに応急処置を受け、今は眠っているAUG曰く。
今日の夕暮れ時、突然基地が強襲された。
ノアたちに通信を試みたが、遠方通信は全てジャミングされており叶わなかった。
敵戦力は正規軍の残党と思われる兵士と民間人に加え、他地区の戦術人形や鉄血人形。それら全てが一つの勢力として動いている。
連中の動きは理性を欠いていて、細かな戦術は見られない。しかしその規模は”猫の鼻”を遥かに凌いでおり、純粋な物量で戦線を押し上げてきた。
UMP45たちの指揮によりメンタルサーバなどの重要設備は守ったものの、東端から地図を塗り潰すように、都市部は占領された。
現在は一部区画と都市部の間で防衛線を築いているが、次に戦端が開かれると押し切られる可能性が高い。
「‥‥おかしい。
”猫の鼻”だけじゃない、誰にも通信が繋がらない。
アンジェリアも、ヘリアンさんも‥‥ペルシカさんも」
死んだか、という言葉を飲み込んで、端末をポケットに押し込む。
とにかく、今はアルグリスのことを考えている場合ではない。
懊悩は一つの脳に押し込めて、残りの脳を回転させる。
恐らく、謎の巨大混成部隊は件の百鬼夜行だ。個々が理性を欠いているという報告も、自分が集めた情報の通り。
つまり、今回の騒動の中心には”
敵の首魁がナハツェーラであることと、現状判明しているスペックを車内の人形たちに共有する。
「”猫の鼻”に戻り次第、416以外は基地の防衛線に加わって。
僕と416は大将首を獲りに行く」
「本当にAUGの話を聞いてたの?
いくら指揮官と416でも、二人で突っ切れる物量じゃないよ」
「C-MSの言う通り。そもそも、トーチャラーもナハツェーラもどこにいるか分からないでしょ」
「いや、二人とも必ずアンバーズヒルにいる。
潜伏に向いている機体じゃないし、近付けば僕には分かる」
C-MSとVectorの疑問に、珍しくノアは断言した。
「これまで、ナハツェーラと彼女の百鬼夜行に襲われた地域からは、ほぼ全く情報を集められていない。
それはひとえに『生き残りがいない』からだ。奴に遭遇した人たちは皆、殺されるか奴隷にされている。
そんな相手が、今回だけ様子見をして何かを待っている。
増援?――今の戦況から見ても、奴の性能から見ても無用の長物。
人形たちの消耗?――そんなの待たずに仕掛ければいい。これまでもそうしてきたはずだ。
奴は僕を待っている。”猫の鼻”はある意味人質だな」
ノアは、ナハツェーラの正体に見当がついていた。
手掛かりはトーチャラーと、M4A1の存在。そして、NYTOに代表される高い生物工学の技術。
そして襲った人間を己の
「基地が見えたね。全員戦闘準備」
都市の外壁を覆う無機有機の人形たちが、死体に群がる虫のように犇めいている。
G11が、震える声で訊ねた。
「こ、殺しちゃうの‥‥?」
「‥‥そうだ」
得物を抱き締める腕が強張った。リベロールやC-MSも同様だ。当然だろう。人を「殺せる」ことと「殺したい」ことには、大きな隔たりがある。
しかし、ああなった人間を救う術はない。すでに死んでいるのだから。
人形はもしかすると救えるかもしれないが、それを意識して戦う余裕はないだろう。
だからアルグリスも――トーチャラーも殺すしかない。
自分に言い聞かせるような、ノアの呟きが零れる。
「元々、僕にはそれしかできないもんな」
***
ノアたちの帰還を受けて、”猫の鼻”の人形たちは十分な士気を取り戻した。
ノアと416が事態を収拾するまで、基地を守ればいいという目標ができたことも大きい。
結果として、1時間も経たないうちに基地周辺の戦線は安定した。
その一方で、彼が推測したナハツェーラの意図を聞いた人形は如何ともしがたい疑問を抱いた。
その一人であるUMP45が、執務室のモニターをねめつける。
「ナハツェーラって、詳細不明の鉄血ハイエンドよね?
情報だってほとんどないはずなのに、彼はどうして居場所を断言できるのかしら。
まぁ、今更あの人の千里眼には驚かないけど」
『おそらく指揮官は、私たちに告げていない情報を持っています』
45のプライベート回線の相手は、修復を終えたAUGだ。
前線に佇むAUGは前方で蠢く死体たちの頭を吹き飛ばしながら、何てことないように呟いた。
『沈黙の理由までは分かりませんが。
私たちを陥れる意思が無いことだけは知っています』
「そりゃあそうでしょうけど。
‥‥せめてトーチャラーだけでも、私たちで仕留めたかったな。
よりによってあの人に相手させるのは、酷ってものでしょ」
『大丈夫です。416がいますから』
「‥‥そうね。あの子なら、大丈夫ね」
その「大丈夫」が二人のどちらを指しているのか、AUGは問わなかった。
M950Aからの報せが、気まずい沈黙を破る。
『連中が動き出したよ!
