「午前中に片付けなきゃいけなかったお仕事は、何とか全部終わったね」
「何言ってるの。全然余裕だったじゃない」
お世辞にも綺麗とは言い難い街並みを、ノアと416が並んで歩いている。
アンバーズヒルの貧民街。都市部と違って舗装もされていない道の端にはゴミが散見される。しかし住民たちは貧しいなりに日々を懸命に生きており、道行く人々の顔には生気が宿っている。この空気があるから、ノアは都市部よりむしろこちら側を好んでいる。
“猫の鼻”の定期業務の一つ、街のパトロールの最中だった。
「416が手伝ってくれたお陰だよ。僕が遅刻したばっかりに迷惑かけて――」
口を突いて出る言葉を、416が指を振りながら遮った。
「謝罪はナシよ。私は副官で、戦術人形なのだもの。
“欠落組”を仕留めるまでとはいえ、私には貴方を支える義務があるんだから」
「……はぁい。ありがとね」
「よろしい」
416がにこりと笑う。普段は澄ました顔の彼女が時折見せる、花のような笑み。ノアにとって、この笑顔はあまりよろしくない。
ギャップというヤツだろうか?いつもは周りの人形と比べて大人びて見えるだけに、急に少女らしい可愛らしさを見せられると……心臓に悪いのだ。
彼女に副官を任せて一週間ほど経つ。初めの内は予備知識が必要なさそうな計算や確認作業だけを任せていたが、今朝の事件を受けて「きっちり全体の半分を寄越しなさい」と言われてしまった。試しに言われた通りにしてみれば、全てミスなく終わらせてみせた。速度こそノアより少し遅れていたが、慣れていないことを鑑みれば想像以上の優秀さと言える。
416が副官を買って出てくれたお陰で、ノアの負担は大きく減じている。ノアにしてみれば人形にこのような仕事を押し付けるのは心苦しいのだが、「屈辱」とまで言われてしまってはどうしようもない。素直に感謝しておくべきなのだろう。
仮にも業務中であるにも拘らずこのような思考に身を浸しているのは、このパトロールが基本的に暇だからだ。
住民に恐怖を与えないよう目立たない程度の武装をして、決まったルートを歩くだけ。道中で何か問題があればもちろん対応するが、G&Kの制服が見える場所で揉め事を起こそうという阿呆はいない。
(個人的には、僕の見てないところで悪さをするくらいなら目の前で暴れてほしいんだけど)
時折都市部で発覚するホワイトカラー犯罪のことを思うと、取り締まりの面倒さに気が重くなる。社会や文化が発展しても、その中で暮らすヒトは洗練されないのだからおぞましい話だ。
益体もない思考から、あることを思い出した。
「そうだ、一昨日貸した本読み終わった?ラップトップ抱えた……ってやつ」
「えぇ、読んだわ。ああやって人類を批判する内容の作品を、
……面白かったけど」
「でしょー?んっふふ」
彼女に本を貸して、その感想を訊くことがノアの最近の楽しみなのだ。416は紙の本が好きなようで、ノアが勧めたものはとりあえず全て読む。読んだ上で、忌憚のない感想を教えてくれる。そうやって彼女の感性を知っていくのはとても楽しい。
以前にもリベロールやC-MSと似たような会話をしたのだが、みんなそれぞれ異なる趣味をしていて、その違いを理解する経験は新鮮だ。
因みにリベロールはジョークの効いた戯曲が好きで、C-MSはあぁ見えて難解な学術書を貪るように読む。そして416は、王道を往くハッピーエンドの恋愛小説や青春ミステリがお好みらしい。
「昔の小説を集めておいた甲斐があったってものだよ」
「あ、グリフィンのねーちゃんだ!」
「おねーちゃん!」
少年の叫び声が耳に届いた。その方向から、みすぼらしい格好の少年少女が駆け寄ってくる。ケイン、ルーカス、デイシー……顔馴染みのストリートチルドレンだ。
ノアはじゃれついてくる頭を押さえながら、ポケットを守る。
「おにーちゃんだろうが、この悪餓鬼どもめ!
おいハリデルっ、今財布掏ろうとしただろ、見えてるからな!」
「クッソ、バレた!」
勇敢にもG&Kの指揮官へ突撃する戦士たちとは対照的に、気の弱そうな子たち――子供たちの中でも年少組に当たる――は一歩引いて、その騒ぎを笑顔で眺めている。今日はおねーちゃんのお財布取れるかな、無理じゃないかなー。
何がどうなっているのか、理解が遅れ立ち尽くす416に、デイシーが声を掛けるのが見える。
「今日は人形のお姉さんも一緒なんだね」
416は首を傾げている。彼女は今、
「どうして人形って分かるの?」実際にそう訊ねたのも頷ける。
「だってすっごい綺麗なんだもん!それに、おねーちゃんの仕事場って人形しかいないって聞いたから」
416が少し赤くなった。この一週間で何度も見た赤面癖。自信に満ち溢れた言葉とは裏腹に、彼女は照れ屋かつ褒められ慣れていない。おそらく、今までの経験によって何かに対するコンプレックスが染みついているのだろう。
さて、デイシーにもバレているのなら伏せなくてもいいか。
ハリデルとルーカスの連携を躱し、ケインのスライディングを飛び越えながら呼びかける。
「416、銃とか掏られないように気を付けてね!」
「分かってるわ。私を誰だと思ってるのよ」
そう言って鞄を抱える416を尻目に、子供たちの顔ぶれを見回す。
いつも見かける顔が、二つほど足りない。
「ねぇルーカス。ダヴィとサンダリオは?姿が見えないけど」
ノアが訊ねると、子供たちも思案に余っているという様子で首を捻った。
「分かんねーんだよなぁ。俺たちも見てねー」
「働くところを見つけたって喜んでたんだけど、昨日からいないの」
「住めるとこなのかもしんねーし、あんま気にしてないけどな」
「それはハリデルだけだよ」
「あぁ!?」
「こらこら、喧嘩するなって。……まぁ、仕事が見つかったなら何よりだな」ハリデルを宥めながら、思考を巡らせる。少し嫌な予感がするものの、このような移動は珍しくない。病気などで死んだという明確な証拠がないだけ、安心すべきだろう。
「みんな元気そうなのも確認できたし、僕らはもう行くよ。
またねー」
きゃんきゃんと騒ぎ手を振る子供たちの声を背に浴びながら、ノアはその場を後にする。
後ろに続く416が、何か盗まれていないかと持ち物を確認している。
「指揮官、随分と懐かれてるのね」
「……まぁ、うん」
「どうしたの?」
416はとても目敏い。ノアが少しでも考え事をしている様子を見せれば、すぐにそれを察してしまう。
きっと隠し事をすると今朝のように怒ってしまうので、正直に言ってしまうことにした。
「あの子たちのために孤児院を作ろうと、色々頑張ってるんだけどさ。
ほら、みんなが集まる場所があれば、顔が見えなくて無事が確認できないなんてことはなくなるでしょ?