――待って、ミョルニルがいるんだけど!』
「落ち着いて!AIはガラクタ同然になってるはずよ。
放電にだけ注意しつつ包囲して、速攻で片づけて」
チャンネルのスイッチと共に、45は思考を切り替えた。
こういう役回りは得意じゃないのにな、と思わず苦笑が漏れる。
しかし、あの二人が敵を討つならば、自分たちの仕事は決まっている。
「ごめんノア。全部は守れない。
でも、今生きてる子供たちと人形は、絶対に死なせないから」
***
血で作り出した無数の糸を、目に見えないほど細く引き絞る。
それを鞭のように撓らせて右手を振り抜けば、無人機も装甲兵も、大型のE.L.I.Dさえも乱雑な切片に帰した。
クレンザー戦の反省を受けて、ここまでの道中に開発した大技――”
隣を走るノアと同じペースで”絶火”を連発しながら、416は彼の動きを観察する。
体内から排出した血液を武器にしているようだが、用が済んだ血液をそのまま体内に戻すわけにはいかない。毎度血液の濾過や滅菌が必要になるわけだが、そんな作用を高速で繰り返しては疲労を避けられないはずだ。
案の定息遣いが荒くなってきたノアに、416が声を掛ける。
「その技、見るからに消耗が激しそうね。
ここまでに何度も使っているわ。そろそろ控えなさい」
私もいるでしょ、と愛銃を軽く掲げるが、ノアはかぶりを振った。
「駄目だ。キミの銃弾で敵を囲む技――アレはトーチャラー戦で必ず必要になる。
ナハツェーラ相手ならしょうがないけど、この人たち相手には弾薬を節約すべきだ。
僕が打ち漏らした人だけ撃って」
襲い掛かってきた戦術人形の一つ、FAMASを胴体から両断する。
腰から千切れたポーチを血の糸でキャッチして、隣に投げ渡した。「多すぎるくらいで丁度いい」
彼に露払いを任せることは不満だが、合理的ではある。416は仕方なくポーチから弾丸を抜き取った。
やがて、二人はアンバーズヒルの中心――時計塔を頂く広場に辿り着いた。
無限とも思えるような奴隷の波が嘘のように、静かな空間だった。
噴水の前に佇む黒い影が、退屈そうにゴシック趣味の傘を回している。
その影は二人の足音を聞きつけて――とっくに接近には気づいていただろうが――こちらを振り返った。
「ここは、美しい街だ。人間がいない間、その美しさは完成されている」
フリルとレースに満ちたドレス、地面に届いて余りある長髪。鬱陶しいくらいの漆黒が、無機質な白い肌を覆っていた。
見るからに鉄血人形と分かる外見だった。しかし、何かが致命的に違うことも見て取れる。
それだけの重圧が、目の前の相手にはあった。
トーチャラーと相対したときとは全く異なる性質の恐怖が、416の危機感知モジュールを最高レベルで刺激する。
ノアは一つ深呼吸をした。
「この街を作ったのも、人間だけど?」
「労働力のほとんどは人形だ。そして貴方は――エマ・ノクス」
「クソ。やっぱり同族か」
「その表現には誤りがある。私の体は、紛い物。ただ心臓に旧き夜の王族を頂くのみ」
416が寄越した懐疑の視線に、肩を竦める。「
「否。貴方は彼の種族の祖。この星を守護する無窮の刃。
貴方ならば、この星の病魔を――テシエ・ウィンターを殺すことが叶う」
「‥‥そういうのは、先生に言ってくれ。僕はそんな大それたものじゃない。
"
事実、ノアは眼前の鉄血人形に勝てるビジョンを見出せずにいた。
エマ・ノクス――人類が吸血鬼と混同しているその種族には6つの血統があり、その一柱が「守護」の権能を持っている。「他者を隷属させる」という異能は、その権能に端を発するものだ。
そして有機物無機物を問わない百鬼夜行などという怪奇現象は、その異能でもなければ実現できない。
それを聞いた416が呟く。
「じゃあコイツの素材に使われているのは」
「そう。僕の同族の遺体さ。どうにも知らない奴みたいだけど、”
「貴方とはどう違うの」
「戦闘力特化で、誇りや責任を重視する。名実備えた貴族様って感じ」
「貴方より強いの?」
「数百倍」
「そう。今はそれだけ分かれば十分ね」
これまでノアがどんな相手にも優勢だったのは、種族由来の性能差によるところが大きい。
そして”黒の血脈”の個体は、基本的にノアよりも戦闘能力が高い。
自分のコンディションが万全だったとしても、おそらく勝ち目は無い。
416だけでも逃がしたいが、ナハツェーラよりも416がそれを許さないだろう。
最低でも相打ち。416だけでも生き残れば、トーチャラーを討ち取ってくれる。
「‥‥本当に久しぶりだな」
死を覚悟する戦いなんて、何百年ぶりだろう。
きっと、普段のノア=クランプスであれば嬉々として身を投じたはずだ。
誰かのために全力で戦って、その結果命を落とす。それは彼にとって最高の死に様なのだから。
しかも相手は”黒の血脈”の改造品。この時代で出会える中で唯一、自分を殺せるかもしれない存在。
――だというのに。
(こんなに、怖いのか)
416の隣に居られなくなることが、堪らなく恐ろしい。
416を喪うかもしれないことが、同じように恐ろしい。
そんな怯懦に任せてこの場から逃げ出してしまわないのは、隣でこちらを見ている彼女の、その静謐で力強い視線のお陰なのだろう。
今、彼女が何を求めているのか。何を
当然、彼は理解している。そして彼も、それを彼女に求めていた。
「コレはエマ・ノクス同士の戦いだ。本当なら、戦術人形なんて紙屑のように消し飛ぶ領域。
でも、僕一人じゃアイツに勝てそうにないの。
‥‥
「今更何を訊いてるの。
あなたの選んだ道なら、散歩でも戦場でも、地獄だって付き合うわ。
あなたと歩く道でないと、私は自分の価値を証明できないんだから」