でも、アンバーズヒルの住民にもヘリアンさんにも反対されてて」
「前者は財源の問題、後者は業務範囲の問題ね?
直接自分の利益にならないものに、自分たちの金を費やしたくないってところかしら」
416の言う通りだった。
足元の小石を蹴った。知らぬうちに、愚痴っぽい口調になってしまう。
「その通り。こんな時代だから仕方が無いんだけど。
子供たちのためにできることをすべき、っていう感覚はもう古いのかなぁ」
「そんな余裕があるのは一部の富裕層ぐらいだもの。もちろんウチにだって無いわよね?」
「あればとっくに実現してるさ。
ウチが所有するプラントの収入じゃ、基地内の生活を維持するので精一杯。武装や訓練にもコストがかかるし……」
ノアには、“自分が努力するだけで解決できる問題ならいくらでも熟してみせる”という自負がある。けれど、周囲の賛同が無ければできないことも、ヒトの社会にはたくさんある。ノアはそういった、ヒトと足並みを揃えなければならない状況が大嫌いだった。
普段は執務室ではなく、私室で考えていること。どうしようもなく困難な問題について頭を悩ませていると、作り笑いを保つ余裕がなくなるから。
だからきっと、自分は余程酷い顔をしていたのだろうとノアは思う。416がノアの顔を覗き込んで、クスリと微笑んだのだ。
「もう、そんな顔をしないの。
指揮官である貴方が親しく接してあげているお陰で、あの子たちは『いざというときはグリフィンが助けてくれる』って認識を持ってるはずよ。それは確実に日常の安心感に繋がる。
――貴方の努力は無駄じゃないわ」
「え」
間抜けな声が出てしまった。
自分は人形たちの指揮官で、この街を管理する者だ。ノア自身にその意識が無くとも、彼は人形や住民の上に立っている。
故に彼の仕事ぶりを心配する者は数多くとも、彼を
決して、誰かに褒めてほしかったわけではない。承認欲求のために戦っているわけではないと、偽りなく断言できる。
それでも、たったそれだけの言葉で、ノアは泣きそうになった。
「何その顔、初めて見た。
まぁちょっぴり変だけど、いつものへらへらした顔よりそっちの方が可愛いと思うわ」
俯いて、目頭を押さえる。こうでもしないと、涙腺が言うことを聞きそうにないのだ。
ほんの少しだけ鼻声になっているだろうが、それでもこの感謝は伝えなければなるまい。
「……ありがと」
「事実を言ったまでよ。礼には及ばないわ」
思ったより小声になってしまったその言葉は、しっかりと彼女の聴覚に届いたらしい。ふふんと416が笑う。
ノアは思い切り息を吸って空を仰いだ。努めて明るく叫び、鼻声を誤魔化そう。
「全く、キミはカッコいいなあ!」
「ソレ、人形とはいえ女の子に言う言葉かしら」今度はおかしそうに、楽しげに416が笑う。
「あ、あのっ!」
「ん?」
後ろから声が聞こえたので振り返る。声の主は、三つ編みの痩せぎすな少女だった。周囲に人影は少なく、少女は明らかにノアのことを見ている。今のは自分への呼びかけだったのだろう。距離は開いているので、今のやり取りを聞かれている心配はない。余計な恥をかくこともない。
「あの子、さっきの孤児たちの中にいたわね」
「うん。エメって子」
とてとてとこちらへ走って来るので、屈んで迎える。年は確か八つ。ノアからしてみればほとんど赤子のようなものだが、子供たちの中では年の割に大人びている方だという印象があった。
「エメ、何か用があったの?」
一生懸命自分たちを追い駆けていたのだろうか、少し息を整える様子を見せる。気付かなくてごめんねと言いたかったが、それで更に恐縮させても悪い。エメが口を開くのを待つ。
「あの……助けてほしいの!」
息を吐いた後もいくらか躊躇って、ようやく出てきた言葉がソレだった。
ノアは首を傾げる。
「何かあったの?お金は……キミだけにあげるってわけにはいかないんだけど……」
財布を取り出そうとすると、エメは首を振る。
何と言葉にしたものか迷っているような表情で、うーんうーんと唸る。
隣の416が、ノアに合わせて膝を折った。G11を引きずり回す時とは正反対の、優しい声で話しかける。
「もしかして、お友達のことかしら?」
「そ、そうなの!」
エメは手を叩いて、それから二人の手を握って叫んだ。
「あの二人は攫われちゃったの。
――この街に、吸血鬼がいるの!」